先日、其方に【恋の浜】についての由縁の情報提供しましたが、別情報で【恋の浦】という地名を発見しました。
なんと!!その地名がある場所は、福岡県宗像市にある様です。
この【恋の浦】は、姫路市白浜(【恋の浜】)に関連する黒田家の所領地でもあります。
(『恋の浦悲話』という物語がある様ですが、この物語・地名自体は後から付け足された物語・地名の様です。)灘のけんか祭りさん、こんばんは。
恋の浦が福岡にもあるんですか。
おもしろいですね。
地名にはいろんな歴史もありますから、気にしてみると
結構深いかもしれませんね。
ありがとうございます。
名古屋エリアで限定販売されている新幹線の特別チケットを使い来年の1月2日に念願の姫路城に胸をときめかせて行ってきます。すでに修理作業している箇所もあって全部は見れないだろうと思います。だけど姫路城の顔でもある天守閣は見れるのでそれはそれでよかったと思います。あと欲を言えば置塩城か相生市にある感状山城にも行きたいと思います。せっかく名古屋から姫路くんだり来たので姫路城と城跡の1つでも見て帰りたいと考えているのはちっと欲張りすぎているかな?なんだか今日は僕の欲望ばっかり言っているような気がする。(どうもスイマセン。)また僕の行った山城の話も来週辺りに書こうかなと思います。それでは失礼いたします。尾張の終わりさん、こんばんは。
おお、姫路に来られるのですね、ぜひお迎えしたい
ところですが1月はすでに缶詰状態になってしまいました。(-_-;
姫路城にどれだけ時間をかけるかで、次への時間がかわってきますね。
じっくり見れば姫路だけで十分ですが、ここは姫路に1泊されてはいかがでしょうか。
どちらもお勧めできる山城ですが、加古川の中道子山城もいいですよ。
また山城のお話もお願いいたします。
いかん、なんだか遠い目をしてしまう(;_;)
はじめまして。以前よりお城が好きでちょこちょこめぐってましたがこのサイトに偶然お眼にかかりました。
つい先日兵庫県たつの市の城にいってきました。竜野城跡は特に目ぼしいものもなくあまり面白くないですがその場内に入った少し奥のフェンスの入り口から裏山に入ります。そうすると鶏籠山城の解説の看板が・・・想像復元絵図がありましたがかなりの細長い山城だったようです。
看板から右手にそこそこの山道を上に上っていきます。ところどころ階段はあるもののほぼ未整備に近い山道。迷わないように注意です。
石垣はほぼなし、土塁がちらほらあります。15〜20分ほどで山頂のような開けた場所に・・・しかし二の丸跡の看板。たつの市全貌が見渡せるいい眺めでした。
二の丸跡から奥に段々に開けた後がありそのあと上っていくような山がありおそらく本丸跡まで続いていると思われますが夕方であり本丸方面へは断念して下山しました。
龍野城跡すぐ横にある小学校のプールの外壁も武家屋敷風であり入り口も完全に立派な門構えで知らなかったらプールと判りません。城壁の矢狭間から見下ろされたプールって全国探してもないでしょうね。今度は本丸のある的場山にまで行ってみたいです。では失礼します。駆け出し様、書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
私の鶏籠山城攻めは今年だったか去年の暮れだったかが最後だったと思います(^^;。
非常に達成感を味わいやすい状態なのがありがたいですね。
プールはちょっと危険ですがw、岡山の早島陣屋がプールのすぐ外に遺構が残っているのですが、完全に防御された壁が外部とを遮断しておりました。
ところで的場山の本丸ってしりませんでした。
またご紹介いただけるのを楽しみにしております。
ではでは。
古代の「大廻り・小廻りの朝鮮式山城(神籠石系)」は岡山市草ケ部から常楽寺横を通って山頂平坦面まで車登れるが、一番の見どころの「一の木戸」は本村方面から小さな標識に従って歩くのが良い。山体を鉢巻状に塁の跡が点々と廻る。大廻りと小廻りは双耳峰で陣所的な位置にある。
今日は、狼煙場のあった高梁市の鶏足山(遺構らしきもの見当たらず。山頂部は電波塔群)ハイキング(ついでに総社市の魔法神社参拝)のついでに真庭市(旧北房町)の「植木城」と「高釣部城」訪問。
「植木城」は北房市街地から県道50号線を新見方面に向かい、高速道路の上の大きなS字カーブの崖の上に位置する。
小さな見張所的な砦。尾根先の小郭から谷筋から堀切に沿って登り、鞍部の郭を通り山頂の神社まで歩道がある。
「高釣部城」は旧北房町地域では最大の城。植木から北へ高釣部集落方面に右折。尾根全体が城。大手曲輪の半分は住宅地。北郛横の舗装道路が広くなった所に駐車。道横の畑の跡みたいな段々が北郛。谷を詰めて南郭のある尾根に出る。けっこう歩きやすい。所々に郭。畝状竪掘とその上の横堀に至る。横堀と畝状竪堀の畝の交点は土饅頭のように盛り上がって胸壁みたい。畝状竪堀は16本まで数えたが、東に向かって点々と続いているようだ。帯曲輪群を登り、主郭に至る。祠がある。奥の土塁横に狼煙釜。土塁から片堀切、郭、二重堀切と続く。西に下ると水手曲輪群。毛利氏の美作への街道を抑える拠点だけのことはある。大満足。
やぶくぐりさん、こんにちは。
大廻り小廻りの情報ありがとうございます。
民家に気にしながらの散策かなと気になっていたんです。まだしばらくは缶づめ状態ですが、それを抜け出たら
まずは岡山県内をあちこちいきますよ。(^^;
ということでいつもながらありがとうございました。
たまにこうして世間の(大げさ)情報がありがたいです。
恋の浜城についての情報ですが、白浜の町に「城の元」という場所辺りか、白浜の町周辺部に『御着の「国府」』が移転し、その「国府」の名称の言葉が訛り、{国府浜→恋の浜}となったとも伝わっています。
又、別の諸説(一説)では…
『御着の「国府」』を妻鹿の甲山(功山)に移転し、それが上記白浜の町と同様に訛り、{甲山(国府山)→恋の浜}となったとも伝わっています。
[注]
国府の移転順は、御着→恋の浜(白浜)→甲山(妻鹿)の年代順だと言われています。
その後の国府移転は、(多分ですが…)英賀城(飾磨地域も含めて)へと移転した様です。
もしかしたら最終的には、元の御着城か初期の姫路城(又は書写山白山城)に移転したものと思わます。灘のけんか祭りさん、こんにちは。
管理人の本岡です。
地元ネタでしたので嬉しく読ませていただきました。
恋の浜城は素敵な名前ですねw、でいいかと思ったのですが
意外な結果が出てくるのも面白いですね。
ありがとうございました。
出雲・熊野城
29日安来市の清水寺で紅葉(11月8日は未だ色づいてない、今日は1週間位遅すぎた)を見てから、
松江市八雲町の熊野城に行ってきました。
登城口(35-21-20.57・133-03-33.62)に熊野城跡須谷登山口の標柱有(薄くて読みつらい)、
登り初めてすぐに道は二手に別れる、左の登り安い方に行くが途中で道がなくなる、
手元の地図ではもう少し上が熊野城となっている為、
そのまま登るが何もない、一端谷まで下り谷道を尾根まで登り右に行く、道らしき後を頼りに主郭下に到着、
ここで切り開いてあるところを直登して主郭に到着、藪だらけだが、
少し歩いてみると嬉しい事に説明板(最後に八雲小学校第三十二期卒業生と書いてある)がありました。
設置当時は小学生でも気軽に歩けたと想う。
早速撮影して降りる、谷中の竹やぶ道は良く滑るのでゆっくり降りた往復1時間40分かかった。
これで尼子十旗のうち九旗落城だ残りはなんと矢筈城のみとなった、
登城口はすでに確認しているつもりなので、そのうち木の葉がない頃に挑戦してみたいと思います。taniさんこんにちは。
熊野城の登城口の位置情報ありがとうございます。
ずいぶん難しそうな場所にあるんだなと思い、拝見してましたら小学生の手による案内板があるんですか。
なんかこのパターン、私もどこかで体験しましたよ・・・どこだったか・・。
尼子十旗は1つも行けてません。出雲は手薄でした。
ちょっと行きにくいですねぇ。
出雲の情報はあまりありませんので、ありがたいです。
またよかったら訪城記お願いいたします。
ではでは。
週末に長水山城の登城を計画していたのですが
その3日前にぎっくり腰になり山登りを中止
リハビリを兼ねて姫路市夢前町をぶらりぶらり
三枝の宝積院に、御住職不在のため勝手に裏山の
観音様(百体)巡りを、このお寺見事な石垣の上にあり
この石垣は寛文年間に寺が移ってきた時のものでは?
どうなのでしょうか又正面の右手の斜面に野面の石垣も?
いつの時代のものなのかと思いながら次に新庄の百丈山臨済寺に
参道から山門までの両脇のもみじの紅葉が素晴らしい!
夢前一いや姫路一かなと思うほど素晴らしかったです。
お寺は1379年赤松義則に領地を頂いた別峯大殊円光国師
の開山で現在の本堂は1675年に姫路城主松平直矩により
再建されたと御住職が言っておられました。
今日はお城の話ではなくてゴメンナサイ
腰が治れば山城攻めに行くつもりです。
では失礼します。おっちゃんさん、こんにちは。
腰はへたしたら長引くといいますので、くれぐれもご自愛くださいませ。
ところで宝積院といえば三枝城跡じゃないですか。
あの石垣は確かにきになるものですよね。
そういえば紅葉が美しい季節・・・私は小谷城
あたりで満喫したいところですが、今年は見れるかなぁ。
今月の23日の祭日に滋賀県米原市番場にある鎌刃城に行って来ました。高速道路の下を潜り抜けて追手道を登ること約1時間で三の丸の大堀切にたどり着きそこから少し下に下りて石垣を見てから上にある郭跡に向かいました。郭跡にたどり着いたら2,3人の人たちがなにやら木を切って火をつける準備をしていたので何をしているかお話を伺ったところ狼煙を上げる準備をしていると話して下さいました。なんでもその日はのろし駅伝の開催日だったのでした。今年で8回目を迎えるのだそうです。そのあとは主郭へ行き石垣で出来た枡形虎口を堪能したあと西尾根方面へ向かいました。郭跡や堀切、土橋そして近江では珍しい畝状空堀群の遺構をたっぷり堪能してから狼煙を上げている人たちのいる北端郭に向かいました。北端郭にたどり着いてからは北端郭の遺構を見たりのろし駅伝の係の人たちと話をしながら過ごしていたらお昼の時間になっていました。地元の人たちが作ってくれたさつまいものてんぷらと胡麻ときなこをまぶしただんごを呼ばれたくさん食べました。まさか、こんな山城跡でお昼を呼ばれるとは思ってもいませんでした。そのあとは狼煙を上げた煙突を解体して火の始末をしてからみんなで下山しました。まだ時間に余裕があったので今度は小谷城へ行ってきました。9回目となる小谷城登城は体力と時間の関係で京極丸までしか行けれませんでした。今回の山城めぐりはかなり疲れましたけれどとても楽しかったです。特に鎌刃城の西端郭で見た畝状空堀群がとてもすばらしかったです。また機会があれば行きたいと思います。それでは失礼いたします。尾張の尾張さん、いいときに行かれましたね。
のろし駅伝もだんだん大規模になってきました。
今年は気がつけば終わってしまった感がありましたが
いい天気でよかったですね。
鎌刃城は確かに見事な山城だと思います。
でもそのあとで小谷城とはすごいですね。
とっても濃い山城巡りをすごされましたねぇ。
お疲れ様でした。
林野市街地の「長大寺山陣」訪問。宅地化されているが、頂上の公園忠魂碑から林野城が良く見える。遺構は不明。
西に向かって車を走らせ「東吉田の「榎土居」。完全に集落化。遺構不明なるも神社も郭か。
「黒土陣屋」は集落化されているが北側丘陵頂部に方形の土壇。
「岡城」は期待していなかったが、神社周囲に土塁がめぐる。農作業をしていたおばあさんに尋ねると、「昔はもっと神社の範囲も何倍も広かった。周囲の住宅地も段々の平坦地があり、自分の住居は空堀を埋めて造成した船底屋敷。」とのこと。やぶくぐりさん、こんにちは。
今回はマニアックな城攻めですね(^^
岡城ではおばあさんから貴重な情報が聞けてよかったですが、ものすごく詳しい話で驚きました。
「私はよくわからないけどおじいさんなら知ってたの
に」というパターンはよくあるんですが(^^;
週末はふらっと鳥取の山の中にいました。
比高もさほどなく、民家に近い山でしたが
なんと目の前を黒いものがすごい勢いで走り抜けていきました。
高さは1メートルくらいでしょうか。
真黒いソイツは15メートルくらい離れたあたりで立ち止まるとゆっくりと振り返りました。
イノシシでした。
初めての遭遇でしたのでカメラを構えて写真を撮っていると
ヤツは向きをこちらに変えると一瞬動きを止めました。
「やばい!」
突進しかけた瞬間に、後ろの斜面を慌てて飛び降りつつ
一目散に逃げました。
いやぁ・・・恐ろしかったです。
一人で山城行くのが当たり前になっていましたが、なんか
怖くなってきました。
皆さんもくれぐれもお気をつけて。
おっちゃん様>
有岡城歴史ウォークは抽選に漏れなかったのですね。よかったです。
私はといいますと、都合がつかず申し込んでおりません・・・。高槻市立
しろあと歴史館の連続講演会『城と城下をゆく -北摂編-』も興味があった
のですが、連続して参加する都合がつかず、断念・・・
有岡城や尼崎城は「いつか行こう」と思いながら、「近いからその気に
なれば行けるか〜」とも思い、未だに訪れておりません。ご紹介した催しが
訪れるきっかけになるなあと、見つけた時には嬉々として喜んでいたのです。
これらに懲りず、これからも博物館系の催しはそれなりにチェックしようと
思っております。
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんにちは。
博物館系の模様しモノは最近、あちこちで面白そう
なのをやっているようですね。
私は自分で探したりしませんが、知り合いがチェック
されているのを勉強させてもらっています。
これからの山城シーズンじゃなく、夏場のオフシーズン
なら涼しい室内もいいんですけどねぇ。
山城会会員3名で福山の城訪問。
「相方城」は車で駐車場まで到達。東西の郭群訪問の後、馬場や工業団地横の大堀切、古道、出丸に行く。
北側の「亀寿山城」はお寺に駐車。墓地の間から登る。郭、堀切と進み、三の丸、二の丸、本丸と八十八ケ所参拝順路に従って進む。
「神辺城」も大堀切手前の駐車場まで進み、本丸直下で昼食。郭をめぐり、一回りして駐車場に戻る。
すぐ近くに「古城山城」の森が見える。
「古城山城」は八幡神社の登り口に駐車。参道の石段の左右には縦掘、郭。
神社まで行くと土塁とあやしい団地。
団地は城域をほとんど占拠。
雨が降り出し、岡山県の矢掛茶臼山城を攻略して岡山運動公園で解散。やぶくぐりさん、こんにちは。
たまの県外遠征ですね。
相方城、神辺城は間違いないですね。
そういえば神辺城は斜面の中に石垣の石があるという
ことで探しにいったことがありました。
ともに整備されていていいお城です。
亀寿山城、古城山城は参考になりました。
いつもありがとうございます。
愛知県豊田市足助町にある足助城は発掘調査や資料を基に復原された戦国時代の山城跡です。またの名を『真弓山城』ともいいますが地元の人に『真弓山城』と言ったらあまり通じなかったのを覚えています。受付で大人300円(高校生は100円)を払って中に入ってしばらくすると目の前に復原された腰郭がみえてきます。又さらにいくと井戸跡や物見櫓、倉庫などがあります。さらにいくと入ってきて見えていた台所建物があります。その後ろには物見台が建っています。物見台の周りには小さな堀切があります。更に奥に進むと復原された本丸があります。この本丸は高櫓と長屋になっています。長屋は物置小屋みたいに使われています。高櫓は、中に入って登ることができ、高櫓から見る足助の町並や山並みがとても見ごたえがあります。今時期は紅葉の季節ですから見ごたえはかなりあります。私も去年の今頃に行って紅葉と足助城をたっぷり堪能してきました。ただここが東海地方での屈指の紅葉の名所『香嵐渓』だったのをすっかり忘れていたので(足助城のことで頭がいっぱいだった)帰りは大渋滞に巻き込まれてしまいました(涙)あと足助城の周辺には飯盛山城や浅谷城(あざがやじょう)鶏足城(けいそくじょう)などの山城跡があります。私はその中の浅谷城に行こうとしたのですけど道に迷って分からなくなり諦めました(涙)本岡さんも愛知県の豊田市足助町に来られた際にはどうでしょうか?あと名物としては『もみじあげ』という(こんな名前だったかな?)食べ物があります。これはもみじを天ぷらのように揚げて食べる足助町の名物です。詳しいことはTEL0565−62−0770足助城までそれでは失礼します。尾張の終わりさん、こんにちは。
足助城はぜひとも一度いってみたいと思ってます。
またあそこは城跡もたくさんありますし、車で効率よく
動くのが一番いいですよね。
また最近はその地元のものを食べることにも興味がでてきてますので「もみじあげ」も機会があれば食べてみます。
でも関西では箕面にももみじのてんぷらがありますよ。
さくさくいけるおやつみたいな感じだったかな。
うーん・・出張の機会に途中下車して足助城攻め、
考えておきます。
本日、ポリタンクさんより情報をいただいた有岡城歴史ウォークに参加しました。
久しぶりに故郷の伊丹を歩いたのですが発展するのは嬉しいのですが、子供のころ見ていた古い町並みが無くなってゆくのが残念です。惣構えの外郭は今でもある程度確認することができます。村重時代の石垣も少しですが見ることができ
惣構えの外郭も(約4`)歩いてみることができます。
伊丹と荒木村重について書きだすときりが無いのでこの辺で
おいておきます。
当時ポルトガルの宣教師フロイスが『われわれは、宵の口に伊丹と称し甚だ壮大にして見事なる城に着いた』と言った惣構えの外郭を歩きに来てください。
追伸
黒田如水殿は茶人道薫のお茶を飲まれたのかな?おっちゃんさんこんにちは。
有岡城歴史ウォークは盛況でしたか。
どこのお城の現説や歴史イベントもかなり人出があるので
結構好きな人が多いんだなぁといつも感心しています。
今回のイベントとは関係ないかもしれませんが、以前
有岡城を紹介したいということでご連絡をくださった
方がいらっしゃったのを思い出しました。
各地で地元の城跡を取り上げてくださるのは素晴らしいことだと思います。
また新しい情報もでてくるかもしれませんし、できるだけチェックしておかないといけないかもですね。
津山市久米地区の美作岩屋城の周囲には8Kmにわたって、秀吉・宇喜多方によって築かれた陣城が廻っている。
今回は岩屋城に至る谷筋より、もう一つ東側の一備谷林道から登った。
八幡峪城の横を通り、林道終点の駐車場を目指すも、約200m手前で倒木が半分道を塞いでいる。
少しパックして回転出来る場所に駐車。西側の山肌は大きく切り開かれている。
昨年登った327mピーク郭と343mピーク郭の切岸が見える。
林道を終点まで歩き、谷側に沿って100m程登る。左に小川を渡って地籍調査の刈り払いを直登。「井ノ奥陣城」374m郭に出る。北に尾根をたどり、「とちノ木陣城」に入る。東に尾根を曲がり、100m程、郭をたどり堀切、150mで高見山に至る。一旦戻って、尾根筋の土塁、郭群、堀切群を北上、「的場の峠陣城」に入る。513m陣所から503mの土塁のめぐる陣所。453m陣所に至る。ここでUターン。「的場の峠陣城の東側の郭を探る。道を間違えて一旦南側の郭まで下りる。
パックして「とちノ木陣城」に入り、最初に登ってきた直登刈り払いを通過。南に進む。「井ノ奥陣城」の360m郭から派生尾根の刈り払いを南東に下る。
小川の向こう側の駐車位置に出る。
迷いながらの3時間半のハイキング。
やぶくぐりさんこんにちは。
岩屋城の陣城めぐりじゃないですか!!
私が今期一番行きたいところです。
あとで「戦乱の空間」の資料と照合しながら
勉強させていただきます。
しかし、毎回どんな基準で城選びをされているのか
気になります。
ちなみに大廻小廻城はいかれましたでしょうか?
古代山城も興味があるのですが、ここにいくのを
忘れてまして。
今日11月16日感状山城に登城。物見岩からの眺め最高、大手門跡、曲輪群、どれも想像どうり流石に国指定史跡もう一度登りたい山城です。羅漢の里手前の両脇に(案山子)が何体も(100体以上)あり何だコリャ?食堂のおばさんに聞くと昨日までの3日間案山子祭りがありコンテストがあったそうです色々と賞がありお城とは別に楽しめました。この時期毎年行われているそうです。
帰りに何処かと思い龍野古城に登城、鶏籠山登り口の扉が閉まっているので登れないのかなと近かずくと案内板に横から入って下さいとのこと本丸を目指し登ると削平地が3箇所程あり二の丸跡、本丸跡があり所々野面積みの石垣も残っています。本丸跡の案内板には竪堀、横堀が書かれていましたが素人の私の目では確認できなかったのが残念です。
次回は、長水山城です
では失礼します。おっちゃんさんこんにちは
鶏籠山城もいいですね。
登り易いですし。
こんどは城山城なんていかがですか?
ハードですが、面白いですよ。
でも長水山城のレポートもお待ちしております。
ではでは。
『近江の山城ベスト50を歩く』は職場の上司とともに買いました。まだ
ほとんど現地には足を運んでおりませんが、読みやすく、訪問時のお供に
適した良書だと思います。静岡版は持っておりませんが、同じスタンスの
ものではないかと想像します。『発掘調査20年の記録安土 信長の城と
城下町』も先日買いまして、映画の影響のせいか人出が増えている感の
ある状態が落ち着いたら訪れるべく、その準備を兼ねてちまちま読んで
います。
サンライズ出版の本には何故か縁があるようで、『安土城・信長の夢』や
『近江佐和山城・彦根城』も持っています。残念なのは、『ひこにゃんと
お城で遊ぶ本』を入手できなかったことです。築城400年という瞬間を
想定した本なのだろうとは思いますが、子どもが興味を持って彦根城の
情報を読むにはいいんじゃないかと思います。
話は変わりますが、日曜日に但馬の竹田城に行きました。雲海(「朝霞の
海」と言った方が正確かもしれませんが・・・)がばっちり見れたのは
よかったのですが、雲海目当てのお客がワラワラいて、石垣だけの城を
訪れている時に感じるいつもの感覚とかけ離れた違和感を感じました。
往時に思いを馳せるには雑音が多すぎるといいますか・・・。幸い、9時を
超えたあたりから客層が変化したお陰で違和感がかなりなくなりました。
何度も来たくなるという感想の方が多いことには納得。個人的には高取城の
方が好きではあります。
今回無念だったことは、竹田城で時間を使い過ぎ、予定していた出石城と
有子山城に行けなかったことでしょうか(泣)
山城めぐりですが、手近にも拘わらず未踏のところにぼちぼち行ってみよう
とは思っています。置塩城も捨てがたいですね。利神城にも行ってみたい
です。うーん、浮気性(笑)
余談ですが・・・
管理人様>
東京は遠いので残念ながら参加できません(泣)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは
東京のことにも気にかけてくださりありがとうございます。
私も竹田の雲海を久々にばっちり見れましたよ!
いい天気だったのと風がなかったのもあり、長時間
波のようにうねる白雲が実に美しかったです。
また竹田のページも更新しておきます。
で、そこで感じたのが城好きじゃない方が増えたこと。
それは別にいいのですがお城を散策してると
「おーい、そこ撮ってるからどいてくれー」とか声を
かけてくるんですよ。
すぐ後ろで見てたら
「ちっ、また観光客だよ。」とか「やれやれ・・」とか。
なんか雲海目当てだけの方はコワイです(-_-;
殺伐としてる感じでしたが、それでも竹田は癒してくれますね。
日が上がったら城好きだけの空間になるのも嬉しかったです(^^
『近江の山城ベスト50を歩く』は職場の上司とともに買いました。まだ
ほとんど現地には足を運んでおりませんが、読みやすく、訪問時のお供に
適した良書だと思います。静岡版は持っておりませんが、同じスタンスの
ものではないかと想像します。『発掘調査20年の記録安土 信長の城と
城下町』も先日買いまして、映画の影響のせいか人出が増えている感の
ある状態が落ち着いたら訪れるべく、その準備を兼ねてちまちま読んで
います。
サンライズ出版の本には何故か縁があるようで、『安土城・信長の夢』や
『近江佐和山城・彦根城』も持っています。残念なのは、『ひこにゃんと
お城で遊ぶ本』を入手できなかったことです。築城400年という瞬間を
想定した本なのだろうとは思いますが、子どもが興味を持って彦根城の
情報を読むにはいいんじゃないかと思います。
話は変わりますが、日曜日に但馬の竹田城に行きました。雲海(「朝霞の
海」と言った方が正確かもしれませんが・・・)がばっちり見れたのは
よかったのですが、雲海目当てのお客がワラワラいて、石垣だけの城を
訪れている時に感じるいつもの感覚とかけ離れた違和感を感じました。
往時に思いを馳せるには雑音が多すぎるといいますか・・・。幸い、9時を
超えたあたりから客層が変化したお陰で違和感がかなりなくなりました。
何度も来たくなるという感想の方が多いことには納得。個人的には高取城の
方が好きではあります。
今回無念だったことは、竹田城で時間を使い過ぎ、予定していた出石城と
有子山城に行けなかったことでしょうか(泣)
山城めぐりですが、手近にも拘わらず未踏のところにぼちぼち行ってみよう
とは思っています。置塩城も捨てがたいですね。利神城にも行ってみたい
です。うーん、浮気性(笑)
余談ですが・・・
管理人様>
東京は遠いので残念ながら参加できません(泣)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは
東京のことにも気にかけてくださりありがとうございます。
私も竹田の雲海を久々にばっちり見れましたよ!
いい天気だったのと風がなかったのもあり、長時間
波のようにうねる白雲が実に美しかったです。
また竹田のページも更新しておきます。
で、そこで感じたのが城好きじゃない方が増えたこと。
それは別にいいのですがお城を散策してると
「おーい、そこ撮ってるからどいてくれー」とか声を
かけてくるんですよ。
すぐ後ろで見てたら
「ちっ、また観光客だよ。」とか「やれやれ・・」とか。
なんか雲海目当てだけの方はコワイです(-_-;
殺伐としてる感じでしたが、それでも竹田は癒してくれますね。
日が上がったら城好きだけの空間になるのも嬉しかったです(^^
『近江の山城ベスト50を歩く』は職場の上司とともに買いました。まだ
ほとんど現地には足を運んでおりませんが、読みやすく、訪問時のお供に
適した良書だと思います。静岡版は持っておりませんが、同じスタンスの
ものではないかと想像します。『発掘調査20年の記録安土 信長の城と
城下町』も先日買いまして、映画の影響のせいか人出が増えている感の
ある状態が落ち着いたら訪れるべく、その準備を兼ねてちまちま読んで
います。
サンライズ出版の本には何故か縁があるようで、『安土城・信長の夢』や
『近江佐和山城・彦根城』も持っています。残念なのは、『ひこにゃんと
お城で遊ぶ本』を入手できなかったことです。築城400年という瞬間を
想定した本なのだろうとは思いますが、子どもが興味を持って彦根城の
情報を読むにはいいんじゃないかと思います。
話は変わりますが、日曜日に但馬の竹田城に行きました。雲海(「朝霞の
海」と言った方が正確かもしれませんが・・・)がばっちり見れたのは
よかったのですが、雲海目当てのお客がワラワラいて、石垣だけの城を
訪れている時に感じるいつもの感覚とかけ離れた違和感を感じました。
往時に思いを馳せるには雑音が多すぎるといいますか・・・。幸い、9時を
超えたあたりから客層が変化したお陰で違和感がかなりなくなりました。
何度も来たくなるという感想の方が多いことには納得。個人的には高取城の
方が好きではあります。
今回無念だったことは、竹田城で時間を使い過ぎ、予定していた出石城と
有子山城に行けなかったことでしょうか(泣)
山城めぐりですが、手近にも拘わらず未踏のところにぼちぼち行ってみよう
とは思っています。置塩城も捨てがたいですね。利神城にも行ってみたい
です。うーん、浮気性(笑)
余談ですが・・・
管理人様>
東京は遠いので残念ながら参加できません(泣)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは
東京のことにも気にかけてくださりありがとうございます。
私も竹田の雲海を久々にばっちり見れましたよ!
いい天気だったのと風がなかったのもあり、長時間
波のようにうねる白雲が実に美しかったです。
また竹田のページも更新しておきます。
で、そこで感じたのが城好きじゃない方が増えたこと。
それは別にいいのですがお城を散策してると
「おーい、そこ撮ってるからどいてくれー」とか声を
かけてくるんですよ。
すぐ後ろで見てたら
「ちっ、また観光客だよ。」とか「やれやれ・・」とか。
なんか雲海目当てだけの方はコワイです(-_-;
殺伐としてる感じでしたが、それでも竹田は癒してくれますね。
日が上がったら城好きだけの空間になるのも嬉しかったです(^^
みなさんこんばんは。また尾張の終わりです。滋賀県彦根市に本社があるサンライズ出版から静岡の山城ベスト50を歩くという本が出版されました。この本は、同社から出されている(近江の山城ベスト50を歩く)の静岡版です。(そのまんまだな)。私はまだ現物を手にとって観たわけではないのでよく分からないのですけど、静岡県にある山城跡を、遠州地区と駿河地区と伊豆地区に分けて紹介しているようです。本の編集や監修にあたっては城郭研究家の中井均氏が担当されているようです。詳しいことはTEL0749−22−0627サンライズ出版までそれではまた。尾張の終わりさん、こんにちは。
ここの出版された本は私も多く持っています。
なんで静岡なんでしょうね。
でもやっぱり買うんだろうなぁ・・私。
なかなか行けない地域でもなくならないうちに買って
おかないと気付いたら入手できなくなってることが
よくありますので、無駄に蔵書が増えてしまいます(^^;
このサイトのみなさんの書き込みを見ていたら、行きたい山城跡がたくさん増えてきてどこにトライしようか迷ってしまいます。特に兵庫県相生市にある感状山城と同じ兵庫県姫路市にある置塩城のことがかなり多く書かれているのでその書き込みを見ていたら僕もなんだか行きたくなってきました。だけど名古屋から姫路までは遠いなあ〜。家から車で1時間や2時間もかかるなら話は別ですけどもね。だけども、置塩城や感状山城も絶対に行きたいと思います。その前に姫路城にも足を運んでみたいです。なんだか僕の行きたいお城のお話ばかりでどうもスイマセン。山城めぐりのお話はいつになったらできることやら。それではまた。尾張の終わりさん、こんにちは。
ほんとおっしゃる通りで皆さんの書き込みを拝見すると
ついつい気になって行きたくなってしまいます。
播磨でしたら、ほかにも見ごたえある山城があります
のでぜひ遠征してきてくださいませ。
本岡です。
今日はお台場で「戦国ナイト」というイベントを開催いたします。
ゲストに戦国魂の鈴木さん、真壁太陽さんをお迎えし、トークを繰り広げます。
当日券もありますから、よかったら〜(^^;http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_090927202600_1.htm
いやぁ・・・無事終えることができました。
http://tcc.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/091114-7eff.html
お恥ずかしいですが・・こんな風に載っています。
今回はかなり疲れましたので、当分は城攻めに専念したいです。
(できてないのがつらい・・・)
成羽天神山登山のついでに成羽の2城訪問。
高梁からR313を成羽に向かうと、成羽の街の入り口の橋の手前の鍋坂に「鍋坂所在城」がある。鶴首城の東の物見の役割のようだ。
南側の国道横から直登。岩が点在。西側は崖。郭がある。少し尾根斜面を登ると郭、主郭、郭と並ぶ。主郭には石の神像。東側には武者走り。絡めてを目指して下るも遺構無し。やぶに突っ込む。やっと離脱して登り口に辿り着く。
鉱山街の吹屋に向かう。観光地だ。吹屋の鉱山を支配するために尼子・毛利と続いた「金山城(小金山城)」。岡山文庫の「備中吹屋を歩く」に縄張図が載っていたので訪問。吹屋のベンガラ格子の街並みから東に下ると白石のバス停の先に看板がある。崖地で、どこから上り付こうと思案。隣の下谷の集落から北に向かう林道がある。これを使って城の北側に回り込む。V字形にパックするような峠に向かう舗装道に出
会う。北側の切通しから入る。踏み跡があり、やぶも薄い。すぐに郭、堀切、切岸と続き、祠のある郭。段々と登っていく郭をたどり主郭に出る。延長130mとあるが、もう少し長そう。やっぱり銅・銀の鉱山を守る城なので大きい。城の南の下谷には大塚屋敷の両側石垣の石段と屋敷地の石垣がある。やぶくぐりさんこんにちは。
今回は「遺構なし&藪」という過酷な城跡に挑戦されて
素晴らしいですね(^^;、
と思ったら吹屋にもお城があったんですね。
そんなタイトルの本にも縄張り図つきで山城が紹介
されているとは...!
盲点でした。
さすが、岡山県のお城情報への嗅覚は抜群ですね。
ありがとうございます。
ポリタンクさん、ばんたんさん、感状山城の情報ありがとうございます。今月中に登城する予定です又、報告させてもらいます。
ポリタンクさん11月21日の伊丹郷町散策に申し込みましたが人数が多く抽選になるとの事(はずれても行くつもりですが)又、報告させてもらいます。
本岡さんも恒屋城、置塩城と回られたようですね、わたしも恒屋城の翌日置塩城に登りましたが置塩城まつりで使用したテーブルなどが二の丸三の丸あたりにブルーシートでおおわれてあったのがチョット興ざめしました。あれが無かったらもっとよかったのですが
皆さんの投稿楽しみにしています。おっちゃんさん、
置塩城は本丸が寂しいですよねぇ。
それまではテンションあげながら散策できますのに
昇りつめたあそこで、現実にかえってしまいます(笑)
恒屋城の最頂部は見晴らしがよくて楽しめました。
あと後城の西側斜面の畝状竪掘も・・。
過去に行ったお城はなにかないとなかなか足がむかないですが
皆さんの書き込みを拝見してしまうと、つい気になってしまいますね。(^^;
これからもどこかオススメのお城がありましたらよろしくお願いいたします。
ポリタンクさん、ばんたんさん、返事を書くのが遅くなりましたが、姫路城の情報どうもありがとうございます。あと、本岡さんが教えてくれた姫路おでんの情報も教えてくださって誠にありがとうございます。ポリタンクさんが教えてくださった(PHPムック名城を歩く姫路城)は、値段も600円と手ごろな価格だったので迷わず買いました。この本の中身はというと、姫路城の見所はもちろん置塩城、赤穂城、利神城、明石城、龍野城、感状山城、などの周辺の城も地図つきで紹介されています。一番最後のページには姫路城の鳥瞰復元図が掲載されています。姫路城の情報を教えてくださって嬉しく思っているのですが、今月は仕事が忙しくて土日も休みなしで仕事をしなければならないので今月は姫路城には行けれそうではありません。(泣...)だけど来年の大規模な改修工事が始まる前の3月12日までには絶対に行きたいです。姫路城の情報を提供して下さったポリタンクさん、ばんたんさん、本当にありがとうございます。インフルエンザが猛威をふるっているので手洗い、うがい等をしっかりしてください。明日も仕事なのでもう寝ます。それではまた。尾張の終わりさん、こんにちは。
私は今までこのタイプの本は見向きもしなかったのですが、あとで読み返した際に行った気になれるという
ことに気付いて買うようにしました。
紙質を落としてるのかなと1ページ目で思いましたが
それでも写真は豊富で綺麗ですし、おっしゃるように
最後のページについてる図もいいですね。
これは買い集めていこうと思います。
ではでは。
ポリタンク様
光明山城のアドバイス有難うございました。早速今日行って見学してきましたのでお礼として情報を。
実はこれの縄張図は相生市が出しているものしか知らなかったので、急いで図書館で『図説中世城郭事典 三』掲載の縄張図を入手、両者の違いの大きさにびっくりしました。林道の貫通によってかなりの遺構が破壊されております。
現地へは原付スクーターで一時間もかからずに行けましたが、石ころだらけの林道には参りました。仕方なく押して歩いたのですが、あれを車で行ったらものすごい振動になるでしょうし、駆動系がどうにかなっちゃうんじゃないかと思います。モトクロスを楽しむバイクの若者たちと出会いました。
光明山への林道へは北の矢野町から入ったのですが動物除けの柵がしてあって開けて入る形です。帰りは相生市の山手住宅側に出ましたが、全体としてこの山手住宅側から登ったほうが林道の石ころ状態が少ないです。
林道で破壊された部分を除けば、遺構は大変良く残って土塁、堀切、横堀、竪堀、そして崩落しつつある石積みが大手虎口やため池周辺にみられ、見応えがあります。
おっちゃん様
感状山城の情報を。家から割合に近いこともあって二度行きましたが、アクセスは簡単です。羅漢の里の駐車場に車が停められ、ポリタンク様がお示しのように食堂(一軒しかないのですぐわかります。観光案内所も兼ねてるようです)で縄張図つきの案内パンフレットをいただけます。登山路はよく整備されて快適、そのまま一気に上まであがる方法と、登山道から旧大手道への旧道へそれて大手口の素晴らしい石積みや井戸をみながら上がっていく方法とがあります。主郭群は眺望抜群、南の郭群の石積みは圧巻、南端の石積み虎口石段も見応えがあります。搦手口の石積みや竪堀状通路、その上の郭の井戸などがあります。城跡全体を一周する遊歩道が整備されていますが、搦手口の石積みや竪堀状通路だけは道からそれて下へ降りて行かないと見られません。
あと、かなりスズメバチが飛び回っておりました。ご注意下さい。ばんたんさん、こんにちは。
光明山城はまだ行ってなかったので大変参考になりました。
車で行くには悪路すぎるし、歩くのも大変だなと思って
いけなかったのです。
原付で行かれたんですか・・・
街乗りですが自転車を車に積んでいってみようかな
と思いました。
以前知り合いが行っていた時のことを聞いてますと
かなり破壊されてしまっているとのことでしたが
それでも見ごたえは十分ありそうですね。
楽しみです。
ありがとうございました。
感状山城には実際に行ったことがないので、管理人様が城跡めぐりでお書き
になっているような臨場感のある情報はないです。申し訳ありません。
耳年増な情報としては、羅漢の里にある食堂か何かで縄張図を含めた詳細な
パンフレットを入手できるようです。No.1806でリンクを張ってご紹介した
Webサイトや、「お城の旅日記」というWebサイトでそのような記載を見ました。
荒木村重がメジャーと書かせていただきましたが、おっちゃん様のように
「好きな」と書かれるほど情熱を持って知っているわけではなく、大阪の
北部に住んでいる関係で何かと名前が出てくるのです。歴史好きな職場の
上司がたまに荒木村重の話題をされることもありますので。私の場合は、
荒木村重に絡むところで訪れたことがあるのは、池田城、花隈城、諏訪山
陣所くらいのもので・・・。しかも、花隈城はルミナリエを見に行ったら
たまたま歩いていた、諏訪山陣所はビーナスブリッジに夜景を見に行ったら
そこが(何の痕跡もないようですが)城跡だったという気合いのなさです。
(しかも、諏訪山陣所って敵側やん・・・)
こんないい加減な私ですが、こちらこそ宜しくお願いいたします。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、いつもフォローありがとうございます。
たしか資料は、登城口のところにポストのようにして
置かれた箱の中に入れられたものを自由にとっていいようになっていたはずです。
少し前に行きましたが、久々に登るとまた印象がかわっていて面白いですね。
(きっと私の見るところがかわってきているのもあると思いますが)
ポリタンク様
11月21日の情報ありがとうございます。都合をつけて参加したいと思っています。次回、感状山城に行く予定ですが何か情報をお持ちでしたら教えてください。
村重をメジャーとおっしゃる方がおられるとは思いませんでした、今後とも宜しくおっちゃんさん、
感状山城の件では出遅れてしまいまして、すみません。
荒木村重は同じ兵庫県内の城に居城があったこともあり
結構興味がある人物として注目していました。
メジャーかと言われると・・一般には違うかもしれませんかもしれません。
岡山市御津矢知の山城訪問。
「矢知古城」の東南の墓地入口に駐車。墓地の上から直登
する。踏み跡が無い。倒木を避けながら二つの出丸を通過。堀切を通り主郭に至る。下りは来た道を引き返した積りが、行きすぎて南側の谷を下りる。竹やぶに平坦地。根小屋か。
山道に出たのでそのまま進み権現橋の北側の墓地に出た。
そのまま歩いて西側にある「ぢとう城」に向かう。家と家の間の路地から墓地に登る。浦上氏の墓地。墓地は段々になっており、郭らしい。墓地横に二連竪堀。切岸を登る。虎口、土塁、帯郭、櫓台。その北側に図書「御津の山城」に書かれていない堀切、長郭。
一旦南側の道路まで下りて、50mほど西側の池の西側を北に上る。「大烏帽子城」の南出丸に向かう。半分墓地になっている。ここまでは歩道。ここから北にやぶこぎ。祠の郭、二段の郭、堀切、少し登って左側に削平地。出丸のピークまで遺構無し。出丸のピークの北尾根に片堀切。そのまま100m以上尾根のやぶこぎ。崩壊地、ヤブの植生がシダになる。
頂上に至るも遺構らしきもの判別できず。
先ほど訪れた「ぢどう城」の尾根続きになるから、頂上から南に遺構の存在も有りうるが、ここでギブアップ敗退。やぶくぐりさんこんにちは。
「御津の山城」もお持ちだったのですか。
私は運よく著者の方から頂けてラッキーだったのですが
あの本のようにこつこつと集められた情報はほんとに
ありがたいものですよね。
やぶくぐりさんの踏査されたものははるかにすごい
ものでしょうから、ここでの書き込みはそれだけで
すごく重要なものになった気がします。
ばんたん様>
姫路城の近況提供有り難うございます。天守の修理が始まるまでにあと1回は
訪問したいと思っています。因に、私も搦手口は好きですが、いつも帯の櫓下
石垣を見た後に正面へ戻って入城します。との四門まで下って退城せずに引き
返すといった具合です。
光明山城ですが、地図付の紹介をされているWebサイト(リンク有り)があり
ました。『日本城郭大系 12 大阪・兵庫』では「光明山よりもさらに西北」と
記載されていて方角が異なりますが、『図説中世城郭事典 三』掲載の縄張図と
地図を比較しますと、道路の通り具合から見て当該Webサイトの場所で間違い
ないようです。
マーキングのある場所が1郭で、そこから北東に延びる尾根上に2、3郭が続き
ます。1郭の南に道路を隔てて7、8郭があり、1郭の西にあるカーブの向こうに
4郭、その南のヘアピンに道路を挟んで5郭と6郭があるようです。
おっちゃん様>
荒木村重って、私の中ではメジャーです・・・
荒木村重といえば、11月21日に歴史ウォーク「戦国の城跡をめぐる:有岡城跡と
伊丹郷町」というのが現地で催されるようです。申込窓口は大阪府の吹田市立
博物館。講師は伊丹市教育委員会の伊丹城解説委員の方のようです。興味が
あればご参加されてみては。
この場をお借りして・・・
管理人様>
先の投稿を元に戻していただき、有り難うございます。
では、失礼いたします。http://www.hb.pei.jp/shiro/harima/komyosen-jyo/
>先の投稿を元に戻していただき
いえいえ、私がうっかりやってしまったことが悪いので
申し訳ありませんでした。
そういえば光明山城はまだ行ってないのでした。
今期は行ってみようかなぁ
はじめまして、楽しそうなので参加させてください。
一番驚いたのは(あなたのイメージ)に私の好きな荒木村重がいた事です。何故?ましてマイナーな村重が訳を教えてください。
本題ですが先日、姫路香寺町の恒屋城址に行ってきました。
312号溝口交差点を西に入り車で5分位の右手の山の頂上に
松の木が3本ほど生えています。恒屋城址の看板を右手に入っていくと登り口に着きます。20分くらいで頂上に着きます
前の日に村の人たちで下草刈をされたそうで大変登りやすかったです。
石垣は残っていませんが竪堀、堀切、土塁跡などが残っていて当時の姿を偲ぶ事ができます。今日はこのへんでおっちゃんさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
荒木村重がいたの私が気になっている武将の一人だったからで、なんとなく惹かれてます(^^;
恒屋城の情報ありがとうございます。
あそこはやはりすごい藪の城というイメージですよね。
少し前に「草刈りをしよう」という話も頂いていたこともあったので気になっていたのですが、もう綺麗になっていたんですね。
喜んで今日行ってきました。
前城の南側斜面に広がる畝状竪掘をみつつ、西側の藪が
綺麗に刈られていたのは感動でした。
畝状竪掘が見づらいですが、それでもよくわかっていいですね。
こんなに綺麗に遺構が拝めるとは思ってませんでした。
地元の方のご努力にはほんと頭が下がります。
もう全力をあげて恒屋城をPRするくらいはやらないと
思います。
後城の西側斜面の畝状竪掘まで拝めたのはよかったです。
おっちゃんさん、非常に新鮮な情報ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
備前赤磐市の「坂辺城」は、ホームページ「落穂ひろい」に縄張図掲載。
ヤブを登ると3の郭。すぐ上に備前焼の二宮金次郎の像。公園化されていた時の登山路をたどって主郭へ。
櫓台に祠。その先に堀切。
落穂ひろいの写真よりヤブが濃くなっている。
近くの小原の「天神山城」訪問。
頂上が神社になっているが、段々の郭が見られる。
最近、新しく道が頂上まで付けられ、かなり遺構消失。
北へ向かって、「ドイツの森」方向に右折。宿泊施設の手前に駐車。道の右にある小ピークを目指す。
「梅坂城」の頂上の主郭はかなり広い。倒木点在。
主郭の北東の斜面には最近の石材が捨てられている。
菊花峠越えて、元湯免温泉の先で右折。
八島田の「飯山城」訪問。
道が狭くなる所に駐車。堀代わりの小川を超える。
北東側の3の郭が墓地。ここから登りつくも猛烈な竹や
ぶ。レインジャー訓練になる。雨合羽を着ていてよかった。
やぶくぐりさんこんばんは。
さらに岡山県のお城攻略記録を更新中ですね。
書かれたあたりはだいたい場所がわかりますので
ぜひ使わせていただきたいと思います。
私も今週は岡山県に攻め込んでおりました。
といっても高松城関連の陣城ですので、あまり達成感が
なかったのが残念でした。
こんばんは。
尾張の終わり様、ポリタンク様へ、姫路城の最新情報を。
市民広報で見たところ、この11月14日より搦手口の通行が不可能となるそうです。との一門から四門までです。(実は自分はこの搦手口登城路が気にいっておりまして、いつも美術館にバイクを停めてそこから登っていくので残念です)
それと今週から喜斎門が修理資材運搬路になるため通行止めになります。あそこから水濠ごしに見上げる天守閣の姿が好きなのですが・・・。
修理工事そのものは来年春からですが、それ以前に資材の運び込みや建設器械の据付や準備などによって城郭東側の相当部分が通行止めや立ち入り禁止になるといいます。西の丸のワの櫓から北への部分はすでに修理工事が始まっていますが、内部の見学は通常通り出来ます。
あと、おすすめのガイドブックとして、姫路市立城郭研究室が発行している「姫路城の基礎知識」がございます。これは自分は姫路市立城郭研究室(城の北の歴史博物館の北にある図書館の二階にあります)で購入したのですが、城内売店でも売っているかもしれません。
本岡様へ。
ご返事有難うございます。自分は移動は電車でも車でもバイクでもオーケーなので、城への距離やアクセス状況によって使い分ければいいと考えます。
とりあえず姫路市、たつの市、相生市にエリアを絞って近隣の城から始めようかと考えています。行きたいと思う城のなかで家から一番近いのは置塩城かな。職場はたつの市にあるのですがそこから一番近いのは光明山城のようです。置塩城はこの前に塩田温泉へ行く途中で位置を下見したおいたので、次の休みには光明山城の位置を下見してきたいと思います。場所が分かりにくいそうですが、どなたか助言をいただけませんか。
あと考えているのは庄山城、太尾城、弥高山城、恒屋城、田野山城、矢田部城、南条山城、長谷山城、乙城、下土井城、室山城あたりです。なるべく情報を集めて準備を出来るだけやってから頑張ってみたいと思います。ばんたんさん、こんばんは。
姫路城の情報ありがとうございます。
あとあげられた播磨の山城では置塩城は先月いきました。おもわず大いちょうの銀杏を拾ってしまいまして
時間をロスしてしまいましたが。
あと今日はおっちゃんさんの情報で、恒屋城にいってきました。藪でひどかったこのお城ですが今は非常に見やすくなっていますよ。
刈った草が遺構を覆っている部分もあり、少し枯れたほうが見やすそうですのでそんなに慌てていかなくてもよかったと思いましたが、ぜひ訪れてみてください。
本岡さん こんにちは いつも楽しく拝見しています
先日 出張の谷間の定休日に 新潟県上越市の春日山城に行って来ました。
日曜日だったので 全国から観光客が大勢来ていました。
私も大手道から登りましたが 五大山城の一つに数えられるだけあって やはりすばらしいですね。
番所跡、柿崎和泉守屋敷、井戸曲輪、御成道、景勝屋敷、本丸、二ノ丸、毘沙門堂、直江山城守屋敷、甘粕近江守屋敷、三郎景虎屋敷、春日山神社、林泉寺、監物堀、と時間の都合でそれくらいしかまわれませんでしたが、それでも4時間くらい歩いたと思います。
今度は東城、お屋敷、高田城、福島城跡も見たいと思います。
本岡さんは 春日山城には何回行きましたか?野間 祐さん
ご無沙汰しております。
本岡です。
春日山城も大河の影響で人が多かったのではないでしょうか。
懐かしいなと思いながら読ませていただきました。
私は残念ながら1度行ったきりです。
遠方、特に北のほうはなかなか行きませんので
苦手エリアになりつつあります(^^;
またどこかお城に行かれましたら、勉強させてください。
それでは。
尾張の終わり様>
姫路城ですが、今年に入ってからの発行で次のような書籍がありますので、参考に
なるかもしれません。
「改訂版 世界遺産 姫路城遊歩ガイド」(神戸新聞総合出版センター)
「新版名城を歩く 1 姫路城」(PHPムック)
「名城をゆく 2 姫路城」(小学館101ビジュアル新書)
小学館のものは12月発売予定です。実は、他の2冊も私自身は読んでいませんので、
中身は存じません・・・。小学館のものは以前刊行されていた「週刊名城をゆく」を
持っていないので、一応買うつもりです。
あと、古書でしか手に入らないかもしれませんが、「姫路城の話」(社団法人姫路
観光協会)を読まれることをお勧めします。
個人的に好きなのは次のとおりです。
・帯の櫓下の石垣
・るの門
・姫路市立動物園から眺む天守群(管理人様Webサイト内に写真あり)
・男山配水池公園から眺む天守群
あと、修理も始まりましたので、見学不可な場所や時期も押さえておかれたほうが
よろしいかと思います。
では、私はこれくらいで退散いたしまして、他にも情報が提供されることを期待いた
します m(_ _)m
来年の3月12日までに憧れの姫路城に行こうかと思いますが、何かお勧めの場所とか姫路に来たらこれは絶対に食べたほうがいいと思うご当地グルメなどがあれば教えていただければ助かるのですがどうでしょうか?
管理者様>
> お二人ともがそろって自ら削除されるとは思えませんし
私のものは私自らで削除しました。気を遣わせてしまって申し訳ありま
せん m(_ _)m
書き込んだ後しばらくたってから覗いてみたら、尾張の終わりさんの元
投稿がなくなっていたので、私の書き込みが脈絡なく浮いてしまっていた
ので・・・
私の書き込みは姫路城のスポット情報というよりは書籍の紹介に偏重して
いましたので、尾張の終わりさんの元投稿趣旨に沿うかどうか怪しいですが、
復活してもらっても構いませんです。
尾張の終わり様>
スズメバチの恐怖といえば、何故か先週来から私の家のドアにスズメバチが
いました。2日たっても立ち去らないので、業務用の殺虫剤を用意したの
ですが、殺気を感じたのかその日以来姿を見せません。市街地でもまだ活動
しているようですので、山城ではご用心下さい。
では、失礼いたします。ポリタンクさんもほんとにすみませんでした。
やっちゃいました。
せっかくレスいただいたのに失礼なことをいたしました。
実は昨日、最新情報をお届けしようと姫路城を目指そうと
しましたが、なんとなくやめました。
そのあと雨がふってきたのでなんとか濡れずにすみました。
姫路にはちょこちょこ行っていて、写真もためているのでまた追記したいと思います。
はじめまして。ほぼ半年前に姫路に越してきました。
中世城郭に興味がありますが、今までずっと姫路城ばかり行っていたので兵庫県の中世城郭はまだ感状山城しか行っておりません。とりあえず図書館で資料集めをやっていますが、さすがに「お城の博物館」と言われる県だけあってびっくりするような城の数と内容と、膨大な資料類です。どうしたものか・・・。貴サイトの兵庫県の城の数にも圧倒されています。
ところで姫路をベースにすると、だいたい西播磨と但馬あたりまでは簡単に行けるのでしょうか。資料を読むと赤松氏の名前がよく出てくるので、赤松氏についても勉強する必要がありそうです。
同じような初心者の方がおられるようでしたらサークルとかチームを組んで取り組んでみたいと思うのですが・・。ばんたんさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
ばんたんさんの移動手段は車でしょうか?
電車移動をご質問されているのでしたら、但馬には播丹線、西播磨には山陽本線、赤穂線、姫新線などがありますのでそれなりに行けると思いますが、やっぱりしんどいですね。
ただおっしゃるように数が多いので駅から遠くないもの
を攻めていくだけでもかなり稼げますよ。
ばんたんさんがどのようなものを考えてらっしゃるかわかりませんが、県内ではたまにどっぷり藪こぎしたり、飲み会で集まったりする城好きが何人かいらっしゃいます。
またここに書き込んでくださるかもしれません。
ではでは。
本岡さんに間違って書き込みを削除された尾張の終わりです。本岡さんほどの人が間違えるとは、弘法も筆の誤りというものですね。ブログの書き込みをしていたらこういうこともあるんですね。話は変わりますが、姫路おでんの情報ありがとうございます。今度行くときにはぜひ参考にいたします。それと、11月に入りもうスズメバチの恐怖もなくなる事と思いますので一乗谷城跡や古宮城跡に挑戦してみてはいかがなものでしょうか?一乗谷城跡は、疲れるとおもいますが、二つとも素晴らしい遺構を残しているので見ごたえは充分にあるとおもいます。それではまた。尾張の終わりさん、このたびはほんとに申し訳ありませんでした。
11月になりましたので、いよいよ活動を開始する時期ですね。
先に片づけないといけないものがずっとなくなってくれないのが頭の痛いところなのですが、一乗谷城は検討しています。
古宮城はちょっと自力だと行きづらいので、いろんなタイミングを見計らって・・
ところで書き込んでいただいているURL(お城マーク)
は尾張の終わりさんが考えられているページが見えているのでしょうか?
本岡です。
ひょっとして私がうっかりこの書き込みの前のお二人の文章を削除してしまったかもしれません。
まさかお二人ともがそろって自ら削除されるとは思えませんし(そんな内容でもなかったし)、これはきっと私がやっちゃったんですね。
ほんとに申し訳ありません。
元に戻せるのですが、その前に万が一ご自身が削除された可能性もゼロではないのでご連絡とお詫びの意味で書かせていただきました。
ちなみに姫路といえば、姫路おでん。
姫路駅地下にある「灘菊」さんは姫路おでんとお酒が昼間から楽しめるいいお店です。
お城についてはのちほど・・尾張の終わりさん、ポリタンクさん
このたびはほんとに申し訳ありませんでした。
以前にも1度今回のような疑いがあって、悩んだことがありました。
即削除しないといけない書き込みの対処の際に誤ったものと思われます。ほんとにすみませんでした。
兵庫の山城行きたいですね。
さて、「美作・神楽尾城」の本丸のワラビが刈払われ歩きやすくなった。
三の丸南の土橋先の郭も伐開。三の丸土橋、武者の道駐車場(石碑建設中)、石仏峠駐車場で囲まれた三角地の郭群に入りやすくなった。
この付近には他にも郭群が隠れている。
伐採されるのを期待。
やぶくぐりさん、こんばんは。
兵庫県の山城でしたらお話もしやすいですので、ぜひお越しいただいて、また教えてくださいませ。
神楽尾城もどんどん見やすくなっていくのですね。
変わっていく過程を何度か訪問して、その様子を愉しむのもいいものだと思います。
うーん、しかし岩屋城周辺にいつ行こうかと思いながらなかなか予定がたちません。
「お城めぐりしよう」から飛んできました。
たくさんのお城を巡っていらっしゃいますね。
参考になりました。
ありがとうございました。ひらりんさん、書き込みありがとうございます。
あまり親切な書き方をしていないかもしれませんので
もしご興味のあるお城がありましたらおっしゃってください。
それでは。
みなさんは、山城跡を登るときに何かおまじないみたいなことをしていますか?僕は、山城跡を登るときは、必ずその城跡がある山に向かって両手を合わせて目を瞑りお祈りをして安全祈願をしてから登ります。いくら人が来られやすいように整備されているとはいえ、自然の中に入るのですから、それ相応の心構えをしなくてはいけません。安易な気持ちや傲慢な態度でいくと、必ず報いを受けます。なにせ、熊や猿などのいる山というのは、神様が住んでいると聞いたことごあったからです。よく考えてみれば、我々は、よそ様の家を土足で勝手に上がりこんで歩き回っているようなものです。だから、僕は山城跡のある山に登るときはお邪魔しますという謙虚な気持ちで登ります。無事に何事もなく家に帰りたいですからね。何か説教じみたことを言っているみたいでスミマセン。それではまた尾張の終わりさん、こんにちは
そのお気持ちよくわかります。
私も山に行く際は「入らせていただく」という思いは
強く持っています。
地主さんへの感謝、神様にはあまりやりませんが、祠や
お墓には手を合わせます。
また、極力自然を壊さないよう、枝をどかせて体が入るだけの場所をつくって通ったり、クモの巣も必要以上に壊さずできるだけ避けたりしています。
これが何になるのかは別にして(^^;、やっぱり慎重に行動することが結果的に怪我のない山歩きにつながるのでしょうね。
でも行きはこれでよくても、帰りにクモの巣の餌食になってしまうことがあります(^^;。
皆様、書き込みありがとうございます。
かなりテンパっておったこともありなかなか時間がとれませんでした。また返信したり更新したりしようとする前に
寝てしまってたり(-_-;;
先週は篠山市内の山城をいくつか攻めてみましたが、もう
すっかり山城シーズンだなと感じました。
できるだけ新しめの更新をしていきたいと思いますので
よろしくお願いいたします。
といって、ものすごくストックがたまってしまってるんですが(^^;テンパってたものの1つにこれがあります。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_090927202600_1.htm
なかなか大変ですが、充実したものになるはずですので
もしよかったらお越しくださいませ(^^;
あとさらにもう1つ一番しんどいものを抱えているのですが、近々発表させていただくと思います。
先週の日曜日に、久しぶりに観音寺城へ行ってきました。安土城もあわせて訪れようと思いましたが、映画火天の城の影響で安土城周辺は人や車でごったがえしていたので安土城訪問はあきらめました。石寺楽市の駐車場に車を停めてそのまま石寺地区から観音寺城へ向かいました。居館跡に立ち寄りしばらく見て周りながら大手道の石段を登って目的地を目指していきました。城内にある観音正寺にたどり着き昼食も兼ねて休憩してお寺で御参りをしてからむかいました。淡路丸跡、権現見付、そのとなりにある石垣遺構、など観て回りながら本丸跡に辿り着きました。本丸跡にある食い違い虎口、太夫井戸、などの遺構を時間をかけてたっぷりと観て回り、平井丸、落合丸、池田丸、さらに山頂まで行って沢田丸、三国丸も観てきました。あと、発掘調査で新たに見つかった三の丸跡らしきものも見てきました。今回で八回目の訪城になりました。小谷城と同じ数になりました。だけども観音寺城は、あまりにも広すぎるので凄く疲れました。今度行くときは居館跡から池田丸に続くと言われている大手道から行きたいと思っています。それではまた。尾張の終わりさん、こんにちは。
観音寺城は少し前に全国山城サミット安土大会をやっていましたね。
私はその直前に西側の桑実寺さんからあがってみましたが情けないことに筋肉痛に(^^;。
山城シーズンがいよいよはじまります。
体を鍛えなおして楽しみましょう。
ではでは。
秋の山城シーズン開始。
朝8:30に山城会員と赤磐市茶臼山城の駐車場で待合わせ。
一路、美作市大原地区に向かう。
最初の赤田の「井口構」は道横の石垣。
川上の「寺坂城」は霊山寺の裏。寺に車を置かせていただきお参りしてから登る。
すぐに郭、切岸、虎口、広い主郭。街道を見下ろす。
大原の「竹山城」は自動車で登れる。駐車場の横に本丸。
公園化された部分から尾根に入ると二つの峰に郭、竪堀。
ここと、「小原山王山城」は、この地域の主な城郭。
「小原山王山城」は東粟倉方面に入り、鉄道線路を潜ると左に大原神社。
ここに駐車して登る。
縄張図では城郭周囲の75&に竪堀が巡る。登山道を30分で
堀切、土橋、切岸、土塁、郭群。
石の標柱から後城に向かう。三重堀切。後城の先には戦争中の聴音機のあった円形のコンクリート構造物。足守の鍛冶山城にもこれと同様の遺構がある。
一旦降りて、北隣の「八幡山城」に向かう。
ここも神社の裏から登る。
堀切、切岸、郭群、堀切、郭とその先の平坦地。
コンパクトにまとまっている。
西粟倉の「佐淵城」は尾根側に三重堀切。
舗装道を登るも倒木二か所。
郭には、あやしげな建物。
一時、公園化されたが、最近は手が入っていない。
ここで、温泉に入る予定を急きょ変更。
「利神城」に向かう。「殿屋敷」を見て登る。危険な石垣があるので主郭登頂は中止。
すごい石垣。
15:30に集合場所に帰着。
やぶくぐりさんこんにちは。
大原あたりは場所がわかりますから大変参考になります。
小原山王山城、佐淵城などは気になってました。
駐車ポイントと登城口の情報はほんとありがたいですね。
私もできるだけ意識して書くようにします。
岡山の気分転換にたまには兵庫の山城にもお越しくださいませ。
吉備の中山登山のついでに岡山市街地の城館跡地の「高柳城」「上中野一丁目の城」を訪問。
どちらも遺構見当たらず、完全に市街地化。
これで岡山県内555城(城・館・屋敷・台場・陣屋・土居・物見・狼煙等々)訪問。
残念ながら、遺構が有ったのは半分程度。やぶくぐりさん、岡山県内555城の快挙
おめでとうございます。
すばらしい功績だと思います。
そのほとんどがまだWebにあがってない情報でしょうから、実に貴重な情報ですね。
私は今シーズンで岡山県の城100は行きたいなと
思ってます。
「姫路城の修理が始まった」という新聞記事を読み、姫路市のWebサイトを覗いた
ところ(リンク有り)、しばらくすると搦手の見学が面倒になりそうだったので、
昨日、急遽姫路城に行ってきました。今年3回目の訪問です。連休中ということも
あり、城内は一方通行でしたが、それなりに堪能してきました。
一応のお目当ては、人ごみを理由に今まできちんと写真撮影していなかった登り
階段の扉(下り階段は昭和の大修理の際に追加されたものなので扉がない)です(笑)。今回は明るいレンズを新調したお陰で何とかいくつかは撮影できました。
(フラッシュを使うと雰囲気が変わるので原則使いません。)
西の丸では一部別件らしき櫓の工事をしていました。渡櫓群の中には通常どおり
入ることができます。なお、天守入場は30分待ちで、中は渋滞・・・。とほほ。
では、失礼いたします。
追伸:管理人様
> 丸亀といえばうどんですが、食べられました?
いいえ、というか、時間節約のために昼飯はとらず、コーラで水分と糖分を補給
しただけです(泣)。今回の姫路城も同様に昼食はとっていません。姫路城の
場合は有料区域に入ったら食事はできませんので、食べようにも食べれませんが
・・・(いつも行くと4-5時間は区域内を徘徊しますので、昼飯時には飯がなし。)http://www.city.himeji.lg.jp/s70/2845684/_11311/_17982.html
ポリタンクさんこんにちは。
駆けこみで姫路城の人気が高まってますねぇ。
8月に2回いきましたがそのときから西の丸の工事の足場を組み始めていました。
しろまるひめに会いたいんですが(笑)、ひょっとして
着ぐるみとして徘徊してたりしてませんでした?
おっとそういえば先月も姫路にいったのでしたが(笑)、姫路おでんうまかったですよ。
今まで各地のお城に行ってもコンビニで手軽なものを
適当に買ってましたが、近頃は名産とか有名なものを
食べようと思うようになってます。
なかなか城攻め優先だと難しいので、コンビニで売って
くれないかなとも思いますが(^^;
本岡さん。こんばんは。尾張の終わりです。先月の23日の休みの日に、国吉城訪問の帰りに、滋賀県湖北町にある小谷城戦国歴史資料館に立ち寄りました。前にも言いましたが、そこの資料館の人とは顔見知りで、世間話をする間柄です。(^¥^)館内に入ろうと入館料を払おうとしたら、いいのよ、いいのよ、と言って無料で入らせてくれました。この前来た時は、まだ僕が前勤めていた会社が廃業していて、就職活動していたときでしたので、そのイメージがあったのでしょう。僕が、7月の下旬から働いていますと答えたら、すごく喜んでくれました。(^0^)しばらくの間その人と、いろいろ話をしていて、再来年のNHK大河ドラマの主人公が浅井三姉妹の一人お江の方だと言っていました。館内の入り口付近を見渡していたら、再来年の大河ドラマ関連の記事が載っていました。ドラマのタイトルも江姫たちの戦国と決まっているそうです。(龍馬伝も始まっていないのに天地人も終わっていないのになんか早いなあ〜。)そのあとは資料館の中に入り館内にある浅井長政、お市の方像を見ていました。この浅井長政、お市の方の肖像画は、僕が小谷山に登るときに必ず見ていくものです。二人の肖像画の前に来たら、手を合わせて目を瞑り安全祈願をしてから小谷城に向かいます。一乗谷城に行くときも朝倉義景像の前でも同じことをします。そのあとは、別館のほうで最近出来た小谷城跡の模型を見ながら中にいる資料館の人と、歴史のウンチクを語っていました。そうしていたら、僕の後ろから男の人がきて資料館の人と色々と話をしていました。5、6分話をしてからその場を立ち去ったあとに僕が資料館の人に聞いてみたら、その人は再来年の大河ドラマのチーフプロデューサーだったそうです。(間違っていたらゴメンナサイ)とにかくここに来たらすごくいい思いをするなあ〜と思いました。またも話が長くなってスイマセン。(城跡の話もなかったし)それではまた。尾張の終わりさん、こんにちは。
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が決まりましたね。
また人気どころの武将も多くでてこれますし、もりあがりそうですね。
プロデューサーさんも今から準備されているんですか。
小谷城はますます熱くなっていいですね。
あ、その前に高知かな。
ご丁寧なレスをありがとうございます。
「おかやま全県統合型GISシステム」、確認致しました。
こんな便利な物があるとは存じませんでした。
仰せのとおり、金山周辺は金山城跡として
埋蔵文化財に登録されていますね。驚きです。
宝物を発見した様で、大変嬉しく思います。
あの石碑は現在も登録・保存等はされていない様子ですが、
学芸館高校の体育館を新設した際に
裏山から無造作に土砂を捨てていたのは
高校の私有地だからかもしれませんね。
これからは地元の人に、
金山が城であった事を積極的に伝えて参りたいと存じます。
こちらでお伺いして本当に良かった。
これからも城めぐ.COMを応援させて頂きます。
管理人様、ありがとうございました。
ご丁寧にありがとうございます。
金山の事は何処でどう調べたものかと悩んでおりましたが、
文献が存在する事を教えて頂き、大変有り難く存じます。
埋蔵文化財センターもチェックしてみますね。
今回、地元の人間にもほとんど知られていない
埋もれた城が存在するという事実に
歴史の奥深さ、伝える事の大切さを感じました。
件の石碑はかなり大きな物で、誰かが掃除しているのか
正面は草が刈られ小さな広場の様になっておりました。
ただ、史跡として登録されている様子も無く
裏山の学芸館高校の工事の土砂が背後に迫っていました。
それももう20年前の事ですので、
今はどうなっている事やら…。
私の先祖は円山城の人間なので
金山に直接の関わりは無いと思いますが、
あの山には不思議な愛着を感じております。
確かに西大寺をを見渡せるあの位置は
出城としても悪くなく、西側の切り立った崖も要害として
機能していたのではないかと思わせます。
伯母は毎年八幡宮にお参りしておりますし。
何か関係があるのかもしれません。
もし何か発見がありましたら、ご報告させて頂きます。
ポリタンク様、本当にありがとうございました。
そして管理人様、こちらで不躾な質問を致しました事、
何卒ご容赦下さいませ。
この金、土曜日で城巡りをいたしました。
1日目の午前中は備中松山城。平日なので鞴峠まで車で行くことができ
ました。石垣、天守等を堪能しました。二重櫓の落書きも堪能・・・、
って、阿呆かっちゅねん。姫路城の百間廊下も心無い者共のために来年
4月からちょっと制限がかかりますし、いい加減、この手合いのことは
止めていただきたいものです。大松山城には調査しているっぽい掘り
おこしがありました。後で本丸受付の方に尋ねたところ、確かに調査中
だそうで、調査後に何か作るかもとか何とかおっしゃっていました。
切通掘切にも行きましたが、そこでスズメバチらしきものに遭遇。取り
急ぎ現場写真を撮った後すたこらさっさと逃げるように帰りました。
麓のお寺も幾つか見学。話には聞いていましたが、まるで城ですね。
1日目の午後は岡山城。後楽園を含めた県内屈指の観光地だけのことは
あり、平日とはいえ備中松山城よりも観光客は多かったです。管理人様が
おっしゃっているように時代による石垣の違いや現存する櫓を堪能しま
した。西の丸西手櫓には、入口付近にひっそりと櫓の説明チラシが用意
されていました。紙の色が2種類ありましたが、内容は同じです。『歴史
群像 名城シリーズ』では外観等の相違点について辛口な検証がなされて
いる外観復元天守・塩蔵ですが、ないよりはあった方が風景としては絵に
なっています。
2日目の早朝は庭瀬城と撫川城。神社の前の公園のような場所に「庭瀬・
撫川案内板(吉備・陵南 歴史と文化の散歩道 Aコース)」があり、
各種散歩道コース(リンク有)を紹介したチラシが用意されていました。
積んできた折畳み自転車をチラシ片手にこきこき。城趾や周辺の雰囲気を
堪能しました。
最後に丸亀城。当初予定外ですが、ETC休日割で瀬戸大橋が安いので急遽
変更しました。目の当たりにした総高日本一の石垣は圧巻です。折畳み
自転車を同行させましたが、少々お荷物になりました。同一高の平面
移動には重宝したのですが、登りは押すしかありませんし、下りは怖くて
乗れません。天守は小振りながらも良くできているなあと思いました。
各段の石垣を堪能し過ぎて、予定出立時刻を超過・・・
一部を除けばバリバリの観光地ばかりを巡りましたが、個人的には満足
できる小旅行でした。時間の制約で訪問地近辺の城へは行けなかったのが
唯一の心残りですが、楽しみを残しておいたのだと前向きに考えます。
では、失礼いたします。
追伸:管理者様
安土城で人が多かったのは、映画「火天の城」が一役買っているのかも
しれませんね。
追伸:孫之允様
管理人様宛の内容にも拘わらず、書くことをご容赦ください。先程たま
たま岡山県に行っておりましたので、ふと気になって手持ちの書籍を
見てみました。八幡山城(金山城)の所在についてですが、正確な位置
ではありませんが『日本城郭大系 13 広島・岡山』と『探訪ブックス
日本の城7 山陽』に「岡山市西大寺金山」と記載されています。ただ、
内容(といってもごく短文)としては後者が前者を参考にしているような
気がします。前者は図書館にあると思いますので、その中の「岡山県
文献・史籍解題」に列挙された参考文献に当たると見つかるかもしれま
せん。石碑があるのなら行政が情報を把握している可能性がありますので、
岡山市埋蔵文化財センターとかですと詳細な情報を得ることができるかも
しれません。文献に当たる前に照会される方が効率がよいと思います。
『日本城郭大系』にも稀に誤りがありますが、それに掲載され、その地に
八幡宮があったら、私は「ああ、城跡か」と思い込んでしまいます(笑)
ご所望の情報ではなく申し訳ないですが、私が書く事ができるのはこんな
感じです。http://townweb.e-okayamacity.jp/kibi-r/hike/index.html
ポリタンクさん、岡山、香川城攻め旅行お疲れ様でした。
大松山城は調査中でしたか。
今後なにか手を入れる計画があるとしたら想像つかないですね。興味をもってチェックしておかないと。
丸亀はいつのまにか動物園が閉鎖になっていたようですね。今は放置状態かもしれませんが整備されて城跡の一部として復旧されたり、そういえば来年は櫓の古写真募集の締め切りでしたっけね。
丸亀の隅櫓や多聞が復元される可能性があるのか、これも結果がでるのを楽しみにしてみます。
丸亀といえばうどんですが、食べられました?
私はなかなか城ばっかりに気がいってしまい、もっぱら
コンビニで面白くないです(^^;
八幡山城の情報ありがとうございます。
城郭体系のうしろのほうに書かれている程度の内容では
なかなかさがしあてるのも大変ですし、いけても詳しい
情報が入手しづらくてサイトにあげるのにも困ってしまいます。資料があったのかさえ思いだせないというのもあったり・・フォローありがとうございました。
本岡さんこんばんは。尾張の終わりです。今週の23日の水曜日に、念願の国吉城に、行って来ました。今月は、仕事が忙しくて、日曜日も、半日出勤していましたし、シルバーウィークも、22日まで仕事でした。23日の水曜日の一日だけ休みが取れたので、これはチャンスだと思い、国吉城訪問を、決意しました。行く前の日の夜に本岡さんと、ちえぞーさんのサイトで、予習をしてから行って来ました(^0^)佐柿町奉行所跡に建っている、若狭国吉城歴史資料館に立ち寄ってから、粟屋勝久居館跡を見学しながら国吉城を目指し大手道を登っていたら、僕の後ろから、若い男性の方が、登って来たので声をかけたら僕にきずいて、二人で国吉城を目指して、登りました。その人は、奥さんと二人で来ていて、シルバーウィークを使って、新潟県上越市にある春日山城や、石川県七尾市にある七尾城を、見て回った帰りに、この国吉城にも立ち寄ったそうです。だけど、奥さんだけは、疲れたのか、車の中で、休憩していたみたいです。その人と一緒に色々と喋りながら登っていったら、本丸近くにある堀切や、2郭にある堀切、2郭中心部に立って周りを見渡していました。その日は、空が曇っていたけど、2郭跡から見える景色は、日本海が見えてとても、素晴らしかったです。また、2郭跡から、五木ひろしさんの経営している(五木茶屋)がよく見えました。(^_^)2郭から本丸跡へ向かう途中の道が、僕の大好きな食い違いの虎口になっていたり、本丸跡にある石垣など、結構楽しませてくれました。本丸跡につくと、土塁や朝倉軍を撃退するのに使ったとされる石仏が綺麗に並んでいました。しばらく二人で周りを歩いていると、本丸東側に、僕の大好きな虎口がありましたので、すごく嬉しくなりました。(^〜^) 国吉城をあとにして降りたあと、その人とは、別れる前に僕が、愛知県新城市作手村にある馬場信春最高傑作の古宮城跡の話をしたら、行ける機会があれば行きたいですね。また、どこかの山城跡であいましょう。と、言ってその場をあとにしました。僕はというと、資料館で休憩してから、粟屋勝久居館跡をじっくりと見学してきました。石垣、土塁、段々状になっている居館跡、などを見て回り、国道を通り、コンビニに3〜4回立ち寄り休憩しながら、家路に着きました。今度来るときは、伝二の丸や、ほかの郭跡も見て回りたいと思います。本岡さんや、ちえぞーさんのサイトを見て予習してきたつもりだけども、実際に来て見ると、初めて来るところだから、思うようには、うまくいかないですね。(...涙) 話が長くなってスイマセン。それではまた。尾張の終わりさん、お忙しい中見事に国吉城リベンジを
果たされましたね。
おめでとうございます。
整備されてかなり登り易くなっているんじゃなかったですか?(って前をご存じなかったらダメでしたか(^^;)
山城でたまに人と出会いますが、挨拶はしてもなかなか
一緒にまわりましょうというところまではいかないです。
自分のペースとあわなかったらしんどいですし、気つかいますしね。
でも尾張の終わりさんの場合はいい出会いだったようで、よかったですね。
それにしても五木茶屋の情報ありがとうございます(笑)。
こんど前を通らねば。
それでは。
真庭市月田の「三堂城」は居館と山城のセットとの情報を得て概略図を握り、丘の先端の坂道を登る。切岸、土塁、広い郭がある。二重堀切を通って山城に突入。林道がある。横に主郭、山奥に向かって郭が連続。さらに進む。林道から植林地の境の山道に入る。山頂に「後山谷城」。土塁、切岸、郭が三つ。更に次のピークに進む。平坦地。作業道から林道を下って、三堂城の連続する郭を谷の向こうに見て進む。材木置き場へ。そのまま三堂の集落。
次に、「鳶乃森城」。大きな神社から製材工場の横を通って林道を進む。途中に駐車。果樹園らしき辺りが二の丸の平坦地。ほとんど破壊されている。更に登ると作業道の終点。登りつくとすぐ切岸、主郭。陣城らしく簡単な構造。
別所小学校の東側が「佐引城」。地元の方に登り口を聞く。山城の存在はご存知なかったが、山名ジョウミネとのこと。
落合町史から縄張図を入手。独立した小山で全山に郭配置。
二の丸はしいたけ栽培のホダ木でいっぱい。切岸を直登して主郭へ。藪。
車に戻り、醍醐桜と岩井畝の大桜に向かう。ついでに「備中・境の陣所」の位置を偵察。
やぶくぐりさん、こんにちは。
いつもながら欲しい情報がきっちり入った簡潔な攻城レポありがとうございます。
おかげさまでここの掲示板の過去ログを見ているだけでも岡山の城情報がかなりたまってそうです(^^;
ちなみに現在、岡山の城だけでいくつくらい行かれてるんでしょうか?
私なんて全然追いつかないと思いますが、やぶくぐりさんの書きこみを参考にさせていただき、岡山攻めをしたいと思います。
管理人様
はじめまして。突然のご無礼をお許し下さい。
岡山市の「八幡山城(金山城)」についての質問です。
管理人様は金山を城址として扱われておいでですが、
西大寺出身で地元に30年近く暮らした私ですら
あの山が戦国期に城だったという話を
一度も聞いた事がありません。
私の知る金山(かなやま)には
西大寺小学校と学芸館高校(金山学園)
及び金山八幡宮が在り、
残り半分はカネボウの社宅となっておりました。
(昭和の話です。現在は分譲され住宅地になりました)
管理人様も通られた北側の大鳥居から
山頂の八幡宮に向かう道とは別の道から
管理人様のご覧になった南側に一段下がった削平地を
更に進んだ先には、かつて紡績で財を成した
鐘紡の(おそらく管理職クラス用の)そこそこ立派な社宅が
(コンクリの城壁の様な造りの山壁の上に)数軒並び立ち、
平地に広がる長屋タイプの安い社宅を見下ろしていました。
それは当時子供だった私に
「城址」をイメージさせるに充分なもので、
親にも興味津々に「金山には昔お城があったの?」と
何度も聞いたものです。
ですが地元で生まれ育った昭和一桁生まれの父も伯母も
昔からそういった話を
全く聞いた事が無いと申しております。
私が西大寺小学校に通っていた頃、
裏山には何度も登って隅々まで探検しました。
そこには一見しただけでは城とも思える
尋常〜市立小学校時代の石垣や
石造り(?)の溝らしき遺構と、
自分には読めない字体で彫られた巨大な石碑が在りました。
(高さ10メートル前後の比較的新しい綺麗な物でした)
(木々に覆われ、麓からは滅多に見る事が出来ません)
金山八幡宮横の小鳥居を潜って正面の竹薮を
(無理して)抜けた辺りにそれは在るのですが、
その石碑についても私の身近にその謂れを知る者がおらず
未だ謎のままです。
また天正9年の毛利氏による備中忍山城侵攻の際に
宇喜多忠家(春家)が金山城で(伊賀氏と)戦った
と言う記述がネットでは多く見受けられますが、
主戦場の備中忍山城はもとより、
毛利方・伊賀氏の虎倉城(御津町)、
伊賀氏が陣を敷いたという勝尾山(御津町)からは
西大寺は距離的に遠過ぎる様に思えます。
(背後を襲う為に遠征したのかも知れませんが)
私の家系は宇喜多の旧臣で、
関が原後も西大寺で代を重ねておりますが、
円山城や乙子城の事は知っていても、
「金山城」の話は全く伝わっておりません。
そこでもし宜しければ、
備前金山城の正確な位置を示す文献などの
ソースをお教え頂けませんでしょうか?
実家のすぐ傍に先祖が属した城があったとすれば
とても夢の有るお話なので…。孫之允様、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
地元の方が反応してくださるのはWebに公開していて
よかったなぁと思う1つです。
ちょっとお待ちいただけませんか。
とりいそぎその存在については
おかやま全県統合型GISシステムでもわかります。
一度ご確認ください。
ただ、私が書いた元となったものは別だと思いますので
資料を探してみます。
本岡です。
今日は久々に安土城と観音寺城にいってきました。
安土では想像以上の人の多さにびっくりしましたよ。
観音寺城は、桑実寺経由で登ったのですが疲れました(^^;
本城でしばらくぼーっとしてましたが、風が通りすぎるのと
時折どんぐりが落ちる音しか聞こえません。
贅沢な時間でした。
小谷城まで計画していたのですが、やっぱり時間的には無理でしょうね。で、城ウィークの後半は 伊予攻めでした。
天候がいまいちでしたので、予定していたところを
回りきれませんでしたが、半日かけての松山城や
湯築城、今治城などのほかに台場もいけて満足な
お城旅行でした。
本岡さんこんばんは。尾張の終わりです。僕は、去年の三月から今年の七月までに小谷城を八回も訪れているのですが、よく人に会うのですよ。この前も追手道から登り、真柄峠を通り金吾丸周辺にある小谷城跡案内看板に着いたら自動車で登ってきた人たちと会って話をしていたら、意気投合して一緒に小谷城を見て回りました。こういうことが四回ぐらいありました。(笑)。去年の四月に行ったときは、大ズク城跡で、百円玉を拾いました。(ラッキー!)。まとあるときは、小谷寺の住職の奥さんから、小振りだけども、新鮮なタケノコを、ビニール袋いっぱいにもらいました。(ヤッター!)。あと、小谷城に来ると、小谷城戦国歴史資料館に、いつも立ち寄るので、資料館の人達からも、顔や名前も覚えられてしまいました。(^|^)。こんなことを言うと笑われるかもしれないですけど、僕は、小谷城のヌシになってしまったのではないのでしょうか?。それでも、小谷城に行ける機会があれば、また行きたいと思います。それではまたお元気でさようなら。尾張の終わりさん、こんばんは。
なんと小谷城のヌシさんでしたか(笑)。
ぜひとも一度ご案内いただきたいです。
最近は昔行った有名どころを再訪しながら写真の撮り直しもしていまして、小谷城はぜひ隅々まで見て歩きたい
とおもっております。
人と出会われたということですが、最近のブームのおかげで
小谷城にも若い女性が行ったりするのでしょうか。
私自身はあまり遭遇することがないのですが(^^;
雲一つないドライブ日より。
高松城水攻め毛利の陣の庚申山の西麓にある「赤浜城山城」を訪ねる。
四角な盛土の方形居館のよう。宅地や畑になっている。
次に、高梁市中の村の「馬の城(まんじょう)」の北東の高梁市中筋の「八幡宮の館」。
県道脇に駐車して進むと尾根の鳥居横の郭と尾根先の神社の郭が土塁にかこまれている。
新見市(旧哲多町)田淵の「荒戸山城」は玄武岩の釣鐘状残丘。登山道が整備され、山頂には展望台。
削平は甘い。よく見ると切岸が廻っている。南に狭い帯曲輪らしきもの。
荒戸山の南東麓の「馬酔木城」はキャンプ場になっている。
広場造成で破壊された土塁の残る郭、堀切、キャンプ場の郭と続く。
やぶくぐりさんこんばんは。
山城シーズンももうすぐですね。
今シーズンは備中高松攻め関連と、美作岩屋城関連を
めぐってみようと思っておりますのでありがたい情報です。
訪問がかないましたら、早めにアップするか、こちらで
ご報告させていただきます。
これからの季節のご活躍も楽しみにしております。
福井県美浜町にある国吉城を攻略したいと思うのですが、なにか、いい情報とかないでしょうか?今年の1月の半ばあたりに、行ったのですが、時間の都合上、国吉城に、凸(とつ)できませんでした(トホホ)そのかわり、国吉城を管理している団体の人から、国吉城に関する資料が載った無料のパンフレットをもらいました。(ラッキー)あと、その時は、資料館の建設中だったので、粟屋勝久屋敷址は、遠目での距離でしか見ることが出来ませんでした(ガックリ)今度再挑戦する時は、二つとも攻略したいと思います(ヤッテヤルゼ!)それと、国吉城址は、猿とか出るのでしょうか?猪避けの電流が流れる金網の門がありましたけど、大丈夫でしょうか?なんか怖いな〜それではまた。尾張の終わりさんこんにちは。
国吉城には、若狭国吉城歴史資料館が出来てたんですよね。
私が行ったときは整備中でしたので自由に散策できましたが、
尾張の終わりさんが行かれた時はちょうどタイミングが悪かったんじゃないですか?
あの金網は外せるところで、出入りできると思いますが
可能でしたら地元の方に確認されたほうがいいと思います。
まさか今でも入れないことになっているとは思えない
のですが、上記資料館に電話していただいてから訪問
されるのがいいでしょうね。
がんばって行ってきてください。
東京へ出かけたついでに、「深大寺城」を攻略。
深大寺の門前町で「そば」を食べる。ずっと期待していた味。水生植物園を通り深大寺城へ。水生植物園で「かわせみ」の出迎え。
幸せな気分で土塁、郭をめぐる。背広なのに急斜面を横堀に降りてみる。ついでにテニスコートになっている郭も見学。
さすが国指定史跡。やぶくぐりさん、また東京ですか。
でもしっかり城に行かれていて素晴らしいです。
深大寺城は少し前にも行きましたが、有名なそばがあった
のは知りませんでした。
やはり下調べが違いますね。
実は先日行った時もぎりぎりで植物園がしまってしまいましたほどで・・・事前下調べのなさに情けなかったです(^^;
しかし美作岩屋城攻めまでにしっかりと下調べして
予習はしていこうと思ってます。
もうすぐ訪れる山城シーズン、楽しみですね。
今さらながら、飯盛山城(大阪府)へ行ってきました。晩秋になったら
行こうと思っていたのですが、むずむずする何かに耐えられず、「ハイ
キングコースだから草もましだろう」と強行・・・
飯盛山自体は何度も行ったことがあるのですが、城巡りを目的として
行くのは初めてです。見込みどおり、草は許容範囲でした、本郭北側、
本郭東側の腰曲輪、御体塚丸東側に残る石垣や、御体塚丸南側の掘切を
堪能。三本松丸から景色(個人的には本郭からより好き)を眺めながら
休憩し、その後帰路につきました。『日本城郭大系』掲載の縄張図には
三本松丸北西側にも石垣がある旨記載がありますが、容易に見ることが
できる感じではなかったので、今回は諦めました。
腰曲輪の石垣あたりで、親子のハイカーから、「何の写真を撮っている
のですか?」と尋ねられたので、「石垣です。ここは城跡ですから。」
と答えたところ、「へぇ〜!ここにお城があったの?そう言えば上に
銅像があったね。」と宣うので、「ああ、あれば楠木正行ですから、
お城とは直接は関係ありませんよ。」みたいな会話を交わしました。
この会話を機に、彼らがお城好きになることを祈ります(笑)
千畳敷や南丸は、土塁や虎口をきちんと見たいので草が枯れる時期に
再訪しようと思っています。楠公寺までは車で行くことができますので
私にはお手軽な場所です。ただし、管理人様の紹介にもあるとおり悪路
なので、車での来訪は万人にはお勧めできません。以前、下回りをしこ
たま擦り、ドライブシャフト周りのブーツを破損しました(泣)
でも、今も懲りずに車で行ってます。
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんにちは。
飯盛山城は大阪の中では見ごたえのある山城の1つですね。
実はここのお城に関してはずっと悩んでまして、ちゃんと訪城記をアップできていません。(^^;
山中をあちこち斜面を彷徨いあるいて各所の石垣を見て回ったのですが、なんか書きそびれてしまってました。
今の季節は確かにハイキングコースなら大丈夫そうな気もしますが、あそこはハイカーの方にはきっと想像もできないほど豊富に遺構が残ってますからオススメのお城です。
でも車は大切に(笑)。
本岡さんこんばんは。尾張の終わりです。先々月の新聞に、佐和山城跡の敷地内で、石田三成時代の武家屋敷跡が発見された記事を見て、いてもたってもいられなくなり、その週の土曜日に昼から行って来ました。とはいうものの、佐和山城跡は、登ったことはあるけれどその周辺はよく分からなかったにもかかわらず、佐和山城周辺をウロウロしていたら畑のほうを見ていたら、なにやら人だかりが出来ていたので行ってみたら、地元の人限定の説明会が行われていたので、僕もその輪の中に入って説明を聞こうとしたら、3分も経たない内に説明が終わってしまいました。だけど、辺りを見回してみたら、この場所が佐和山城の大手口だったので嬉しくなりました。大手口の土塁が良好に残っているのには驚きました。その後説明を聞いてた人たちや説明会主催者の滋賀県教育委員会の人たちと一緒に、発掘事務所にいき武家屋敷跡から発掘された出土品を見ていました。その中でもひときわ目に付いたのは、翡翠のような感じの壷の欠片がすごく目に付きました。その後にようやく石田三成時代の武家屋敷址に行ってきました。佐和山城の内堀の中にその武家屋敷はあったみたいです。その遺構は、縦に長く連なっていて、屋敷の支柱跡とか、門柱址や、溝等が、状態よく発掘されていました。橋状遺構や、石組遺構とかも発掘され、綺麗に残っていました。僕は、生まれてはじめて、こんな綺麗な状態で発掘された武家屋敷跡は、初めて見ました。今度は、佐和山城とセットで行きたいと思いました。また話が長くなってゴメンナサイ...あと三河100城めぐりオメデトウゴザイマス。こんどは、尾張版にチャレンジしてみてはどうでしょうかそれではまた。下の二人はナニを書いているんだ城の事と関係ないこと書くな尾張の終わりさんこんにちは。
佐和山城に行かれたんですね。
私は行けなかったのですが(確か雨だったような・・)
武家屋敷跡の現地説明会資料だけは入手できました。
最近は若い方も登られることが多いようですね。
私が行った時も必ず女性がいらしているのを思い出しました。
でも地元の方むけの説明会に参加させていただけたのはラッキーでしたね。
尾張版の100城めぐりはできそうな気がします(^^;
早朝の車の少ない時間帯にどれだけ効率よく回れるか、
昼間は少し郊外に出て渋滞しにくいエリアを集中的に
まわれるかといったところがポイントですね。
でもやっぱり事前の下調べが大変ですし、なにより
全部覚えているのかどうか不安です(^^;
「佐山環濠跡」の記事を拝見。現在どうなっているのかよく存じませんが、中央の広場は、城家(現在の双栗神社神主)の屋敷跡、周囲の道路は四囲に廻らせていた堀の跡です。
藤岡謙二郎先生の「歴史地理」には広場の図が掲載されていたかと記憶しますが、解釈できないようでした。神社は城、西、中の三神主で、小生の高祖父(信州更級郡の八幡宮の社家である小生の家の養子となった)の実家は城家の分家の西家でした。西、中は幕末に絶家となり、城家も明治に入って絶家になりました。今では土地の人も殆ど知らないだろうと思います。みやがわみちお様、書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
佐山環濠のようなほとんど知られていないものに対して
コメントをいただけると、アップしてよかったと実感します。
当時の状況ではすでによくわからなくなっていましたが
改めて地図を見ながら再訪したくなりました。
人知れず消滅していく城跡を追いかけられる喜びも再確認させていただきました。
ありがとうございます。
100城攻略達成おめでとうございます!
1日で100城、本当にやられるとは凄いですね。
わたしには真似したくても、できるものではありませんw
今度はぜいひ播磨版でお願いします。
加古川、姫路だと100いけるんじゃないでしょうか?
あと、この前はありがとうございました。
ちょっと忙しくてメールもできなかったものですから、
この場を借りてお礼を申し上げます。まるさん、こんにちは。
先日はありがとうございました。
貴重な城跡を見ることができました。
100城に関しては私はただ乗せてもらってただけですので
ほんと申し訳ないと思ってるくらいです。
播磨だと加古川の構居、三木や小野の平城へと流れたほうが数は稼げそうな気はしますね。
でも100はそうそういかないですよ。
5時から18時まで食事タイム、休憩は一切なくただ
車の乗り降りを繰り返す修行の日ですよ(^^;
地元の新聞に「岩屋城のパンフレット」を作り、地元や道の駅に配布したとのニュースが出て、早速ガンダムで有名な道の駅「久米の里」を訪問。
残念ながらパンフレットは配れないとのことだったが、代わりに山形省吾氏の「岩屋城とその周囲の天正12年の包囲戦の陣城群」(一備谷砦は書かれていない)(何度も落城しているので、他にも陣城や支城あり)の全体の縄張図をいただいた。
未訪の「とちの木砦」「的場砦」「柿の上砦」「往環の上砦」も概要が分かる。
これならGPSが無くても冬季に廻れそう。やぶくぐりさんこんにちは。
岩屋城とその周辺の陣城までPRされるとなると藪も刈られたり、見やすくなったりするのかもしれませんね。
秋に訪問する楽しみが増えました。
それと・・
>山形省吾氏の「岩屋城とその周囲の天正12年の包囲戦の陣城群
こ、これは・・!
「久米の里」の道の駅で頂けたんですか?
ぜひとも行かねば。
「戦国の空間」で予習してからと思ってましたが今回
教えていただいた資料もぜひ入手しようと思います。
ありがとうございます。
あとは「久米町史」も、かな・・
皆様、少しずつ過ごしやすくなってきてますね。
だんだんと城攻めしやすい季節になってきます。
楽しみですねぇ〜
先週は知り合いの方にご案内いただき、「三河100城攻め」をやってきました。
日の出から暗くなるまでの1日で100城を回れるかというものです(^^;
はい、たまにはこういう馬鹿なこともいいだろうという企画です。
結果は無事100城ちょうどまわることができました!!
ひとえにご案内くださった方の完璧な事前準備とナビ、運転
のおかげでして、私は何もしてないんですが・・。
おかげさまでかなり城分をため込むことができました。
いやー、疲れました。
ここは城を語るところでそーゆー話はできるだけ控えてください。島津大好きさん、お手数おかけしてすみません。
こういう書き込みは放置しておいてください。
気付きしだい消しますので。
でもほんと面倒ですね(-_-;
お元気ですか?
最近は松本城、富山城、徳島城に行ってきました!
まだまだ初心者なので、城に行くだけで満足しています(^_^)
本岡さんと近郊という事で一度お会いしてみたいです(笑)Klさん御無沙汰しております。
あちこち行かれてますね!
久々に松本に行ってみたくなりました。
そういえばKlさんとは御近所さんでしたね。
ここに書いてくださったまるさんもそうでしたし、
他にも三木の方もいらっしゃいました。
播磨だけでも何人かでオフができそうですねぇ。
金ケ谷山と朝鍋鷲ケ山の登山の帰り道に二城訪問。
「徳山屋敷」は蒜山インター管理事務所側。蒜山インターを出て十字路左折。すぐ延助で左折すると蒜山インター管理事務所方向。
管理事務所に曲がる道の反対側に看板がある。丘陵の先端を二重堀切で区画。郭群が見える。
カヤの草原なのでヘビに注意。
「日爪砦」は中福田にある。玉田川を天然の堀として南に延びる丘の先端。
ネットデーターでは丘の先端部に郭があるのみのイメージで、あまり期待していなかったが、橋の東側の説明看板から尾根に登りつき、藪こぎ少々で比高約40m程度。頂部の切岸に至る。
ほとんど単郭の城で、「こんなものか」などと思い、北側に向かうと、大きな土塁。その先は二重〜三重の堀切がある。
堀も7〜8mの深さ。堀と堀の間は土塁。折れもある。けっこう多量の土を処理している。堀に向かって虎口。
頂上の郭部は100m四方程度。
帰りに50円の蒜山大根を土産に買う。
やぶくぐりさんこんにちは。
徳山屋敷は行こうと考えていたことがあったのを思い出しました。
細かい道順に感謝いたします。
日爪砦は知りませんでしたが、相当いい遺構が残っているようですね。
うーん、要チェックなお城がまた増えました。
本岡さんこんばんは、尾張の終わりです。 暑い夏が終わり、涼しい秋がやってきます。本岡さんも、もうそろそろ、山城めぐりを再開するのではないのですか。 それなら、僕の地元愛知県新城市作手村の城砦跡はいいですよ。文殊山城、塞之神城、石橋城、亀山城、古宮城、川尻城などがあります。僕も今年の1月に行って来ましたけど、時間の都合上石橋城、亀山城、古宮城の三つしか見られませんでした。その中でも特に、古宮城跡は、すごく見ごたえがあります。城の縄張りが、甲州流という造りになっていて、 愛知県では、とても珍しい山城だそうです。 ここで言っていてもあまり解らないと思いますので、ぜひ一度足を運んで来てください。 詳しいことは、作手村観光協会まで。 TELは、05363-7-2211です。いい思い出を作って来てください。それではまた尾張の終わりさん、こんにちは。
最近は何かと忙しくなってしまい、更新が滞ってしまってますね。
申し訳ありません。
作手方面はほんと行きたいです。
特に古宮城はいつ行こうかと考えているところでした。
先週は岡崎近辺をめぐっていましたので、愛知県のお城
ストックがかなりできましたがご紹介いただきましたお城
は調べておいて、次回の愛知県攻めの参考にさせていただきます。
ありがとうございました。
このごろ宇喜多家にも興味を持ちはじめました。
いきなりですが岡山城ってどんなところですか?見所は?教えてください。お願いします。皆さんの意見を参考にして攻略したいと思います。島津大好きさんこんにちは。
岡山城でいうとまずは重文の月見櫓、西の丸西手櫓があがります。
宇喜多氏にご興味があるとのことでしたが、現在は
宇喜多氏の石垣がわかりやすく展示していたり、また
あちこち歩いてみて池田氏時代の石垣との違いを愉しまれるのもいいでしょう。
実は私は未訪なのですが、後楽園は北の郭として作られたといいますから、そこからの岡山城を眺められるのもいいでしょうね。
また弊サイトでもあげていますが、岡山城近くにある
榊原病院の入口脇には「宇喜多氏以前 岡山城本丸跡」の石碑があります。
そのすぐ近くに高石垣も見れますので、探してみてください。
それでは。
このごろ宇喜多家にも興味を持ちはじめました。
いきなりですが岡山城ってどんなところですか?見所は?教えてください。お願いします。皆さんの意見を参考にして攻略したいと思います。島津大好きさんこんにちは。
岡山城でいうとまずは重文の月見櫓、西の丸西手櫓があがります。
宇喜多氏にご興味があるとのことでしたが、現在は
宇喜多氏の石垣がわかりやすく展示していたり、また
あちこち歩いてみて池田氏時代の石垣との違いを愉しまれるのもいいでしょう。
実は私は未訪なのですが、後楽園は北の郭として作られたといいますから、そこからの岡山城を眺められるのもいいでしょうね。
また弊サイトでもあげていますが、岡山城近くにある
榊原病院の入口脇には「宇喜多氏以前 岡山城本丸跡」の石碑があります。
そのすぐ近くに高石垣も見れますので、探してみてください。
それでは。
しばらくパソコンが壊れていたので困っていたが、なんとか回復。
8月は美作・神楽尾城に三回登城。時期外れのワラビを採る。
出張のついでに、和泉・岸和田城、江戸城、浜離宮を訪問。やっぱり、近世の城の石垣には圧倒される。
やぶくぐりさん、こんにちは。
パソコンが壊れたということでしたが大変でしたね。
その大変さはとてもよくわかります。
でもこうやって書き込んでくださったということは
無事復活されたんですね。
私も東京出張しておりましたが、城のかわりにガンダムに
走ってしまいました。
私も江戸城は少しずつ見てくるようにしているのですが
1周ぐるりと見て回るにはまだ時間がかかりそうです。
やっぱりこの季節は平城でしょ(^^
この時期(夏から秋にかけて)はスズメバチの活動がもっとも活発な時期らしいです。
開発などで絶滅の危機に瀕していて急を要する山城以外は、冬場に行くのが小生的にはベターかと…
(最終的に行く行かないの判断は個々に委ねますが…)
小生は、それまでに資料を読み漁ることといたします。河内人さんこんにちは。
だんだん涼しくなってきましたね。
冬場のオンシーズンが待ち遠しいです。
それまで私は無理やり平城を選んで攻めようと思います。
スズメバチの被害はまだないですが、考えたくないです
(>_<)
この時期(夏から秋にかけて)はスズメバチの活動がもっとも活発な時期らしいです。
開発などで絶滅の危機に瀕していて急を要する山城以外は、冬場に行くのが小生的にはベターかと…
(最終的に行く行かないの判断は個々に委ねますが…)
小生は、それまでに資料を読み漁ることといたします。河内人さんこんにちは。
だんだん涼しくなってきましたね。
冬場のオンシーズンが待ち遠しいです。
それまで私は無理やり平城を選んで攻めようと思います。
スズメバチの被害はまだないですが、考えたくないです
(>_<)
明日ですが、木津城跡や鹿背山城跡へ再訪しようと思っています。
写真がブレていまっていて撮影しなおしなんですね。
予定が無ければご一緒に如何ですか??
リンク先は自分のブログです。http://mittermeiers.blog.so-net.ne.jp/2009-08-19-2
大野さんこんばんは。
せっかくお誘いいただいたのに遅くなってすみません。
是非とも行きたいお城だったのですが、残念ながら
今は全然動けないんです。
もう少ししたら状況にも余裕がでてくると思いますが。
また山城シーズンになりましたら、御一緒させてください。
よろしくお願いいたします。
先週のお盆休みに、小学六年生の甥っ子と二人で、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡に行って来ました。復原町並や朝倉館跡、資料館を見て帰ろうかと考えていたのですが、自称山城ヲタクの僕としてはせっかく来たんだから一乗谷城にも行きたかったと思ってはいたのですけど、甥っ子を連れていたので諦めていたのですけど、資料館の人と話をしていたら一乗谷城の話になって僕が去年の11月に三万谷方面から登った事を話したら、資料館の人が馬出方面からでも登れると聞いたものですから自称山城ヲタクの血が騒いでしまい、いてもたってもいられなくなりました。しかし、その話を聞いて冷静になって考えてみたら、甥っ子を連れていたのでこれは無理だなあと思っていたら、甥っ子も行きたいと言ったので、資料館を後にして復原町並入り口の駐車場に車を停めて、復原町並入り口受付の人から馬出方面の行き方を詳しく聞いて、甥っ子と二人で行ってきました。新しく出来た砂防ダムをこえていくと、本格的な山城の道に出ました。登ってみるとこれがけっこうきつかったです。だけども自称山城ヲタクの僕としてみては、道が食い違いの虎口になっていたり、または、食い違い虎口と土塁のセットになっていました。休み休み行きながら宿直跡に着くと登って来た疲れは一気に吹き飛びましたが、甥っ子のほうはかなりグダグダ言っていました。約10分ぐらい休憩してから一乗谷城を僕のウンチク付きで見て回りました。とくに甥っ子は二の丸と三の丸の間にある、堀切と観音屋敷、千畳敷跡にある土塁が、結構気にいっていました。また、一乗谷城は、さそり座の形をした要塞だな、と言ったら凄く目を輝かせて食い付いてきました。そのあと来た道を下りるときは、二人ともすべりまくり下りてきたときには下半身が泥だらけになってしまいました。そのあとは、二人とも服を着替えてから復原町並や、朝倉館跡を見学してから渋滞地獄にあいながらも無事に家に着きました。一乗谷朝倉氏遺跡は、去年から数えて4回も行っていますけど、今回のが一番疲れましたけど、それ以上に楽しかったです。話が長くなりましたけど、その辺はお許しください。それではまた。尾張の終わりさんこんにちは。
甥っ子さんといい夏をお過ごしですね。
でもこの日を境に山城への興味がでてこられたんじゃないでしょうか?(^^
実は私はまだ一乗谷の山城には行ってませんので大変
参考になりました。
夏場でもいけるんだなとか(^^;
いやあお疲れ様でした。
本日バイクの日って事でちょこっと走りに行っていました。
途中、木津城が気になり攻めてみたのですが・・・・
城山の東側だけではなく南側も大きく開発されていました。
昨年までは東側の山を開発していた程度だったのですが、今では南側二重堀切まで開発が迫っていました。
この事により南からの進入が不可能となっておりました。
地元の方の話では城山も開発の予定とか。
北側の法面から進入するのですが、まだ草が密集しており鎌が必要でしょう。大野さん、御無沙汰しております。
お元気ですか?
木津城はまだ未訪なのですが、早くいかないといけないなと焦ってきました。
なんとかうまく残していってほしいものですが、この問題はいつもどこかで発生していそうですね。
私も夏場に登った因幡の山城の手前のピークが思いっきり重機でならされていたのには驚きました。
そこは自治体がかなり城跡を大事にしているので問題ないんだと思いましたが、住宅が建ったためにそこから入っていけないという問題も新たにでてきますね。
ううう。
ありがとうございました。
このお盆の間に肥前名護屋城に行って来ました。
福岡城をはるかにしのぐ大きさ!でかい!!
さすが秀吉の城。博物館もあり、なんていっても石垣。
本丸は発掘調査中でした。
是非、天守閣を再建してほしいです。
出来れば木造で。
新聞見ました。「プロの目」良いコメントでした。島津大好きさんこんにちは。
名護屋城は私も好きなお城の1つです。
あの規模、そして崩れ落ちた城跡の風情もあり、いいですよね。
周辺の陣城の中には島津のものもありますし、陣城めぐりも楽しいですよ。
今の季節は厳しいものが多いでしょうけど。
新聞の件は・・(^^;;;
ありがとうございます。
ブレイズマンさん、返答が遅くなり、申し訳ありませんでした m(_ _)m
Re : 小泉城
> 恐らくこれが南側の堀跡でお庭池とつながっていたんじゃないかなー、と
> 思います。
ほんとですね。これは見逃しておりました。またの機会に見ておきます。
ただ、「日本城郭大系」で紹介されている掘は、私がMapFanさんでお示し
した場所です。ブレイズマンさんがYahooさんでお示しの場所も同書掲載
縄張に載っています。
Re : 笠置城
最近になって今さらながら、小学館「探訪ブックス 日本の城」を古書で
入手したのですが、近畿の城に「笠置山城絵図」がカラーで掲載されて
いました。「図説中世城郭事典」は相場が高くて手が出せません(泣)
書籍といえば、夏は城を巡るには草が深いので、専ら本を読んでいます。
前述の他に、大阪府茨木市「わがまち茨木 城郭編」、勝山城博物館
「勝山と大野の城」、舞鶴山城研究会「舞鶴の山城」とかも購入しました。
まだ全部は読めておりませんが・・・。因に、「舞鶴の山城」は初版が
1週間ほどで完売(リンクあり)したそうで、先週問い合わせたら増刷
されていました。興味のある方は残部のあるうちにどうぞ。
では、失礼いたします。http://saint-just.seesaa.net/article/117928930.html
ポリタンクさんこんにちは。
確かに夏は情報収集、整理にあてたほうが山城シーズンを有効活用できていいですね。
でもやっぱり・・たまに行ってしまうんですけどね。
私も入手しました。「舞鶴の山城」素晴らしいですね。
これを作成する手間を考えるとものすごく時間がかかってることでしょう。
1000円はお買い得ですね。
ぜひ舞鶴にもっと行かないといけません(^^
2日ぶりですが、9日に再びお城へ行ってきました。
今回は、7日の山陰とは逆で、丹後へと出陣しました。
ただ昨日は一日雨で…妙な気を使わないといけない日でした。
カメラが濡れたりすると危ないですからね。
まずは、舞鶴城(田辺城)でした。
思っていたより公園になっていますね。天守台が妙に低く見えました。
ただ、資料館がタダで見れたのがちょっとうれしくなりましたね。
続いて、小浜城です。
雨はやみませんでした。しかし、酒井神社に残る石垣を見ただけで、
雨が気にならなくなるということに。こういう石垣は感動ものですよね。
最後に、宮津城です。ここに来るころには雨が酷いことに…
それでもなんとか、「宮津城の石」や、大手川の河岸石垣など確認できました。
宮津城は消えたと思っていましたが、まだ残っているんですね。
最後に、由良宿砲台について調べたので書いておきます。
もっと奥にそのままの砲台が残っていたとは!
いくら急遽訪れたとはいえ、事前によく調べておけばよかったとつくづく思いました。
但馬は梅雨明け後も雨が降り続け、藪もあって城めぐりは大変難しいと思われます。(前回もこんなこと書きましたね)
夏場は山城よりは、平城をめぐるシーズンですよね。
では、また。Soldierさん、各地大雨や地震で大変なことになっていますね。
私はカメラ用の合羽を買おうかと物色中でした。
あと、鳥取県内の台場ですが、現在橋津台場が草刈りをしていただいているようで土塁が大変見やすくなっているみたいですよ。
この時期、海水浴客がいそうな場所は混むので避けたいのですが、惹かれます。
但馬でも朝来市内の山城だったらそんなに下草がなくて
遺構も見やすいものが多いような気がしておりますが、
それでも平城のほうがいいです。
最近改めて近世城郭を勉強中ですが、新しい気付きがいろいろと見つかり面白いなと思ってます。
とはいえ、このお盆の間に山陰に攻め込もうと思ってますのでやっぱり山に行ってしまうかなぁ(^^;
ではでは。
2日ぶりですが、9日に再びお城へ行ってきました。
今回は、7日の山陰とは逆で、丹後へと出陣しました。
ただ昨日は一日雨で…妙な気を使わないといけない日でした。
カメラが濡れたりすると危ないですからね。
まずは、舞鶴城(田辺城)でした。
思っていたより公園になっていますね。天守台が妙に低く見えました。
ただ、資料館がタダで見れたのがちょっとうれしくなりましたね。
続いて、小浜城です。
雨はやみませんでした。しかし、酒井神社に残る石垣を見ただけで、
雨が気にならなくなるということに。こういう石垣は感動ものですよね。
最後に、宮津城です。ここに来るころには雨が酷いことに…
それでもなんとか、「宮津城の石」や、大手川の河岸石垣など確認できました。
宮津城は消えたと思っていましたが、まだ残っているんですね。
最後に、由良宿砲台について調べたので書いておきます。
もっと奥にそのままの砲台が残っていたとは!
いくら急遽訪れたとはいえ、事前によく調べておけばよかったとつくづく思いました。
但馬は梅雨明け後も雨が降り続け、藪もあって城めぐりは大変難しいと思われます。(前回もこんなこと書きましたね)
夏場は山城よりは、平城をめぐるシーズンですよね。
では、また。Soldierさん、各地大雨や地震で大変なことになっていますね。
私はカメラ用の合羽を買おうかと物色中でした。
あと、鳥取県内の台場ですが、現在橋津台場が草刈りをしていただいているようで土塁が大変見やすくなっているみたいですよ。
この時期、海水浴客がいそうな場所は混むので避けたいのですが、惹かれます。
但馬でも朝来市内の山城だったらそんなに下草がなくて
遺構も見やすいものが多いような気がしておりますが、
それでも平城のほうがいいです。
最近改めて近世城郭を勉強中ですが、新しい気付きがいろいろと見つかり面白いなと思ってます。
とはいえ、このお盆の間に山陰に攻め込もうと思ってますのでやっぱり山に行ってしまうかなぁ(^^;
ではでは。
初めまして。三度の飯よりも、山城巡りが大好きな愛知県に住んでいる者です。地元の愛知県尾張地方や三河地方をはじめ、岐阜県東濃地方を中心に見て回り、滋賀県や福井県にも足を運びます。特に僕は滋賀県の山城が大好きで、小谷城址は自宅から車で1時間30分もかからない距離にあるので暇さえあればよく行っています。この2年間で8回も行きました。観音寺城址もこの2年間で7回行きました。チョト変ですかねお金と時間に余裕があれば静岡県や本岡さんのホームグラウンドである兵庫県にも行ってみたいと思います。8月に入って暑さも一段と厳しくなりましたのでお体にはお気をつけていいお盆やすみをおくりましょうそれでは。ところで下のヤツはいったい何を書いてるんだ削除して下さい。尾張の終わりさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
山城巡りがお好きなんですか。
私もです。(^^
でも今の季節は難しいですね。
直近でも尾張に行く予定があるのですが、近世の平城ばっかりです。
私も小谷城に行きたいです。安土や観音寺も是非とも再訪しないと。
ありがとうございます。
またどこかの山のお話をお聞かせください。
焦って自分も行かないとと思う気にさせていただきますので(^^
それとスパム書き込みの件、ありがとうございます。
たまにあるんですよね。困ったものです。
九州の玄関、小倉にいるので夢は九州制覇(^-^)
このごろ行った城は福岡城。イヤーでかカッタ。
でもやっぱり熊本城が一番。
鹿児島城も行って見たい。島津大好きさんはじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡と申します。
勝手ながら下のほうの余白をちじめさせていただきました。
ご了承くださいませ。
九州制覇はこの夏の目標なんですか?
九州は見たいお城が多くて、私にとってはいくら休みがあっても足りない場所なのですが、島津関連だけに絞ってもいいかもしれませんね。
って絞れてませんか(^^;;。
暑い季節です。熱中症には気をつけてお城めぐりをなさってください。
お久しぶりです。
昨日、山陰へ出陣してまいりました。
まずは、米子城です。
調べていた通りでしたね。石垣がよく残ってます。
眺めもサイコーでした。堀はありませんでしたね。(勿論知ってました)
ただ、雨上がりらしく地面がぬかるんでいて、何度も転びかけました(泣)
続いて、2回目の松江城です。
前回行った時は実は北の搦手などは見ていませんでした。
そのため今回はここを中心に見ました。
搦手の石垣が見事でしたね。前回もやっぱり良く見ておくべきでした。
100名城スタンプも押してきました。
続いて、安来へ向かいました。
月山富田城があります。行きたかったのですが、
時間がなく、スタンプ押しただけです。
そのため新宮党館もお預けに。次回は2つ同時に攻略します。
その代りに広瀬藩陣屋へ。石碑だけ…と思っていたら
石垣が残っているじゃありませんか。
家老・鈴木家の庭園も見てきました。立派だとつくづく感じました。
最後は、由良宿の砲台です。
事前に調べた時は、遺構がとても確認しやすい状態でしたが…
今は公園化されています。
土塁が見にくくなっていました。
というか近くの別の場所に遺構を確認しやすい台場があるんですか?
ページを確認してみて疑問に思いました。分かるなら教えてほしいです。
但馬は今、藪に覆われていて城めぐは出来そうにありません。
明日には舞鶴城へ行くことになっています。
やっぱりお城の魅力は簡単には語りつくせませんよね。
それでは。Soldierさん、御無沙汰しております。
スタンプ集めは順調ですか。
でも広瀬藩陣屋に行かれたのはなかなかマニアックでしたね。
あそこはいい意味で裏切られましたので嬉しかったのを私も覚えております。
すでに解決済みのようですが、由良台場は公園化されている隣にほぼ完存状態で残されています。
次回チャンスがあればぜひみにいってください。
お城とは関係ありませんが・・・
歴史、お城関係の部活があればいいなと思うのですが、どこにでもあるような、小さな中学校なのでそんな部がないので、好きなサッカーをしています。MASAYUKIさんこんにちは。
サッカー部なんですね。
でもまぁ若いうちに体力つけておいたらあとで城めぐりが楽になりますよ(笑)。
それに夏休みは絶好のお城めぐりのチャンスなのでしょうか。
自分がその年代のころは部活に集中していましたので
とてもほかに目がいきませんでしたが、MASAYUKIさんも次第にサッカーにハマっていくんじゃないですか。
それもいいと思いますよ。
高梁市松原町の「馬之城(マンジョウ)」は屋号まんじょうさんの屋敷林。空横堀と土塁に囲まれた方形居館。奥に祠。
高梁市宇治町の「丸山城」は三段の郭と出丸。竹やぶと神社跡。
同じく、「笹尾城」は丘の上の単郭。ここにも神社。やぶくぐりさんこんにちは。
雨ばかりが続きますね。
馬之城跡はまんじょうさんの土地なんですか。
面白い。
この季節でもいけそうな場所をうまくピックアップされているのですね。
丸山城、笹尾城ともに参考になりました。
いつもありがとうございます。
初めまして。
蟠龍日記さんから飛んできました。
いろいろなお城関係のブログ・HPを見てきましたが、居住地多可町の城址を載せてくれているところが少なくて、こちらで取り上げていただいているのが嬉しかったです。
ところで、神戸大学の経済学部辺りの、山の斜面に「城址」の立て札の様な物があったことを思い出しました。赤松氏かなにかの名前が書かれていたような気もします。
もし、まだ未踏でしたら、訪問してみてください。
大学内は自由に出入り出来ると思いますが、守衛に聞いてみるのも良いかも知れません。http://www.page.sannet.ne.jp/katsuma/
Junさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
まさにその神戸大学経済学部のところに赤松城があったのです。
城址碑があるとは嬉しい情報ありがとうございます。
あれ単独ではちょっとパフォーマンスが悪いので(^^;
なかなか行けてません。
でも碑があるというのはほんとありがたかったです。
・畿内・近国の戦国合戦
これ最近出た本ですよねー。
実はこの本僕買いました。
ぎゃー、縄張り図あるのん知らなかったー。
でも確かに掲載しています。
御城さんマークに本を掲載しておきます。
灯台下暗し。
では、では。
>> 日本城郭大系で紹介されている内堀ですが、どうやら南側
>> は埋め立てられてしまっているようで
>
> 主郭の南側のことですかね。確かあそこには「お庭池」があり
ということだったのですが、まずお城さんマークをご覧になってください。
これが南側の堀跡ではないかと思います。MapFanさんは埋め立てられていますが、yahooさんは堀があります。
恐らくこれが南側の堀跡でお庭池とつながっていたんじゃないかなー、と思います。
> 7月26日付の読売新聞日曜版、拝見しましたよ。
> さらっと出ていらっしゃるではありませぬか。
えーーーーー、まじっすかー。
何週間前から宣伝してくれないと駄目じゃないですか。
全然しりませんでした。
ちなみにどんな内容で掲載されていたのですか。
> 安威砦は是非とも再訪しないといけませんねぇ。
> 何かとセットでその方面の予定も考えておきます。
そーそー、関西いてながら「あいーん砦」にいっていないとは、いけません。
結構あいーん砦は結構感動ものの砦で印象深い御城でした。
ただ、大きな堀切がありますので、蚊取り線香と足をグキっとするのには十分ご注意を。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
中国に行かれていたとはびっくりしました。
事前の連絡は苦手なのでやりませんが、ここにあります。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/trend/jisan/20090727-OYT8T00296.htm
こちらには顔写真ないですが(^^;
中国によく行っていますが、城巡りも忘れてはいません。
先日も、
・金沢城
・高岡城
・富山城
の北陸3城に行ってきました。これら三城は高山右近が修築、築城したと言われている3城で、
・越水城
↓
・高槻城
↓
・北陸三城
とこれらも越水城起点なんですね。
金沢城は結構複雑な縄張りでした。逆に高岡城、富山城は素直な縄張りでこれって近世城郭に近くなっていくのかなー。
ここでブレイズマン情報。
高岡城では、高岡開町400年記念 特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」ということで、【8月1日(土) 〜10月18日(日)】の期間中に高岡市立博物館に開催予定となっております。
お城さんマークに情報を入れておきました。
残念ながら、僕は見れなかったんですけどね。なかなかの大城でした。
では、では。
どもども。
最近私は仕事の関係で中国に行っております。
で、なかなかこちらに書き込めませんでした。月3回ぐらいのハイペースで、来月もお盆前後に行くことになると思います。
私が行っているところは、発展のスピードが速く超近代的でした。中国全土がそうではないですけどね。
ところで、万里の長城以外に中国にもお城ってあるんでしょうか。
ぽにゃんさん、情報有難うございます。
> 実物は図書館になく取り寄せになりますね。うーん、う
> まく入手できるかなー。
としておりましたが、書籍はあったのですが、取り寄せは不可とのことでした。
あーどしよー、兵庫か大阪の図書館に見にいくべか、と思っていたので、したがって、めっちゃ情報うれしいです。
・『図説中世城郭事典』
・『畿内近国の戦国合戦』
は恐らく入手可能だと思いますので、早速手続きしておきます。
> もう遅いかもしれませんが
ということはなく、めっちゃタイムリーでした。
続きがあります。
米田城にいかれたのですね。
あそこなら、車でなら正面のスーパーに止めるか、高砂市の出張所に止めるかがベストですよね。
近くにあります米田神社前、ちょうど宮本武蔵の巨大な石碑がある正面の公園が、
どうやら田原家の馬場だったようですから、もしかしますと、公園までが城域だったかもしれません。
それにしましても、あの街道は城が多いですね。
南の小松原城から上っていきますと、右も左も城跡ばかりで、回るだけなら半日で10こは見れそうですw
あと、魚住古城なんですが……。
ぼんやりとですが、かたちが見えてきましたよww
こちらは自信が持てたら、ご報告いたします。まるさん、こんにちは。
ご紹介いただいたのでどんな状態なのかなと見に行ってきました。
でもよくわからなかったです(^^;
また他のお城で御一緒する機会があれば教えていただこうかなと思ってました。
魚住古城、楽しみです。
がんばってくださいませ(^^
ブレイズマン様
大変ご無沙汰しております。ぽにゃんです。
もう遅いかもしれませんが、笠置の件に関してです。
中井さんの縄張り図は、『図説中世城郭事典』の京都府のある巻にあったと思われます。関西城郭研究会の『城』よりも新しい図だったと記憶しています。
また手軽に入手しやすい本では、最近刊行されました福島克彦さんの『畿内近国の戦国合戦』があります。その中に福島さんが作成された笠置城の縄張り図がありますよ。
あと、2,3年前に京都府が城域南端の堀切を発掘しています。そのときの資料に測量図を載せていました。
以上、ご参考まで。ぽにゃんさん、情報ありがとうございます。
『図説中世城郭事典』に載ってたんですねぇ。
そうそう、先日教えていただいた資料、昨日入手いたしました。
秋には攻め込もうと思っております。
ありがとうございました。
私も新聞を拝見しました。
実家の母曰く、「(3位の)大阪城なんて、博物館やん」。正に管理人様の
おっしゃる「城イコール天守」な人です・・・
それはさておき、佐保栗栖山砦の下見に行ってきました。麓から見ただけ
ですが、10年ほど前の調査の際に伐採された木々たちがそこそこ復活して
いるように見えました。雑草が減る季節になったら、付近をまとめて訪問
する予定です。
なお、今回の下見で、茨木市教育委員会が設置している城砦の案内板を
たぶん制覇しました。小さな達成感に浸った1日でした。ただ、耳原は城砦
ではなく白井河原合戦の案内板です。丘の上にも別の石碑がありましたが、
ベンチに座っている人の視線が気になり、石碑に彫られた字を読むには
至っておりません(泣)
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんにちは。
ご覧いただきましたか。
ありがとうございます(^^;。
大阪城は、おっしゃる通り大阪城天守閣という名の博物館ですよね。
でもあそこは石垣や濠など見どころはたくさんありますし、観光のための10城と思えば、まぁそんなところかなという気もします。
茨木の城コンプリートももうすぐですね。
また新しい情報がありましたらお願いいたします。
それでは。
何年か振りに投稿致します。
7月26日付の読売新聞日曜版、拝見しましたよ。
さらっと出ていらっしゃるではありませぬか。
ところで先月、肥前名護屋城を攻めて参りました。
確かにあちこち城割りの痕跡があり、物悲しかったですね。
私は大手から攻めずに、山里丸から攻めてみました。
天守台も破却されて、往時と比べ低くなっていたようですね。でも佐賀県の誇る古城址には間違いなかとです(学生時代に彼の地にいたので、佐賀贔屓なのです)。英賀守さん、四年ぶりですよね。
ご無沙汰しております。
読売新聞みてくださいましたか(汗)。
お恥ずかしい。
名護屋城はぜひ再訪したいお城の一つです。
書いてくださっているように破城の様子もそうですし、
私は是非周囲の陣城をコンプリートしたいので、しばらくあそこに滞在してイカを食べながら城巡りがしたいです。
すみません。
藤見城ではなく藤目城でした。
ー追加情報ー
藤目城(ふじめじょう)
形 式 山城
築城者 斎藤下総守師郷
遺 構 郭跡、空掘
所在地 観音寺市栗井町竹成あ、OKですよ。
ご丁寧にありがとうございます。
お久しぶりです。
報告遅れました。
6月の下旬に香川県の、藤見城というところにいって来ました。石垣らしきものが残っていました。僕の判断だと、石垣ではないような気がします。あまりおすすめはできませんけれど、報告さしていただきました。
部活があり、お城にもこれからは、なかなかいけません。すごく悲しいです。MASAYUKIさんこんにちは。
藤目城は知りませんでしたが検索したのを見てみると
神社になってるんですね。
一部藪っぽそうですが、今の時期でもなんとかいけそうなんですね。
情報ありがとうございました。
ところで部活は何をされてるんですか?
歴史部とか、お城探索部とか作ってお城に行くという手もあるんじゃぁ(^^;。
ではでは。
管理人様
多聞山城資料について・・・
> 内容はどうでしたか?
各種資料の引用を基本としています。内容は変に小難しくなく、読みやすかった
です。ただ、文章の結びが「である」調なので、個人的にはもう少しやわらかい
調子でもよいような気はしました。(「右の折込を見よ」という表現は笑かして
もらいました。)
話は変わりますが、安威砦の下見に行ってきました。管理人様は安威4丁目から
訪問されたようですが、安威3丁目からの方が案内板へは行きやすいです。
MapFan WebのポータルのURLに下記の文字列を追加してください。
m.cgi?MAP=E135.34.4.3N34.51.9.1&ZM=12
#Google Mapの画像で拡大すると、案内板らしき白い物体が確認できます。
周辺を散策されているようなので、既に把握済の情報でしたら無礼ご容赦下さい。
なお、私は東京地図出版「城巡礼 盛者必衰 大阪48ヶ所めぐり」を頼りに行きま
した。ただし、本に記載の順路は車ですときついです。
蛇足ですが、前述書籍では佐保栗栖山砦も紹介しています。ただ、案内板へ行く
にはよいのですが、肝心の砦への順路については記載がありません。残念・・・
栗栖山砦の場合は、大阪府文化財センターでダウンロードできる現地説明会資料
(リンクあり)を参考にする方がよいであろうことを、今後栗栖山砦訪問を予定
されている方には申し添えておきます。(って、私も未訪問・・・)
では、失礼いたします。http://www.occh.or.jp/shuppan_shiryo/pdf/gensetsu/h10_034.pdf
ポリタンクさん、こんにちは。
多聞山城の冊子は今度入手できるチャンスをうかがっておきます。知り合いのつてを使って(^^
安威砦は是非とも再訪しないといけませんねぇ。
何かとセットでその方面の予定も考えておきます。
でも栗栖山にはもう登るのはやめておきます(^^;
堀切を下りる際に失敗して足首をひねったのを思い出してしまいましたよ。
ではでは。
米田城の追記です――。
宇野氏との関係などは、まだなにも調べていないのですが、
嘉吉の乱のとき、小寺氏の御着には黒田氏がいたくらいですからね。
城主が城郭大系と違っていても、まったく問題ないと思っていますw
実際のところ、天正初期〜中期までは田原氏が米田を支配していたのは、ほぼ間違いなさそうですしね。
それから新城のことを……。
まずは前に書きました神戸市西区の城。
こちら、ようやく土地の管理者に許可がもらえましたので、
この夏のうちに見てきます。
名称だけしか伝わっておらず、その真偽さえ定かではないのですが、
まずは目にしてみないと、納得も理解もできませんから^^;
そして、教育委員会が調べた城。
こちらは城郭大系にも、載っていることは載っていますが、
まったく不便なところにあるために、だれも侵入していないようなのです。
そのため、土塁などは良好な状態に保たれているとのことです。
直近の調査まで、土地の人も忘れていたそうですからwww
なにはともあれ、だれも唾をつけていない城を見るのは楽しみです。
主様、一度メールさせていただきますね。
時間と都合があうようでしたら、ご近所なのですから、
いっしょに見物にいきましょう。まるさん、こんにちは。
>城主が城郭大系と違っていても、まったく問題ないと
はい(^^。私もいいと思います。
まるさんに教えていただけたのでふらっといってみましたが車だとしんどいですね。(^^;
神戸市西区のお城はぜひよろしくお願いいたします。
タイミングがあえば連れて行ってください。
それでは。
高梁市(旧有漢町)の東の端、飯山部落にある「飯の山城」は有漢市場の宝妙寺にあった天正8年の毛利在番衆の155名の名が記されている落書きで(今は無くなったそうです)有名。
畝状竪堀がある(ホームページ、安芸・毛利一族)との情報で部落の民家横に駐車し、猛暑の中アタック開始。
城の南側下の民家は廃屋。背丈ほどの草むらを歩き、木陰から車が通れる幅の道になる。城から南東の尾根に取り付き、出丸らしき平坦地。
尾根に沿って切岸がある。
西から来た山道と合流し、平坦地へ。
城の南側から神社への参道を登ると郭、二重堀切。すぐに
鳥居、神社。
一段上がって主郭。西側に畝状竪堀。
北側に大堀切(横堀になっている)、土塁、堀切。
東側は二段の帯曲輪。畝状竪堀は笹薮で見分けられず。
小城だが、こんな山奥に堅固な城があるなんて・・・・
この集落も限界集落。近い将来、城に近付くのも困難になりそう。やぶくぐりさん、いつもありがとうございます。
飯の山城は相当惹かれました。
山城シーズンにぜひいってみたいと思います。
>この集落も限界集落。近い将来、城に近付くのも困難になりそう。
うーん・・・・。
もう近付いてくるような人はよっぽどの山城好きくらいなのでしょうねぇ。
こんにちわ
またまた勝手に播磨情報を書かせてもらいます。
今回は高砂市の米田城です。
宮本武蔵生誕の巨大な石碑があるために、米田神社に目が奪われてしまいますが、
米田領主の田原氏が居住していたのは、神社や石碑から東北へ進んだ太い幹線道路のところです。
高砂市の市役所の出張所のすぐ南、交差点のところに田原家跡の碑があります。
(高砂市としては珍しく石碑を立てていますが、その薄さに仰天すること間違いなしw)
今ではその碑以外はありませんが、そこら一帯が米田城といいますか米田構といいますか、
はたまた田原屋敷といいますか、があった場所となるようです。
それから前回の権現山の追記です。
室町の幕府軍が陣取ったのは、現在の明石城の辺り〜権現山周辺となり、
権現山に本陣を置いたのは、どうやら実質的な大手軍の総大将・細川持常のようです。
武田国信、赤松貞村、赤松満政などは、その西のどこかに布陣していたのでしょうね。
それから……
とある市町村(もちろん播磨)の教育委員会が調査したばかりで、
一般人がだれひとり入ったことがない、およそ400年眠っていた城郭があります。
山城なので、この夏は出向く予定はありませんが、涼しくなったら見にいこうと思っています。
主様、ごいっしょにどうです?まるさん、こんにちは。
播磨情報助かります。
米田構居として城郭体系には宇野左衛門太郎宗清の名があがっています。田原氏とは別なんでしょうか。
昔、高砂市史の一部をコピーしていたのですが米田のところは抜けてました(^^;
いずれにせよ米田城は諦めてましたのでありがたいです!!
権現山の追記情報もありがとうございます。
想像が膨らみますね。
播磨で新発見のお城ですか。
私も北播磨でそのようなお話を聞いたことがありましたが・・
ぜひ連れて行ってください。
今後ともよろしくお願いいたします。
お久しぶりです
と 言いましたが
お忘れかもしれません
「信長」という名で以前 当サイトに書く込みさせていただいたものです
曽我井城・井野原城に興味を持って、質問させていただきました
あれから、時が過ぎ ついに中3になってしましました
もう、部活も引退で、、、 勉強に向かっていけなくてはいけません・・・
ところで ですが、8月の20日ごろに姫路市文化会館で「黒田官兵衛」の講演会があるのですね〜
あのその時歴史が動いたの松平さんがこれられるそうで・・・
僕も行きたいです!
中3なので 忙しい日が続きますが、城・歴史好きなので引き続きこのサイトをよろこんで見させていただきます!
ではKABEEさんこんにちは。
曽我井城、井野原城とお聞きして思い出しましたよ!
大変ご無沙汰しております。
書き込みいただきありがとうございました!
なんと中3になられましたか。
いやまだ中3なんですね、というべきか(^^;
勉強も大変だと思いますが、お城好きでいてくださいね。
8/20の講演会は全然知りませんでした。
歴博の予定を見ても面白いのをやっているようですし
こうしたインドアの予定もおさえておくといいようですね。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
備前・吉備中央町長丸にある「十力城」は虎倉城の出城。合戦「加茂川崩れ」で知られる。下加茂から宇甘川をさかのぼり大谷から南へ。細い山道を登り長丸キャンプ場になっている小ピークを訪ねる。小山の下に車を置き車進入禁止の車道を登る。猿が木をゆすって侵入者を脅す。主郭は神社やキャンプ場造成で消滅した模様。郭探索は猿に遠慮して中止。
備中・高梁市下切の「ツガン丸城」は山中鹿之助の墓がある高梁市落合から南へ成羽川を渡り舗装された細い道に入る。今シーズン最後の筍。下切の大徳寺から東北方向へ。道の最奥の民家の上が城址。車を置き、民家の手前の切割りから山道を歩き、神社を目指す。祠がある。出丸か?上り返すと鳥居。段々になっている。切岸、郭のよう。奥の平坦地に神社。やぶくぐりさんいつもありがとうございます。
今回ご紹介いただいたお城もそんなに苦労しなくても
いけそうな雰囲気ですね。
猿に遭遇されたということでしたが、猿も十分注意しないといけなさそうですねぇ。
大松山城に行った時にも猿には出会えませんでしたが、一人で行ってたら危険だったのかもしれません。
訪城記ありがとうございました。
小泉城は後日書くとしまして、
> 少々ネットで検索してみたところ、とあるブログ(リンク
> あり)で「中井均氏の 縄張図」という記述を見つけまし
> た。書籍かどうかは別として、縄張図は存在するようで
> す。
ビンゴです。ありましたよ。
> 笠置城
> に攻城しようと思っています。
との予告通り、実は昨日笠置城に行ってきました。
縄張図がなく、城跡かどうかも今一よく解らなかったので、帰りに地元の図書館に立ち寄ったらありましたーー。
私は越水城を起点にいろいろと城めぐりをしていますが、今回三好長慶を襲い、越水城の周辺を放火して回った、にっくき木沢長政の居城を攻城しようと思いました。
現在は笠置寺があるのですが、やっぱり城というよりも、宗教施設としてイメージが強かったですね。見た感じどこに防御施設があるのか全く解りませんでした。巨石があちらこちらにあり、山岳信仰、巨石信仰の霊地であったといった方がしっくりきました。
で帰り道に地元の図書館に出向きましたら、ありましたよ。縄張図。お城さんマークに入れておきましたが、ここから、
・メニュー 機関誌「城」
・113号
・南山城地方中世城郭跡・・ 中井均
にあるそうです。
ただ、ある事は解ったのですが、実物は図書館になく取り寄せになりますね。うーん、うまく入手できるかなー。
> 京都府埋蔵文化財調査研究センターとかで資料に出会える
> 可能性もあります。
こちらもビンゴです。
中井均の引用という形で掲載されているそうです。
> 不確定なことしかご紹介できず、申し訳ありません。
いえいえ、情報完璧でしたよ。
ポリタンクさん、本当にありがとうございます。
後日、小泉城の内掘りについて書きますね。
では、では。http://www.h7.dion.ne.jp/~kan-jyou/
ブレイズマンさん、こんにちは。
首尾よく笠置城の縄張り図は入手できてよかったですね。残念ながら訪城されたあとのようでしたが。
季節がら下草の状況も気になりますが、楽しまれたようでなによりです。
これからもどんどんお城の輪をひろげていってください。
>> 日本城郭大系で紹介されている内堀ですが、どうやら南側
>> は埋め立てられてしまっているようで
>
> 主郭の南側のことですかね。確かあそこには「お庭池」があり、
お庭池のちょっと北だと思います。MapFan WebのポータルのURLに以下の文字列を
追加してください。
m.cgi?MAP=E135.45.35.1N34.37.22.4&ZM=12
> あれって結局正皇太后陵の上部に建っていたのでしょうかね。
想像図を見ますと皇太后陵に櫓跡とおぼしきものがあります。ただ、中学校
東側にも想像図にはそれっぽい跡があり、規模も大きそうです。真相は薮の
中ですが・・・
> 笠置城
確かに「日本城郭大系」には縄張は載ってないですね。同じ出版社の「図説
中世城郭事典」なら可能性があるかもしれません。如何せん、現物を読んだ
ことがないため、保証はできません。すみません m(_ _)m
少々ネットで検索してみたところ、とあるブログ(リンクあり)で「中井均氏の
縄張図」という記述を見つけました。書籍かどうかは別として、縄張図は存在
するようです。
前述ブログで話題になっていますが、鳥羽正雄氏の著書「城の歴史」には
絵図が掲載されているらしいです。これまた読んだことがないので想像ですが、
絵図は後醍醐天皇の時代のもので、戦国時代のものではないかもしれません。
後醍醐天皇の時代の古地図なら笠置寺にあるようです。
「日本城郭大系」が関連主要文献として紹介しているものにも可能性はある
かもしれません。紹介文献中「笠置山の史蹟及び名勝」は「日本城郭大系」で
京都府の文献・史籍解題に紹介されている「京都府史蹟名勝天然紀念物調査
報告第11」のことかと思います。
京都府埋蔵文化財調査研究センターとかで資料に出会える可能性もあります。
不確定なことしかご紹介できず、申し訳ありません。
また、既にご存知、若しくはご確認済のことを書いているかもしれません。
その節は悪しからずご容赦ください。
では、失礼いたします。http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro/45957202.html
ポリタンクさん、こんにちは。
いやぁ詳しく調べていただきましてありがとうございました。
しかもとんでもなく反応が鈍くてスミマセン・・・m(_ _)m
伊賀であろうとも山城跡の下草は同じですね。
今回は福地城跡へも行きましたが、公園などと整備されている場所はそれなりに刈られてはいますが、その他の場所では下草は生え放題で蜂は飛んでいるしマムシはにょろにょろ。
登城口でダメそうなら諦める勇気が必要ですね。
伊賀の城館では確かに怪しまれないことが必要です。
謙虚さと申しますか・・・・・
荒らさない・・・農作地や土塁跡へは入らない登らない。
騒がない・・・静かに行動する。
侵さない・・・生活されていますので屋敷内が見えるような場所などは侵入しない。
言葉に注意・・・な〜な〜言葉は厳禁です。掲示板やブログでも見かけますが、な〜な〜言葉は他人を不愉快にさせます。会話でも同じですよね。
挨拶・・・外部の写真を撮影するとしても挨拶を忘れずに。
その他マイルールでの行動はしない、他人の領域に入る訳ですからね。
そうすれば現地の方々が優しく案内してくれます。怪しまれもしないです。そして枇杷を貰えます。大野さん、反応が遅くなって申し訳ありません。
やっぱり伊賀の城館も山城とたいして変わらないのですね。
私は虫や蛇は実害さえなければ平気ですが、遺構が醜くなっているのだけはダメです(^^;
確かに書かれているように別に特別なことじゃないんですよね。
感謝の気持ちをもって城跡に行き、地元の方とは挨拶して・・以前奈良をご一緒した時にも大野さん、実践されてましたよね。
よく覚えてます。
私も枇杷貰えるように頑張ります。
そういえば筍や銀杏とか持って帰れと言われることもありました。帰りの車の中が銀杏臭くて・・(^^
> 日本城郭大系で紹介されている内堀ですが、どうやら南側
> は埋め立てられてしまっているようで
主郭の南側のことですかね。確かあそこには「お庭池」があり、あれが、主郭と外郭を区分けしているのではないかと思います。違ったかな?
> 東側石段下の沼地っぽいのが東側内堀の名残では
> ないかと思われます。
僕も見ました。たぶんそーですね。
> あと、建築物としては、安堵町に石田家の門として移築現
> 存しています。
あーーーそーだったのかー。それは初めて知りました。今度行ってみよー。
それはそーと多聞山城。織田信長が安土城の天守のモデルと言われている、
「四階ヤクラ」
があったと言われていますが、あれって結局正皇太后陵の上部に建っていたのでしょうかね。さすがに天皇陵ですので、発掘調査は難しいですが、掘り返せば礎石跡があったりしますでしょうかね。
さてさて、今回、
笠置城
に攻城しようと思っています。
ただー日本城郭大系には縄張図の記載がなかったんですよね。もし、どなたか笠置城の縄張り図が掲載されている文献をご存知の方は教えていただければ幸いです。
では、では。http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kasagi.htm
ブレイズマンさんこんにちは。
すっかり出遅れてしまいました。
私もひそかに手持ち資料で笠置城を捜していたのですが見つけられませんでした。
どこかにあったと思ってたんですけどね(^^;
でもまぁ掲載場所がわかっただけでも十分ですね。
縄張り図を書いてくださる方にはほんと頭が下がります。
これからもよろしくお願いいたします(^^;
毎日暑い日が続きますが、元気に城めぐされていますでしょうか?
小生は、金欠病に侵されてなかなか出かけることが出来ません><
皆様の城情報を読んで勉強するのみです。
ところで、下↓のコイツ、このサイトとは全く関係ないぞ!河内人さん、ほんと暑くなってしまいましたね。
本岡です。
ありがとうございます。
削除しておきました。
暑くてもめぐれるようなお城を考えるのが大変ですね。
近場もそうそうなくなってきてますので(^^;
私も皆様の訪城記を読ませていただき、参考にさせていただいている一人です。
管理人様、お久しぶりです。
以前予告しておりました小泉城の内堀を見てきました。ただし、慈光院の
ついでではなく、多聞山城(多聞城)のついでです。
日本城郭大系で紹介されている内堀ですが、どうやら南側は埋め立てられて
しまっているようで、東側石段下の沼地っぽいのが東側内堀の名残では
ないかと思われます。
で、メインの多聞山城ですが、中学校が作成した資料があるとの情報を
入手しておりましたので、事前に中学校へ電話をしてから行きました。
資料は社会学部が作成されたもののようで、500円でした。職員室近くの
玄関には多聞山城縄張想像図も飾ってあります。敷地東側からは東大寺
二月堂と大仏殿を一望できますが、校舎からだと見晴らしがよいだろう
なあと思いました。私が生徒なら授業そっちのけかもしれません(笑)
#通っていたら日常の風景なのでしょうが・・・
遺構としては、敷地北側の土塁跡、敷地外西側の仁正皇后陵内削平地及び
同陵と聖武天皇陵の間の堀切もありますので、再訪の際にはお忘れなく。
あと、建築物としては、安堵町に石田家の門として移築現存しています。
(「やまと建築詩、石田家住宅」をキーワードに検索してみてください。)
日没まで時間があったので、石川家から思いつきでまともな下調べもせずに
十市城へも足を延ばしましたが、やはり道に迷いました。地元の方々に道を
尋ねつつ、何とか石碑とご対面。詰城の龍王山城も秋に訪ねてみたくなり
ました。
城の位置情報を順次追加という手間のかかる作業をなさっているとのこと
ですが、私のような迷える子(?)羊には有益な情報です。僭越ながら、
羊を代表してお礼申し上げます。
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんにちは。
多聞城の情報ありがとうございます。
中学行で作成された資料のことは聞いてましたが、
なんと外部の人間も購入できるのですか!
それはいい情報をありがとうございます。
内容はどうでしたか?
いやぁー見てみたいですねぇ〜
旧大原町の「寺坂城」は大野郵便局の手前から霊山寺に左折。寺の駐車場に車を置かせていただき、寺の後ろの寺坂城に登る。比高は20〜30m程度。西から郭4つ目が主郭(広い)、東に四段。寺の南側に住職の墓地と郭らしき平坦地がある。刈払い後にワラビ。
智頭急行大原駅の東北に「八幡山城」。集落外れの八幡神社から登るとすぐに堀切、郭群、堀切、主郭、堀切、バックヤードの平坦地と続く。
南隣の「小原山王山城」は山形省吾氏の縄張図を見ると前城、三重堀切、後城となっており、畝状竪堀が何箇所もある。大原から東粟倉に向かい、智頭急行のガードをくぐると大原神社。車三台は駐車可能。大原神社の左奥から山道に入る。歩きやすい登山道。竪堀群の間の階段。堀切、土橋、郭群、土塁、畝状竪堀、帯曲輪。石碑がある。この辺りから薄いヤブ。後城に向かう。後城の主郭の先に戦時中の対空監視廠のコンクリート。足守の鍛冶山城のものとそっくり。
「会下城」は住宅の庭先を通らなければ入れない。
不審者らしき感じがするので、冬季に再訪とする。
畑仕事をしていた老人に情報を聞く。遺構がけっこうありそう。
「塀高城(赤田城)」は山頂にドコモのアンテナ。北側の桂坪の集落からアンテナ方向に向かう自動車道がある。車体をこすりながら駐車場へ。すぐに鉄製階段。楽々で郭に至る。ここも山形省吾氏の縄張図を参照しながら歩く。ごく一部に石積み。やぶくぐりさんこんにちは。
大原町あたりはよく通るのですがなかなか城にいく機会がありませんでした。
書いてくださっている内容を拝見しておりますと、なんとなくお手軽なもののようです。
改めて確認して、次回の道中に立ち寄りたいと思います。
いつもありがとうございます。
わたしは播磨人、それも魚住新城の近くに住んでいます。
主様と同郷とは嬉しい限りです。
さて、播磨情報です。
HPに書いておられないことを補完という形で、勝手に書かせてもらいます^^;
和坂構居(蟹ヶ坂構)なのですが、
JR北にあるあのお寺は、敷居も高そうで遠慮したいし、
何よりなにも残っていません。
それよりも、JR南にある稲荷神社のほうが、
まだ趣があって、楽しく見物できますね。
稲荷神社へ回られるほうがお得で、お勧めです。
そして、赤松方の本陣があるということは、
当然ですが、幕府軍の本陣もあったということです。
こちらは大蔵谷城跡から真っ直ぐ北に上がったところにある
権現山一帯で、今では住宅地で残り香もありませんw
けど、熊野神社は雰囲気が多少ありますので、
見るのなら、そこしかないでしょうね。
本陣跡や、権現山構居などの名前すらありませんが……。
最後に野口城。
小さな祠より南へ進んだ三叉路のところに、
空き地といいますか駐車場といいますか、がありますが、
そこが本丸跡だった、と聞いたことがあります。
今となっては真偽は定かではありませんが、
素通りするには惜しいと思います。
以上3点、簡単ではありますが、
求められもしないのに、好き勝手に情報を公開しました^o^bまるさん、こんにちは。
あまり詳しいことはここで書きにくいですが、ご近所ですよ!
播磨の追加情報ありがとうございます。
権現山ですか!
ずっと以前にこの辺を捜していた時に、幕府方の陣に
ついて考えたことがあったのを思い出しました。
ありがとうございます。
あと野口城。
車が結構通るのでゆっくり歩いて散策するには不向き
かもしれませんが、もうちょっと案内をしてくれても
いいですよねぇ。
鬼門櫓は移築される話しがあったんですよね。
残念ながらちょっと見に行けてません…
竹田城は但馬です!
駅には案内所が出来てました!
魚住城跡(今は公園)は昔、城の何かが建ってたみたいですね。
初めて行った時、場所が分からず困りました(笑)Klさんご無沙汰しております。
竹田城は車でしか行ったことがありませんでしたのですが
案内所が移ったのは知ってました。
でもまだ行ってませんでしたのでこんど近くを通った時にでものぞいてみます。
魚住城は確かにわかりにくいですね。
少し前、人を案内した時もちょっと迷いました(^^
アジサイロードへ写真撮影に行くついでにっと、伊賀の城館跡をめぐってきました。
田矢伊予守城跡は藪に阻まれ、杉野氏館跡は踏み込み跡もあり挑んではみたが粘土質の土に阻まれ進入できず、竹島氏城跡にいたっては野武士(野猿)の群れに阻まれ退散するしかなく・・・・
しかし他地区の城館跡では住民の方々の暖かい心遣いで堪能することが出来ました。
柏野城跡では城域に住む方に案内をしていただき、更に歴史まで教えて頂きました。
川東地区の沢氏東館跡や大深氏館跡では住民の方に見学を許され、沢氏西館跡では城内に実る枇杷の実を土産に戴きました。
他にも無数の館跡が存在し、一日では巡りきれない天国ですね。
今日は心優しい伊賀の人々に感謝の一日でした。http://siromeguri.web.fc2.com/
大野さん、毎度です。
伊賀の城館をめぐろうとすると地元の方に怪しい奴と
思われないことが非常に重要ですね(^^;
地元の方の案内があれば新たな発見があることも多いですし、いいお城めぐりをされたみたいで私も嬉しくなりました。
というか伊賀いきたいです。
そっか夏場はアリか、と一瞬思いましたが
下草の状況はどこも似たようなものなんでしょうか。
久米南町の「草木城」の北約200mの「大西構」は、草木城横の狭い舗装道を更に登り、墓地の手前、道の左に「四丁」と書かれた丁石に駐車。道の反対側(東側)の木に赤テープを結んである林道に入る。約100m位で林道が下り始める所から右に尾根に入ると約20mで郭群になる。輪郭式で甘い削平の主郭。低土塁。虎口、切岸があるが高低差はあまり無い。
ついでに、「安盛城」に行く途中にある「将監山城」に廻るも、小さな峠から林道に入ると神像石の横に立入禁止看板とテープに阻まれる。残念ながら撤退。
R53号を津山方面へ。法然上人の生まれた居館跡が「誕生寺」。その北北東に「本丸城」。平な頂部は畑のようだ。搦手の鞍部に住宅。急斜面には竪堀があるとのことだが眺めただけで帰路につく。やぶくぐりさん、こんにちは。
いつもながら貴重な情報をありがとうございます。
大西構も書いてくださったんですね。
また個人的には本丸城が嬉しかったです。
少し前にいきましたが中まで入っていくことをやめてしまいましたが。
7月になりましたが、どんどん暑くなりますね。
また藪や虫など山城好きを邪魔するものが多くて大変ですが、がんばってください(^^;
本岡です。
ずーっと面倒で(汗)やってなかったのですが、少しずつ
お城の位置を地図に落としていく作業をやっています。
たとえば三重県や静岡県で、「地図で選択する」をご覧ください。
これを全県やっていこうと思ってますのでよろしくお願いいたします。
問題は現在600以上ある兵庫県・・・おそらくいっぺんにマーキングしたらめちゃ重になるでしょうねぇ。
旧国別に表示を切り替えるか、自治体別にするか・・
とりあえずとりかかるだけでもしんどくなってきますが(^^;
主様お返事ありがとうございます。
わたしのほうこそ、いろいろ勉強させてもらっています。
現在、魚住古城を追いかけているのですが、
まったくもって手がかりなく、手詰まり状況です^^;
なにか情報をお持ちでしたら、ご教授ください。
魚住の住吉神社の東西に、居屋敷の地名がありますし、
上空からの写真を見れば、住吉神社こそ相応しいと思うのですが、
あそこは1200年の歴史があるそうですしね……。
まぁ、ライフワークとして気長に追いかけるつもりですw
あとは神戸市西区のだれもHPで紹介していない城を追ってます。
こちらも詳細は不明なのですが、なにか掴めたらお知らせします。
では、これからもよろしくお願いいたします。まるさん、こんにちは。
本岡です。
魚住古城は確かに難しいですね。
8−9年前にいろいろと捜したことがありましたが
わかりませんでした。
また神戸市西区も近所ということもあって、興味深いです。
どうもまるさんとは御近所なのかもしれませんね。
今後ともよろしくお願いいたします。
私は脈絡もなく、全国のお城を紹介してますが(^^;
やっぱり近場は腰をおとしてしらみつぶしにあたっていきたいなと思ってます。
板主様お久しぶりです
やぶくぐり様の投稿いつも楽しみにしています
tani様の情報も捨てがたく飛びつかせていただいています。
ここに集う城好きに乾杯します。幸田屋さん御無沙汰しております。
やはり幸田屋さんもやぶくぐりさんの情報に注目されていましたか。
無駄のない文章に遺構やルートも書かれており、地図を見ながらだとすごくイメージしやすいですしね。
私も刺激をうけて、足が岡山のほうを向いてしまいます。
また鳥取に行く際は幸田屋さんのページも参考にさせていただきますね。
今後ともよろしくお願いいたします。
はじめまして
いつも拝見させて頂いてます。
先日、吉川氏の旧本城の小倉山城跡に行ってきました。
よく整備され説明板も豊富で本丸跡はとても気持ちいい
空間といった感じでした。
大河ドラマ効果で整備されたみたいですが、今は訪れる人も
無い様で残念に思いました。
浜田道大朝インターから直進2`とアクセスも良いので多くの人に訪れて欲しいです。hidさん、こんにちは。
管理人の本岡です。
小倉山城に行かれたんですね。
私も4月にあのあたり回りましたので、そのときに
小倉山城に行きましたよ。
本丸南側の斜面を無理やり東へと移動している人が
いるみたいで細い通路ができてしまっていたのが
いいのかなぁ・・と思ったのを思い出しました。
お金をかけて整備してくださったのはお城好きとしては嬉しいですが、誰も訪問してくれないようになってるとしたら寂しいですね。
自治体も今後史跡保存にお金を出してくれにくくなるかもしれませんし。
PRしていかねばいけませんね(^^
いつも拝見させていただいております。
さて、播磨の城で3点ばかり情報がありますので、
以下に書かせてもらいます。
阿閉城(本荘城)は阿閉神社も候補地のひとつですが、
最有力地は神社から北へ上った野添です。
神社の近くにも、2ヶ所ほど有力地があります。
阿閉神社は候補地の最下位というよりも、
まったくの別物とするほうがよいのではないですかね?
神戸市の福中城ですが、
城主を祀るお寺は、曲輪のひとつでしょう。
本丸は175号線を挟んで正面南にあります。
現在は牛丼店、自動車修理工場があり、
その背後の鬱蒼とした場所に、かつて祠があったそうです。
何度か侵入を試みましたが、
あまりの凄さに入ることはできませんw
最後に英賀城。
英賀神社の南東に本丸跡の巨大な石碑がありますが、
本当の本丸跡の碑は、その近くの個人宅にあります。
壁に隠れているために、道からは見えませんが、
小さな石碑こそが、正解のようです。
以上、ご存知のこともあるでしょうが、
広く皆様に知っていただくために、初投稿いたしました。まるさん、はじめまして。
播磨情報、助かります!
野添に城がつく字名があったと思うのですが、ここだという決め手が見つかりませんでした。
福中城の中心部にあるのは本丸自動車さんですよね。
書かれている藪は、以前土建業者さんに聞いたことが
あるのですがうっかり踏みこんで傷つけてしまうと
たたりがあるという神木があったとか。
今でもなんとなく侵さざる領域のように扱われているのかもしれませんね。
英賀城は書かれている通りです。
自転車に乗って散策するのがよさそうなところですよね。
夏場の山城に行きにくい季節に回ってみるのがいいかもしれません。
いろいろと教えてくださりありがとうございました。
私が書いていますのは間違いや、漏れもたくさんあると思います。
お気づきのことがあれば御遠慮なくおっしゃってください。
というか教えてください(^^;
今後ともよろしくお願いいたします。
岡山市郡の怒塚山登山道入口に駐車。登ること約45分で「怒塚山城」に到着。淡水湖と児島湾が見える。主郭とその南北に郭。南側の尾根筋に堀切。その足で金甲山に登る。帰りは「みつがしわ新道」から「南谷城山」に廻る。送電鉄塔から少しヤブコギ。山頂に二段の郭と土塁。木立の間から北側の尾根続きに約10m下って郭が見える。その先にも郭があるのかな。無理をせずに駐車場所まで帰る。ぐるっと廻って4時間半。道はほとんど整備されているし怒塚山〜金甲山は登山者が多いので家族連れでも安心。やぶくぐりさん、いつもありがとうございます。
怒塚山城は登山道があるんですね。それに入口に駐車
されたという情報もありがたいです。
上のほうで幸田屋さんも書かれていますが、きっと
多くの方がやぶくぐりさんの攻城記を参考にされて
いますよ。
> ブレイズマンさんも機会があったら中井さんのお話を聞い
> てみてください。
え?そんなお話を聞く会みたいなものがあるんですか?
もし、そのような会が近々開催する予定がありましたら、是非教えてください。
では、では。ブレイズマンさんこんにちは。
たまにセミナーとか講演会とかありますが、最近は
わかりません。
これから夏場にかけては城攻めを一旦休憩し、資料あさりや情報収集をするというのがいいんでしょうけどね。
ではでは。
岡山から国道53号線を北に向かい、久米南町に入ると道の駅がある。道の駅手前のコンクリート工場の所から右に仏教寺方面に入って約500mで「草木城」。道端に車を停めて右、すぐ二重堀切を経て主郭に至る。段々の郭が国道方向に降りている。尼子との激戦地。
一旦、国道に戻り北へ。道の駅を約600m過ぎて山城のありそうなピーク。再び仏教寺に向かう分岐点。ここに車を停めて、仏教寺の小看板のある細尾根をロープネット工事で使った刈払い跡に従って、石を国道に落とさないよう登ると立畑城に至る。郭群を過ぎて堀切、その奥にダラダラ平坦地が続く。倒木でUターン。岡山GISでは宇喜多氏の駐屯地。
どちらの城も国道にほとんど隣接。やぶくぐりさん、6月もまだまだ山城攻めですか。
書いてくださった草木城を地図で見ると仏教寺にいく
道のそばにあるみたいなので行きやすそうに見えますね。やぶもそれほどじゃなさそうだと感じましたので
ありがたくメモらせていただきました。m(_ _)m
岡山GISを見るとすぐ北に大西構がありますが、
そこは行かれなかったのですね。
すでに行かれていたのか、藪がひどかったのでしょうか。
この季節に行く山城はいざ行くぞと決めていても現地であきらめる確率が高くなってきました。
私だけかもしれませんが(^^;。
お気をつけて城攻めなさってくださいませ。
こんばんは
5月31日鳥取県八頭郡八頭町市場の城に行って来ました。
市場集落入口の医院前に駐車、そこから150m位行くと縄張図と・かえる岩10分・市場城30分の立札有。
途中切岸・曲輪・竪掘りの立札があって良く分かった・そしてかえるに似ている岩の横をとうって行く、
二の丸でこんな所にすごい石積が有ると思ったら自然石だった、本丸・天主台の立札有りまでは30分かかる、眺望はよくなかった、
縄張り図によると尾根と言う尾根は手が加えてあるようだ。taniさん実にわかりやすい登城記ありがとうございました。
大変見ごたえのある山城みたいですね。
このあたりはあまりめぐれていませんのでこの市場城を
メインに考えて、プランを考えてみたくなりました。
ありがとうございます。
山城を攻める季節ではなくなってしまっていますね。
昨日なんですが、偶然にも手持ちの資料にもネット上にも情報が無い城跡と巡り会ってしまいました。
城域には足を踏み込んでいると思われるのですが・・・・
熊笹が生い茂り、足元が見えない危険な状況。
大きな蜂もブンブン飛んでいる雰囲気。
現地の方の話では複数の郭跡と空堀・土塁が残っていると。
熊笹が枯れ、マムシなど危険な生物の多くが土の中に潜る冬を待つことにしました。
もう山城を攻める時期が終わってしまっていたのですね。http://siromeguri.web.fc2.com/
ほんとですね。
私もちょっと前に山城に昇りましたが、山ダニの小さいのがくっついてきてました。
なんとなくいそうな気がしたんですが、厭なものですね。
ここはおとなしく環濠集落でもまわりましょうか(^^;
オンシーズンには美作あたりを中心に攻めたいと思ってます。
指月城については以前から気になり調べてはいたのですが、資料が殆ど無いのですよね。
分かるのは場所のみ。
宇治川に接する河岸段丘に建てられたわけですから観月橋団地や近畿財務局桃山東合同団地の南側のある急斜面は当時の物ではないかとも考えたり、大光明寺陵も利用されたでしょうね。
機会があれば京都市文化市民局文化財保護課へ問い合わせれば良いのでしょうが、今回の指月城の発掘調査は西近畿文化財調査研究所ですし、連絡先が電話番号しか分からず電話代を考えてしまい問い合わせを躊躇してしまっています。
資料を入手できれば可能な限り共有をしたいと考えています。http://siromeguri.web.fc2.com/
大野さん毎度です。
西近畿文化財調査研究所はこちらからだと近いですが・・(^^;
なにかわかれば共有したいと思います。
私の分かる範囲で答えてみます。
観月橋団地の全域が指月城跡となっておりますが、その土盛が城に関係する遺構なのかは不明です。
京都市埋蔵文化財地図にも遺構に関しては書かれておりませんし、大光明寺稜に関連する物なのかもしれません。
指月城跡に関連する物であったならネット上に存在する指月城跡と伏見城跡とを同一の物とされることも無かったでしょう。http://siromeguri.web.fc2.com/
大野さん、すばやい反応ありがとうございます。
即レスに感動しました(^-^)
今年2月の桃山陵墓立ち入り調査もありましたし、
徐々に明らかになってくるんでしょうか。
調査報告書が出るのを楽しみにしていようかと思います。
教えて下さい、私の知り合いが京都の伏見の観月橋団地に住んでいますが、色々と調べるとこの場所は指月山に成るそうです、ここの団地の中に公園が有りますが「この場所は高台に成っており、その昔ここから小掠池に写る月を見るのには絶景の場所で有ったと思います、最近この団地のすぐ西側で指月城の遺構が見つかりました」この公園の奥まった所に高さ約1.5メートル位の土盛りが有るのですが、ここには何が有るのか凄く興味が有ります、もしご存じでしたら教えて下さい。人見 四郎様はじめまして。
管理人の本岡と申します。
その公園の土盛りはわかりませんが、確か昨年に
発掘調査をやって、金のキセルやら天目茶碗がでてきたっていう話がありましたね。
秀吉が最初に建てたという指月城の堀らしいというのがあったと思いますが、どなたかが追加情報を書いてくださるのを待ってみましょうか(^^;。
すみません、私はお力になれませんでした。
手に入れましたー。
確かに、確かに掲載されておりました。
詳細については、まだ熟読していませんが、インタビュー形式で掲載されていましたね。
わたくし、今回初めて、この雑誌で
中井均
のご尊顔を拝見しました。
中井均さんは城好き方はよくご存知かと思いますが、お城の本をみているとよく名前が出てきます。
思っていたより若いなー、という印象で。
やっぱり竹田城の天守はだれしも疑問に思いますわね。
管理人さーん、資料教えて頂きまして有難うございます。
御報告まで。
では、では。ブレイズマンさんこんにちは。
無事入手できてよかったですね。
中井さんがもっとご年配だと思われてましたか(^^;
お城にお詳しいだけじゃなく、その話の仕方も大変
わかりやすくて勉強になります。
人にわかりやすく伝えられるようになってナンボだな
と常々精進しないと思うのですが、ブレイズマンさんも機会があったら中井さんのお話を聞いてみてください。
豊中市は現在原田城跡に建築されました旧羽室家住宅の耐震化工事中ですが、今年の11月一般公開を予定しているとの事です。
旧羽室家住宅公開と共に土塁跡の方も公開されるようです。
今回偶然にも豊中市の担当者様から色々とお話を聞かせて頂けましたが残念な事に手元に無いために資料を頂けずじまいです。
公開時には城跡に関する資料も用意されるそうなので機会があれば再訪を。http://siromeguri.web.fc2.com/
大野さんこんにちは。
いやぁ、いい情報ありがとうございます。
そんなところに動きがあったとは完全にノーマークでした。
改めて見てみたら昨年頃から盛り上げが始まっていたんですね。
ぜひ訪問したいと思います。
しかし、さすがですね〜。
3月末、「美作・医王山城」の二の丸まで刈払われ、南側の郭まで行けるようになった。
北側の主郭から二の丸まで約200m。
北側の四重堀切と南端の連続竪堀はまだヤブの中だがここまで手を入れられた地元の方に感謝。
「岩屋城」周辺の天正12年の戦の陣城探訪もそろそろシーズンオフ。
「岩屋城」と「荒神の上陣城」は道や看板が整備されて年中訪問可能だが、他の陣城は葉が茂り訪ねにくくなった。
「とちの木陣城」「的場峠陣城」「柿木上陣城」「往環の上陣城」は未訪。
「一備谷陣城」「迫畑上陣城」「井の奥陣城」は落葉期に「荒神の上陣城」とセットで登ると登りごたえがする。
「妙福寺上陣城」は池田誠氏が「戦乱の空間第4号」に書かれた部分の北側にも陣所等の遺構がある。
「楽万上の陣城」は西側の墓地から軽いヤブを登ると232.5m陣所に出る。
ここはラインに沿って刈払ってあるので遺構が良く分る。
落葉期に「岩屋城」の北側の大堀切から尾根を北に向かうと「はって場陣城」「梅ケ寺(寺に山偏が付くのでが・・・)陣城」「石蕨陣城」に地籍調査の刈払いをたどって行け、そのまま進むと山を下りて「柿の木上陣城」に向かう林道の途中に出る。やぶくぐりさん、いつも詳しい情報ありがとうございます。
医王山城や岩屋城とその周辺の陣城群も攻略予定に
入れておりました。
やはりしばらくは行かないほうがよさそうですね。
晩秋あたりで計画したいと思います。
ありがとうございました。
地味な話で恐縮ですが、三宅城の3つの石碑を制覇しました。
管理人様がご紹介されている蔵垣内公園のものは、以前実行した「茨木市界隈
ピンポンダッシュ」に含まれているのですが、後日調べまして、摂津市にある
ものと茨木市にあるもう一つのものも見てきました。後者の案内板を見ますと、
石碑の制作年は昭和18年、設置場所の移転を繰り返して現在地に至っている
ようです。おそらく日本城郭大系掲載の地図で阪急沿線に記されているもの
だと思いますが、この石碑はWikipediaでは紹介されていないようです。
余談ですが、こちらの掲示板にいらっしゃるブレイズマンさんは、Wiki-
pediaで三宅城の変更履歴にある方と同一人物でいらっしゃいますか?
大まかですが、それぞれの位置情報をMapFan Webのリンクでご紹介します。
MapFan WebのポータルのURLのあとに、次の文字列をそれぞれ補記ください。
m.cgi?MAP=E135.33.36.0N34.47.17.8&ZM=12
m.cgi?MAP=E135.33.40.3N34.47.21.0&ZM=12
前者はブロック塀の裏に隠れています。
後者は企業の敷地内にあるためフェンス越しに見ることになります。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
三宅城城址碑制覇お疲れ様でございました。
私は「ここら辺にあるはずだけど・・」と碑を探していて見つからずに諦めることはたまにありますが、よく見つけられましたね。
ありがとうございます。
そうそう、本文中にURLが入れられないようにしていた
のですが苦労されませんでしたか。
綺麗にまとめていただきまして、ありがとうございました。
> また季節を変えていってみてください。
> 違った感動が得られるかもしれませんよ。
了解でーす。しかしまだまだ行ってない城が多いですからね。
実は忍者の城、伊賀、甲賀関係の城は一回も行ったことがないのですよ。この前NHKでやっていましたが、恐ろしいほど高い土塁があったりするんですよね。
> 天守台については「歴史読本」2008年5月号で触れ
> られています。
おーめっちゃ嬉しいです。早速手配しますね。
> 石段を上がる途中で右手に小さな壇がありますでしょ。
> あそこから上がったんじゃないか等々が書かれていま
> す。ご興味があれば読んでみてください。
ありました、ありました。
なるほどー、あんな所から。ぜひ読んでおきますね。
資料に関する詳しいことはお城さんマークに入れておました。
> 八木の土城のほうも2004年にいってますよ。
おーそーだったんですかー。
> 私は夏場に行ってしまったので予想以上の土塁を
> 十分に堪能できませんでしたが、石の城とはまた
> 違った味わいでいいものですね。
ほんまですねー。
下の文章にも書きましたが、八木土城は近江国の小谷城と雰囲気似ていました。尾根沿いに階段状に曲輪が設定されている点が、歩いていてなんか雰囲気似ているなーという感じで。
> でもご指摘はありがたいと思っておりますので、直して
> おきました。竹田だけ(^^;;;
ちゃんとなおっていましたよー。
では、では。ブレイズマンさんこんにちは。
今度は甲賀ですか。
わかります、城ってほんとあちこち行きたくなりますね(笑)
そういうのも至福の時間です(^^;
神楽尾城二の丸奥の枝の切開き跡は小生の仕業です。
その先が太いワラビが生える竪堀のある斜面。
神楽尾城の周辺部には縄張図にない遺構が沢山あるので時々訪問。
さて、5月10日に山城会のメンバー2人で備前市伊部地区の山城廻り。
「富田松山城」と「伊部城」は、ふーむ氏のホームページ「落穂ひろい」から縄張図等の資料をプリントアウトして持参。
この二城は登城絵路も整備され、何度行っても楽しめる。
おかやまGISによると「伊部城」の南東に「鬼ケ城」が記載されている。
熊山登山路の不老山コースになってるので伊部の街の忌部神社から不老山のもう一つ奥の峯を目指して登りつく。
忌部神社のすぐ上に展望台のある小ピーク。
小さな郭と尾根続きに一条の堀切。
伊部北大窯(国指定史跡)を守る見張場か?
そのままシダのまとわり付く山道を登山者の残したテープに誘導されながら進む。
一旦鞍部に降りる。
城址はピークが三つ。
一番北側のピークの手前に三つの竪堀らしき溝があるも遺構らしきものは見当たらず。
「伊部城」の西の熊山登山道の福生寺参道コースの45番送電鉄塔にも小さな砦がある。
ここは広い登山道になっており、車を置いて約400m。
郭が三つと尾根筋の堀切がある。やぶくぐりさんこんにちは。
なんと神楽尾城のあの切り口はやぶくぐりさんでしたか!(^^
こういうニアミス?も面白いものですね。
伊部城は行きやすそうなんですね。
なるほど・・。
ふーむさんところは縄張り図も書かれているし、ものすごく助かりますよね。
でも鬼ヶ城とセットにするには季節を選ばないといけなさそうですか。
いつもありがとうございます。
人丸山の件ですが・・・
山陽電車人丸駅が証の東隣ですよね。
で、現地の方に人丸山とは何処かと尋ねると東の山だと。
明石城がある場所ではないと答えが返ってきたのです。
となると人丸山に在ったとされる明石構居は明石城の東にある山に在ったとなる訳ですよね。
明日も信楽の紹介されていない城を探してきます。http://siromeguri.web.fc2.com/
大野さんこんにちは。
兵庫県の中世城館調査報告書集成によれば明石構居の
場所は明石城本丸あたりとなっています。
私はそれで諦めてたんですが、違う場所を指すものが
あるんですね。
本岡さん、お久しぶりです!
最近は日出城、竹田城に行ってきました!
日出城跡は学校が建っているんですね(笑)
海の景色が綺麗でした!
竹田城は言うまでもなく素晴らしすぎでした!Klさん、ご無沙汰しております。
日出城に行かれましたか!
私も3月に近くまで行っていたのですが、残念ながら
行けませんでした。
鬼門櫓って現在どうなってたかご覧になられましたか?
ずっと気になってたのです。
竹田城はそうすると但馬の竹田城ではなく、豊後の岡城のことだったりします?(^^;
どっちの城もすばらしいお城なのですね。
岡城は3月に再訪できましたので、まだ私の中では新鮮な記憶です。
先日、明石城跡で探していたのですが・・・明石構居跡の場所を。
現地の方に聞くと人丸山は明石城跡の東に存在する。
ならば人丸山にあったとされる明石構居跡は明石城跡ではなく東の人丸山に在ったって事でしょうか。http://siromeguri.web.fc2.com/
うーん、人丸山の上に明石城が建てられたと思ってましたので今まで明石構居はノーマークでした。
近所でもありますので、私も誰かに聞いてみようと思います。
何かわかりましたらお知らせしますね。
でもまぁ構居の遺構自体は何もないのでしょうね。
あってもわからないですが(^^;
通勤途中(出張も含む)の城攻めは・・・
難しいですね。
先々週は洲本へ。
今週は明石・加古川へ。
時間が無く満足できるほどに巡れませんでした。
特に夕方(仕事終わり)では周りは暗くなってしまい・・・・・
ここでレポートはご迷惑おかけしますのでHPでいつか。http://siromeguri.web.fc2.com/
大野さんこんにちは。
なんと近所まで攻め込まれてしまってましたか。
仕事ついでに城攻めができるのはラッキーと感じますが、でも暗い中ではいまいちですねぇ。
別に構いませんよ。
城攻めレポートを書いてくださっても。
迷惑というか大歓迎です。
ではでは。
竹田城いってきましたー。
しかしー、なんか行く前にテンション高かったのでー、ついた時は「おーついた」と感じでした。
竹田城って結構情報が多いので、新鮮味にかけるといかー、写真で見た通りというかー、管理人さんの雲海の中の写真の方がかっこよかったリー、ま、それでもやっぱり凄かったですけどね。
天気よかったです。
平日なのに沢山の見学者がいてました。山城でこれほど多かったのは初めてかも。
やっぱりお年をめした人が多かったですが、いてましたよー「歴女」らしきお二人が。
初生「歴女」かも。
竹田城を散策していて疑問に思ったことがあります。
竹田城に天守台がありますでしょ。天守には現在はしごで登りますが、天守への虎口がまったく見当たりませんでした。
天守に虎口が無いのは初めてですが、どーやって登ったんでしょうか?慎重にみたのですが、らしきものはなかったよーな。まさか築城当時も梯子とか?
もしご存知の方は教えてください。
それと竹田城住所変更になりました。「兵庫県朝来市和田山町竹田」です。引っ越し案内届いていませんでした?
> 竹田だけじゃなく、とっくに別のお城も行かれている
> ことでしょうね。
ぴんぽーん。
「八木城」にいってきましたよん。
> 通称八木土城があるのですが、今回はあっさり見送りし
> ました。とても体力が残ってなかったもんで・・・。
もばっちり見てきました。管理人さんはもー行かれましたか?
そーですねー、八木土城は前に来た事あるよーな…あっそーだ小谷城に雰囲気似ています。
そんな感じでした。
では、では。ブレイズマンさんこんにちは
竹田城を満喫されたご様子で、何よりです。
また季節を変えていってみてください。
違った感動が得られるかもしれませんよ。
天守台については「歴史読本」2008年5月号で触れられています。
石段を上がる途中で右手に小さな壇がありますでしょ。
あそこから上がったんじゃないか等々が書かれています。ご興味があれば読んでみてください。
それにしても梯子がいりそうですが、今のままでもなんとか降りることはできました(笑)。
八木の土城のほうも2004年にいってますよ。
私は夏場に行ってしまったので予想以上の土塁を
十分に堪能できませんでしたが、石の城とはまた
違った味わいでいいものですね。
黒井城の本丸と西の丸のようで、1城で2度美味しいといった感じです。
あと、住所は・・もう面倒なのであまり更新してなかったり(^^;;一応注意書きは書いてますが。
でもご指摘はありがたいと思っておりますので、直しておきました。竹田だけ(^^;;;
ではでは。
5月5日、勝央町の山城めぐり。
小矢田地区にある「小矢田城」に登る。
集落内の道が広がった場所に駐車。
登城路が無いので集落の墓地からテレビのケーブル線を目印に直登。
長楕円形の郭が三段。西側の鞍部には土塁。
一旦、下の集落に降りて隣の「戸倉城」へ向かう。
山頂の戸倉神社の祠まで登山道がある。
そのまま尾根筋を西にとって鞍部まで行ってみるも遺構らしきものは見当たらず。
畑屋地区の「山城」に向かう。
舗装道を進み、携帯電話の電波塔に駐車。
猛烈なヤブ。
すこし突入するもダラダラした平坦地。
近くの「畑屋城」は地形改変のため何も見当たらず。
工業団地になってしまった「茂平城」の位置を確認し、植月の「スガン山城(比高120m)」に向かう。
向原橋側の公園に駐車。
向原橋を渡り、川内浄水場跡から北東の伐開地を登る。
猛烈なヤブに突入。
出来るだけ雑木の少ない岩場を伝う。
突然、山頂のダラダラした平坦地に出る。
下生えの少ない植林地。
踏み跡がある。
ぐるっとU字形に山頂に沿って踏み跡をたどるも下山路は消えている。
再びヤブに戻り、登ってきた尾根の南側の尾根を下る。
河内配水池の跡に出る。
林道跡をたどり川内浄水場跡を経由して駐車位置へ。
同じ植月の「金山城(大谷城)」へ向かう。
金山池公園の川下側の駐車場に車を置き、伐開地を北側の尾根筋から登る。緑化用ネットに取り付き山頂付近まで造林歩道をたどる。
途中、小郭と二の丸向けの平坦地。
山頂は単郭。数本の松の木。
東側に武者走り、切岸。
尾根続きの鞍部へはヤブのため未訪。
ここで剪定鋏とデジカメが破損。
小雨が降りだし帰路に着く。
やぶくぐりさん、ちょうど5/5が美作入りした日でした。
剪定鋏をお持ちなんですねぇ。
でもほんと迷いなく「猛烈なヤブ」に突入されていそうで頼もしいです。
神楽尾城の二の丸の奥もどなたかが枝を切り開かれた後が残っていましたが、やぶくぐりさんのように剪定鋏等をもって攻められている方って多いんでしょうか。
勝央町のお城は大変参考になりました。
ありがとうございます。
今日は丹波へ侵攻し、3城を攻略してきました。
篠山城、柏原陣屋、黒井城です。
篠山城で一番感動したのは、馬出でも、石垣でもなく、濠でした。
そっちの方が現存状態が良いのではないかと思うほどでしたからね。
本丸の大書院も見てきましたが、そっちより御殿の間取りが描かれていた本丸御殿跡の方が印象的です。
こんな復元の仕方もあるんだと納得しましたから。
展示されている模型を見ると、往時の堅固さが伝わってきますね。
満足して次へと向かいます。
柏原陣屋はやっぱり御殿も門も残っていたのがよかったです。
ただ、陣屋の内部へは時間がなく入りませんでした。また訪れた時にでも行こうと思います。
最後に黒井城を登ります。
標高が高かったので、何度も休憩するほど疲れながらの登城となりました。
しかし、随所に石垣が残っており、それは感動しました。
ただ、千丈寺砦へ向かおうとして迷い、藪の中で迷うはめになりました。これで体力はもう限界に近いです。
あと、今日、日本100名城のスタンプ帳を手に入れました。
今は篠山城と、帰りに寄った竹田城のスタンプが押されています。
これからはこれを埋めることも目指していきます。
では、また。Soldierさんこんにちは。
ちょうどその日は私も黒井城前を通過したのです。
篠山城はすっかり観光地となってしまいましたが
その分訪れやすくなっていますね。
少し離れたところに駐車して、折りたたみ自転車で廻るという小技を駆使してまわるお城の一つです(^^;
黒井城は西の丸の土の城っぷりがお薦めです。
おそらくもう藪化してしまっていると思いますが、
また機会があれば挑戦してみてください。
あと、私もこの季節に縦走した折にはじめてここで
山ダニにやられたという嫌な思いでもあります。
あの痒さはもう二度とご免です(-_-;;
4月3日に敗退した為本地区の「為本城(高取城)」に再チャレ。
城山の北側の集落から南へ古宮池方向。舗装の切れる所に駐車し、刈払機で草刈をしていたご夫婦に道を尋ねる。
広い巡視路を79番送電鉄塔を目指す。
巡視路に数箇所倒木。
簡単に乗り越えて進む。
鉄塔のある山頂に広い郭と帯曲輪。そのまま巡視路階段を下ると2〜3段の小郭が点在。
こちらの道は倒木も無く軽快。
林道に出て北進、城谷池を経て駐車位置に戻る。
ぐるっと廻って30分。やぶくぐりさん、いつも精力的に攻められていますね。
為本地区はちょうど先日美作攻めをした際に通過した
ところです。
予定していたお城はなかったのでスルーでしたが、
それほど藪はなさそうですね(^^;
ありがとうございます。メモメモφ(^^)
イワウチワを見に鳥取県境の伯州山に登った帰りに二城。
鏡野町(旧奥津町)の奥津温泉の東にある「城山城」を探訪。道の駅の近くの穴場。舗装林道横の広い所に駐車。
最初の橋の横の作業道を西に山に入る。すぐに道が無くなる。
そのまま木に摑まりながら直登すると削平の甘い郭に出て主郭に向かう。主郭から国道側に郭が続く。帯曲輪、竪堀。 一旦主郭に戻り国道と反対側の尾根続きに堀切を探す。竪堀らしき急斜面を降りると堀切一条。平坦な笹ヤブ。作業道が来ている。作業道と平坦なヤブの間に段差。下の林道にバックホーが見える。笹ヤブを降りて林道に戻る。
朝露でズボンと上着はドロドロ。登山靴もベトベト。
次に、女原の郵便局を泉山の方に入った井坂の「西浦城」に登る。この城は毛利の軍勢が吉井川を隔てた「西屋城(宇喜多方)」を攻略するための陣城。
こちらも登城路が無い。
下から眺めて、西側の二の丸と東側の主郭との間の鞍部を目指すのがベターと判断。南側にある水道施設に行く舗装道路に侵入。ヘアピンから使われていない水平作業道に入る。 100m程で直登に移る。途中タヌキの巣穴がある。雑木に摑まりながら登っていくと鞍部の細尾根に出る。
尾根を東の主郭に向かうと堀切に出る。三段程の郭を過ぎると主郭。
後ろ側の大堀切を降りる。切岸に石積。郭を過ぎて箱堀らしき所に出る。井戸か烽火に使われていた穴がある。
登ってきた細尾根に戻り、西側の二の丸に向かう。
長郭とその先に帯郭がある。
城の全長250m位。
木々の間に「西屋城」が見える。
そのまま西側に木に摑まりながら降りてみる。
山の中の墓地に出る。
お参りの道を降りていくと水平水路に出る。水の流れている方向に水路肩の道を進む。
水路の下に竪堀もしくは地すべり跡の溝状地形。下に下りる道。
山の鼻先の民家横に出て駐車した水道施設入り口まで500m。ワラビを採りながら戻る。
やぶくぐりさんこんにちは。
いつも岡山の山城情報ありがとうございます。
実はやぶくぐりさんの書き込みをみながら、藪のなさそうなお城をピックアップしてたんですよ。
先日は久々に美作攻めをやってみました。
林野城、神楽尾城、日上山城、福城などにいってました。
藪で諦めたり、荒神山城のように11/10まで入山禁止で断念したりで今の季節は特に事前情報がどれだけ入手できるかですね。
今後ともよろしくお願いいたします(^^;
ソウルの南山城郭の烽火台にロープウェイで登りました。
ソウルタワーの陰に隠れるような感じですね。
日本の城郭には無い構造物だらけなので大変興味をそそられました。
今回は山城会3名で月山富田城と米子城を訪問しました。
月山富田城は1.5キロ四方あり、公開されている部分だけでもかなり広い。
縄張図を見ると、これだけ広大な城なのに堀切や竪堀が少ないのが以外な感じです。
盛りの八重桜を見ながらの弁当。
米子城は出丸の飯山、内膳丸、本丸と巡り二つの天主台跡を見学。
中海に浮かぶ城郭を妄想しました。やぶくぐりさんいつもありがとうございます。
さらっと海外の城を書かれているのには驚きです。
すごいフットワークですね。
月山富田城だと藪はあまり気にせず散策できそうで、
今の季節は気持よさそうですね。
米子城は桜の季節にいきましたが、あいにく花見客があちこち占拠していて、いい写真が撮れなかったことがあります。
桜のシーズンは良し悪しですね(^^;。
住家は細川館跡と中村城跡の間ら辺です。
城攻めをする際にいつもお世話になっています。
特に地元、三木市内の城攻めの時に利用させて頂いています。
そこでですけど、市内の城の位置の資料は何という本なのでしょうか?
特に跡部や、与呂木の付城址などは地図なしでは分からないので、困っています。
教えていただけないでしょうか。http://coz.ashigaru.jp/lycoris/
芹沢鴎さん大変遅くなりまして申し訳ありません。
管理人の本岡です。
書き込みありがとうございました。
なんとご近所さんですね。
あのあたりはよく通りますよ。
三木の陣城は全然手が回ってなくてほったらかしですみません。特に秀吉の本陣がそのままってのが恥ずかしいですよね(^^;
近々直しますね。
資料ですが、長いことやってますと少しずつたまってきたり、どこかのセミナーなり講演会、現説の資料コピーをいただくことがあります。
いろんなものを参照しながらやってますので、お答えしづらいです。
すみません。
できるだけサイト内に資料名を書くようにはしていますが、三木の陣城に関しては教育委員会さんに聞かれるのが一番かもしれません。
直近も調査されていましたし。
それでは。
住家は細川館跡と中村城跡の間ら辺です。
城攻めをする際にいつもお世話になっています。
特に地元、三木市内の城攻めの時に利用させて頂いています。
そこでですけど、市内の城の位置の資料は何という本なのでしょうか?
特に跡部や、与呂木の付城址などは地図なしでは分からないので、困っています。
教えていただけないでしょうか。http://coz.ashigaru.jp/lycoris/
芹沢鴎さん大変遅くなりまして申し訳ありません。
管理人の本岡です。
書き込みありがとうございました。
なんとご近所さんですね。
あのあたりはよく通りますよ。
三木の陣城は全然手が回ってなくてほったらかしですみません。特に秀吉の本陣がそのままってのが恥ずかしいですよね(^^;
近々直しますね。
資料ですが、長いことやってますと少しずつたまってきたり、どこかのセミナーなり講演会、現説の資料コピーをいただくことがあります。
いろんなものを参照しながらやってますので、お答えしづらいです。
すみません。
できるだけサイト内に資料名を書くようにはしていますが、三木の陣城に関しては教育委員会さんに聞かれるのが一番かもしれません。
直近も調査されていましたし。
それでは。
住家は細川館跡と中村城跡の間ら辺です。
城攻めをする際にいつもお世話になっています。
特に地元、三木市内の城攻めの時に利用させて頂いています。
そこでですけど、市内の城の位置の資料は何という本なのでしょうか?
特に跡部や、与呂木の付城址などは地図なしでは分からないので、困っています。
教えていただけないでしょうか。http://coz.ashigaru.jp/lycoris/
芹沢鴎さん大変遅くなりまして申し訳ありません。
管理人の本岡です。
書き込みありがとうございました。
なんとご近所さんですね。
あのあたりはよく通りますよ。
三木の陣城は全然手が回ってなくてほったらかしですみません。特に秀吉の本陣がそのままってのが恥ずかしいですよね(^^;
近々直しますね。
資料ですが、長いことやってますと少しずつたまってきたり、どこかのセミナーなり講演会、現説の資料コピーをいただくことがあります。
いろんなものを参照しながらやってますので、お答えしづらいです。
すみません。
できるだけサイト内に資料名を書くようにはしていますが、三木の陣城に関しては教育委員会さんに聞かれるのが一番かもしれません。
直近も調査されていましたし。
それでは。