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大友館跡登城日:(2008.03.21) 所在地: 大分市上野丘西 |
歴史 |
鎌倉時代から戦国時代まで、豊後守護として君臨した大友氏の居館・大友館が置かれているところです。館跡は東西130メートル、南北約150メートルの長方形からなり、北西に主郭の出入口を固めるための枡形を設け、南と西側には10メートル(西)〜25メートル(南)ほどの幅をもつ土塁を盛り上げ、この基底部に沿って空堀を掘り出していました。また、東側と北側にある自然の窪地も巧みに利用して館内への敵の侵入を防ぐ工夫をしています。築造の時期は不明ですが、戦国時代末まで利用されました。大友宗麟の父・義鑑は「大友二階崩れの変」で横死しましたが、当時二階建ての館であったことが推察されます。大友氏をしのぶ重要な遺跡です。
『大友館跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
大友館や周辺の歴史は一切頭にないままで訪れてみました(^^;。住宅地の中にかろうじて高台となった場所に石碑と土塁跡が残されています。そこが大友館の南限となるようですね。北側を見降ろすと新しい住宅地が建てられてしまっています。ほとんどが「二階建て」ですが、まぁそれは関係ないですね・・。 そういうしているうちに幼稚園児があがってきました。「こんにちは!」あ、こ、こんにちは・・いい子に育ってください。私は怪しまれないように(って悪いことしてませんけど)、すぐその場をあとにしました。
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