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三津屋城跡
登城日:(2002.05.02)
所在地: 大阪市淀川区三津屋中1光専寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
三津屋城跡である光専寺  三社山 光専寺 縁起
 宗派 浄土真宗 本願寺派(西本願寺)
 当山は、太平記で有名な室町時代に南朝方楠正成が子、楠正行が築いた三津屋城(1345年頃)の址へ楠一族の末裔末弘治郎左衛門尉が文明五年(1453)本願寺八代法主蓮如上人に帰依し剃髪し正顕と称し一字を輩創せしを始祖とし現在に至っている。
 当時、山号の三社は昔、長楽寺と三社浅衛門宅と三津屋城址(光専寺)の三ヶ所に八幡社があった事より、当村が三社(みつやしろ)村と呼ばれていたことにちなんでいる。
 いつの頃からか、「みつやしろ村」が「みつや村」になったとも云われている。
 元禄年間建立の総欅造りの旧本堂、庫裏、鐘楼等は、惜しくも昭和二十年六月十五日の空襲に依り焼尽、現在の本堂は同四十年、壇信徒及び一般の方々の尊い信力によって建立されたものであり、尚、山門のみは、戦災にも焼け残り、昔日の面影を伝えて残す唯一の尊い遺産となった。

『三津屋城跡案内板』より

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資料
 

私見
 阪急神戸線「神崎川」駅を降りて、商店街のなかを歩き、約10分ほどで光専寺、いや三津屋城跡に到着します。ただの寺となっていて遺構なんてないだろうし境内の写真でも撮っておくかな、と軽い気持ちでいったのですが、なんと入ることができません。
 この光専寺は同時に「財団法人 ひかり保育園」も兼ねており、幼児保護のためか堅く門が閉ざされているのです。
 案内板に唯一の尊い遺産であるといってるくせに、その遺産に保育園の看板うちつけてるのはやはり現在の尊い子供達のほうを重視してるってことなんですね。勉強になります。
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