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堅田陣屋跡登城日:(2005.05.03) 所在地: 大津市本堅田1丁目 |
歴史 |
堅田は琵琶湖の最狭部に位置していることから水運・漁業が盛んで、室町時代には強い湖上特権を獲得していた。その地形的背景から「諸浦の親郷」として中世では湖上支配権を有していた。近世になると大津代官所支配の天領となり、元禄十一年(1698)に下野国の大老堀田正俊の三男正高が移ってくると陣屋の建設を行い、堅田藩を開いた。 堀田氏は五代続いたが文政九年(1826)に転封となり再び下野に戻っていくと、堅田はまた天領となった。 『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
近江八景の一つとして有名な浮御堂にやってきました。ここは仕事でよく来ていたので懐かしいところです。堀田氏が構えていた陣屋は西は祥瑞寺から南は浮御堂、北は野々口通りまでを含む実に総面積119aの大規模なものだったようです。周囲を寺社や郷士の屋敷でかため水堀を利用し、城下町的機能を持っていたらしいです。浮御堂につくまでに90度の折れがあったり狭い路地が残るのは当時の町割りの名残りなのですね。 今でも名勝である浮御堂でしばらく刻がたつのを忘れていました。
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