Check |
伊万里城跡登城日:(2007.10.14) 所在地: 伊万里市松島町 |
歴史 |
伊万里城は、中世(鎌倉・室町・戦国・安土桃山時代)に、伊万里浦を治めた松浦党の伊万里氏の居城とされています。松浦党は中世に西北九州を根拠地にして活躍した水軍です。およそ800年前の鎌倉時代の初期に、松浦党の一族で伊万里氏の祖、峯上(みねのぼる)が築城したと伝えられています。 現在は、高さ約42メートル、南北約270メートル、東西約130メートルの丘ですが、当時は伊万里湾に突き出した岬状の地形で、湾内を展望し、伊万里川や白野川、脇田川の河口部を支配するのに絶好の場所だったと思われます。 正中に年(1325)ごろの伊万里氏は、伊万里浦、福島、波多津浦田平町蒲田浦と青崎、佐世保市矢岳、神埼郡神埼庄の一部(元寇恩賞地)を領地とし、五島の海夫集団を掌握しており、松浦党の有力家でした。 しかし天正四年(1576)、伊万里兵部大輔治のとき、佐賀の戦国大名、龍造寺隆信に攻められて、伊万里城は落城しました。北東側の陣内の丘に「鶴亀城由縁之霊」と刻まれた石碑があり、戦死者の供養碑と考えられています。 明治時代以後、伊万里城跡は「城山」と呼ばれて公園になりましたが、第二次世界大戦中は敵の飛行機をみはる対空監視哨が置かれたこともあります。現在は、伊万里富士(腰岳)や市街地を見晴らす景勝の地桜の名所として市民にしたしまれています。 『伊万里城跡案内板』より
|
資料 |
私見 |
伊万里城は、現在城山公園として地元では桜の名所のようです。登城口は東麓にありました。伊万里保育園とその北側にお寺があり、コンクリートの登城道が上まで続いています。残念ながら車止めがありますので歩いてあがるしかありませんが、それでもものの数分で見晴らしのいいところで出ることができます。 案内板があり、それでようやく城跡だという安心感を得ることができる。まぁそんな感じです。個人的には伊万里といえば焼き物だというイメージで来たのですが、城だけを見て次に行ってしまいました。ひょっとしたらすごく勿体無いことをしたのかもしれません(^^;。
|