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田上山城跡登城日:(2010.04.03) 所在地: 長浜市木之本町木之本 |
歴史 |
田上山城は、天正十一年(1583)四月二十日、二十一日の両日木之本、余呉方面において展開された賤ヶ岳合戦に備えて、一ケ月前に羽柴秀吉軍が構築した陣城の一つです。 ここには、前線指揮を担当した秀吉の異母弟秀長の軍勢一万五千人が陣どったとされ、事実上の本陣であった。 城郭としては、山頂部一帯に南北に配された三つの方形の曲輪(北郭・主郭・南郭)と主郭より西方に下る西郭により構成される中心部と、三方の尾根筋先端に設けられた防御施設が観察される。主郭は標高325メートルの最高所に位置し北・東・南の三方を土塁で囲まれた、東西22メートルx南北32メートルの不整四角形で西郭と北郭に通じる虎口をもつ。北郭は東西16メートルx南北26メートルの長方形を呈し、北側土塁の西よりに虎口が開口し、さらに外側は堀切土橋の南方に角馬出様のかざし土塁を設けて防御性を高めている。 立地条件や広大な城域と織豊系山城に特徴的な縄張りから、羽柴軍の本陣にふさわしい遺構である。 『田上山城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
滋賀県と福井県の県境で展開された賤ヶ岳の合戦では多くの陣城が築かれ、多くが現在もその遺構を残しています。田上山城もそんな陣城の一つであり、羽柴軍の本陣が置かれた重要な拠点でした。 田上山には歩いてあがられるのがいいと思いますが、私は地元の方の車に乗せていただくことができましたので、中腹の駐車スペースまで連れていっていただけました。途中、数匹の猿と遭遇するハプニングもありましたが、登城道は整備された緩やかな山道です。さほど苦労もなく登っていくことができました。そこから北へ10分ほど登ったあたりでしょうか、右に幅の広い横堀(堀切か)があったかと思うとどうやら虎口のようです。ここから城域なんだなというのがはっきり見て取れると、中心部がどんな遺構が残っているんだろうと期待が広がります。 緩やかな傾斜となった尾根筋を登りつめると、ありました。高さ二メートル以上の土塁が綺麗に残っています。南西に横矢が掛っているような折れがある方形の郭、そしてその奥にも少し大きな郭がそれぞれ周囲を土塁で囲まれた姿が実によくわかります。ここから北と西とにそれぞれ尾根上に郭が作られているのですが、案内板と縄張り図も掲げられていますのでそれを頭に入れてからじっくり散策することができます。 北へは土橋を渡った先に、これまた土塁で囲まれた郭があります。ここは北側の虎口には馬出し状に土塁が作られてあり、北に布陣する柴田勢を睨んだプランとなっているのが感じ取れますね。そこから平坦な地形が100メートルほど続きますが、その先に喰い違いのような虎口が残っています。中心部分にだけ遺構が残っている例はよくありますが、南・北・西の各方位に虎口がここまではっきり残っている例はあまり知りません。軽い気持ちでやってきましたが、予想以上のすばらしい山城です。 西側も遺構の状態は最高です。面白いのはこの城跡からは現在も見通しがよく、往時もここから戦況を俯瞰できていたんだろうなと思うと、わくわくしてきます。
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