石浜城跡 登城日:(2002.02.17) 所在地: 荒川区南千住三丁目、石浜神社 |
歴史 |
石浜城は、室町時代の中ごろ、武蔵千葉氏の居城となり、戦乱の世に百年あまり続いた城である。天正年間(1573〜1591)、城主千葉胤村(北条氏繁三男)を最後に、後北条氏滅亡の後、廃城となったと思われる。石浜城の位置には諸説あるが、石浜神社付近は有力な推定地の一つとされる。 石浜神社は、聖武天皇の時代・神亀元年(724)の創建と伝える古社で、源頼朝・千葉氏・宇都宮氏らの崇敬を受けたという。江戸時代の夏越の祓(六月三十日)は、その壮麗さにおいて名高く、天保九年(1838)刊行の『東都歳時記』の挿絵に夏の風物詩として紹介されている。 ◆真先稲荷と田楽茶屋 真先(崎)稲荷は、天文年間(1532〜1554)、石浜城主千葉守胤によってまつられたと伝える。もと隅田川沿岸にあり、その門前は景勝地として知られていた。また、奥宮の狐穴から出現する「お出狐」は、対岸の三囲位なりの狐と並んで有名であったという。 江戸中期から参詣する人が多くなり、宝暦七年(1757)ころには、吉原豆腐で作った田楽を売る甲子屋・川口屋などの茶屋が立ち並んで、おおいに繁盛した。吉原の遊客もよく当地を訪れ、「田楽で買えるがほんの信者なり」など、当時の川柳に真先稲荷・田楽・吉原を撮り合わせた句が詠まれている。 『石浜城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
営団日比谷線『南千住』駅をおりて約15分ほどで石浜神社に到着します。石浜神社が石浜城跡であるかどうかは完全に証明されているわけではありませんが、立派な案内板もあり荒川区も力を入れてるのだろうと感じさせるほど十分な雰囲気がただよっています。
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