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月隈城跡
登城日:(2004.03.19)
所在地: 日田市丸山町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
山頂部にある削平地 石垣が豊富に残っています。  豆田町は、慶長六年(1601)から九年にかけて、小川壱岐守光氏が月隈山に丸山城を築いた際、友田村から民家を移して城下町をつくったのに始まる。初め丸山町と言ったが、元和年間町づくりを継続した石川忠総のとき豆田町を改められた。整然とした屋敷割りと旧街路名は、初めからのものである。
 ある時期を除いて、日田が幕府直轄の天領となるのは、両小川氏が代官となった寛永十六年(1639)からである。明和四年(1767)揖斐十太夫が代官から昇格し西国筋郡代となって以後ははじめ代官として着任しても後には郡代に昇格している。また最初から郡代として着任したものもある。代官・郡代の権威と結びついて、大名の御用達や公金の出納を担当した掛屋になった商人が台頭した。
 この掛屋の中で、草野家・手島家・千原家・広瀬家などは、豆田町に居を構えた。中でも、広瀬淡窓の生家である広瀬家で、初めて掛屋となった久兵衛の土木事業や府内藩の財政改革などの活躍は広く知られている。
 町人の町として繁栄した豆田町も明和九年(1772)の大火、明治十三年の平野町−八幡町の大火によって大きな被害を受けた。それらの災禍を乗り越えて、再興された町並が今日残っている町並の基礎をなしている。
 豆田町の町並の特徴は、江戸時代初期の町割が、ほぼ完全に残っていること。江戸時代から現在までの各時代の特徴を持つ家屋が混在していることである。

『月隈城跡案内板』より

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資料
 

私見
石垣が豊富に残っています。 水堀です。  日田町にある城跡は、月隅城、日隅城、星隅城の3隅城で知られています。なんだか歌劇団組分けみたいですね。まずは月隅城(丸山城とも)に行ってみました。場所は月隅公園を目指せばいいだけですので簡単です。また無料駐車場も完備されていますのでありがたいですね。
 城跡自体は日田林工高校の敷地内(?)に位置しています。小高い独立丘陵の斜面にはかなりの横穴が開いてて少し怖くなります。これは古墳時代の横穴墓だったようです。
 山上には神社が建てられており、その先には高さ3メートルほどの石垣が残っています。石垣の上は広い平地と、さらにその奥に一段高い削平地があります。よく見れば石垣も一箇所ではなくかなり残っているようです。江戸時代になってから築城された城でしかも代官所であったところがこんなに立派な山城で、石垣が組まれているのが驚きです。
 城跡の南麓には公園があり、その下には水堀が残っています。
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