
浮田家は加賀藩の役宅として、江戸時代中期の豪農民家の建築様式を当時のままに残す貴重な建物である。この家が現在の地に定住した年代やその出身に関しては明らかではないが、元禄六年(1693)三代宗兵衛が加賀藩より奥山廻役を拝命、禄高五百石を有して以来、藩の役宅として栄えた。後に代官職も兼ねるようになり、文政十年(1827)七代善左衛門の代には三千石の格式に遇された。奥山廻役とは、立山・黒部一帯の山林保護や国境警備のため、奥山の巡視を行う役職で、明治三年の職制廃止まで代々浮田家が継いだ。
この家の敷地は約5190平方メートルで周囲に堀と塀をめぐらす。東に面した表門を入ると正面に主屋、左手に庭園、裏手に衣装蔵が一棟ある(以前は三棟の土蔵があった)。主屋の建立年代は、浮田家文書等から文政十一年(1828)の造立とされ、当時は同じ規模の別棟が接続していた。表門は入り口側柱の祈祷札により天保年間(1830−1844)と考えられる。また現在ある土蔵は明治二十三年の建立と考えられる。
昭和四十年一月に表門と主屋が県指定文化財となし、昭和五十四年五月に宅地を含め主屋・表門・土蔵の三棟が重要文化財(建築物)の指定をうけた。