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普門寺城跡 登城日:(2003.04.03) 所在地: 高槻市富田4丁目、普門寺 |
歴史 |
普門寺は、慈雲山と号して臨済宗妙心寺派に属し、釈迦如来と十一面千手眼観自在菩薩を本尊とする。
明徳年間(14世紀末)に説厳が創建し、永禄四年(1561)には、室町幕府の管領細川晴元が政争の難を免れて入山。また同九年には、足利義栄が当寺で14代将軍の 宣下式を行い、別名普門寺城とも呼ばれた。 元和三年(1617)に龍渓が入山、約40年間にわたって方丈や庫裏等を造営し、隆盛を誇ったという。この間の明暦元年(1655)には、龍渓の招きで明の高僧隠元が来日、宇治の黄檗山万福寺に赴くまでの6年間、当寺に滞在している。 承応三年(1654)に龍渓が去って以後は、龍安寺の輪番所となり、昭和初期まで専任住職も置かれず、明治時代の廃仏棄釈もあって荒廃した。しかしその後、再興が図られ、方丈は昭和52年1月に重要文化財、また庭園も昭和56年8月に国の名勝に指定された。 昭和57〜59年にかけて解体修理された方丈は、入母屋造りでこけら葺きの屋根、大きい軒などが調和して優美さを漂わせている。一方庭園は、要所に石を組んだ枯山水庭で、江戸時代初期の作とみられている。 このほか境内には、細川晴元の墓と伝えられる宝筴印塔や、普門寺城の名残とみられる土塁などがある。 『普門寺案内板』より
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資料 |
私見 |
お庭が有名で、前日予約しないと入れないほどの普門寺ですが、実はここも城跡でした。足利義栄が将軍の宣下式を行ったりなど、歴史的にも重要なイベントがおこってたなんて全然知りませんでした。
また、遺構としては境内の奥のほうをL字型に土塁が残っているようです。予約してないので見ることはできませんでしたが。
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