HOMEへ Check   Twitterでつぶやく     

観音寺城跡

登城日:(2001.03.18→2009.09.20)
所在地: 近江八幡市安土町石寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
観音寺城の伝本丸跡 喰い違いとなった虎口 石造りの井戸  繖山に佐々木六角氏がいつ頃築城したのかは不明である。『太平記』によれば建武二年(1335)足利尊氏方となった佐々木氏頼が奥州の北畠顕家軍を迎え撃とうと城に籠ったとする記述があるが、この時の城の規模は砦程度であったと思われる。以後同族の京極氏や六角氏との戦いなどを経て次第に城塞化してきたものと考えられている。またこの城は、戦闘の為の詰の城の役割以外に、居住する場所としての整備が行われていることも特筆する点である。城域は非常に広大で、東部のお茶子谷、中央の本谷、西部の本城といった地区に分けられる山上遺構部分と、山麓にも宮津・桑実寺などに遺構が残っている。平井丸に代表されるような石垣、石塁を豊富に用いた構造はこの時期の中世山城としては極めて異例であり、大変素晴らしい山城である。

新人物往来社刊『日本城郭体系』参照

【戻る】

資料 【地図を表示する】
 

私見
ようやく着いた桑實寺 桑實寺本堂  前からいってみたかった城のひとつにこの観音寺城がありました。標高432m(比高325m)という数字は半端じゃないです。一人ではちょっと心細かったのですが今回は同行者がいるということで安心して登城することにしました。といって300m以上の高さを登るのはとてもじゃないですが体力不足な私には大変な作業です。でも大丈夫。車で林道をかなり上まで行けるルートがあるのですね。その林道は車が1台通れる程度の幅です。途中で500円の通行料を支払い、とろとろと登っていきます。すると終点のところに約5台ほど停められる駐車場がありました。車を降り、ふと目をやると遥か下から続いている急斜面の石段が右から左へと登っています。しかし車で登ってきた我々は体力を消耗することなくここまできているのでかなり楽チンです。約10分ほどで観音正寺に到着することができました。
本丸の石塁 伝平井丸  ここまでくるまでにもあちこちに残る石垣や、竪掘跡を堪能することができましたが、「ここからが登城の本番か!」と覚悟したものの寺を過ぎてすぐに本丸跡に到着してしまいました。実際「え、もう?」というのが実感です。ちょっと楽をしすぎてしまったようですね。
 観音寺城の本丸跡は約2メートル強の石垣がぐるりとまわりを囲んだ状態で保存されています。また寺経由の登城道は大手道だったようですが、搦め手にあたる桑実寺からの登城道から本丸に入るあたりは石垣が一番高く残っており、虎口のような状態になっています。
 山一帯にこんな石垣が残っているようでしたがあまり歩きまわることもせず、じきに下山しましたが三の丸経由で石段をおりていると排水機能を有する石垣も目につきました。こうした仕組みを見ると今更ながら観音寺城の巨大な規模に感動させられます。
算木積みらしい石塁 石で組まれた門  前回は随分楽をした登城でしたので、今度は歩いて登ることを第一としました。お城西側の桑實寺経由のルートです。ひたすら続く石段を延々と登っていきます。単調なので別のルートがいいのかもなぁと思いながら、途中でセンサーがついた門を通過した時でした。有料エリアに入ってしまったのですね、なんか黙って引き返すのはまずいのかもという気がして、とりあえずお寺まで登り詰めました。思惑通り?(^^;でも時折見られる石垣造りには心動かされますね。
 そしてそのまま右へと進路をとると、古めいた石段が続く山中へ突入です。いよいよここからという感じですね。でも結構バテてます。それでも西側からですと城の中心部へのアプローチがとっても楽でいいですね。石造りの井戸や喰い違いとなった石垣を見ながら広い伝本丸跡へ。完全に時間が止まってしまったかのような錯覚を覚える静けさです。木々が伸び放題なせいか薄暗さもいい雰囲気を演出しているようです。 観音正寺からの眺望 そしてここから南へと伝平井丸や伝池田丸などが続く辺りは広大な観音寺城の中心部です。時代を感じさせる石垣、石塁がいたるところに使われているこの城はほんとに見事です。そういえば伝平井丸の一段高まったところには建物礎石と庭園跡とわかる池の痕跡があったとか。山中深い観音寺城において、家臣の屋敷があり、しかも居住性を意識されているのもこの当時の山城としては驚きです。
 縄張り図を見ていますとその複雑さにぞくぞくしてしまう観音寺城ですが、やはりすべてを見るのは至難の業。とりあえず観音世寺で日本100名城スタンプを押させてもらうと眺望の素晴らしさと心地よい風に心身共にリフレッシュして、来た道を帰ったのでした。帰りの石段はひざが・・(^^;
【戻る】