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浜御殿台場跡登城日:(2006.06.08) 所在地: 中央区浜離宮庭園 |
歴史 | ![]() ![]() この地はもと将軍家鷹狩の場所であったが、承応年間、松平綱重の別邸となり、甲府浜屋敷または海手屋敷といわれた。ついで六代将軍徳川家宣これを改めて浜御殿と改称し大いに改修を行い、景観を整えた。 園内には、茶園・火薬所・織殿等が営まれた。維新後、宮内省所管となり、園地を復旧し、皇室宴遊の地にあてられ、名も浜離宮と改められた。諸外国来賓来訪の際には、延遼館はその迎賓館にあてられ明治天皇も賜宴のためしばしば本園に行幸せられ、特に明治十二年、米国前大統領グラント将軍が、わが国を訪問せられた際には親しく本園中の島茶屋において引見せられた。園は江戸時代に発達した大名庭園の代表的なものであって現存する汐入の庭の典型的なものとして貴重な文化財である。 ![]() ![]() 宝永四年(1707)のちの6代将軍徳川家宣が、本園の大改修をおこなったときはじめてこの橋を架けられました。往時のものと姿は変わっても水面に映る橋と中島の御茶屋の優雅さはひとしおであり、昔も今も変わることなく庭園景観の中心となっています。平成9年5月竣工した現在の橋は、橋長117.8メートルで高知県産の総桧造りであります。 『現地案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() この大手門の上には渡り櫓があったそうですが、もしそれが今日残っていれば観光客をもっと呼べるんだろうなぁと思いながら入場料300円を支払います。 庭園内は、内堀あり、土塁ありとどこから見てもお城なのになんで「庭園」と言われてしまうんでしょうか。少なくともセットでお屋敷があったはずなのに屋敷跡でさえもないんですから、不思議でなりません(^^;。 ![]() 嘉永三年(1853)ペリーが浦賀に来航したあと、幕府は沿岸警備の為、各藩に命じその任にあたらせました。浜御殿は高松藩と鉄砲方とで固め、護岸の上には二十四斤カノン砲五挺、ホウオイツル砲三挺を備えました。また御殿に隣接する現在の汐留貨物駅構内の地に江川英龍が砲術の訓練指導したとされています。 富士見山とされる小高い丘の前にあるのが砲台跡です。なぜかここだけ立ち入り禁止となっています。また左に伸びるつつじが丘も当時土塁として伸びていたのではないでしょうか。台場跡としてはたいしたことありませんが、城跡としてみれば意外とよくできていることにちょっと得した気分になれる浜離宮公園なのでした。
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