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三宅城跡
登城日:(2001.05.02)
所在地: 茨木市蔵垣内三丁目、蔵垣内公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
三宅城跡碑  三宅城は、丑寅ニ丁目、蔵垣内三丁目におよぶ小字「城之内」のあたりで、永正一年(1504)に三宅出羽守国政が築き、永正から大永・享禄・天文・弘治を経て、永禄五年(1562)までの五八年間続いたとされています。
 三宅氏の系図をみると、右京守政明・伊賀守清明・出羽守国政・美野守国広・出羽守国村の名前があげられています。
 その頃の城の範囲は、ほぼ東西五九六メートル・南北五四〇メートルと推定されており、このなかのやや高まった場所に本丸があったといわれ、かなり立派なものだったと思われますが、詳しくはわかっていません。
 しかし小字名に「堀田」・「蓮池」・「大名寺池」と呼ばれる地名などがあり、この城のことを知る手がかりになっています。

『三宅城跡案内板』より

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資料
 

私見
三宅出羽守国村の碑  三宅城はこのあたりの豪族であった三宅氏が治めていた城です。JR千里丘駅から阪急沿線のほうへ歩くこと約15分ほどで蔵垣内公園に到着します。そこは小さな児童公園ですが、隅に三宅城の案内板と小さな城址碑がつくられていました。遺構は一切ありませんが、これだけでも十分すぎる、と思いました。
 また、この公園からさらに阪急京都線沿いの民家の脇には三宅城主である、三宅出羽守国村公の名が彫られた石碑がありました。この公園だけではなく、あたり一帯が城域内だったようですね。今はもう「垣内」だの「丑寅」といった字名だけでその名残りを感じるだけです。
 ほんとはこの城、三度目の訪城だったんですが、初めてこの公園にたどり着きました。なんでこんな分りやすいのが分らなかったんだろうなぁ・・・。
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