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淡輪城跡登城日:(2010.04.17) 所在地: 泉南郡岬町淡輪 |
歴史 |
ここより南東一帯の約千五百平方米の敷地は「城の薮」と呼ばれ、この地を領した淡輪氏の邸跡であった。淡輪氏の祖父で戦死した佐藤忠信の子小治郎重治で、元久年間1204年頃この地に地頭として住みついたものとされている。 南北朝の戦乱の世に功があったことが淡輪文書に残っている。戦国時代、淡輪徹斎の女「おこよ」は豊臣秀次の妾となって小督(ここ)の局と呼ばれたが、秀次の死に連座して三条河原で斬首された。また徹斎の次男六郎兵衛重政は大阪夏の陣の前哨戦「樫井川の合戦」(元和元年1615)で塙団右衛門とともに壮烈な死を遂げた。 『淡輪城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
南海「淡輪」駅西側にある、民家が建ち並ぶ小さな集落の中に淡輪城はありました。案内板には「淡輪邸址」となっていますが、案内板の奥は『城の薮』と呼ばれていた場所です。現在も土塁が残っているのが見えます。ただ私有地にありますのでそうのぞき込んだりすることもはばかられ、ぐるりと一周しましたが満足のいく写真を撮ることはできませんでした。地元の人に確認しましたが、城跡である認識は皆さんお持ちのようで、きっとここは残っていくのだろうなと勝手に安堵して後にしたのでした。
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