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原田城跡
登城日:(2000.12.29)
所在地: 豊中市曽根西町四丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
宅地のなかにひっそり立てられた案内板。  原田城の造られた年代は明らかではありませんが、室町時代末期に書かれた「足利季世記」によれば、天文十年(1541)十一月に管領細川晴元の家臣木沢長政が原田城を攻めたとの記述がみられ、少なくとも十六世紀初め頃には築かれていたものと考えられています。
 原田城には、主城の北城と砦の南城の2城があり、この場所は北城が築かれていたところで、当時は東西九十間(約160m)、南北百八十間(約320m)の規模を有し、現在は残っておりませんが、堀もあったと言われています。また、南城はここから南東約300mのところにあったと言われています。
 当時は群雄割拠の戦国の世で各地で合戦がおこなわれ、この原田城も多く史実のなかにその名がみられます。
 天文十六年(1547)には城主は不明(「摂津誌」によれば三好日向守)ですが、細川晴元勢三万騎の攻撃によって陥落しています。また、天正六年(1578)には織田信長による伊丹有岡城にたてこもる荒木村重討伐のさい、この原田城は信長軍の付城として信長配下の武士が在番していました。

『原田城跡案内板』より

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資料
 

私見
立派なお庭ですねぇ。って感じな城跡地。  完全に造成された宅地の中を進んでいくと城のあったところだけ少し高台になっているのがわかります。また現在は個人の私有地のようで立派な庭があるなあといった程度で城跡だとは想像できそうにないところです。
 あと南城のほうも軽く探してみようと思ったのですがとても残されていそうにないです。 まぁこんなもんでしょうね。
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