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今城跡 登城日:(2005.01.30) 所在地: 高槻市郡家新町 |
歴史 |
◆史跡 今城塚古墳 今城塚古墳は、6世紀前半の古墳時代後期に築かれた巨大な前方後円墳です。全長約350メートル、2重の濠をもち淀川北岸では最大級の古墳です。かつては、墳丘や堤に円筒埴輪や形象埴輪をめぐらし、空濠で厳然と画された広大な墓域を誇っていました。今城塚の名は、戦国時代に三好長慶が出城を築いたことに由来します。 この古墳が真の継体天皇陵であるとしたのは歴史学者の故天坊幸彦氏でした。天坊氏は古代条里制を研究し、摂津国嶋上・嶋下両郡の郡境を示して嶋上郡にある今城塚古墳こそ、延喜諸陵式にいう継体天皇三嶋藍野陵であるとされました。この説は考古学の古墳の年代観からも裏付けられています。天皇陵といわれる古墳は、大和・河内地方に集中していますが、唯一継体天皇陵のみが摂津の地に営まれています。継体天皇(531年没)の出身地でもない摂津になぜ陵墓が築かれたか明らかではありませんが、淀川とのちの山陽道を間近にのぞむ沃野に天王陵を誇示することにその意義があったと考えられます。 周辺には史跡嶋上郡衙跡附寺跡、史跡阿武山古墳をはじめ、弁天山古墳群。郡家車塚古墳、前塚古墳、狐塚古墳群、岡本山古墓群などがあり、一帯が「三嶋」の政治・経済の中心地であったことをうかがわせています。 『今城塚古墳案内板』より
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資料 |
私見 |
国の指定史跡である今城塚古墳にやってきました。二重の濠に守られてた巨大な前方後円墳です。でも私の目的は古墳めぐりではありませんのであまり興味はないのです(笑)。中世期にこの古墳を使って砦としたということなのでやってきたのでした。案内板によると三好長慶が出城を築いたとあります。が、一方で数度にわたる発掘調査により、織田信長が三好長慶を攻めるために居城としたという見方もされているようです。 現在は公園化されるようで工事が行われていたのですが、同行いただいた方が以前の現地説明会に参加されたということで、櫓台跡や竪堀跡、土塁などを紹介していただけましたので城跡としてのイメージがよくわかりました。その方がいなかったらどこらあたりが城跡なのかさっぱりです(^^; 発掘調査の資料を求めてWebで検索しましたが、古墳に関する情報は豊富なのですが残念ながら中世に城として機能していたことについては皆無なんですね・・・。あと・・今城(いましろ)ってなんか足りない気がするなぁ。今城山城とか言いたいのは私だけ?(^^;
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