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大多喜城跡
登城日:(2003.05.10)
所在地: 夷隅郡大多喜町大多喜481
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 博物館となっている復興櫓  上総大多喜城は、天正十八年(1590)、この地に十万石で封じられた徳川四天王の一人である本多忠勝によって築城されました。
 城主は本多三代のあと、阿部・青山・稲垣氏とかわりましたが、元禄十六年(1703)の松平氏に入城からは九代続き、最後の城主松平正質(まさただ)の代に明治維新を迎えました。

『大多喜城跡案内板』より

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資料  

私見 博物館前の土塁跡  大多喜城は、本多忠勝が当時居城していた大多喜根古屋城から移ってきた際に築城されました。現在は千葉県立総南博物館として復興されていますが、遺構としては博物館のまわりの土塁や、登ってくる途中にある空堀跡あたりでしょうか。
 ですが、本丸跡は大多喜高校のグラウンドあたりですのでそちらには大手門だった薬医門や井戸跡などが確認できるようです。私は不覚にも大多喜高校へは行かずに戻ってきてしまったので未確認ですが。
 博物館では付近の城跡が載っている「大多喜城とその周辺」はお勧めです。ぜひ購入して付近の城跡をめぐってみてください。
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