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下赤坂城跡 登城日:(2003.11.16) 所在地: 南河内郡千早赤阪村森屋 |
歴史 |
元弘元年(1331)9月に、後醍醐天皇が笠置行在所において義兵を募られると楠木正成は早速はせ参じ、河内に帰って急きょ築城したのが下赤坂城である。 笠置落城後、鎌倉勢は勢いにのって攻め寄せてきたが、その軍勢は1万騎「太平記によると20万騎」という。迎え討つ楠木勢はわずか500余騎にすぎなかったが、複壁熱湯の計により敵をおおいに悩ました。 しかし、正成は深く考えるところがあって、10月21日自ら城に火を放って金剛山にのがれ、翌年4月に再起し、鎌倉方の湯浅定仏を奇襲して再び城を奪回した。湊川で正成が戦死した後、正儀がこの城にたてこもったが、正平十五年(1360)当城を捨てて金剛山に退いた。 現在では、当時の面影をうかがい知るのは困難であるが、本丸、二の丸、三の丸跡があり、地名に一の木戸、甲取坂、出合、屏風塚、王院の御所などが残っている。 『下赤坂城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
下赤坂城は千早赤坂中学校の裏手にありました。実は数年前にも来ていたんですが、この中学校の中を通らないといけないことがわかり、諦めて帰ったことがあったんです。(とほほ)が、この中学校は道路(村道)により分断されている珍しい縄張り、いや構成になっています。 ってことで、そのまま道路をあがっていった先に下赤坂城の城址碑がある本丸跡に到着することができました。ちょうど体育館の裏手になりますか。おりしも今は発掘調査中のようで碑が建つすぐ下の段の平地にはいくつもの穴が発掘されています。建物跡なんでしょうか、いずれ現地説明会もあるでしょうから今から楽しみですね。しかし急ごしらえの下赤坂城にどれくらいの新たな発見があるのかそういう意味でも非常に興味があります。 棚田の緑が美しく広がる丘陵地帯に視線をやりながら一方では生々しい歴史が顔をのぞかせている下赤坂城跡。そこにはかつての壮絶な死闘が間違いなく現実としてあったんですね。
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