Check |
勝沼氏館跡登城日:(2009.04.20) 所在地: 甲州市勝沼町勝沼 |
歴史 |
勝沼氏は、武田信虎の同母弟、次郎五郎信友によって興された武田親族衆の一員であり、信虎が戦国大名として台頭しようと苛烈な戦いに明け暮れていた時期に、最も信頼していた家臣でもあります。そのため、郡内小山田氏の目付として、武相口の護りとして適地である勝沼の地に館を構えたと思われます。天文四年に信友が戦死し、その名称を継いだ嫡子信元も信玄の有力な親族衆として、また家臣として常に重要な軍事力の一端を担ってきましたが、永禄三年に、逆心の企が露見し、信玄によって処断されたといわれています。 この主郭は勝沼氏館跡の中心に相当する郭で、二重堀と二重の土塁で囲まれた敷地に建物跡、門跡、水溜、側溝、土塀など多くの遺構が検出され、当時の館内部の生活を知る上でたいへん貴重なものです。 整備は16世紀初頭のころの郭内部の様子を、建物配置や通路順路、水溜、側溝の復原によって再現しようとしたものです。 『日本城郭体系』新人物往来社刊参照
|
資料 |
【地図を表示する】
|
私見 |
勝沼氏館は、昭和48年に県立ワインセンター建設に伴って発見されたということですが、ほんとよくぞワインセンター建設をとどまってくださいました!整備、復元状況もやりすぎることなく、それでいて十分雰囲気が伝わるという見事なバランスだと思います。日川に面した河岸段丘上にあり、眺望が広がっていることから立地条件に恵まれた場所にあるのもうなずけます。 同館には、県道34号線側からあがっていくことにしました。「史跡勝沼氏館跡」と書かれた大きな看板と復原状況が一目でわかる図があげられています。L字型に深い堀がめぐらされ、その内側に土塁が積まれています。そして館内には数か所の建物跡を示す礎石も配置されているのがわかります。あと、よく見ると館の内部は平坦ではなく緩やかに傾斜しているのですね。 実際に館内に踏み込んでみます。大きな横堀をみつつ中に入るとすぐに内部にもう1つ堀があることがわかりますね。ただすぐになくなってしまっていますのでこれは復元状況による理由なのでしょうか、入口部分だけを強固にしているのかはわかりません。すぐに気付いたのは内部は単に一つの大きな平場かと思ったら、土塁で何か所かに区画がつけられています。用途によって分けられているのでしょうかね。 また、水路が巡らされているのも面白いのですが、全て縁石が用いられておりところどころに水溜りとつながっています。庭園遺構もあるようですし、ここは想像していた以上に非常に手のこんだ構造になっていることに驚きです。改めてワインセンターとなってしまわなくてほんとよかったです。あ、私は日本酒党なので余計そう思うのかもしれませんけどね(^^;。
|