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難波宮跡


登城日:(2006.06.06)
所在地: 大阪市中央区法円坂1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
公園化されている国指定史蹟難波宮 大阪城天守と難波宮大極殿跡 ◆遺跡の概要
 発掘調査により、難波宮跡は大きく分けて前・後2回の宮殿遺跡とそれ以前の建物跡があることが明らかにされてきた。
 前期難波宮跡はすべての建物が掘立柱で、屋根に瓦を葺かない建物であった。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が亡されて後、都が難波に遷されてつくられた難波長柄豊碕宮がこれにあたると考えられている。天武天皇朱鳥元年(686)に、火災で全焼するまでつづいたと考えられる。この宮殿は最初の本格的な中国風の都といわれる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構である。
 後期難波宮は、奈良時代の神亀三年(726)聖武天皇の時に造営された宮殿である。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文・唐草文・重圏文軒瓦などの瓦が葺かれていた。天平十六年(744)にはここ難波宮が首都と定められたが、翌年再び平城京へと遷された。
 前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されている。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれる。

『難波宮跡案内板』より

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資料
◆前期難波宮
645(大化元年) 孝徳 (大化改新)都を難波に移す
652(白雉三年)   難波長柄豊碕宮完成
667(天智六年) 天智 大津宮遷都
672(天武元年)   壬申の乱、飛鳥浄御原宮遷都
679(天武八年)   難波に羅城を築く
683(天武十二)   難波に都せんと詔す
686(朱鳥元年)   大蔵省より出火、宮室全焼
694(持統八年) 持統 藤原宮遷都

◆後期難波宮
710(和銅三年) 元明 平城京遷都
726(神亀三年) 聖武 藤原宇合を難波宮造営の責任者とす
734(天平六年)   難波京の宅地を班給す
744(天平十六)   難波宮を皇都と定む
745(天平十七)   平城京遷都
756(天平勝宝八) 孝謙 天皇、難波宮の東南新宮に御す
784(延暦三年) 桓武 長岡京遷都
793(延暦十二)   この頃難波宮廃止か

私見
落書きが許せません・・  この難波宮跡も「城跡なの?」といわれると困るのですが(笑)、日本城郭体系にも載ってるので城ですってことにします(汗)。とまぁ今まで見向きもしなかったのですが普段昼間いるところから歩いてもいける場所にあるんです。
 国の指定史跡として広範な規模で公園化されて保存されています。ちょうどお昼どきでしたので、お弁当を食べたり、休憩したりと各自こかげを思うように活用されていました。一番目立つのは復元された大極殿ですが、なんですかあれは?!思いっきり落書きされてるじゃないですか。写真を撮ることが躊躇われるほど思いっきり書かれた単語に絶句です(怒)。最近の落書きなのかなぁ?担当者の方は大変かもしれませんが、がんばってください。(もちろん落書きするヤツは厳罰ですが。)
ほとんど目立たないですが、こんな碑もあります。  汗をふきながら、周囲を一周してみました。小さな石碑や南門跡の碑があったりしますがここはこれ以上力を入れても仕方ないのでしょうか。大阪城がありますしねぇ。(--;
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