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国府城跡 登城日:(2004.04.20) 所在地: 和泉市府中町6丁目、泉井上神社 |
歴史 |
◆泉井上神社 当神社は井八神社・井戸ノ森八幡宮と称されることもあり、国土守護神又殖産興業の神として御神徳を示す。 神功皇后・仲哀天皇・応神天皇のほか、神功皇后にしたがって朝鮮にわたった神々四十五座を加えた計四十八座を祭神とし、その神像四十八躯を蔵す。 境内の清水は神功皇后渡韓の途次、一夜にして湧出したので霊泉と名づけられ、国名の源となる。 のち、王子神社・八幡神社・菅原神社・式内社和泉神社が合祀されていまにいたっているが、特に和泉国衙内の神社の神社であるところから和泉の総社(大鳥・穴師・聖・積川・日根の五社合祀)が勧請されて国司以下宮人の崇敬をあつめていた。 総社本殿は、慶長十年(西暦1605)豊臣秀頼が建立したもので重要文化財に指定されている。 ◆和泉清水 古くから「国府清水」または「和泉清水」とよばれ、霊泉として祭られるとともに、農業用水として周辺の農地を潤してきた泉である。 社伝によると、泉は、神功皇后の新羅出兵の際、一夜にして湧き出たことから霊泉として祭られるようになったという。 水は常に清らかに済み、その味は甘露であるとして広くその名を知られ、豊臣秀吉も大坂城に運ばれて、茶の湯に用いたという。 ここは古来、和泉国和泉郡和泉郷とよばれた地であるが「和泉」という地名も、また「泉井上神社」の社名もこの泉に由来すると伝えられている。 『泉井上神社案内板』より
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資料 |
私見 |
国府城は、延文年間に細川顕氏が居城しました。その後、永正元年に根来衆に焼き払われたそうです。現在は泉井上神社が建っているのですが、遺構は当然ですが何もなさそうですね。石碑があるようですが、私には見つけられませんでした。 朝の時間帯、となりの幼稚園に通う園児とその母親の視線が痛い、そんな城攻めでした(笑)。
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