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城山跡
登城日:(2002.11.06)
所在地: 中野区中野1−44、谷戸運動公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 谷戸運動公園  このあたりは、もと城山町とよばれ、谷戸運動公園裏に幅五・四米ほどの土塁が残っていました。
 延宝三年(1675)の村の記録には、「中野村のうちに九百坪ほど土手を築き、から掘を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこは、もともと名主掘江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代々卯右衛門が所持している。」とみえています。
 堀江氏は、天正四年(1576)戦国大名後北条氏領中野五郎を治める小代官をつとめ、次いで豊臣秀吉の指令をうけた中野の土豪でしたから、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であったことが考えられます。湧水のある中野川の谷戸(谷あいの地)をおさえ、野方丘陵の東南を占める城山は、平忠常の城砦あと、あるいは豊島氏と戦った太田道灌の陣地「道灌とりで」あとなどともいわれています。

『城山跡案内板』より

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資料  

私見  中野駅から歩いて約5分ほどで城山公園、そしてさらにそこから3分ほどで谷戸運動公園があります。案内板は谷戸運動公園にあります。普通逆ですよねぇ・・名前からして。
 平成3年のマンション建設の際に行われた発掘調査によると、土塁や建物跡が見つかったらしいですね。でもそれがどうなったかまではわかりません。大事に埋め戻したのかなぁ(笑)。
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