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平山季重氏居館跡登城日:(2006.04.28) 所在地: 日野市平山五丁目、六丁目 |
歴史 | ![]() ![]() ◆都旧跡 平山季重墓 平山季重は平安末期、鎌倉初期の東国武士の典型である。平山氏は武蔵七党の中の一つ西党に属し宗家日奉氏の分派になる。秋川流域を中心として後代この地を支配した小宮氏は平山氏の同族で政権の移転によって改姓したのではないかという説もある。健保元年(1213)五月の和田の乱で横山党は滅亡したが、同族の平山氏はこの乱に加担しなかったと思われる。季重は一の谷合戦に際し熊谷直実、直家父子とともに勇名をはせたことが活写されているように、豪放大胆な関東武士の面影をあますところなく発揮し、さきの保元、平治の乱にも活躍した人物である。 五輪塔の高さは1.7メートル、旧平山小学校内にあったが、大福寺が明治六年(1873)に廃寺になったので現在地に移転された。この墓は季重二十五代の孫松本藩の平山季長が追悼のために建立したものである。 『現地案内板』より
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資料 |
私見 | ![]() この辺のことはあまり詳しいことを知らないので見たままにとどめておきます(^^;。そしてそのまま平山城へと足を向けることにします。
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