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古河藩陣屋跡
登城日:(2004.10.18)
所在地: 大阪市平野区平野宮町1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
唯一の遺構とされる陣屋門  平野郷の陣屋は天明年間土井侯の下総の国、古河藩時代に置かれ、明治二年の版籍奉還後陣屋は廃止。跡に郷役場、警察署、小学校が出来、平野郷は大阪市に編入、奈良街道拡張後、平野小学校のみ此処に現存しています。

◆もと古河藩陣屋門
 この門は現在の平野小学校所在地にあった古河藩の陣屋門で、明治の廃藩置県後平野小学校の表門として昭和二年まで使用されていたが、小学校舎新築拡張にともない、保存の要望があって昭和三十七年一月、ここに移築された。
 平野郷の藩政時代を示す唯一の遺構であり、その門扉は樟の一枚板である。
 江戸時代の平野郷は、およそ元禄七年(1694)を境にして前期は幕府領、後期は大名領地であった。
 とくに正徳三年(1713)下総国古河藩主、本多忠良に給与されて以来、明治二年の版籍奉還までの156年間は、松平侯、土井侯と大名は代わったが古河藩付所領であった。
 陣屋は土井侯の古河藩時代に設置され、平野郷をはじめ、摂津近在にある古河藩所領の行政事務を取り扱っていた。

『古河藩陣屋跡案内板』より

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資料
 

私見
陣屋跡とされる平野小学校  JR関西本線「平野」駅から歩いて15分ほどのところに平野小学校、そして10分くらいのところに大念仏寺があります。小学校が建つあたりはかつては下総の古河藩の陣屋がありました。学校前に小さな碑があるのみですので、陣屋門があったとされる大念仏寺に移動します。すっかりお寺の一部と化してしまっていますが、唯一の遺構である門扉や陣屋門を撮影し、帰って来ました。
 それにしても・・通学時間じゃなくてよかったです。(^^;
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