若江城跡 登城日:(1999.08.19) 所在地: 東大阪市若江北町 |
歴史 |
南北朝の争乱期が過ぎたころに、河内の畠山義深が築城し、代々守護代として遊佐氏を入城させました。また畠山政長・義就兄弟の家督争いの場ともなり、一時、義就の城となったこともありました。 元亀三年(1572)三好義継の居城であった時、織田信長に攻められて落城しました。城跡は現在の若江小学校一帯で、校内の片隅に「若江城」の小さな石碑が建てられていました。よく見ると道路を挟んで向かいにも城址がたっています。仕事の途中だったんで時間をかけられませんでしたが、やはり平城の宿命とでも言いますか、かつてそこらが城であった跡はまるっきり感じられません。 しかし昭和四十九年の発掘調査では、若江城関係の遺構が確認されているようですね。 参考資料:『日本の名城・古城事典』TBSブリタニカ著
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資料 |
私見 |
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