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海船政所跡登城日:(2006.05.16) 所在地: 堺市堺区桜之町西3丁他 |
歴史 | ![]() 長輝は京都に近く、阿波に渡るのに都合のよい堺に目をつけ、永正元年(1504)2月、海の見える海船町に館を建てることを計画、京都から堺に来て4月から工事を始めましたが、完成は孫の元長の代になり、大永元年(1521)3月に政所の号をもらいました。その規模は桜之町3丁付近を中心に東西360歩(約652m)南北これに倍しとあり、錦之町にあった梅黄寺も政所跡といい伝えられていることから相当広い区域であったと想像されます。 建物は、館の中央に高楼を作り、楼上より常に四方を監視し、一旦ことが起きると鐘・太鼓を打ち鳴らし一族郎党に知らせたといいます。 元長歿後、政所は長慶・義興・義継三代相次いで、ここに住み、この政所は摂河泉(摂津、河内、和泉の国)の各支城の本城的な役割も果たしました。 『海船政所跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 政所は天正年間に兵火で焼失され、また堺自体も中世の環濠は破壊され新たに町割りをされてしまっていますので、今更どうこう言えないのかもしれませんが歴史を感じさせる雰囲気や情報は今後もできるだけ残していっていただきたいです。碑や案内板が充実していて助かってます(^^;
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