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根来寺
登城日:(1999.11.21)
所在地: 那賀郡岩出町根来
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 かつては根来衆が本拠とした根来寺。 紀泉の境、和泉山脈の南麓にある広大な寺域に多くの塔頭と庭園を持った新義真言宗総本山である、根来寺は、興教大師が大治元年に、石手(現岩出)荘を寄進されて以来、鳥羽上皇の保護を受けながら隆盛を誇っていた。
室町時代の初めには、僧兵が数万という巨大な戦闘集団として、紀州のみならず、和泉・河内など近隣地域にまでを勢力下としていた。しかも、種子島の鉄砲をいちはやく関係をもった特異な存在でもあった。
天正十三年(1585)、豊臣秀吉の紀州攻めの際に、寺の大部分を焼き討ちにあい、根来寺の武装集団は壊滅となった。

新人物往来社『日本城郭体系10』より


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資料  

私見 多宝塔には当時の戦いの傷痕があるそうです。 紅葉が美しい景勝の地として、観光客が訪れるこの根来寺は、私に言わせれば立派な城跡です。紀州において古くから勢力を持っていたのは有力大名でも、豪族でもなく、根来・雑賀・太田といった地場連合の集団でした。とりわけこの根来衆は根来寺を本拠に構え、勢威を奮っていました。秀吉の軍門に下ったことでその勢力こそなくなってしまい、今では心現れるような落ち着いた環境になってしまいましたが、国宝・多宝塔には天正の秀吉による紀州攻めの際についたとされる銃創がいまでも残っているそうです。
ということで立派な城跡の一つなのです。ええ、別に数を増やしたいための詭弁では決してありません。(-_-;
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