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飯盛山城跡
登城日:(1998.9.15)
所在地: 大東市飯盛山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
飯盛山頂です。  飯盛山城跡は生駒山麓の北端に在り東西二丁余、南北約五丁有る。
 形が飯を盛ったように見えることからそう呼ばれるようになった。
 ここに城を始めて築いたのは僧正憲法であるが忽ち楠正成によって攻め落とされた。後正平20年高帥直が楠正成と四条畷で戦った時、その一陣がここに屯したこともある。
次いで畠山氏の居城となったが、家督争いが生じ為に三好長慶が、これにとって代わり、ここを居城としてその威を畿内に振い始めた。
 尚、永録7年日本人の宣教師ロレンソと結城山城主忠正の長男でアントニオと称する者が当城で伝道した時家臣73人が洗礼を受けたといわれる。
 城が消失したのは永録12年に織田信長が高屋城を攻め落として当地に於ける諸城を同時に破却させた時である。

『飯盛山城跡案内』より

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資料
 

私見
この先には楠公の石像があります。  阪奈道路から脇道に外れ、牧場横を過ぎ、車がようやく一台都通れる幅のでこぼこ道をしばらく行くと楠公寺がある。そこからは山道を歩く。山頂へ向かうが予想とはかなり違った風景に愕然とした。あたりはすっかりハイキング場と化していたのだ。どうやら尾根伝いに歩く有名なコースのようである。城跡を探すがほとんどなにも見つけることができない。錆がひどくて読めない看板と、かすかに山道脇に石垣らしきものが見える程度である。ひょっとして場所が違う?!そんな気もする・・・
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