Check |
元御旅所台場跡登城日:(2007.01.19) 所在地: 和歌山市和歌浦南2丁目 |
歴史 |
和歌山藩は嘉永六年(1853)六月のペリー来航以後、加太浦から大崎浦に至る海岸に40箇所以上の台場を築造した。翌七年、和歌山城下近海は7つの区域に分けられ、元御旅所台場が属する「和歌辺」には三浦長門守と久野丹波守が担当となった。 「異船記」にはその絵図が残されている。 『研究紀要3』和歌山市立博物館刊参照
|
資料 |
私見 |
久々の和歌山攻めは和歌山藩の台場跡の状況を確認するためでもありました。以前よりその数の多さに是非とも行かねば!とその機会を伺っていたんですよ。 ってことで図書館で情報収集でもと思ったら休館日でした(;_;)。機会を伺っていたはずなのに、事前チェックがなってません・・。 しかし隣接する市立博物館で学芸員さんからいろいろお話をうかがうことができましたので、元御旅所台場へ行ってきました。といっても何も遺構が残っていないのですが比較的公共交通機関と徒歩で行きやすそうなところを選んだという理由だけです。 バスで「和歌浦」まで行き、そのあとは和歌山港方面を目指すのみです。住宅地を抜け、堤防の手前に小さな公園があるあたりが目印です。その少し右手辺りが台場跡だったとされるんだそうです。『国別城郭・陣屋・要害台場事典』で異船記の絵図を見ましたが左右の均整のとれた横幅のある逆五角形で土塁が造られており、小さな火薬庫のようなものが見えます。またおくには建物も描かれており、他の台場の絵図と比較してもかなり重要なものだったような印象を受けます。といっても今じゃなーんにもないのですから仕方ないですね。 行きは特に何も考えてませんでしたが、帰りはきつかった・・。精神的に(笑)。
|