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陶器城跡 登城日:(2004.08.25) 所在地: 堺市陶器北、東陶器公園 |
歴史 | ![]() 明治時代に描かれたと思われる右の絵図によれば、城域は南北約190メートル、東西約160メートルで、堀と土塁に囲まれた本丸跡(約26メートル四方)を中心にして北西と南東にそれぞれ長方形の曲輪が突き出ています。城の周囲は堀(北西の曲輪幅約6メートル・南東の曲輪幅約8メートル)と土塁(北西の曲輪幅約1.5〜2.2メートル、南東の曲輪幅約12メートル)によって囲まれています。南東の曲輪には幅4〜6メートルの武者走りが土塁に設けられていたり、南部には虎口が設けられていたことがわかります。 ![]() 室町時代以降の陶器城の歴史についてはよくわかっていませんが、絵図に見られる武者走・土塁の規模などからして恐らく戦国期に改修を受け、絵図のような形態になったのではないかと思われます。 現在でも城跡の遺構がよく残っており、中世城郭を研究するうえでたいへん貴重です。また陶器城跡に近接して、同時代の小角田(こかんだ)遺跡があり、城跡との関連性が注目されます。 『陶器城跡案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() 公園奥には案内板が設置され、フェンスで守られた先には2メートルはある高い土塁が保存されています。しかし、保存されているとはいうものの荒れ放題にまかせっぱなしといったようにも見えます。 来にくい場所にやってきてこの土塁はありがたいのですが、フェンス越しにしか撮影できないのは残念です・・。
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