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朽木氏岩神館跡登城日:(2005.05.03) 所在地: 高島市朽木岩瀬 |
歴史 |
◆旧秀隣寺庭園 この庭は、享禄元年(1528)朽木稙綱が将軍足利義晴のために館を建てた際、築造したものと伝えられる。慶長十一年(1606)、朽木宣綱が亡き妻のために寺とし秀隣寺と号したが、のち朽木村野尻へ移転し、その跡地へ興聖寺が建てられた。 庭からは、眼下に安曇川一帯を俯観し、対岸の小椋栖山を仰ぎみることができる。庭園は、屈曲した汀線をもつ池があり、北東から水を引き池に滝を落している。また、池中には、二つの中島を置いて石橋を架けている。 現況では、池辺の石組や石橋などの意匠に同時期の地方武士の庭園よりは洗練されたところがあり、これらを往時のものとすると施主も施工した職人達も京都の庭園に大きく影響を受けた人々であったと考えられる。 『旧秀隣寺跡案内板』より
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資料 |
私見 |
朽木氏岩神館は、旧朽木村の中心に位置し「旧秀隣寺庭園」という看板が目に入ったらすぐにたどりつけると思います。享保十四年(1729)に川向かいの上柏から移転してきた興聖寺の境内地であり、竹藪の中に空堀跡と、庭園跡、そして土居や石垣も残っているという人知れずかなりの遺構を有する城館跡なのです。 当時の足利将軍は朽木氏を頼み、当館に仮御所を設けて身を潜めていたようですね。現在は国指定の名勝として有償の庭園となっています。
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