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玉城城跡登城日:(2005.07.15) 所在地: 島尻郡玉城村字玉城門原444 |
歴史 |
この城は、別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。『島尻郡誌』では、「アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主はアマミキヨの子孫即ち、天孫子であったと云う」と記述している。 城跡は、一の郭、ニの郭、三の郭からなる階段状の山城で天然の要害の地に築かれている。城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、ニの郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材用として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。 一の郭は、東北東に自然石をくり抜いた城門を構え、城内には「天つぎあまつぎの御獄」(神名「アガル御イベ、ツレル御イベ」)が祀られている。 『玉城城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
玉城城は琉球王国時代には、毎年正月に国王の命を受けた役人が「国家安泰」「五穀豊穣」を願い、また一年おきには国王自らが参詣していたとされる霊場としても有名なところです。城跡としては戦後に米軍が施設建設のために建設用材を持ち去ってしまったのでかなり破壊されてしまっています。 玉城少年自然の家の脇にある広場にレンタカーを停め、そこから標高180メートルの丘陵をのぼっていきます。石段がつけられているので足元は悪くないです。北側からあがっていった先に巨大な岩をくりぬいて作られたとされる城門に到達します。見事にくりぬかれた穴の向こうに内部の石垣が見え、そして近づくと勢いよく通り過ぎる風が頬をなぜてくれます。 内部は拝所や住居跡とされるところは比較的よく残っています。下草が伸びていますが、1の郭は十分に遺構を確認できます。明治の末頃まで城内には人骨が転がっていたとのことと霊場だったこともあり、びくびくしながら厳かに手を合わせながら城跡を出ました。
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