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太田城跡 登城日:(2003.04.03) 所在地: 茨木市太田1丁目 |
歴史 |
太田1・2丁目の旧住宅内を歩くと、道路は狭くてT字路になっているところが多くありますが、城下町であった特徴をしめしています。この城は、平安時代末期(十二世紀末)の平城で、太田太郎頼基というひとが築いた城であるといわれていますが、くわしいことはわかっていません。
頼基は、多田源氏の一族で、摂津国でも優秀な武士として名をつられています。その行跡のうち「平家物語巻十二」に、源義経と近くの川原条(安威川と西国街道が交叉する太田橋のすぐ西側)で合戦したことが記されています。 それによると、平家を滅ぼした義経が都にとどまっていたとき、兄頼朝が義経を討つため都に攻め入るという噂がたったので、義経が文治一年(1185)十一月三日の明け方、西国へ逃げのびようとしました。頼基は、「我が門の前を通しながら、矢ひとつ射かけてあるべきか」といって、河原津(川原条)というところで義経と戦いましたが、この時敗れたとされています。 『太田城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
太田城の案内板と城址碑を探すのはちょっと苦労しました。細かい路地をくまなく通って探していたおかげでたしかに細くて狭い城下町を堪能できた気がします。
あまり自信ないんですが、1丁目11あたりかなぁ・・案内板。東西に走ってる広めの道路脇に顕彰碑と一緒に建てられていました。全然城跡らしくないのですが案内板を見つけることができただけで何故か大満足でした(笑)
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