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杉原城跡登城日:(2012.12.24) 所在地: 豊能郡能勢町杉原 |
歴史 | ![]() ![]() 「・・・能勢郡吉野村へ越ス峠マデハ、堀越峠ヨリ山尾ニテ吉野村東山尾ヨリ桑田郡加舎村定杭ヘ見通ス国境ニ有之候事。慶長七年三月」と当時の国境について、「犬甘野村由緒書」に見える。 また、杉原村を通過する北西への街道は、国境に添って歌垣山の東山麓を通り吉野へ出て、そこから摂津路へ、丹波路へとするのが本街道であった。戦国乱世において、このような土地に城が築かれるのは当然なことである。 ここ杉原城址は村の中央の高台にあって、鎮守の森として八幡社が祀られているが、その一帯が、まぎれもなく戦国時代の山城の跡である。天保年間の村の古地図に、小字名として「城山」の名をとどめているし、遺構としても顕著に残っている。 八幡社へほぼ登りつめたところに、屈曲した「虎口」(入口)が見られ、そこを過ぎると、広い「郭」跡に出る。こうした郭跡は、西から押し出した尾根上に六ヶ所残っている。城址の最も高い所には、二ヶ所の「堀切り」と「土塁」が築かれ、さらに「竪堀」の施設があるなど、重要な防御点を示唆している。いうまでもなく、尾根続きの敵兵を遮断するためのものである。「本郭」の両袖には、「武者出し」か「武者かくし」を思わせる遺構もあり、あちこちに残る虎口には、「枡形」を思わせる複雑なものも見られる。 ![]() 築城は、天文〜永禄期(1532〜1570)の頃と推定されるが、いずれにしても、杉原城は町内の山城の中でも中規模の城郭に入り、遺構としては、氏神の鎮座もあって当初の姿がよく残っている。 『杉原城跡案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() ![]() 府道732号線そばの仏称寺の駐車スペースに車を停めると、案内板をチェックして縄張りを頭に叩き込みます。といってもとてもシンプルな構造でしたね。また登城道も、安心して登城できるのが素晴らしいです。案内板に遺構や城に関する歴史についても言及されていますので、ここで改めて書くのはやめますが、この城については改めて近隣のお城をめぐってみて振り返ってみたいと思いました。少しだけ積り始めた雪が一層遺構を観やすくしてくれていた気がします。クリスマスイブの日に、まるでケーキのようなお城をおなか一杯にさせてもらったのでした。(といっても甘いモノは別腹なので次の城にも行くんですけどね。)
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