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南山城跡登城日:(2005.07.15) 所在地: 糸満市大里 |
歴史 |
南山城は琉球三山分立時代(十四世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。十五世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。 十九八四年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉などが出土しています。これらの遺物から南山城は十三世紀頃に築かれ、14〜15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。 南山の東方には水豊富な「カデシガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森(わだきなー)」があります。 『南山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
南山城は高嶺小学校のある台地上に存在していました。切石の石垣が囲んでいる内部の東側に拝所と大原御殿があり、南山神社を挟んで小学校へと続いています。独特の雰囲気を放つグスク内をドキドキしながら散策している中を小学生がゴミ拾いのために行き違います。彼らには日常の光景なのでしょうけど、私には非日常的な空間なのですから、ホウキやゴミを集めるビニール袋を持ってうろうろしないでほしかった(;_;)。 当グスクは切石だけじゃなく、やはり他の時代の野面積みの石垣も豊富に確認することができます。北側眼下には落城の原因となった嘉手志川(カデシガー)が流れています。グスク内に設置された墳墓は他のグスクにはないものでさすがは山南王の居城だといったところなんでしょうね。
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