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滝野川城跡
登城日:(2001.09.29)
所在地: 北区滝野川三丁目、金剛寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 滝野川城跡である金剛寺  治承四(1180)年八月、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は配流先のいずで挙兵し、石橋山の合戦で破れて安房に逃れましたが、上総・下総を経て隅田川を渡り、滝野川・板橋から府中六所明神に向い、ここから鎌倉に入って政権を樹立します。
 この途次の十月、頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれます。松橋とは、当時の金剛地の寺城を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天がまつられていましたが、頼朝は、弁財天に祈願して金剛地の寺城に弁財堂を建立し、所領の田地を寄進したと伝えられます。
 金剛寺は紅葉寺とも称されますが、これは、この地域が弁天の滝や紅葉の名所として知られていたことに由来するからです。

『滝野川城跡案内板』より

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資料  

私見  王寺駅から石神井川沿いに歩くこと20分ほど、野鳥の鳴き声が心地よく響き渡る木陰を歩いていきます。滝野川城があった金剛寺は石神井川が天険の堀となる、舌状台地の上にありました。
 滝野川城は豊島氏の庶家である、滝野川氏が城主としてこの地に居城していたようです。文明九年(1477)、太田道灌と戦い、本家豊島氏と共に滅亡してしまいました。
 とものの本には書いてあるのですが・・金剛寺前にある案内板には源頼朝についてしか書いてありませんでした。さらにまが悪いことに、葬儀が行われています。お寺って、ほんとこういう場面がよくあるんですよねぇ・・。しかたないんですけど、こんな重々しい雰囲気なのにのんきに写真なんて撮れませんし。
 とりあえず外からの写真だけで退散することにしました。
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