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雑賀崎台場

雑賀崎台場跡


登城日:(2010.04.17)
所在地: 和歌山市雑賀崎
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
トンガの鼻の先にある雑賀崎台場 土塁囲みの中にはV字状の石積みが  嘉永六年(1853)六月のペリー来航は、和歌山にも影響を与えていた。加太浦から大崎に至る40数か所にもおよぶ台場を海岸沿いに急ピッチで築造していった。雑賀崎の台場ノ鼻と呼ばれる突端上に造られたこの雑賀崎台場は、『異船記』上では「カゴバ」と記されていることから、カゴバ台場とも呼ばれている。

『城郭・陣屋・要害台場事典』東京堂出版刊参照

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資料
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私見
緑泥片岩の石垣がそのままの状態です 少し離れて石塁も残っています  紀州藩が築造した台場の中でこの雑賀崎台場(カゴバ台場)は、圧倒的に良好な状態で遺構を見ることができます。台場ノ鼻(トンガの鼻とも)の先に残る多角形の土壇には土塁が巡らされ、その下部には平たい緑泥片岩で積まれた石垣が周囲を固めています。これだけでも十分感動ものなのですが、以前実施された発掘調査の現地説明会ではここにV字状の石積みがあったようです。砲座ではないかと考えられているようなのですが、すごいですね。今までそういった砲座を見たことがなかったのでこの目で確認したかったです。
 さらに内陸部に入っていくとのろし場とされる平場があります。ここからは和歌山城が肉眼で拝めるようなので、急を伝える重要な拠点であったのでしょう。
 そしてそこから南へと歩みを進めると真っ直ぐにかまぼこ状に石塁が完璧な状態で残されていました。一瞬目を疑うほどに突如として現れた、そんな状態でした。あとで知ったのですがこれらの遺構はすべて地元の有志の方による、整備保存が行われてきたおかげだそうですね。ありがとうございます。地道な皆さんの活動が現在史跡として指定されたのだと思います。幕末の台場はお城と違って、ないがしろにされがちですのでぜひともこの雑賀崎台場が有名になってもらって、一層台場に対する理解が深まればいいなと願ってやみません。
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