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三宅城

三宅城跡


登城日:(2008.09.21)
所在地: 守山市三宅町、蓮生寺
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
ものものしい雰囲気を持つ三宅城の虎口跡 ◆蓮生寺境内
 元亀二年(1571)信長と本願寺宗徒との金森合戦の出城であった蓮生寺はその後も荒廃することなく、寺観の整えられた典型的な中世寺院の形態を残している。
 山門前や境内南側には今も幅約4メートル、高さ1〜2メートルの土塁が濠を伴って残っており、四周を囲繞した防禦的色彩が見られ、往古の景観をとどめている。
 本堂は元和元年(1615)の再建で、室町時代の様式をとどめた江戸時代初期の建築のおもむきをうかがうことができる。当寺の寺宝は多く、ことに初期真宗道場の名残りをとどめる名号、□師□□が伝えられ、また中将姫真の筆といわれる称讃浄土経(奈良時代、市指定文化財)が保存されている。

◆蓮生寺本堂
 昭和五十九年三月三十日指定
 蓮生寺は、湖南地方の浄土真宗の布教に重要な役割を果した寺院で、大谷派に属する。
 本堂は、寺所蔵の棟札により阿弥陀堂として元和元年(1615)に再建された。
 建物は桁行七間、梁間五間の周囲三方に広縁を廻らし、内部は外陣・内陣に分け、内陣両脇に余間を設けて、内陣には三ツ並び仏壇を設けるなど真宗本堂特有の平面を示す。一間毎に面取角柱を備え、棹縁天井を張った簡素で古式な仏堂である。
 亨保十六年(1731)に内外陣境の柱間装置などは、改造されているが、江戸初期における浄土真宗本堂の成立過程を示す遺構として価値が高い。
 平成四年三月 滋賀県教育委員会

『蓮生寺案内板』より

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資料
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私見
三宅城北面の土塁  三宅城跡とされる蓮生寺は視界に入るやいなや「城だ!」と思わせてくれるたたずまいにしびれました(^^;。良好に残る土塁や虎口に圧倒されました。平地城館、いや城館寺院といったところでしょうか。表門のところの構造にはさすがに違うだろうと思いましたが『守山城物語』では慶長期に「公儀御代官駒井猪之助」の屋敷跡であるという話も残っているようですので、その時の改修かもしれないとあります。
 寺を四周する土塁はほんとに見事ですし、西側の入り組んだ喰い違いみたいな構造もそそられます。しかしこんな平地でどれだけ籠城できたんだろうと思いますが、現在お寺が建つ場所の外側にも土塁があることから往時はもっと大きかったのでしょうね。
 多くの平地城館を持つ守山市内ではかなり見ごたえのある城跡ではないでしょうか。
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