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志村城跡
登城日:(2001.11.24)
所在地: 板橋区志村二丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 志村城跡の土塁 ◆熊野神社由緒
 後朱雀天皇の長久三年(1042)この地の豪族志村将監が紀州熊野より勧請したものと伝えられています。
 天喜年中八幡太郎義家が父頼義と共に奥州追討のとき武運長久の祈願をしました。
 康正二年(1456)千葉隠岐守信胤が、西部に城砦を築き城内鎮守として厚く崇敬しました。社殿西側の低地は本丸と二の丸との間にあった空濠の跡です。

◆熊野神社の樹林
 熊野神社一帯は中世城郭の志村城の比定地にあたり、樹林部分には空堀と土塁の跡も観察できる。樹木全体の面積は約千九百二十平方メートルとかなり広大な広さをほこる。昭和四十年十一月一日に「都市の美観風致を維持するための樹木の保存に関する法律」により「熊野神社内樹林」として指定された。
 武蔵野の面影を残す区内でも数少ない樹林のひとつであり、鳥居から社殿までの間には比較的常緑樹が多く、スダジイ、イチョウ、イヌシデ、ケヤキ、クスノキ等がみられ、社殿裏並びに西側の空堀を含む一帯にはケヤキ、イヌシデ、コナラ、アカメガシワ等の落葉樹の間にソロダモ、アオキ等の陰樹が生育しつつある。
 平成六年度、板橋区登録文化財の天然記念物(名木・巨樹・老樹等)とした。

『志村城跡案内板』より

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資料  

私見 志村城跡  都営三田線志村三丁目駅を降り、小高い丘になった志村城跡には約5分で到着します。現在は熊野神社が鎮座する境内はなるほど、法律で保護されているんですね。よく見ると確かに土塁も残っています。恐らく城跡だなんて知らない人にはよくある普通の神社なんでしょうね。でもよぉくみたら土塁が残っている・・いいねぇ、そういうの。
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