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東村砦跡
登城日:(2004.12.24)
所在地: 堺市百舌鳥梅町1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
古墳公園として残っています。  定の山(じょうのやま)古墳は、中世には「東村砦」と呼ばれる城として利用されたとも伝えられていますが、現在は「城の山公園」(しろのやま)と名付けられた古墳公園となっています。一見するとただの土まんじゅうのようにしか見えません。しかし、もともとは前方部を西に向けた帆立貝形古墳(前方部が後円部より短い形態の前方後円墳)で昭和43年(1968)より行なわれた土地区画整理事業の際に墳丘が著しく変形しました。その後墳丘範囲確認調査の成果をもとに公園として復元保存されました。昭和30年代までは、周濠と呼ばれる古墳の周囲を巡る濠の跡も水田の畦にクッキリと残っていました。
 元の墳丘は全長69m、後円部径約53m、高さ約7m、前方部幅約29mの規模と考えられ、葺石(古墳の表面に貼り付けた拳大の自然石)と須恵質埴輪を含んだ形象埴輪片が確認されています。また、前方部と後円部の接点には底部のみを残す程度の15個の円筒埴輪がわずかに弧状を描いて並んでいました。なお、前方部が削平された時には、墳丘中央付近で埋葬施設の可能性のある粘土の塊が認められたといわれています。
 最近の調査により後円部側の周濠域の復元ができ、出土した埴輪からニサンザイ古墳より若干古い、5世紀後半頃の築造と考えられています。

『現地案内板』より

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資料
 

私見
古墳公園として残っています。  詳細は不明ですが、古墳跡を城として転用した一例がここにもありました。場所は、南海中百舌鳥駅を南に10分程度のところにあり、住所を見てあとは公園を探してもらえばいいだけなので簡単にたどり着けると思います。ただ気をつけないといけないのはこのあたりは犬のマナーが悪いようで歩道のあちこちにフンが落ちています。当日も手ぶらで犬を散歩させている人も見かけましたので、飼い主のマナーが悪いところなのかもしれません。
 って、全然城跡の話してませんでした。まぁ、見たままです(笑)。
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