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瑞見山陣屋跡登城日:(2012.03.25) 所在地: 大阪市港区弁天5丁目、弁天東公園 |
歴史 |
幕末の大坂湾は、外国船の脅威に対する備えとして各藩に湾内警備を命じていた。鳥取藩(池田家)は、安政五年(1858)六月、岡山藩、高知藩などとともに大坂湾警備を命じられ、安治川北の南新田から南へ千歳新田までを担当とした。そしてその際に安治川口脇の池山新田に陣屋を構えたのが瑞見山陣屋であった。鳥取藩の警備は文久三年頃まで続き、以後は他藩に引き継がれたようである。
『新淀川100年 水都大阪と淀川』大阪歴史博物館刊参照
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資料 |
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私見 |
この瑞見山陣屋については、ほとんど知らなかったのですが偶然「大坂瑞見山陣屋之図」の存在を知り、そこの陣屋の敷地内に、瑞賢山(波除山)があることから跡地にあたりをつけることができました。瑞賢山(波除山)とは、河村瑞賢が貞享元年(1684)から幕府の命によって淀川流域の治水工事を行ったときに、安治川を広げた際に出た土砂を河口部に積み上げ小山としたのが発端となったものです。やがて桜の名所となったこともあり、その名が広く知られるようになっていったのですが、陣屋が造られたときにはその高台を利用して、湾内へ警戒の目を光らせていたのでしょうか。 「大阪市の文化財」を見ていますと、波除山の石碑があることがわかりました。これで陣屋跡にたどりつくことができますね。現在は小さな公園となっており、公園の一画に波除山の石碑が小さく造られていました。この辺りは時を経て、様々な姿を見せていたのでしょうね。今はもう静かな公園としてゆっくりと眠りについているのかもしれません。
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