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飛山城跡
登城日:(2003.05.05)
所在地: 宇都宮市竹下町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 復元された土塁と木橋  飛山城は、鎌倉時代末期の永仁年間(13世紀末)に芳賀高俊が主家の宇都宮城に近い当地に築城したと伝えられている。
 芳賀氏は、天武天皇の子孫である清原氏の一族で、代々、芳賀郡一帯を治めていた豪族であったが、この飛山を居城としてからは姓を先祖の「清原」に改めたといわれている。(宇都宮市編入以前の旧清原村という村名は、この清原氏にちなんだものである。)
 この飛山城は、高俊以来、慶長二年(1597)豊臣秀吉の命により廃城となるまでの三百年にわたり清原氏の居城であったといわれるが、その変遷については定かではない。
ちょっと復元しすぎ・・?  飛山城は、近世の天守閣・石垣等に代表される城と異なり、自然の地形を利用し、深い空堀と土塁を二重にめぐらし、外敵の侵入に備えた中世の平山城の様式を伝えている。
 なお、城の周囲にめぐらされた内堀には、通路と思われる「土橋」があり、外敵に面した土塁には、数ヶ所突出部がみられ「物見櫓」と考えられている。
 この飛山城は、廃城以後約四百年を経た今日まで往時の遺構をとどめているものとして全国的にも非常に高く評価されている。

『飛山城跡案内板』より

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資料  

私見 物見櫓跡?らしき土塁  飛び山城は、鬼怒川に面した台地上に築城されています。いわゆる河岸段丘です。川に近いほうから主郭があり、空堀に囲まれて幾つかの郭が展開しています。遺構としては二重になる大きな空堀と土塁などです。土塁の上には復元された木橋も架けられています。
 現在も復元工事が続いているようで、公園として整備が進められているようですね。しかし規模や復元事業はすごく大規模です。やはり国指定史跡だからでしょうか。一瞬古代遺跡かと思いましたが、ここまで力いれて復元してるのに誰も訪れてなかったのはちょっと寂しかったです。「普段は市民の憩いの場です。」みたいになるのかな?(笑)
 うーん、でもちょっとやりすぎかもなぁ・・って思うんですよ、復元工事。小屋とか、地面が困苦リードだったかアスファルトだったか・・だったり。 どうなのかねぇ。
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