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堺奉行所跡


登城日:(2006.05.16)
所在地: 堺市堺区櫛屋町東3丁、車之町東3丁あたり
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
分かりにくい状態ですが、堺奉行所の碑があります。  堺奉行所は江戸幕府の遠国奉行の一つです。奉行所の位置は現在の車之町東・櫛屋町東両町の二丁から三丁にまたがる一帯に該当し、江戸時代には奉行屋敷、与力同心屋敷など武家屋敷が立ち並んでいました。
 奉行は旗本のなかから選ばれ、堺の町内と港湾を管理し、町民の訴訟を処理することが仕事でした。その前身は、安土桃山時代から江戸時代のはじめに堺を支配した「堺政所」に求めることができます。「堺政所」は貞享年間(1684〜1687)頃堺奉行と改称され、与力10騎、同心50人とともに堺の支配にあたったのです。
 堺奉行所は元禄九年(1696)幕府の方針によって廃止され、大坂町奉行所が堺を管轄することになりました。しかし、元禄十五年(1702)には再興され、慶応三年(1867)まで堺の支配を行いました。
 明治二十五年(1892)には、奉行所跡に堺市庁舎が建設され、昭和十九年(1944)に南瓦町へ移転するまでの52年間はここに庁舎が置かれていました。

『堺奉行所跡案内板』より

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資料
 

私見
泉陽高校の西側が奉行屋敷跡です。  堺奉行所跡へ行くには泉陽高校を目指していけばわかりやすいでしょう。阪堺線「花田口」駅を降り、そのまま東へ5分もあるけば奉行所の敷地内となります。同校の西側一帯が奉行屋敷跡とされていますが、このあたりは新しい民家がたっていますのでかつてを偲べるようなものは何もなさそうです。東西に走る道路を渡り、南側の殿馬場中学校はその名でわかるように馬場があったようですね。奉行所の碑は中学校の西側隅にあります。まず案内板を見つけ、そこから少し離れたところに小さな石碑が建てられていますので、うっかりすると見落としてしまいそうです。
 この奉行所の碑を探して少し歩き回っていたのですが、その途中に2つ、3つの史跡を示す碑を見つけました。このあたりは寺社も多いですし、ゆっくりと散策するのも楽しそうだなと思いました。まだ1度も乗ったことがない阪堺線にも乗ってみたいものです。
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