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麻田陣屋跡
登城日:(2001.03.03)
所在地: 豊中市蛍池中町3−9−20
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
麻田陣屋跡  藩主を青木氏とする麻田藩は、石高一万石余りの外様大名です。
 大阪の陣で、初代藩主は豊臣方の武将でしたが、陣後、家康に召され、ここ豊中市蛍池に本拠の陣屋を構えました。以後一貫して当地に存続した、豊中にゆかりの深い大名です。
 当時のことを記した絵図によると、陣屋は方形で周囲に濠をめぐらせ、面積は五反歩余りあったと言われています。内部には大名の居住する御殿のほか、会議所・柔剣道場などがあり、周辺には家臣の邸宅がならんでいました。文久三年(1863)の記録によれば、家臣の数は百十人余りあったものと記されています。

◆麻田藩陣屋門

 江戸時代、現在の蛍池中町3丁目、市立蛍池公民館の付近に麻田藩一万石青木氏が十四代にわたって、本拠の陣屋を構えていました。現在は住宅が建ち並び当時の面影がなくなっていますが、明治維新に描かれた地図によれば、三方に堀をめぐらし、陣屋内には藩主邸・家臣邸などが配置されていました。規模は南北二五○m・東西一九○mのほぼ方形であったと想像されています。この門は陣屋内のいずれの門であったのか特定できませんが、形式から江戸時代の末期に建てられたものとみられ、その後、明治維新にこの地に移築されており、今では当時の麻田藩陣屋の姿を知るうえで基調な資料となっています。
 建物には両脇の二間四方の居室部の間に、両開きの扉を釣りこみ、その両側に潜口を設け、むかって右側は三方に出格子付きの窓を開く番所を張出し、屋敷門の形式をもっています。移築のときに少し改造されていますが、青木氏の家紋である「洲浜(ずはま)」が刻まれた屋根瓦からは、麻田藩ゆかりの建造物であることを知ることができます。

『麻田陣屋跡案内板』より

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資料
 

私見
麻田藩陣屋門  阪急宝塚線「蛍池」駅を降りて2分くらいの蛍池公民館前に麻田藩の陣屋跡を示す案内板と石碑がありました。そこにはかつて陣屋があったってことだけしかわかりませんが、実は市内2ヶ所に遺構が移築されています。
 1つは大阪モノレール「柴原」駅を降りて、東西に走る中国自動車道をまたぐ陸橋を歩いて南下します。100mほど歩いたところに麻田陣屋門が上西家に移築してあります。なんか古い民家にあってもおかしくないような状態なのですが、これって普段上西さんは利用してるのかな?・・ってまぁそれはないでしょうねぇ。
 もう一つは行けなかったのですが、同じ豊中市内の報恩寺には陣屋御殿の玄関が移築されて残されています。
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