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高野瀬城跡
登城日:(2000.10.22)
所在地: 犬上郡豊郷町高野瀬
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 高野瀬城址碑。  高野瀬城の城主である高野瀬氏は愛智氏の支流で、鎌倉時代から愛知郡内に居住していたようですが城がいつごろ築かれたのかは不明です。ただ、同氏は応仁・文明の乱には活躍し、京極氏に従って細川勝元に仕えていたことは確かなようです。また、享禄二年(1529)には佐々木定頼の娘が細川晴元に嫁すときの使者として、高野瀬家澄がその任にあたっています。
 大永五年(1525)、佐々木定頼は浅井亮政を江北に攻めたとき、伊庭・九里とも対立していたことから苦境に落ちて、細川高国の助けを請うこととなったが、戦いは長引き朝倉教景を介して浅井氏との調停を申し入れました。この期間中に佐々木定頼は江北・江南の中心にある当城に滞在していました。
 なお、この城の廃城時期についても不明です。

新人物往来社『日本城郭体系11』より

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資料  

私見  県の史跡として地図に載っていたのでこの高野瀬城跡にも寄ってみました。彦根市から国道8号線を南下し、信号「高野瀬」を左に折れ100mほど進んだあたりを右折します。近江電線の会社の前に石碑だけが作られていました。遺構はまったくなく、これだけでした。
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