HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

池田城跡
登城日:(2000.7.23)
所在地: 池田木城山町、城跡公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
木橋を越えて公園内へ。橋下は堀切り跡だったようです。 池田城跡公園全容図 池田城は室町時代から戦国時代にかけて、旧豊島郡(現池田、豊中、箕面市周辺)を支配していた国人・池田氏の居城でした。
池田氏は、15世紀の中頃から勢力を拡大し、当時の権力者であった摂津守護細川氏の家臣として、有力な位置を占めていましたが、戦国時代末期の永録十一年(1568)織田信長の摂津入国により降伏し、信長の家臣に組込まれました。その後、池田氏の内紛に乗じて旧家臣の荒木村重が池田城を支配し、村重が伊丹城を居城としたため、池田城は廃城となりました。
この跡地整備の基本資料を得る目的で、平成元年度から4ヶ年をかけ発掘調査を行い、確認された枯山水、井戸、虎口などの遺構を復元しました。漆喰塀や櫓風の展望休憩舎、管理棟などの建物やデザインは、史実には基づきませんが、城跡のイメージを演出させるものとしました。日本庭園は、深山の景、野の景、海の景の3つから形成され、自然の姿を水の流れで表現しています。歴史の保全と活用から「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として整備を進め、平成十一年度に完成しました。

「池田城跡案内板」より

【戻る】

資料
 

私見
枯れ山水のなかに佇む展望台 平成十一年度完成となっていますが、城跡公園として完成したのはたしか今年のGWあたりだったと思うんですが・・この池田城跡。注意が必要なのが車を停める場所ですね。有料駐車場が他の施設の駐車場に停めさせてもらうということになっているようですがわかりにくいので公園前まで車で入り込んで、マンションの前に路上駐車させていただきました。
真新しい木橋で立体交差させた堀切り跡を越えて、公園内へ。そこは復元された枯れ山水が広がる新品の日本庭園でした。この暑い中細かな手入れをしている人達がいるほか訪問客は2〜3人程度の閑散としたありさま。排水溝や虎口、土塁なども復元されたという看板が立っていますが、とくに土塁はよくわかりません。
気にせず一番大きく立っている二階建ての城郭風展望台へ。ほんと奇麗にまだ真新しい木の香りが漂う展望台の中はなんにもありません。木板で建てられたっていうだけの印象です。しかし評価できるところもあります。なんと車椅子用のフックが壁についていてそれを使って二階まで行けるようなのです。たまに地下鉄の階段でそういうのがついているのを目にすることはありましたが、城跡公園でこうなっているのは珍しいのではないでしょうか。まぁ、現存建造物にこんな改造をするわけにはいきませんから、復興建造物ならではということですね。ただ、二階建てのこんな展望台にどれだけの車椅子の人が利用するのかはよくわかりませんが・・こうすることで補助金が多く下りるのかなと穿った見方をしてしまいました。
しかしこの全体を見渡すと実は結構絵になったりします。おそらく一番のお薦めは西側からの構図でしょうね。城跡を見上げるようにして白亜の塀越しに見える展望台はなかなかさまになっています。
【戻る】