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上三川城跡
登城日:(2003.05.05)
所在地: 河内郡上三川町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 水堀と本丸跡が残る上三川城  上三川城は建長元年(1249)、宇都宮氏の一族である横田越中守頼業が築いた城で以来、慶長二年(1597)に芳賀高武に攻められて落城するまで、348年間続いた城です。
 現在では、本丸を残すのみですが、元は東西400〜500メートル、南北1000メートルの範囲に土手を巡らせた場所(郭)がいくつも並んだ、広大で堅固な構えを見せた城でした。
 本丸のまわりには、城主である横田家の墓(善応寺)や今泉家の墓(長泉寺)などの城に関係のある史跡が残っています。また、本丸の堀には、上三川城落城にまつわる「方目のドジョウ」の伝説が伝えられています。

『上三川城跡案内板』より

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資料  

私見 お祭りのなか、かろうじて撮れた本丸跡  上三川城へは隣接する老人福祉センターに車を停めて散策されるのがいいでしょうね。私はバイクでしたので反対側の商店街を通り、本丸手前までいって停めました。
 まぁるい本丸とそれを取り囲む土塁と、さらにその外側にある水堀が上三川城の遺構です。本丸の外側にある石垣は城址公園として整備されたときにでもつくられたんでしょうね。綺麗に整備されていました。
 残念なことに訪れました日は城址まつりだかで、本丸の大部分を酔客やら露店やらが占拠しており、なかなか写真を撮る構図に苦労させられました。
 「上三川」ってどう読むんだろ・・と思ってたら”かみのかわ”なんですね。三は発音しないのかな?ってどうでもいいか。(^^;
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