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守口城跡登城日:(2006.07.08) 所在地: 守口市竜田通、浜町 |
歴史 |
守口城が築城されたのは室町後期と考えられている。天然の要害である淀川をうまく利用して土塁と堀をめぐらし、摂津と河内との境界防備、京と堺との連絡用、戦の砦など時代にあわせ機能していたのであろう。 文献での初見は正平六年(1351)に南軍に属した土屋宗直が書いた『土屋宗直軍忠状』に守口陣と書かれている。その後いくつかの書物に守口城の名が出てくるが、三好長慶が本陣としたり、明智光秀が砦を築くなど、実に重要な地点であることが理解できる。 『大阪春秋第68号』新風書房刊参照
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資料 |
私見 |
京阪「守口市」駅を北へ降り来迎町を過ぎると閑静な住宅地を抜け、鉤状に折れ曲がった路地を抜けます。するとその先に難宗寺の城郭風な建物が見えるようになってきます。そこから盛泉寺が建つ辺りが守口城の中心地であったようです。守口城は連郭式の構造を持っていたそうですので北西に位置する一号線手前に二の丸にあたる二の木戸があったことになります。周囲に比べて1メートル以上の高低差があることはわかりますが、遺構はもちろんですがありません(^^;。 国道1号線「浜町」の信号を渡り、更に北へと歩いていきますと、かつての一里塚が設置されています。このあたりから路地は左へカーブを描くように曲がっていますがこの曲がっている部分に城の虎口があったらしいです。工場が建っていますので跡形もないですが、ただ想像するしかありません。って無理がありますが(^^;。 守口城は土居駅付近にあったとされる説もあるようですが、私自身の根拠はないのですが今回参考にさせていただきました書物が浜町近辺の説でしたので従っておきます。
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