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久宝寺寺内町跡登城日:(2007.06.08) 所在地: 八尾市久宝寺3〜6丁目 |
歴史 |
久宝寺寺内町は、蓮如上人がこの地にて布教し多くの帰依者を得たことにより明応年間(1492−1501)に一寺(西証寺)が建てられたことが端を発する。同寺の住持を継ぐものがいなくなると近江大津顕証寺の住持を招くこととなった。やがて寺号を近松山顕証寺となり、それが久宝寺御坊であり久宝寺寺内町の中核となったのである。 応仁年間(1467−69)から当地の土豪として権勢を振るっていた渋川氏(のちの安井氏)は、河内守護畠山氏が築城した久宝寺城を再築した。寺内町は安井氏の協力を得たことや、同氏により当地の防備と支配にあたったと考えられている。 『久宝寺寺内町城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
JR関西本線「久宝寺」駅を北に降り、まっすぐにあるいていきます。2〜3分で信号のある交差点に出て、そこをわたると久宝寺寺内町へと入っていくことになります。お地蔵さんが置かれていますのは当時6つあったとされる出入口の一つ「西口」にあたるようですね。ほかにも古口、北口、東口、今口など現在もその痕跡が残っているのは楽しくなってきますね。元禄期の『九宝寺村屋敷惣絵図』や享保八年(1773)の『九宝寺村屋敷新検分間正絵図』と現在の町割りとを比較してもほぼ重なりあっているということですので、見た目にはわかりませんでしたが、改めてじっくりと現状を見れば見るほど当時の様子が浮かび上がってきそうな気がします(^-^;。 すぐに右手に高い土塁跡が残ることに気づきます。これは享保十四年に外郭へ広げられた際の水堀と土塁の一部のようです。土塁の上を歩いて東側から中心地にある顕証寺に到着です。同寺の裏手には古い町並みを今も感じられるよう保存されていますのでじっくりと散策したい気分にさせてくれますね。 また、「まちなみセンター」なる新しめの施設がそこにあり、内部では発掘時の報告内容や各種資料がおかれていますのでとりあえずはここは要チェックです。ちょっと面白いと思ったのは、完全に寺内町の情報だけをクローズアップしており、寺内町内にある久宝寺城についてはこれといって何も書かれたものを見つけることができませんでした。安井氏と寺内町との関係に何か関わりがあるんでしょうか。思わずいらぬ勘繰りをしてしまう私なのでした。
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