#年末のご挨拶をしたにもかかわらずの連続投稿をご容赦ください。
「炬口八幡宮」は「炬口八幡神社」の誤りです m(_ _)m
この場をお借りして追加情報を・・・
『ちえぞー! 城行こまい』というWebサイトに紹介されている情報(リンクあり)に
よると当該神社から登城できそうです。
縄張図Dは『図説近畿中世城郭事典』(城郭談話会)にも同じものが掲載されています。
では、失礼いたします。
(1) 城めぐTOUCH
知人にダウンロードしてもらってちょっとだけ触らせてもらいました。旅先で
不意にお城に寄りたい時とかには強力な武器になりそうですね。知人も「これは
いいですね」とご満悦でした。管理人様のお手間を考えますと、私は仮に有料
でも買うと思いますが、お城好きの裾野を広げるツールとも考えられますので、
なかなか難しいところですね。
#ネットが普及した弊害かもしれませんが、「情報や費やす人件費への対価を
#支払う」とか「無料で情報を利用している者もお礼として情報をフィードバック
#する」いう観念が世間で薄くなっているような・・・
これから掲載数を随時追加されていくことと思いますが、過度の負担にならない
範囲で頑張ってください。
(2) 中村城
福住小学校跡地をお城さんマークにリンクしておきます。ほたる橋交差点南が
そうで、地図中央付近(国道沿い)に出入口があったように記憶しています。
常時開いているかは不明です。また、ちょっと左にある階段が登城口で、下に
ある尾根筋上の四角い灰色のものが鉄塔です。
(3) 炬口城
> 炬口城は年明けて再訪を考えているお城です。
> ポリタンクさんとは一度どこかのお城でご一緒できれば
> いいなぁと思います。
淡路島にもう一度一人で行くのは私にはちょっとした決心がいるのですが、
同志がいると行きやすいですね。もしご都合が合うようならご同行させていた
だけると幸いです(笑)。ただ、私は山登りは得意ではない(どちらかというと
苦手)ので、一回で多数のお城を巡る場合だと足手まといになりかねませんので
辞退いたします(泣)
単独行になる時のために炬口城について調べていることを以下記載いたします。
既にご存知のこともあるかもしれませんが、参考になれば幸いです。
手元で確認できる縄張図としては『日本城郭大系 12 大阪・兵庫』と『図説
中世城郭事典 三』に1つずつと『淡路洲本城』(城郭談話会)に3つあります。
以下、便宜上順にAからEとします。登城道が示されているのがB、C、Dで、3つの
共通点は東側(大手)虎口から直ぐに郭に沿って南側の竪堀へ向かっていること
です。更に、BとDでは竪堀を横切ってほぼ南向き(ちょっとだけ西向き)へ下る
部分まで一致しています。以上から想像するに、登城道は炬口八幡宮から登る
ものがあるのではないかと思っています。
駐車についてはは可能であれば塩屋交差点付近、最悪はジャスコかなあと思って
います。もし情報をお持ちであればご教示いただけると幸いです。
では、失礼いたします。
よいお年をお迎えください > ご覧の方々ポリタンクさん、こんにちは。
今月は城めぐTOUCHのバージョンアップと城データ
追加を行います。
できる範囲は知れてますので自分のペースでがんばります。
とはいえ本体はこの城めぐドットコムですので、今後ともよろしくお願いいたします。
中村城の情報もありがとうございます。
m(_ _)m
炬口城は以前南側から無理やり直登を試みたことが
ありましたが、たどりつく前にやめてしまったので
機会があればお願いいたします。
私はすっかり山城をご無沙汰ですので、リハビリがてら
ゆっくりまわっていきたいと思います。
先月の23日の祭日の日、仕事が休みだったので久しぶりに僕のホ−ムグランドである滋賀県の米原市にある上平寺城に行ってきました。上平寺の集落にある公民館の駐車場に車を停めて上平寺館を通り過ぎて登城道を登ること約45分目の前に大きな竪堀群が現れて来ました。竪堀群や二の丸三の丸跡の遺構を楽しみながら見て回り本丸跡に辿り着いたら地元の人がいて、話を伺ったところ今日は近江中世城跡のろしリレ−が行われる日だったのでした。この日は天気が好くて空気が澄んでいたので本丸跡から双眼鏡で見てみると名古屋駅にそびえ建っているツインタワ−がはっきりと見えました。本丸跡の遺構を見て回ったあと地元の人と別れて先を進み刈安尾城またの名を弥高寺に着きました。丁度着いたときの時間がお昼ご飯の時間だったので地元の人たちが作ってくださった豚汁を頂きました。腹ごしらえを終えて刈安尾城の遺構を見て回りました。特に刈安尾城の背後にある大堀切はすごく見ごたえがありました。その後は京極佐々木家の菩提寺でもある清滝寺徳源院を見学して家路に着きました。京極佐々木家のファンの僕としては充実した一日でした。また機会があれば来年も行きたいと思いました。それではこの辺で失礼します。尾張の終わりさんこんにちは。
のろし駅伝はかなり前にたまたま滋賀県のお城を攻めていて
遭遇しました。
今ほど盛り上がってなかったですが、狼煙がつながって
いくのを見るだけでも感動ものだったのを覚えています。
上平寺城と刈安尾城もまた行ってみたいです。
あと長比城も行ってみたいんですよねえ。
本岡さんこんばんは、尾張の終わりです。みなさんも色々と山城巡りをしていますが、僕も先月に久しぶりに山城巡りをしてきました。岐阜県郡上市大和町牧にある篠脇城と同じく郡上市八幡町にある八幡城を見てきました。先ず最初に訪れたのは篠脇城から行きました。登城道入り口に立ててある高さ約30センチの猪避けの電流ネットをまたいで登城道を登ること約30分で篠脇城の曲輪群着きますがその途中で大きな竪堀が右側から見えてきました。曲輪の構造は段々式になっていてまわりには土塁などが作られています。曲輪奥には小さな社があり、その奥には櫓台跡と堀切がありました。曲輪の周りを歩いていたら篠脇城の名物といわれる放射式畝状竪堀が目の前に現れ僕はあまりの凄さに声を張り上げて興奮しながら見て回り畝状空堀群や曲輪内を約2時間かけて見て周りました。古今伝授の里で篠脇城の復元模型と想像図を見てきました。そのあとは八幡城を見てきましたけど、余りたいしたことはなかったです。篠脇城は本当にお勧めですさすが地元では臼の目堀と呼ばれてるだけのことはあるようですね。ちなみに僕が篠脇城と八幡城探訪にはサンライズ出版の岐阜の山城ベスト50を歩くが大いに役に立ちました。それではこれで失礼します。尾張の終わりさん、こんにちは。
いいですねぇ・・!!!
篠脇城行きたいんですよ。
また雪がなくなったら考えたいです。
それにしてもサンライズさんのシリーズはいいですね。
また、各地の研究者の方の縄張り図や所見も見てみたい
のであちこちやってもらいたいです。
雨や雪が降る天気が続いて、なかなか山城探訪に行けない毎日。
小雨の中、鏡野町高山の「キリコ谷城山」訪問。
仕事をしている人に挨拶。例によって城郭のことは知られない。
道脇の人家から約50mの丘の先端が城。墓地に登る道が堀底道。
単郭の城だが、堀切、切岸、ぐるっと土塁が廻る。前後、左右に小郭が付属している。ほぼ完存のようだ。
帰りに「雨の中の遺跡調査御苦労さま」とお茶をいただく。やぶくぐりさん、こんにちは。
最近は岡山方面に2度行きましたが、ともに雪でした。
攻めるルートをあらかじめいくつか用意しておかないと
いけませんね。
お茶をいただけるのはすごいですが、「キリコ谷城山」
メモらせていただきます。
ありがとうございます。
「そもそも何で笑路城に行こうと思ったんじゃろか?」と今さらながらに疑問を
持ち、何気に『図説中世城郭事典 二』を見たら、中井均先生の縄張図が載って
いました・・・。笑路城の次頁が周山城なので、周山城のことを調べている時に
目に留まったようです。水の手曲輪の位置も載っているので、全体を見て回る
のであればこちらも有益です。
では、失礼いたします。なるほど。
よくわかりますし、縄張り図があるとつい引きこまれて
見てしまいますよね。
危険な誘惑ですよ(笑)
ではでは。
時々遊びに来ています。先日岡崎城、備中松山城、丸亀城を駆け足で回りました。松山城は若い時に登城をお勧めします雪うさぎさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
すっかり書き込みをさぼっておりました管理人です。
備中松山城は山麓から歩いてあがられたのですか?
私はピストン運行しているバスと、背後から車で
回り込んだ方法でしかありませんが歩きだとどれだけ
時間がかかるのでしょうね。
またおすすめのお城や、お城で何かネタがありましたら
(なくてもいいですよ)近況をお教えください。
今後ともよろしくお願いいたします。
> 管理人様が未訪のお城
私の晩秋から来春にかけての訪城予定で該当する笑路城(亀岡市)に取り急ぎ
行ってきました。
私は車で行きましたので登城はお城さんマークにリンクした場所(神社のそば)
からになりました。駐車スペースがないので、養鶏センターへ向かう三叉路
辺りに路駐しましたが、この三叉路は車を運ぶトレーラーが進入したりします
ので、大型車の通過に配慮しなければなりません。また、三叉路右側には農地
への進入口もありますので、これを塞がない配慮も必要です。
縄張図としては山城甚伍様の『続・甚の山城日記』というブログが参考になり
ます。
yama46.cocolog-nifty.com/blog/022/index.html
#上のURLをコピペしてください。(掲示板の制限によりプロトコル部分を省略
#しています。)
『日本城郭大系 11 京都・滋賀・福井』にも縄張図がありますが、西の竪堀が
載っていないので山城甚伍様ブログの方が便利です。以下、記述については
明示がない場合は山城甚伍様ブログの縄張図に従います。
南下して谷小屋へ向かうと道が分かれ、南東方向へ向かう方へ行きますと直ぐに
城への道標があります。ここからが気をつけなければならないところで、鉄塔を
目指そうとすると谷筋に入ってしまい、急斜面を直上しなければならなくなり
ます。私は見事にハマってしまい、直上して北向きの虎口から入城することと
なりました。予定外でしたが水の手郭(日本城郭大系縄張図)を通ったので良し
としますが、最後の方は掴むものも減って四つん這いで這い上がることになり
ますのであまりお勧めできません。普通は道沿いに張ってある動物除け網を
辿って開閉扉から関西電力が利用しているとおぼしき道を通る方が無難です。
細かい説明は山城甚伍様ブログに譲りますが、私は縄張図の西峯曲輪と南斜面の
水の手を除いた部分を見学しました。見どころとしては櫓台付近と東側の堀切
かなあと思いますが、虎口や石積み、土塁も見れますので結構満喫できました。
因に、鉄塔側の案内板は辛うじて読むことができ、併せて鉄塔付近の発掘図も
掲示されています。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、
確かに笑路城は未訪です。
近くまで行ったことはあったのですが・・(^^;
駐車スペースの細かい配慮まで・・ありがとうございます。
実はこういった情報を城めぐTOUCHにできるだけ反映させたいのですよ。
でも路駐はさすがに書きにくいので「登城口」とだけ
書いて、空気とまわりの状況を読んでね、というのが
あります(^^;;
亀山城も再訪しようと思っていたので、セットで
行ってみたいと思います。
ありがとうございました。
わーい、Appを作成されたのですのですね。お目出度うございます&有り
難うございます。
ただ、残念なことに、というか、App公開を希望しておきながら、私は
まだ『城めぐTOUCH』を利用できる環境ではありません(泣)
取り急ぎ、iPhone使いの知人に『城めぐTOUCH』のことを話してみます。
来年の夏に現在利用中の携帯の契約期間縛りが解除されたらスマート
フォンへ乗り換える予定ですが、『城めぐTOUCH』がある以上は間違い
なくAndroid携帯ではなくiPhoneになると思います。
#App以前の問題として、私はMac使い(しかもiTunesが好き)なので他に
#選択肢がないという話も・・・
#乗り換えまでにiPhoneの記録容量が64GBになっていることを祈ります。
これからは、(あまりないとは思いますが、)もし管理人様が未訪の
お城に行った際には掲示板にできるだけ位置情報等と残そうと思います。
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんばんは。
Androidもいいですよね、状況を見ながらそっちへの
展開もあるかもしれませんよ(^^;。その場合はまた
苦しい毎日が待ってるかもしれませんが(笑)。
とりあえずはクリスマスイブに出すぞ!!と狙って
ましたが、今後はじっくりとよりいいものにしていこうと
思っております。
でもこのサイトがやっぱり一番のベースですので、
こちらは今後ともよろしくお願いいたします。
早速ダウンロードしました。
おいおい使い方なんかをここでもいいのでレクチャーしてください。
取り敢えずご報告まで。
では、では。ブレイズマンさん、さっそくダウンロードくださり
ありがとうございます。
いろんな可能性を夢描いて、まずは第一弾をリリースいたしました。
なにかと突っ込みどころはあると思いますが、気長に
お付き合いください。
まず、すれ違い通信は、ニックネームと紹介を書いてからオンにしてください。作り方の問題でして・・(^^;
これでどなたかとのすれ違ったログが残れば感動
しませんか?
城数を増やしつつ、また投稿もしていただけるように
し、現在城好きがどんなところにいるのかがわかるようになったり、すれ違ったりして城好き同志の連帯感と
いうか一緒に城攻めしている気分となればいいなと
考えております。
また機能面や見栄えでご要望があればお気軽にお寄せください。
本岡です。
たくさんの書き込みありがとうございます。
かなり追い込まれておりましたが、なんとかまた戻ってこれるようになりました。
順にコメントをつけさせていただきますね。追いついてきました(^^;;
定年を迎え仕事から解放されて、古城址巡りを始めました
とりあえず地元堺からと野田城址に行ってきましたがフェンスの中で、木碑が根本で腐り倒れていました。要注意です山さん、はじめまして。
城跡めぐりは自分の気分や体調にあわせて変えられます
のでいいですね。
野田城の碑が倒れてましたか。
このままなくなってしまうのは悲しいですね。
なんとかなりませんかーー!
とここで叫んでみました。
ありがとうございました。
12月8日に城めぐり趣味の友人に連れられて千葉県酒々井町(しすいまち)の本佐倉城に行ってきました。町の教育委員会が発掘調査し保存していました。
あまり興味なかったのですが、教育委員会の姿勢に感動し城めぐりも良いものだと思いました。城めぐりファンの方、機会がありましたら寄ってあげてください。さんたさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
本佐倉城はいいですね。
私もこの夏にいきましたが、ちょうど下草を除草剤を
まいて処理されているところでした。
「ご苦労様です。」と声をかけてくださったのがとても
印象深く、感動したものでした。
いいお城を紹介くださりありがとうございます。
今後お城100選をめぐりたいと考えて検索していますくにちゃんさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます、管理人の本岡です。
いずれも趣が違うお城で楽しめると思います。
もし余裕がありましたらそれらのメインのお城のそば
にあるマイナーなお城にもあしを向けてはいかがでしょうか。
メインのお城と関係があるものだとその関係や歴史も
より面白くみえてきますし、お得感があります(あ、これは私だけかもしれませんが)
それでは、今後ともよろしくお願いいたします。
またよかったら近況を教えてください。
仕事を休んで行ってきました。
午前中に上平寺城へ行く催しもあったようです。知らなかったので参加できま
せんでした・・・
チラシの内容をお城さんマークにリンク(pdf)しておきますが、落語もお城も
好きな私は楽しく拝聴しておりました。第二部「鼎談」の内容は『歴史読本』
(新人物往来社)2010年5月号に掲載の春風亭昇太師匠と中井先生の特別対談と
被る部分がありますので、当該対談をお読みでなくて興味のある方はバック
ナンバーで入手される等でお読みになると今日の雰囲気を味わうことができる
かなあと思います。(今日は上平寺城のことも絡めていらっしゃいました。)
#多少被っていても、土の凸凹でにやにやできる方々の生の会話を拝聴するのは
#楽しいです。
今日のイベントでわかったことをネタを2つほど。
・師匠がお城の本を執筆中らしい。
・中井先生と加藤先生が今月下旬に韓国に行く。
#今日の新聞に載っていた新発見の子城台倭城の登り石垣がお目当て?
では、失礼いたします。http://npo-tmic.org/jyoukaku/06_kouza/2010_1214_omosiro_banasi_maibara_ibvuki.pdf
ポリタンクさん、こんばんは。
昇太師匠もお忙しいのに、お城の仕事は楽しんで
されているのでしょうね。
この時はとてもそんな余裕はありませんでしたが、
聴きに行ってみたかったです。
でもお城本は楽しみですね。実はこれはうかがっていました。がんばっておられるようで、完成が待ち遠しいです。
未訪の登り石垣(国内)を制覇すべく淡路へ行きました。それだけだと勿体
ないので、他にも足を運んでいます。
○白巣城(おまけ)
途中で黄色い門に阻まれ、「ここから歩きかあ?」と思ったら、「通ったら
閉めてね」の施錠無し動物除けでした。しばらくすると倒木がありましたが、
5ナンバーなら余裕です。駐車場で用を足してから散策開始です。
馬繋場下の堀底道の先にある竪堀を見た後に西の丸へ。途中の本丸下から
馬繋場へ続くようですが、薮を掻き分ける必要があったため、時間の都合上
パスしました。土塁よ、さようなら・・・
西の丸には白巣城跡の石碑と安宅の石碑があります。右奥へ進むと見える
立石から景色を眺めてUターン。左奥の先にある堀切を見てから本丸へ。
本丸には祠がありました。樹木で見晴らしは今一つです。馬繋場下の堀底道
まで戻り、米倉の前を通って東の丸へ。
東の丸は見晴らしが良いです。土塁を見てUターンし、東の丸進入口付近に
ある竪堀らしきものを拝んで車に戻りました。
以上の行程をゆっくり巡って約1時間です。
栗がたくさん落ちていましたので栗拾いのポイントかなあと思いつつ、同じ
ことを熊も考えるのかあとも思いました。
○洲本城(主目的)
車で大手門手前の駐車場まで行き、散策開始です。
一通り見学しましたが、ここではこれから登り石垣の見学を検討されている方
用に東西の登り石垣についてのみ書きます。
なお、『洲本城 Webガイド「東の登り石垣」』(リンクあり)にも「安易に
見学に行くと、大怪我する可能性もある場所」との警告がありますが、最低限の
格好として、長袖、長ズボン、登山靴かそれに近いトレッキングシューズ、
軍手は用意すべきかと思います。個人的には、石垣が崩落しかかっていると
いう足元の危うさを除けば、東西ともに竹田城の登り石垣見学よりは気分が楽
でした。(難易度は東の方が高いです。)
・東登り石垣
東二の門へ向かう途中にあるトイレのそばから東の丸へ進入し、東の丸高石垣
上部から北へ回り込みながら降りていくと見えてきます。
私が行ったのは5段目あたりまでで、そこから東へ移動して登り石垣に沿った
竪堀を見学したところでUターンしました。リンク先の写真3あたりは上から
見下ろすだけに留めました。
・西登り石垣
搦手口から登城道へ向かい、最初のU字カーブ手前から斜面を登って天守台の
一段下の石垣下を目指すと見えてきます。私は前述石垣下に沿って登り石垣の
東側へ回り込んでから降りました。『洲本城 Webガイド「西の登り石垣」』に
掲載の写真3の隅は岩盤の上に石垣を積んでいるのが見え、思わず「おおっ!」
と思いました。
これで、彦根城、洲本城、伊予松山城(おまけで竹田城)と登り石垣を一応
制覇でしょうか?
○炬口城(訪城断念)
洲本城の一通りの見学が終わった時点で午後1時を回っており、悩んだ揚げ句に
高速道路の渋滞回避を優先しました・・・
では、失礼いたします。http://sumoto-castle.net/guide-no6.html
ポリタンクさん、こんばんは。
国内の登り石垣をすべて登り降りされましたかw
うーんでもいい時期に洲本城に来られたと思いますよ。
いまはすごく見やすい伐採がされていて、写真も撮りやすくなっていますでしょ。
遠目にも恰好よく見えますし、洲本市ももっとPRすれば
いいのにと思います。
炬口城は年明けて再訪を考えているお城です。
ポリタンクさんとは一度どこかのお城でご一緒できれば
いいなぁと思います。
津山から新見に向かう県道を走ると、JR岩山駅西にそびえる塩木山城がある。けわしい岩壁の上にあり、いつかは登りたいと狙っていた。
森本基嗣氏の「戦国山城を攻略する」(岡山県内山城掲載)の登頂記のとおり小倉施術院手前の空き地に駐車。
墓地脇から伐開地を記載のとおり剪定鋏を使いながら登るも、ついに沢筋を直登。
このままでは進むことが不可能と、左側の崖の下をトラバース。
伐木地の最上部の踏み跡を進むと、崖の下に水が溜まった洞窟。水場だ。
そのまま踏み跡を進み、山道に出る。
しばらく進むと、道が消滅。
やっと、NHKテレビ放送アンテナのある出郭。二段になっている。石垣。
道なりに進むも、山道が消滅。
直登。
再び山道。
TV共聴アンテナの出郭。
急登すると帯郭。神社。主郭。
脇嶽(出丸)との青い案内看板。テープに導かれながら、西の帯郭を下りる。
鞍部に出ると分岐。
左は下山路。
直進すると帯郭が三段。
つづら折れを登り山頂に出る。
出丸と書かれているも、全く別の城と考えた方が適切か。
支城か向城のようだし、陣城風でもある。
左に帯曲輪。右に堀切、切岸の看板。
削平は甘いが、主郭と両端に小郭が段々。堀切は見えないが、無理は禁物と鞍部に戻り、下山道に入る。
鞍部から一旦登りになるも、T字路で下りになる。
点々とテープがあるので安心。
急こう配の良好な山道を下ると、なんと「潮城大手道」の石碑脇に出た。
ここから登れば楽だったのだが・・・・。
「知らぬが何とか。」
しかし、出郭近くの洞窟水場を発見出来て満足。
やぶくぐりさん、こんばんは。
これはおひとりだったのでしょうか。
かなり険しい城攻めですね。
もう何年もそんなことしてない気がしてきました。
でも遺構を示す看板があるとは驚きです。
地元の有志によるものでしょうか。
こういうのも見ると勇気づけられますね。
あと地元小学生がつくった看板とかも驚かされつつも
負けられないなという気になります。
なんとなくですが岡山県下にいくつかそういう例がある
ように思います。
この前、偶然なんですが小寺城の位置を知ることができました。
あの寺院(でわかってもらえますよね?)よりも南東、
丘陵の西面辺りがそのようです。
伝承では、正確に城という名前は挙がりませんでしたが、
館または屋敷跡で残っていました。
ちなみに名前をド忘れして申しわけないのですが、神社が建ってます。
切岸、曲輪のようなものもありますが、田畑になっているところも多く、明言できません。
それから――。
仕事が仕事なものですから、発表云々はご想像にお任せします。
あと家族持ちで、仕事がはかどらないために、
なかなか県外に出向けないことが、地元密着の原因です。
可哀そうだと思ってやってください。
また一度、お会いしたいものです。
では、よいお年を。まるさんこんばんは。
わかります、でもあそこも随分改変されていたのでは
ないでしょうか。過去にも小寺城の情報はここでいただいていますので場所は間違いないですね。
私もなかなか遠出できないので同じような状況かも
しれません。
またご一緒できる機会があればいいなと思います。
>では、よいお年を。
なんて気の早いと思っていたらちょうど
そんな時期になってしまいました。
よいお年を(^^;
多少なりとも私が見た雰囲気が伝わればと思い、中村城の写真をネット上の
アルバムにお粗末ながら数枚アップしました。(リンク有り)
なお、ついでに雰囲気を私の体験の範囲で文章にて表現するなら「大型化した
『佐保栗栖山砦』」といった感じです。
#関西ローカルな例えですみません m(_ _)m
では、失礼いたします。http://picmate-club.panasonic.jp/p/20372/album/AWuXVBLvC_LD/photo_list
ありがとうございます!!
私の好きそうな山城のようです。
しかも見晴しも最高じゃないですか。
『佐保栗栖山砦』了解しました
分かりやすいです(^^
ばんたんさんに情報をいただいた神社から登るべく、斎藤隆夫記念館に駐車
させてもらう。館関係者の方に念のため「七年山ってこれですよね?」と
確認。その方曰く、「山腹の社の脇に人が通っていたらしい道があるので
それを辿って登り、左に折れると小学校に出ます。右にはお城があったらしい
けど行ったことがない。」とのこと。諸々のお礼を言ってとりあえず登る
ことにしました。
急な石段を登って山腹の社へ。その先に道はありましたが、落ち葉のオン
パレード。虎ロープはありませんので滑落しないよう慎重に登りました。が、
「帰りはこれを下るのかあ?」と早くもにビビリモードです。なんだかんだと
登っていきますと、山名氏城郭保存会Webサイトご提供の縄張図で言いますと
「北城」の南にある二重堀切のさらに南にある小曲輪につきます。用途不明の
四角い石がおいてありました。
さらに南へ尾根筋を登って「南城」へ向かいますが、尾根筋は当初の落ち葉
地獄に比べれば歩きやすいです。最初のピークに至る手前あたりから連続する
曲輪あたりからテンションがあがり始め、石垣らしきもので囲まれた曲輪を
見て「おおっ!」、二番目のピーク手前の堀切を見たときには「おおおっっっ
!!!」、一人で小躍りしておりました。二番目のピークにある広い曲輪には
鉄の残骸がありました。アンテナでも立てていたのでしょうかね。ここから
先は道らしきものが見当たらないのでUターンしました。
それまでの道程と館関係者のお話を考えると、「北城」方面に小学校があるの
かもと思い、落ち葉地獄を避けることができることを信じて尾根筋を北上。
「北城」は東側の見晴らしが良く、有子山城や此隅山城を望むことができま
したので、訪城をお考えの方は足を運ばれることをお勧めします。
しばし遠方を眺めてからさらに北上しますとコンクリート棒らしきものが
埋まった小曲輪で行き止まりになりましたが、気を取り直してその左手前から
下りますと鉄塔があり、鉄塔の柵に沿って下るとどう見ても人工的な小道が
あります。小道を左(尾根方向)へ進むと少々急で支えになるものも少ない
下りになりますが、頑張って下りますと福住小学校跡地に出ました。跡地には
車を止めるスペースもあります。
南北両方を見るのであれば、最初(私の道程では最後)が少々きついだけの
福住小学校跡地からの訪城が無難かなあと思いました。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんばんは。
すばらしい!!
中村城に行かれたんですね。
大変参考になるいい情報ありがとうございます。
小学校?というのがイメージしにくかったのですが
跡地だったのですね。
地元の方に聞きやすいです。
なるほど。
○竹田城
日の出の時間(6時50分頃)に立雲郷へ行きましたが、駐車場は満車で入り口
近くの路肩に駐車です。雲海はきちんと出ていましたが去年見た時より高度が
低かったです。その後お城に移動して雲海を撮影しつつ場内を散策。
雰囲気に浸るために人が減るまで待ちたいのは山々でしたが、後があるので
あきらめました。
○此隅山城
南側からの遊歩道を利用して登城しましたが、落ち葉のせいで踏ん張れず、
虎ロープに救われました。しかし、有子山城といい、出石の遊歩道は遊びの
レベルが高い・・・。歩いていると説明板もいくつかあってわかりやすかった
です。説明板の横にある蓋付の箱はたぶん資料入れでしょうね。残念ながら
中身は空でした。
主郭はそれなりに茂っていましたが、案内板等は問題なく見れました。最大の
目的物である西北西尾根の土塁と堀切をしばし観察し、更に奥の説明版まで
行ってUターンです。他の尾根筋は時間の都合上割愛しました。
南西にある宗鏡寺砦は見ておこうと思ったのですが、入り口を見つけることが
できずに墓地の中を徘徊しましたが、あまりうろうろするのも不謹慎かなあと
思って諦めました。
#続きがあります。ポリタンクさん、こんばんは。
竹田城の雲海は無風状態であるのも重要な要素ですね。
私の中では去年見た雲海が過去最高だったです。
此隅山城はイメージではヤブなのですが、そうでも
なかったのですか。
でもこの2城だと移動距離を考えるとあれ?と思った
のですが・・・続きがありますと・・?!
12月の山城会は備中。
今回は大人3人。
備中・国分寺の駐車場集合。
総社市の「軽部山城」に向かう。
乳が良く出る霊験あらたかな「軽部神社」に駐車。
神社に参拝、甘食が2個ついたような絵馬が沢山かかっている。
谷筋の立派な登山道を登ると廃屋。
さらに進んで尾根まで800m。尾根筋に出ると西に右折。帰りのためにマーキングする。
間もなく浅い堀切。郭群、土塁がめぐる。かなり広い。土塁も延々と続く。主郭の先で進むのをやめる。この先はヤブが少し濃くなっている。
ずっと尾根に従って西に進むと「軽部城」だが「軽部山城」の出郭ととらえたい。以前西側から竹やぶを登って縦走した記憶がよみがえる。
案内した2人も満足。
2つめは「幸山城」。西北の大手筋から登る。下の寺辺りが根小屋や屋敷地に見える。
途中も郭や竪掘みたいな感じが連続。
登山者に次々に会う。
最後の登りの横は大竪掘のように見える。
3人とも、ものすごい妄想に取り付かれたか。
「幸山城」に入ると大土塁、郭、箱堀、主郭。家族連れが記念写真。
3つめは足守の「宮路山城」。
堀に囲まれた「足守陣屋」の裏手の神社から立ち入り禁止の竹をまたいで中電送電巡視路に入る。
鉄塔までは急だが広い山道。
鉄塔下の笹ヤブの密生している左側のポール脇に赤テープをつける。
笹ヤブにけもの道風の穴がある。
ここをくぐると尾根筋。
登ると堀切、郭のセットが次々と現れる。二重堀切、郭、畆状竪掘、横堀、切岸、腰郭、土塁。
一旦下がって主郭。つぶれた祠が二つ。
「く」の字になった城域の半分まで来て主郭だが、ここでヤブが濃くなり撤退。尾根筋に赤テープを点々と付けながら
帰る。
この後、「鳥越城」と「冠山城」を攻略。
皆満足の一日。
やぶくぐりさんこんばんは。
うう・・今回は若獅子はお休みなんですね。
軽部山城、幸山城はよさそうなお城ですね。
ぜひとも挑戦したいです。
宮路山城はちょっと攻めにくそうですね。
さらに山城を2つですか?
すごいですね。
お腹いっぱいの一日だったようで、羨ましいです。
詳細は甲賀市Webサイトの該当ページ(リンクあり)とそこにリンクのある
pdfの目次をご参照いただければと思いますが、ブックレットが付属して
3500円(送料別)というのはお買い得です〜。まだパラパラと見ただけ
ですが、第一章と第二章は地域の城館を絡めたお城の読み物になっています
ので面白そう。関係各位に感謝、感謝です。
ただ、ブックレット巻末の『城跡を見学する前に』にて、スズメバチへの注意
喚起とともに「鈴鹿山系はヤマヒルが多い地域」で「立ち止まるとよじ登り
長靴の中にも入ってきますので注意が必要」と書かれていて、訪城の際は
何らかの対策がいるのかなあと少々臆しています・・・、が、訪城しないに
しても城跡を扱う書籍としてよくできている(って、私が「上から目線」で
評価するのもおこがましいですが・・・)ので、興味がおありの方は入手
されることをお勧めします。だぶん損はしないと思います。
では、失礼いたします。http://www.city.koka.shiga.jp/guide/education/shishi/vol7.php
ポリタンクさんこんばんは。
お城好きはついつい本にお金を使ってしまいがちですね
私も迷わず買いました。
買ってよかったです。
こちらは雪も大丈夫そうかなと思うので、行きたい
のですが最近は一人だと腰が重くなっていけません。
まだご覧になられていない方は是非お勧めですよ!
烏山川が暗渠化されたため、あの付近が詰まらなくなった。豪徳寺へは、高校(今は無くなった)近くだったのでよく行きましたよ。現在の国士舘の辺りも結構城跡の雰囲気がありましたね(55年ぐらい前は)。宮坂八幡の辺りも城内だったのでは?wy1さんこんにちは。
wy1さんはあのあたりにも土地勘がおありなんですか。
世田谷城に関しては以前、春風亭昇太師匠が改変しすぎだと
怒っていらっしゃいました。
55年くらい前だと相当違っているのでしょうねぇ・・。
今でも「都心部でこれだったら」とありがたく思うように
していますが、なくなっていくのを見ていくのはさびしいものですね。
> 話題になっている『美作国の山城』ですが、販売方法が
> 「全国山城サミット紹介ブログ」に掲載されていた(リン
> ク有り)ので、早速メールで注文しました。
おーーーー、情報提供有難うございます。
早速注文しよ。
> DSソフトの作成やイベント開催で大忙しのようですね。
え、なんすかそれ、そんなこともやっているんですか、管理人さん。
ところで、管理人さん、東京イベントいかがでしたか?関西組は指をくわえているだけでしたが、どんな感じだったのか教えてください。
続きがあります。ブレイズマンさんこんばんは。
美作国の山城はもう入手されましたか?
さて、DSソフトというのはDSで見る電子書籍のことです。
お城めぐりの旅
http://www.dsvision.jp/item/Detail.action?dsin=OMT0010L
1つのお城にかなりの分量の文章を割いていますので
めちゃくちゃしんどかったです(^^;
お台場のイベントは事前の苦労はしゃれにならない
くらいでしたが(実は)・・大成功だったと思います。
会場である東京カルチャーカルチャーのサイト内で
UStreamのリンクがあったと思います。
動画で2時間オーバーなイベントをご覧いただけます。
岐阜城はちゃくちゃくと国史跡指定に向けた準備が進んでいるようで、もう間もなく指定をうけるのではないでしょうかね。
さて、その岐阜城ですが、金箔瓦が出土したそうですね。
これは、前々から指摘されているルイス・フロイスが記載されている、4階建ての壮麗な建物、宮殿、天守のことですね。
まだ発掘途中ですが、懸案となっていた「礎石」も発見され、焼土層も出土したそうです。安土城でも金箔瓦が出土していますので、今後類似性が検討されるのではないかと思います。
4階建ての壮麗な建物があったかは、今後の調査が待たれますが、なんらかの建物があった事はほぼ確定できたと思ってもよいのではないでしょうか。
織田信長の居館とーとー発見ですね。
前に一度行ったんですけど、発掘調査中でよくは解っていませんでした。いやーーーーー、また行きたいですね。
国史跡指定もあいまって、今後ますます岐阜城には目が離せませんね。
続きがあります。http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101122/acd1011222347003-n1.htm
ブレイズマンさん
あれ、まだ指定されてなかったけ?と思う
岐阜城ですが昨今の居館まわりの評価も少なからず
入っていることでしょうね。
数か月前に行った時は出土した瓦や焼け土を見せてくれる
場所もあり、なかなか楽しかったです。
岐阜城にいって山上にあがらなかったのは今回が初めてでした(^^;
隅櫓は戦前に復興されたものです(大震災で壊れたので)。
現在の再建された状態は、どうもピンと来ません。と言うのは終戦直後の状態を、私が知っていて、小学校時代は遊び場でした。崩れた石垣、天守閣の土台が小山のようにあり、いかにも城址の感じでした。大人になってから知ったのですが、北條時代の小田原城は、現在の東海道線の西側の丘陵地帯が本城だったのですね。父が建てた小田原に於ける最後の我が家はまさに北條時代の城内にありました。二階からは相模灘がばっちり見えました。江戸時代の小田原城は目の下に、、。wy1さんこんばんは。
本岡です。
小田原城もどんどん綺麗になっていて、観光地化してきて
いますね。
なんと城内にお住まいだったのですか!
随分今とは違った雰囲気だったことでしょうね。
古い写真なんかも城好きには貴重なものになりますよ、きっと。
タイトルの城址2箇所の近くに住んでいます。高根寺は地形から考えるに、高根城の一番西外れだと思います。
金杉神社は恐らく、城の東端の物見台のような感じです。もう少し西へ行くと城址らしいところがありますね。
小田原育ちなので後北條びいきです。又、原田甲斐の治めた船岡にも子供頃(終戦まで)6年間おりましたが、その頃は恐らく柴田氏の方がずっと知られていたと思います。船岡城とは呼んでいなかった気がします。単に”館山”と呼んでいました。wy1さん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
大変遅い反応で申し訳ありません・・。
高根城は随分前から行きたかったお城で、ようやく
行けたと思ったら大雨になってしまったのですが
悪天候の中登ったのを覚えています。
いい天気の日に再度訪問して写真を撮り直したいです。
船岡城・・?あ、宮城の大きな看板がある船岡城ですか。
地元の方ならではのお話はやっぱりいいなぁと思いました。
ありがとうございます。
今回の山城会は大人3人、小学生1人のメンバー。
岡山市東平島の夢タウンに集合。
相生市の「感状山城」に向かう。
羅漢の里付近では案山子が沢山迎えてくれる。
羅漢の里に駐車。黄葉目当ての観光客多数。
羅漢さんにも参拝。
年よりにはきつい遊歩道を進むと城域に至る。
コピーした縄張図に従い各郭群を廻る。
すごい石垣群。写真撮りまくり。
大手門跡にも足を延ばす。
二つ目は「下土井城」。
中郷のバス停付近に駐車。
手元の鳥瞰図を見ながら民家の間を通り、鞍部を目指して山に取り付く。最初は手すりのある舗装歩道。
いのしし除けのフェンスの扉を通り右折して道なりに進む。
鞍部手前の竪堀から尾根に出て南進。ダラダラした長郭。
灌木は少なく歩きやすい。
見所の三重の堀切は岩盤を削っている。
三重堀切の向こうは岩盤の切岸。左側のう回路を通る。
土塁、郭の連続。詰めの郭の三角点から南に下りると横堀、二重竪掘の複雑な組み合わせ。この城の最大の見所だ。
小学生も堀底まで下りてくる。
三つめは相生市役所近くの「大島城」。
道が広くなった場所に駐車。
神社化しているが、海城の作りで主郭の周囲に腰郭が廻る。
車も主郭まで登れる。
最後に「若狭野陣屋」訪問。
国道2号線北側の集落にある。
陣屋脇に駐車。石垣と塀が残っている。裏の神社は以前ズボンをひっかけて破った思い出の地。
裏の神社も陣屋の跡なので見落とさないよう皆を案内。やぶくぐりさんこんにちは。
1人で参加しているその小学生は山城好きなのですか?
子供のうちから随分と英才教育を受けているんだなと
ちょっと羨ましくなりました。
感状山城メインでバランスいいコースだと思いました。
また播磨にお越しくださいませ。
西尾根の「土の城」を見るべく再訪です。
前回学習した二の丸への階段を避ける迂回路(というか、虎口へ続くので
これが正規かも)で折れ曲がるところを行き過ぎてちょっと失敗。なまじ
直進できたのが災いしました。折れ曲がるところには道標はないので、
右側を見上げると見える折れ曲がり後の道標を頼りにするとよいことを
学習。気を取り直し、小姓丸の先へレッツらゴーという感じで進みました。
で、結論は表題のとおりです。西尾根の堀切の先にある鉄塔までは行ったの
ですが、その奥から「ドスドスッ」という音がしました。熊除け鈴の変わりに
持参していたパーティーベル(手首に巻くタイプ)を鳴らすと、さらに「ドス
ドスッ、ドスドスッ」という音が・・・。逆光で何がいるかはわかりません
でしたが、それなりのものがいそうだったので引き返しました。
帰路でも小姓丸あたりで右の方からオットセイのような鳴き声が・・・。
「山中でこの鳴き声って、まさか熊?」とびびり、その後は一人パーティー
モード全開で音を鳴らしながら急いで下山しました。帰ってからネットで
確認した鳴き声(リンクあり)と同じような感じだったので、断念したのは
正解だったかもしれません。
蛇足ですが、帰りに通った大阪府道46号線でダム迂回用道路が完成しており、
安威砦を正面に見下ろしながら運転できるという贅沢な眺めとなっています。
では、失礼いたします。http://www.tokyo-zoo.net/encyclopedia/species?code=67
ポリタンクさん、こんばんは。
リベンジしたいところですがよく我慢されましたね。
すさまじい足音ですから、クマじゃなくもっと怖い
ものを想像してしまいました(^^;;
去年は猪に追突された経験もありますので、私も動物
には十分気を付けたいと思っています。
先月も竹田城の斜面で鹿と出会ってしまいました。
向こうが逃げてくれたのでなんともなかったですが(^^;
あークマベルどこにいったんだろう。
>安威砦を正面に見下ろしながら運転できるという贅沢な眺め
ほほぅ・・・。メモメモ
岡山市建部町は北半分が美作の国る
岡山県北部は、未だに熊出没。熊目撃情報は170件を超えている。
そんなこんなで美作国南部の4城訪問。
図書「美作国の山城」に出ている縄張図の城探訪もこれで14城目。
最初は旧建部町下神目の「鷹栖城」。
国道53号線から南進し、川と線路を渡った民家脇の道に車
を置く。墓地に登る刈払い道を辿ると直ぐに切岸、郭の連続。
そのまま進むと竹林に横堀。石垣があるので驚いたが、後世のものと判明。農家跡の廃屋がある。尾根続きの堀切りは無い。ここまで山道良好。
二つ目は同じ下神目の志呂神社脇にある「伏谷城」。数十台置けそうな駐車場。
今回は二度目なので見晴らし場への道を登らず、神社のトイレ脇から急斜面を直登すると堀切り、切岸、郭、岩場。更に進むと広い郭。その奥に一段下がって小郭。神主さんの話では寺の跡で城ではないとのことだが、どう見ても城の遺構のようだ。
縄張図のとおり東に見える伊勢畑城の出城と確信。
三つめは下神目の野口に登る道脇にある「下風城」。
この城は縄張図にあるように回の字型に土塁が廻る。ここは三回目の訪問。
道路脇の広場に駐車。法面の横手から踏み跡を辿って登り付く。灌木とシダを約100mヤブこぎ。
切岸に出る。切岸の下は浅いが横堀のようだ。
切岸、土塁のセットが二重に全周。虎口も縄張図のとおりはっきりと見れる。
道脇にこんな城があるなんて感動もの。
最後は三明寺にある「蕨尾城」。
車で山道を登り切ると集落、畑。
道脇の大師堂横に駐車。畑仕事をしている方に話を聞くも、ご存知ないような様子。地主の方とのこと。
縄張図のとおり使われなくなった林道に入る。
道上に切岸が続く。間違いなく城郭施設だ。笹や灌木をくぐって林道跡を武者溜りまで進む。
突然、横矢のかかる土塁、虎口。織豊系の陣城。谷を隔てて西側にある毛利の「高城山城」や「鶴田城」攻略の向城。
高城山城北側にある「寄城」とそっくりな構造だ。
帰りに先ほどの畑仕事の方に、県下に千以上ある中世の城の中でも貴重なものなので破壊しないようお願いする。
クマの目撃情報が170件を超えたのですか。
すでに山深い城跡はクマの生活圏なのでしょうか。
やぶくぐりさんはかなりのベテランの方ですから
大丈夫なのでしょうけれど、気を付けてくださいね。
それにしても「蕨尾城」の地主さん、城跡をご存じ
なかったのは怖いですね。
埋蔵文化財となっているわけでもないのでしょうか。
しばらくずっと籠城を余儀なくされていた時間が悔しい
です。
早く城にいかねばっ。
冊子代よりも送料等の費用の方が高くつきましたが、それでも全体で2000円
ちょっと。内容を考慮すれば激安ですね。
管理人様がおっしゃっていた付属の岩屋城周辺の地図はちょっと感動して
見入ってしまいました。下世話な話ですが、これだけで元がとれた気分です。
肝心の冊子自体も、多数の縄張を掲載しているだけでなく、各城跡の位置
情報を示した地図があり、私のような美作に土地勘がない者にとっては大変
有り難いです。
関係各位に感謝、感謝。
ただ、今のところ通販方法を紹介しているのは「全国山城サミット 紹介
ブログ」だけのような気がします。見落としていなければですが、津山市
Webサイトや津山弥生の里文化財センターとかには冊子の紹介がないです。
あまり大々的に販売するつもりはないのでしょうかね?
購入層を想像すると「全国山城サミット 紹介ブログ」だけでもよいような
気もしますが、当該ブログをチェックしている方々は当日現地で購入して
いる可能性があるので、冊子通販のPRとしては微妙かもとか思ったり・・・
では、失礼いたします。美作国の山城は、お城情報を発信している人なら
たいてい入手されていると思いますし、それぞれが
ブログやWebサイトで絶賛されていることでしょうから
Webだけでも十分な告知ができているんじゃないかなと
思います。
ただおっしゃるようにオフィシャルなのは欲しかったですけどね。
もう売り切れるとか。
ひょっとしたらネットで高値で取引されるのかなと思ったら複雑な心境です。
週末に高取城へ紅葉狩りに行き、今日は美濃で城巡りをしました。
#本当は但馬に行きたいのですが、熊出没情報に臆しています・・・
高取城は意外と人がいました。雰囲気に浸れず残念でしたが、今回はあくまで
紅葉狩りなので可としています。紅葉狩り故に未訪の弥勒堀切はお預け状態
です。
松ノ門あたり(だったような)の小さな曲輪の下草が刈られており、中に入れ
ました。ただ、大手門から猿石の間の登城道で石垣崩落防止の金網が増えて
おり、見てくれ的にはちょっと残念な状態になっています。
美濃はといいますと、岩村城->明知城->苗木城と回ったのですが、明知城は
地元の森林組合さんが城内で伐採中につき来年1月まで立入禁止、訪城中止を
余儀なくされました(泣)
岩村城は昨日の雨のせいか別称のごとく霧が立ちこめていて雰囲気満点。遅れ
ばせながら三大山城を制覇してにんまり。そういえば、追手門を過ぎた先の
右手の曲輪と本丸埋門あたりで掘っていました。発掘調査でしょうかね。
今回予想外だったのは、岩村城はメインでそれ以外はおまけのつもりだったの
ですが、いざ行ってみますと、苗木城の方が個人的には石垣のインパクトが
強かったことです。岩村城の石垣も十分満足度は高かったのですが、苗木城の
岩盤とのセットというのは備中松山城で感じた「おおっ!すげえ!」の再来
でした。
しかし、明知城立入禁止が事前にわかっていたら、当初予定時間の都合で進入
しなかった岩村城南曲輪をきちんと見学したんですが・・・。事前確認して
いなかったことが悔やまれます。
では、失礼いたします。ポリタンクさんこんばんは。
私も今年高取いきましたよ。
おっしゃる通り金網が結構存在感があって、かなり
残念でした。
私がいったときも数名登ってこられていましたので
「へぇ〜」と思ったのを覚えています。
明知城で伐採が行われているのですか。
私がいったときも全体にヤブ化してましたので
綺麗にしていただけるのはありがたいなと思います。
でもなかなか事前にわかるものじゃないのが悲しい
ですね。
このポリタンクさんのような書き込みを、分かりやすく
一覧でき、かつ自由に書き込めるようにできないものか
と常々悩んでおります。
昼食後、津山市河辺の「河辺城」訪問
国道179号線から南に入ると直ぐに河辺神社。
神社の駐車場に車を置くと宮の池の向こうに刈り払った小山が見える。
宮の池から手の入った山道を東に、北の出郭。ここから道なりに南に進むと土塁、虎口のある主郭に至る。地主のおじいさんが刈払機で草刈中。ここも平成16年の台風で植林全滅とのこと。
主郭の石碑に手を合わせる。
尾根続きは土橋で終わっている。
南進して美咲町(みさきちょう)百々(どうどう)安井にある「姥ケ城」訪問。この城はおかやまGISでは羽仁橋の北側にあるように記載されているが、一昨年登って空振り。
「美作国の山城」の縄張図から位置を割り出して再訪。
北側の和気山酪農牧場に至る広い道に駐車。舗装軽トラ道を進むと、集落に出る。畑仕事のおばあさんに尋ねると「ここが姥ケ城」とのこと。道の南側の小屋から山林に入り100m程で土橋のある大堀切、小堀切、両側が竪堀になる大堀切と三重の堀切になっている。
切岸の左側に踏み跡。登ると土塁のある主郭。
主郭の西側は櫓台。南へ郭が段々と下っている。
ここも美作に多い、台地端の「山畑・集落・城」のセットになっている。
最後は美咲町新城の「新城城」。
この城も位置が判らず三回目でやっと登城。
最初は新城の集落訪問。二回目は「新城城」から道を隔てた東側の山。実は東側の山には削平の甘い郭らしき段々が三つと浅い堀切らしきものがあり、「美作国の山城」が発刊されるまで「新城城」と誤認。
道路脇の広くなっている場所に駐車。
笹の向こうに踏み跡。剪定鋏で道を作りながら尾根を進むと小郭。ここで山道は城の北側を斜めに登っている。直登するとヤブと倒木なので、ここは道なりに進む。
登り切ると主郭。土塁が廻る。虎口から土橋を渡り馬場。
このまま進むと牧場に入ってしまいそうなのでUターン。
三度目の正直と満足する。やぶくぐりさん、こんばんは。
ようやくひと山越えることができましたので
美作攻めを考えておりましたら、雪がふってきてるんですね。
今回もいい情報ありがとうございます。
なかなか行きにくい方面(私には)なのですが、
また機会をうかがっておくことにします。
ありがとうございました。
11月13日に場所を間違えた津山市福田の「丸山城」に再チャレ。
国道53号線を隔てた線路付近の旧道に駐車。国道を歩いて渡り狭い橋を通過。縄張図に従い奥の谷池に至るも、道は消えて笹ヤブで撤退。城の南側の墓地東端の踏み跡からヤブこぎ。
剪定鋏で道を作りながら進む。
勾配が緩くなり尾根に到達。
郭が続く。ヤブも薄くなり、ほぼ平坦な郭。
見所の土塁ライン。虎口から土橋、竪堀。一旦虎口まで戻り東へ。横矢土塁に沿って進むと次の小ピーク。井戸は見つけられなかったが満足して、来た道を下りる。
次は津山市瓜生原の「瓜生原城」。
広戸川の堤防に駐車。登城口は民家奥の墓地から東に進む、農作業者に挨拶。城は北側の隣の尾根にあるが、作業道が主郭に向かっている。
谷が無くなる辺りで右側に堀切。
ここから山林に入るとすぐに主郭に至る。最近は人が入っていないようで倒木点在。西側の郭群を見て車に戻る。
今日のラストは鏡野町高山の高山城(小田城)。キリゴ谷城山を左手に見て、そのまま妙見山参道を進む。民家が切れた先の広場で登山準備をしていると、軽トラが登って来る。
手を振って停まってもらい、道を聞く。「山頂まで車で行けるよ」とのことにて後を追う。道が荒れて四駆軽トラ道になる。
フイットでは無理かなと、車の腹を擦りながら進むと妙見宮下の駐車場。駐車して妙見宮まで長い石段を登る。
お宮の裏側に帯郭。岩場に見晴らし場が作られている。
一旦、駐車場に戻り、縄張図の土橋、堀切、主郭と進むと倒壊した祠。物見岩方向に降りてみるも途中で倒木。
マタマタ、車の腹を擦りながら参道を下る。車が壊れなかっただけましか。いやぁ・・車で山を登るのは勇気が要りますよね。
淡々と書かれているように感じますが、実際は
冷や冷やの連続だったのではないかと思います。
やっぱり山城攻め専用に軽トラがいるんじゃないですか?(^^
仕事が立て込んで身動きがとれず、シーズンインしたにもかかわらず出撃
できなくて悶々とした日々でしたが、やっと解放されました。皆さんの
書き込みを拝見して「へー、ほー、ふーん」と自分も参加した気になって
気を紛らわせていただきました。
さて、泣き言はさておき・・・
話題になっている『美作国の山城』ですが、販売方法が「全国山城サミット
紹介ブログ」に掲載されていた(リンク有り)ので、早速メールで注文しま
した。詳しい内容はリンク先をご参照頂きたいのですが、概略として費用を
書きますと、冊子代と送料(着払い)だそうです。
やぶくぐりさんからご教示いただいた岩屋城周辺の地図がすごいようことを
管理人様がお書きなので、手元に届くのを楽しみにしているところです。
#まだ代金を払っていないので発送はまだ先のことですけど・・・
Twitterの方で紹介があった『甲賀市史7 甲賀の城』も予約していますので、
深夜の脳内訪城のネタにはしばらく事欠かないかなあと自分を慰めています。
では、失礼いたします。
--
追伸
管理人様>
DSソフトの作成やイベント開催で大忙しのようですね。精力的なご活動に
頭が下がります。DSソフトを移植してAppleのApp Storeで販売してもらえ
ないかなあと思ったりしましたが、ハードウェアとしてはライバルなので
無理ですかね・・・http://blogs.yahoo.co.jp/zenkokuyamashiro/34474328.html
ポリタンクさん、こんにちは。
私もなかなか時間がとれず、せっかくのシーズンですのに
悶々とした日々を過ごしております。
美作国の山城、甲賀の城ともに素晴らしい本です。
是非とも楽しみにしていてください。
DSのソフトは電子書籍ですので、Apple対応も現在進行中です(^^
昨日、訪城記をUpした津山市福田の「丸山城」は、もうひとつ北側の尾根にあることが判明。
ミスだったので訂正します。
次のチャンスに期待します。
「美作国の山城」の縄張図と「おかやまGIS」から1/5000地形図をプリントして津山市の城館めぐり。
先ず、津山市下横野の「懸縄城」に向かう。
高田小学校付近に駐車。北進して林道安田線に入り、集落を抜けしばらく進むと左側に堰堤。
北と西が伐採されている。
伐採跡地を北進。作業道が消えると倒木処理後の根株が邪魔をする。尾根直前で林になると尾根下の山道に出会う。
南南西の出丸の真下だ。
一旦、西に進み尾根に出る。北進すると切岸、郭、堀切、
郭。少し下ると竪堀、土橋。登ると二の郭の手前に高い切岸。尾根なりに東に向かうと土橋とその下に郭。細尾根を進み小郭、高切岸、平坦な主郭。地形図だと東に山道があることになっているがヤブ化して見当たらず。帰りはGPSのお世話になって林道に出る。往復3時間。
「池上砦」は高田神社になっているが、周囲に土塁が廻る。県道を隔てた西側の神社の駐車場奥にも土塁。長さ100m、幅50mの方形のようだ。
「池上砦」西側の「小丸山城」は一部に竹やぶが残るも、宅地と畑になっており、ほぼ消滅。
津山市下高倉の「岡隅城」の北側に駐車。軽トラ道を進むと竹やぶ。道下に郭と土塁らしきものあり。期待して道を曲がると畑が続く。主郭部分も大豆畑化。城郭らしくない状態、消滅か。
津山市中島の「嵯峨山城」の南西500mにある「洲前城」訪問。縄張図を見ると「嵯峨山城」と同様に横堀が廻り、織豊系の城のようだ。
現地に着くと、城の北側が伐採されている。楽勝気分。
西側の四基の五輪塔から登ると作業道。これを伝って縄張図にある土塁のある二段の郭に出る。下の郭は片堀切がある。土塁はどちらも見当たらない。伐採、植林作業で消滅か。
主郭は横堀が廻っている。岩屋城包囲網の陣城のイメージ。そのまま東に進んで三重堀切に到達。現地は堀切が四重になっている。
この城は「嵯峨山城」とペアになって山頂の駐屯地の防衛線になっているようだ。
最後に津山市福田の「丸山城」訪問。
国道53号線から南西に狭い林道を進むと峠になっている。
あやしげな廃品置き場。車はバックして林道の広い所に駐車。歩いて登ると峠の林道脇に堀切。
倉庫らしき建物の北側から東に入る。平坦地にヤブの連続。
よく見ると土橋や横矢土塁らしき低い構造物があるがヤブで判別出来ない。主郭に進むも尾根筋は高低差が少ない。
食糧難時代に耕地化されていた可能性もありそう。
やぶくぐりさん、こんにちは。
美作国の山城を活用されていますねぇ。
この本のおかげでこのシーズンに美作を攻める方が増える
んじゃないでしょうか。
普段出会えないような山の中で誰かと遭遇するかもしれませんね。
私は先週末但馬で鹿と遭遇しました。
動物とはよく逢うようです。
私も少しは美作国の山城を見て勉強しないと。
以前、書こうとして忘れていたことを思い出しましたので書きます。
明石市にあります金ヶ崎城。
あ? 金ヶ崎城??
と思われるのも無理はないです。
なにせ、どこの書物にも載っていませんし、
当地にも伝承はなく、隣町になぜか伝承があるというかわった城ですから……。
城主がだれかも伝わっていませんが、近くには秀吉の本陣跡がありますから、
羽柴軍が山陽道を押さえるために設けたか、
または真っ直ぐ南へ下りていけば魚住新城があり、魚住氏の砦跡もその線上にあるために、
魚住氏が金ヶ崎(魚住庄の北端)が築いたのか、
のどちらかになると思います。
場所は黒岩神社とその上の団地となります。
なにせそこは、明石で最高の山(といっても80m)ですし、
側には大昔に駅があったことですから、
重要な場所ではあるんですけど……今はなにもありません。
神社の周囲に切岸があるようにも見えますが、造成が進んでいるために断言はやめておきます。
最近は、こういった人に知られずに眠っている城を訪ねるのが面白くて仕方ありませんwまるさん、こんにちは
金ヶ崎城は知りませんでした。
相変わらず地道な作業をされているようで、頭が下がります。
いつかまとめて発表の機会を考えておられるのですか?
活動成果を拝見できることを楽しみにしておりますよ。
記念誌「美作国の山城」の縄張図をじっくり拝見。
316ページの「天神山城跡縄張図」は、318ページの是久山城の縄張図のようです。
95ページの「釜戸原城跡縄張図」を見ると、湯原湖に西から伸びた尾根ではなく、北から伸びた尾根上にあるようになっている。
373ページの位置図の北側になるので、旧役場の資料が間違いか・・・・。
現地には湯原湖の湖岸道路が無く、到達不可能なので確認のすべもない。
しかし、これだけ多量の縄張図と情報をよく収集できたものだと、この本の制作に携わった方々に感謝。もうあちこち見つけられたんですか。
流石ですね。
私も305ぺージの荒神の上城の「立地」は妙福寺の上のものだと気づきました。
しかしこういうのって、何度見直しても全然気
づかないのに他人が見たらすぐわかるんですよねぇ。
お久しぶりです。
今日、朝早くから竹田城に行ってまいりました。
本当なら昨日がよかったのですが、諸都合のおかげで行けませんでした……
雲がやや薄かったように思われます。朝来市のHPなどに載っている想像図より薄かったのは確実でした。
しかし、雲がしっかりと見え、まさしく「天空の城」の趣を感じさせました。
今度は、もっと霧がしっかりしている頃に出かけたいですね。来年でしょうか……?
では、また。Soldierさんこんにちは。
竹田城の雲海は運ですからねぇ。
毎年いっていますが、去年見たものが私にとっては最高でした。
そんなに遠いわけじゃないですから、また行ってみてください。
でも年々人が増えてる気がしますね。
私は岩津ねぎ解禁の頃とあわせて行ってみます。
それでは。
> 一番の目的は、第25回国民文化祭津山市実行委員会刊行の
> 記念誌「美作国の山城」。
> この手の本が1,000円とは信じがたい程の安値。
> 縄張図が多数掲載されている。
やぶくぐりさん情報有難うございます。
いやーーー、そんないい本なのですか?
私もほしい、ほしーーーーーぃ。
どーにかして手に入らんなのだろうか?
図書館で閲覧でもいいので、なんとかして手に入らないだろうか。
では、では。http://www.city.tsuyama.lg.jp/index.cfm/22,4955,113,html
ブレイズマンさん、こんにちは。
> 記念誌「美作国の山城」。
私もこれが欲しくて参加しましたが、実は多く
作りすぎたそうで近々通信販売(なんか変?)を
するそうですよ。
販売方法が決まったらまたアナウンスされることでしょう。
お楽しみに。
> 11月1日(月曜日) 「田原城見て歩き」
に参加したかったのですが、私も仕事で行けなかったので、この前行ってきました。
四條畷市立歴史民俗資料館
まずここに行って来たのですが、いやーーーびっくりです。大阪にある有名どころの山城の出土遺物がずらーと展示しているではないですか。
資料館の人も言っていましたが、ここまでの遺物の紹介は40年前に大阪城であったそうですが、それ以来だそうで、持ち出しも初めて行った遺物が多数あるそうです。
申請すれば、見れない事は無いと思うのですが、ここまで揃って見れる事はないと思うので、関西圏の人は是非行かれるといいと思います。わりとしっかりしているパンフレットも無料で配られています。
次に田原城に行ってきました。
いやーなめていました。あまりたいしたことない城だと思っていましたが、非常に良好な状態で遺構が残っているではないですか。管理人さんのページにも、
> 綺麗に整備されているので散策しやすく、また地形がよく
> わかってよかったです。是非このままずっと残していって
> いただきたいです。
と書かれているように、現在も散策しやすく整備されています。
> 城郭体系に載っている縄張り図と比較すると城の規模はか
> なり縮小してしまってはいますが、それでも現在残されて
> いる部分だけでも十分その迫力が伝わってきますね。
とありますように、残念ながら半分は土地開発に伴う部分で西の出丸部分は壊されていますが、それでも確かに十分迫力は伝わってきます。
後この城に行かれる場合は、田原城城主、田原レイマン、キリシタン大名の菩提寺となっていた、
・千光寺跡
と田原城の前身である、
・古城跡
も行かれる事をお勧めします。
千光寺は恐らく江戸時代のキリシタン弾圧で廃寺になったのではないかと予想するのですが、平成6年に初めて確認されました。これも土地開発に伴う発掘で存在が明確になりました。今私の持っている資料では、田原レイマンの菩提寺となる前から寺があったのか、菩提寺として新たに建立されのかは不明です。
しかし、出土された遺物から三好長慶家臣団の中でも田原レイマンはなかなかの有力者だったのではないかと思います。三好長慶家臣団として史料にはあまり登場しませんけど、地元の有志であったのは間違いありません。織田信長にも拝謁した事があるそうです。
では、では。http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20101103/201011031600_12057.shtml
> 本丸部分だけだと確かにこじんまりしてしまいますが
> 北部に残る堀切(南側もだったかな)や、芳徳寺や正木坂
> 道場までを城域にふくめるとかなり大きなものになります
> ね。
そー思います。柳生城は当時も少し大きかったのではないかと思います。遺構が残っている部分は、詰めの城という印象がありますね。
> 感状山城無事いってこられましたか。
はいはい、行ってきました。この話忘れていました。
> やっぱり登城は羅漢の里からのコースでしょうか?
その通りです。
> 私はそこから右回りに大手も見ながら南曲輪群の石垣をみ
> つつ山頂へ、曲輪Iを降りて井戸を見つつV曲輪群を見て
> 帰るというパターンでした。
えーと私はパータンは逆で大手を最後にしました。
登城は9月後半でしたので、比較的楽だったように覚えています。気になるのはあの岩ゴロゴロですよね。個人的には、単純な曲輪留め程度の石垣だったのではと思います。防備のための石垣とは思えませんでした。そのかわり曲輪ぎりぎりまで建物が建っていたと思えるぐらい、曲輪の端がまっすぐなのが印象的でした。
それにしても感状山城って不思議な城ですよね。今までのパターンにあまりなかったような印象です。
> 工事報告サイトが工事中のままって・・・(^^;;
なるほど、工事中というのは姫路城の事ではなく、サイトの事だったんですね。
話は少し変わりますが、岐阜城って国史跡に指定されるんですね。
お城さんマークにホームページ入れときます。
信長居館跡
・庭園跡
・門の礎石、石垣など
は見つかっているそうですが、後は天守居館が発見できるかどうか、ワクワクですね。
続きがあります。http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20101103/201011031600_12057.shtml
10月30日、31日の二日間に渡って津山市で「中世山城の祭典」が開催され仲間も大勢参加。
31日は行けなかったが、30日には「神楽尾城」見学会と音楽文化ホール「ベルフォーレ津山」での山城サミット、記念講演に参加。
一番の目的は、第25回国民文化祭津山市実行委員会刊行の記念誌「美作国の山城」。
この手の本が1,000円とは信じがたい程の安値。
縄張図が多数掲載されている。
まだ行っていない山城も縄張図で確認し、おかやまGISの等高線に合わせて位置と登城道を確認できる。
縄張図が掲載された未訪の山城への期待がつのる。
縄張図で紹介された山城訪問に数年間はかかりそう。
記念誌だから入手チャンスは一回きりと、自分用に二冊買い込んでしまう。あ、31日はいらっしゃらなかったんですか!
最後に山形さんが挨拶されたのですが、図面を書いて
こられた苦労エピソードに感動しました。
冊子についていた岩屋城周辺の大判の地図はすごい力作ですよね。
右上部分の陣城もあそこまで遺構が確認できるものなんでしょうか。
私は南側を3つほどしか行ってませんので、また続きにチャレンジしたいです。
家族旅行は小豆島オリーブ祭。土庄港からスカイラインを通り、星ケ城北側の駐車場にパーキング。
ここから東西どちらの峰まで遊歩道を約400m。両方共に山城遺構がある。
今回は家族連れの為、東峰の仏教遺跡らしい石造の塔のある方を選択。
石を積んだ溜井から1.5m位の切岸を登ると郭、広さは30m四方程度。
快晴に恵まれ展望良好。
山を下って道の駅でオリーブ採取とショッピング三昧に終日つきあう。やぶくぐりさん、こんばんは。
小豆島に車で行かれたんですね。
高くつくでしょう・・。
私も2回行きましたがほんと痛い出費です。
それでも星ヶ城は行ってないのがもっと痛いといいますか・・。
小豆島は石切丁場をいくつも見てきましたが、城以上に
見応えあるものもありお奨めです。
私はここのおかげで大坂城関連の丁場めぐりをしようと
計画中(計画倒れの可能性大)です。
そういえば先日の津山は行かれていましたか?
31日のシンポでは質問をしようと張り切って構えて
おりましたのに、あらかじめ用意された1人だけが
質問して終わりという肩すかしでがっかりでした。
本岡さん,お久しぶりです尾張の終わりです。みなさんの山城めぐりの書き込みを見ていますといろいろと行かれているんだなあと思いました。そして僕はというと.ここ2ヶ月間仕事が忙しくてなかなか山城めぐりには行けれませんでした。ここ最近行ってきたところといえば.お盆休みに行ってきた静岡県三島市の山中城跡と沼津市にある興国寺城跡に行ったぐらいです。山中城跡は噂どおりの素晴らしい山城でした。僕が行った日は.あいにくの天気でしかも山中城跡周辺には.霧がたちこめていました。ただその霧のおかげで幻想的な雰囲気が楽しめたのですごくよかったです。興国寺城も伝天守跡の下にある大堀切にはとても驚かせられました。今度行く機会があれば岐阜県郡上市にある篠脇城と愛知県豊田市にある山中城と松平城辺りを行ってみたいと思います。特に篠脇城は臼の目堀と呼ばれる畝状空堀群という城郭遺構が見られるのでとても興味がわきます。仕事が忙しいけれども行けれる機会があれば行こうとおもいます。それではこの辺で失礼します。尾張の終わりさん、ご無沙汰しております。
山城攻めにはいい季節になってきましたね。
ただ今年はあちこちでクマ情報が出ていますので気が気ではないです。
あと、私が遠征した時に限って雨が降るのでほとんど
城に行けません(;_;)
篠脇城はいいですねぇ。
まだ行ってないのですが、写真だけ見ているとうずうず
します。
また面白いお城がありましたらよろしくお願いいたします。
本岡です。
告知をさせていただきます。
11月13日(土)に東京お台場の東京カルチャーカルチャー
にて「お城めぐりナイト3」トークイベントを開催します。
チケットは余っていますのでぜひお近くに遊びに来られる方
や行ってやってもいいかなという方はお越しくださいませ。
−−
マニアックなお城通の方も、まったくお城を知らない方でも存分に楽しめるお城トークライブ「お城めぐりナイト」が2年ぶりに帰ってきました!
今回のテーマは”土の城”です。天守閣もない、石垣もない・・そんな無骨なお城が堪らなく好きな方、あるいはマニアなお城好きってどんな人達なんだろうとご興味を持たれた方、そもそも”土の城”ってなんだろうという方などぜひぜひお越しください。
今回は大プレゼン大会と題し、7名の”土の城”好き達による熱いプレゼン&トークバトルで盛り上げます!
−−
司会はほたるゲンジの桐畑トールさん(この方も土の城スキ)が面白く盛り上げてくださいますよ。
山城シーズン間近の今、土の城で盛り上がりませんか。http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_100921203168_1.htm
*イベントの詳細URLはこちらです。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_100921203168_1.htm
当日は、この日初めてお披露目いたします、新刊
「戦国名像全国版ハンドブック」をもっていきます。
実は以前からあたためておりましたテーマでして、
いろんな切り口で書き下ろしております。
よろしくお願いいたします〜
初日は福島駅からレンタカー。
国道4号線を北上伊達氏の本城「陸奥・桑折西山城」登城。細い化粧坂を登ると役場の車が降りてくる。腹をこすりながら交せる所までバック。大手門跡から西山砲台(戊申戦争遺跡)、本丸、中館、西館と廻る。広大な城域に郭、枡形虎口、石垣、石積城壁、土塁、横堀。
次は奥州藤原氏と源頼朝の戦場。
頼朝が本陣を置いた「藤田城」だが切岸と民家のある平坦地。
藤原氏側の「阿津賀志山防塁」は阿津賀山から阿武隈川付近まで約3Km〜4Kmの城柵。国道4号線ラインの見所の三重の防塁と大木戸、第二防塁を廻り、防塁始点から厚樫山展望台に登る。ここから全景を妄想。
山を下って堀と土塁が廻る「石母田城」。馬出しもある。
翌日は仕事。
三日目。仙台「青葉城」は二度目の訪城。今回は観光地になっている部分の他、二の丸、三の丸の堀や土塁を廻る。
「岩切城」は公園化されており、快適な舗装歩道。
ここも広大な城域。谷を採り込んだC字型を基本に派生尾根にも郭を配し、出丸を諸所に設けて城塞群をなしているようだ。
地質の関係か、切岸の勾配が急峻。
西に1.5Kmの「松森城」も駐車場付き公園化されており、主郭と二の郭は楽々訪問。北側は崖。
「館前遺跡」は東北本線国府多賀城駅の北西約400m、帯曲輪の廻る単郭の小さな台地状。国司の館の後、中世も砦として使用。
「多賀城」は奈良、平安期の奥州経営の拠点。東西1.5Km南北2.5Kmの変形四角形。
土塀跡や楼門、広い舗装大路。南辺築地、南門、政庁、東門、東の隅の土塀までけっこう遠いが感動もの。
四日目に平成7年に再建された白石城訪問。早朝なのでタクシーもつかまらず。城まで2.5Km歩く。城は張りぼてだがうーめんを食べ、満足して帰路につく。
やぶくぐりさん、こんどは東北ですか。
しかも私がこの夏に行っていたところとかなり被ります。
桑折西山城はいいお城でしたね。
それにしても車であがられたのは驚きました。
私はお寺裏の墓からあがっていきました。
でもやっぱりレンタカーを使えばよかったとつくづく後悔しています。
阿津賀志山防塁も行きたかったですし、岩切も予定して
いたのに電車の乗り継ぎが悪すぎて日没となってしまいました・・・。
白石城はイマイチなご評価みたいですね。
あそこはすっかりBASARAな小十郎一色となってしまっているようですので、若い女性が多かったんじゃないですか?
今日は京都へしぐれ焼きを食べに行くついでに、未訪だった物集女城を
目指してみました。
#「方向違うやん」というツッコミが入るかもしれませんが・・・
城跡南東方向にあるマンションの駐車場から写真を撮影していると、
マンションから出てきた子供に「何してるんですか〜」と質問されま
した。挙動不審だったのですかね・・・。「そこのお城を見に来てん。」
と言ったのですが、城の存在を知らない感じだったので、「ほら、お城が
あってんで。」と手にしていた『京都乙訓・西岡の戦国時代と物集女城』
(文理閣)の表紙を見ると、「ほんまや。お城があってんなあ。」と納得
してくれました。
車をおかせてもらった公民館に復元模型が展示されていたりするので、
地元では周知のことかと思っていたのですが、思わぬ青空教室(?)と
なりました。これを機に会話した子供が城に興味を持つようになって
くれればなあと思いました。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、子供が話しかけてくれたんですか。
余計に焦って挙動不審になりませんか(笑)。
将来の城リストを1人覚醒させてしまったかもしれませんね。
大変有意義な活動をされましたよ。
天守閣なしですんなり”城”を受け入れてくれたのはすごいことですねえ
眼鏡を新調して図書、森本基嗣氏の「戦国山城を攻略する」にある浅口市の「備中安芸守山城」攻略。
案内図の松井団地に駐車。北側の林道に入るもそのまま行き過ぎて左の谷のヤブに入る。古墳群から剪定鋏で切り開きに1時間。岩場が連続し撤退。
林道入口に戻り、本の文言を確認。林道に入って直ぐに左折して上の畑に入る。
竹林を抜けて少々ヤブ。中電送電線巡視道に合流。
しばらく山腹を北進すると送電鉄塔の見える小さな峠。
ここから踏み跡程度の枝道に入り直登。
突然主郭に出る。南に郭が段々と下がっている。石垣、土塁のセット。
県道を北西に笠岡市新賀の「諏訪山城」訪問。
道路脇の駐車場から切り開きを登るとすぐに郭。低い切岸、縄張図のとおりほぼ単郭のようだ。
向かいの「政所山城」は県道でカットされている。
のり面に沿った小道を左手の高い方の山に登ると墓地。
ここからヤブに入るとすぐに低い切岸に囲まれた主郭。斜面に帯曲輪。ここもほぼ単郭の縄張図のとおり。
笠岡市甲弩に移動して縄張図にある「折敷山城」を目指す。西側の小川の横の広い所に駐車。
この辺ではけっこう有名な城だが登り口を聞くも不明。
南の大手は民家で塞がれている。
東の民家の横から三の壇に入るも切岸がきつくて登れない。
北側に廻って搦め手の民家の間の舗装されたくねくね路地から登ると墓地。主郭と竹ヤブ化した北郭の間の堀切から主郭に出る。
搦め手の入り口に戻って西に進むとすぐに駐車位置に出て帰路につく。
やぶくぐりさん、さっそく新しい眼鏡を試しがてら城攻めですか。
やっぱりまだ少し季節が早いのでしょうかねぇ。
私も森本さんの御本を持っていますので、藪情報を
付け加えておこうと思います。
ありがとうございます。
さて、今週末の津山は楽しみです。
宅原城 やっと遺構を確認されてこられましたネ!!
取り付きは北の民家裏手からなら直ぐですが、東南の住宅地端の歩道から 谷を挟んで東の細い尾根も気になる段差をもつ平坦地形ですが陣城と思える主郭縄張りからは隔世の感じ・・後世開発によるものか?。
城址碑はここ15年前後(最近)に建てられたものの様です。三田市内にお住まいの山主さんが建てられたと聞きますが、碑文を信ずれば、赤松家関連<蒲公英城?>の砦が、荒木・有馬・秀吉等の蒲公英城や三田城攻めの陣城に改修されたものかと思えてきます、根拠のない空想ですが(・・汗)http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/
天々宇知栗さん、大変ご無沙汰しております。
宅原城は駐車スペースをどこにするか、どこからとりつくか
で迷いますよね。
住宅地がそばまで建っていると気が引けていけません。
なんとあの城址碑はそんなに新しいものだったんですか!もっと年季が入っているように見えましたよ。
でもとりあえずあの状態は今後も維持していって
いただけそうですね。
あそこは今後周りの風景のギャップがますます大きく
なっていきそうで、よけい行きにくくなりそうです。
管理人さん、こんにちは。はじめまして。
毎回楽しく閲覧させて頂いています。
松本城:私見のところで誤りを発見したので御報告致します。
「天正十年(1582)に織田信長が木曾義昌の要請により武田信玄を滅ぼし、その結果として木曾義昌が深志城主となりました。しかしその後信長が本能寺にて横死を遂げると、信濃はたちまちのうちに混乱してしまいました。
そんな信濃を急襲したのは越後の上杉謙信でした。深志城の木曾義昌を城から追い落とすと、」
とありますが、
・1582年に滅ぼされたのは武田勝頼です。武田信玄は1573年に病没しています。
・「越後の上杉謙信」とありますが、上杉謙信は1578年に没し、1582年の越後上杉家の当主は上杉景勝です。
それに織田信長の横死による混乱で信濃を奪取したのは遠江の徳川家康です。
・織田信長が武田勝頼を滅ぼしたのは、木曽義昌の要請ではなく、木曽義昌が織田信長に寝返ってきたのを好機として、織田信長が攻め滅ぼしたのです。四郎勝頼さん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
助かります!
確かにいくつかおかしな点がありますね。
内容を改めたいと思います。
ありがとうございました。
ずっと気づかないままでした。
山陰、岡山、兵庫、攻略中。土田様、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
私がよく行っている地域と被っていますので
どこかのお城でお会いしたことがあるかもしれません。
また何か新たな発見や最近の城行で面白いことがあったら
教えてください。
今後ともよろしくお願いいたします。
秋の山城会は矢掛の「備中・伽藍山城」から開始。
伽藍山の西側、矢掛町寺谷の集落最奥のお寺の駐車場に車を置く。
谷筋の林道(軽四駆道)を東に進むと杖の置いてある広場。
ここから山道を進む。クモの巣がうるさい。水場。水曲輪らしき段。
そのまま鞍部のベンチに着く。
ここで左折して北へ。
すぐ土橋、帯曲輪と切岸、郭の防御セット。
少し山道を登り、竪堀、土塁、竪堀となり、二の郭。
奥に主郭。
現在はまっすぐの道だが、往時は虎口の直前で折れているようだ。
ぐるっとまわった帯曲輪。主郭。
寺の跡。ここまではハイキングコース。
街道の方に郭が続くようだがヤブ。
来た道を引き返す。
次に、小田川を北に渡って矢掛町浅海の田鶴山「龍山城」を目指す。
おかやまGISで見つけた北側の山道から歩き始める。
竹林が郭に見えるも150m程で樹木で道を塞いである。
東側の岩山神社に車を移動。
集落を抜けて畑になった南側の尾根に入る。
栗林から先はヤブで撤退。もう少しで尾根の携帯アンテナだが、ここで眼鏡を失う。
地図では西側からも道が携帯アンテナに向かっているようなので、次のチャレンジとする。
三つめは倉敷市石田の鳥ケ岳城(石田城)。
小学校の北側から二筋目を右折。車をデポ。
山から西南に伸びた細尾根から取りつく。
この細尾根は郭群のようだ。多分屋敷地。
道横の小さな池は地元の方に聞くと堀とのこと。
竹林に郭、土塁、竪堀、池。
竹林が終わると頭までの笹ヤブ30m。
この先は急なくねくね道。岩もある。
郭、帯曲輪を過ぎると主郭の櫓台。三角点。
主郭、土塁、石垣、郭(小さな段々が続く)と進む。
階段道でUターン。
転がるように坂道を下りる。
やぶくぐりさん、こんにちは。
伽藍山城は初めて聞きましたが、整備されていて散策
しやすそうですね。
2つ目の城で眼鏡を失うと書かれていたので、帰りが
大丈夫かな?と思いましたがさらにお城に行かれていた
ので替えがあったのでしょうか。
私も山城で眼鏡を急斜面の下に落としてしまい、そのあと
はずっと細い目で過ごして難儀したことがありましたので。
ブレイズマンさん>
> 11月1日(月曜日) 「田原城見て歩き」
おお、いいですね。田原城はNo.2069にて書いた訪城予定の一つです。情報
提供有り難うございます。
午前中開催ということであれば、午後から近所の北田原城へという行程を
組むことができます。ただ、平日というのが痛いですね。仕事を休まないと
参加できません(泣)
あと、この場をお借りして・・・
やぶくぐりさん>
ハンドルネームを誤って「やぶくくりさん」と記載しておりました。大変
失礼いたしました m(_ _)m
管理人さん、
> 姫路城天守の工事進捗状況サイトがなかなかOPENされない
> です。「このページは工事中です」って・・・。少し遅れ
> てるんですねぇ。
という事ですが、感状山城の行く途中で姫路城のご尊顔を拝見してきました。
今やすっぽりカバーがかかって天守は見る事が出来ませんでした。但し、周りの櫓はカバーが無く見る事は出来ました。まー見た感じは順調に進んでいるようにも思えましたよ。
さて、お城さんマークに入れておきましたが、四條畷市立歴史民俗資料館で、
「田原城とその菩提寺」
が開催されていて、
11月1日(月曜日) 「田原城見て歩き」
というのが行われるそうです。田原城は一度も行った事のない城ですので、この機会に行ってみよかなー友思っています。
詳細はまだ未定で、午前中開催されるそうです。お知らせしておきます。
では、では。http://www.city.shijonawate.osaka.jp/h130101/page/2010/1001/event/p201010015266.htm
ブレイズマンさん、
あ、そこでつぶやいていた真意は、見学予約を1番に
してやろうと狙っているのですが、なかなかサイトが
開設されないことをつっこんでたのですよ。
予定では9末だったのに・・・
工事報告サイトが工事中のままって・・・(^^;;
ばんたんさん、「感状山城跡発掘調査報告書」を教えていただきまして有難うございます。
ただ、最寄りの図書館で頼みましたら、「感状山城跡発掘調査報告書」ではヒットしない、1997年以前の発掘調査3部では取り寄せる事が出来る、とのことでした。
うーーーーん、なんでなんだろー。
ただ、いずれにしましても、大変助かりました。
さて、今回奈良県にある「豊田城」に行ってきました。
詳しくは、お城さんマークにあるコクジンさんのホームページをご覧ください。
感状山城も結構不思議な城でしたが、豊田城も非常に違う意味で不思議な城でした。
豊田城の特徴はやはり巨大な空堀ですね。で、空堀を見た時「あれ、どっかで見た事があるなー」とよく思い出してみると伊賀国にある忍者城の堀の構造と似た感じがありました。
しかし、伊賀国の忍者城は単郭曲輪が多いですが、ここは曲輪が連結されています。
伊賀国の深い堀構造と松永久秀系の曲輪構造を組み合わせた感じになっているが印象的ですね。虎口の横矢構造は以前見た龍王山城の北城や福住中定城とも似ていますね。
なにかの本で、豊田城の空堀は鉄砲から射撃場として作られたみたいな事が書いてあった記憶があるのですが、見た感じこれは空堀に敵兵を落とし込み、曲輪側より槍で上から突き刺す、弓で攻撃する、古いタイプの城のようにも思えます。
規模も大きいですし、なかなか見ごたえのあるお城でした。但し、クモ山が沢山いますので、その辺は気をつけてお出かけください。
続きがあります。
お久しぶりです。
仕事に追われているものですから、なかなか城めぐりができないのですが、
この前、家内の実家へいったついでに神吉城周辺を散策してきました。
(家内の実家は、織田VS神吉の激戦地跡なんです)
神吉城攻防戦で織田方が陣を布いた宮山は、
神吉城と志方城をさえぎる重要な役目を担った陣地で、
近くには「もしや土塁?」と匂わせくれるものもありますが、
山頂には古墳しかなく、雰囲気だけしか楽しめませんでした。
まぁ、仕事しろ――ってことですねww
織田軍は4〜5万で包囲したとも言われていますので、
三木城よりも多くの兵力が投入されています。
当然、それだけ陣地跡もあるわけで……。
これからは神吉が面白くなりそうです。まるさん、ご無沙汰しております。
相変わらず地元に深く関わった調査(?)をされていますね。
神吉ですか。なんか車がとめづらい印象があって
素通りしてしまうのですが、どう面白くなって
いくのかまたお聞かせください(^^;
やぶくくりさん>
訪城された方ならではの追加情報を有り難うございます。
葛下城の位置、あってましたか。よかったです(笑)
葛下城は南北両方にルートがあるのですね。郭群をめぐると満喫できそうなので、
南から行こうと思います。
医王山城は見どころが未整備なのですね。ただ、郭内を巡るだけでも面白いと
想像しますので、リベンジ予定に組み込みます。因に、私が先日行った際は
シーズンオフのせいか主郭でも下草が腰を越える(私の身長は180cm超)状態
だったように記憶しており、さらに別の郭へ行く気が萎えてしまっていました。
岩屋城の竪堀は「てくのぼり」のみなのでしょうね。でも、「てくのぼり」だけ
でも十分見応えがあるのでは期待しております。訪城の際は、ご紹介いただいた
陣城等と本城を最低限セットしようと思います。
行きたいところがいろいろあることを少し前に投稿いたしましたが、高速道路を
利用しない大阪府、京都府、奈良県を後回し(リベンジを誓っている周山城を
除く)にして、但馬国、美作国、近江国を優先して今秋から来春にかけて(高速
道路が安いうちに)訪城しようと思い直しました。
では、失礼いたします。
ポリタンクさんへ
「葛下城」の位置をぴったり当てられて驚きました。南側の谷の奥から入る道は一部竹やぶになっていますが石垣もあり、郭群をめぐるようになっています。
もう一つの道北側の橋の横の舗装急坂道を登り、四角い水道タンクから西へ尾根を辿って主郭に至る道です。
舗装急坂道からそのまま続くダマシ作業道を辿ると山中を直登するようになりヤブこぎがしんどいです。
「医王山城」は「中世城郭事典 三」掲載の郭はほとんど地元の方が刈り払われたので大体行けます。
ただ、北側の「烏仙城」に至る尾根の四重堀切は今年初めの小生訪問時、倒木とヤブで足を踏み入れる状態ではなかったです。
南側の竪掘群もヤブ化しており、しっぽを巻いて退却しました。
当時、地元の方々の話では見所なので整備したいとのことでした。
「岩屋城」の堀切は、ご指摘の小分城の郭群に三つ。石橋上砦に一つ、本丸と二の丸の間に一つは確認していますが、そのまま竪掘になって斜面を下っていないように思います。
9月28日に再訪しましたが、「てくのぼり」は大堀切から舗装作業道まで全て訪問可能です。
舗装作業道の盛土小崩壊も修理されています。
慈悲門寺下砦の下側の内枡形に新しく表示看板が出ましたので第一駐車場から登られる時はご覧下さい。
岩屋城の入り口にある「荒神上陣城」はすぐに行けるのでぜひ尋ねて下さい。感動ものです。
やぶくくりさん>
「付近で他に面白い城郭跡があれば是非併せて」にお答えいただき有り難う
ございます。早速ちょこっと調べさせていただきました。
矢筈城の縄張図は美作の中世山城連絡協議会に縄張図がありましたので見て
みました。面白そうですね。『日本城郭大系 13 広島・岡山』にも「岩壁と
険阻な山容を巧みに取り込んだ難攻不落の山城」と紹介されていますので、
非常に興味が湧きました。しかし、
> 登り2時間、下り1.5時間のハイキングコース
・・・、医王山城の下りで膝が笑いかけたというヘタレな私にはちょっと
した覚悟が必要なようです。
葛下城の場所は鏡野町内の中谷と山城の境(リンクあり)になると想像する
のですが、
> 一番の見所は主郭から北側の麓の谷側まで一気に落ちる竪掘
『日本城郭大系 13 広島・岡山』にて桜井丸から東急斜面を下ると紹介
されている竪堀のことでしょうか。見学には確かにヤブこぎの気配が漂い
ますが、竪堀にはそそられますね。岩屋城を本城だけに絞ればセットで
行けそうな気もします。(甘い?)
では、失礼いたします。http://www.mapion.co.jp/m/35.1069191666667_133.885034722222_9/
やぶくくりさん>
詳細な情報を有り難うございます。
> 現状のあのヤブに突っ込むのは無理だと思います。
津山城に行くついでにと資料を物色した際、『中世城郭事典 三』掲載の縄張図を
見て、「おおっ!よさげじゃあ!」と思ったのですが、『日本城郭大系 13 広島
・岡山』には「三の丸一帯は女竹が所狭しと繁茂」とも書かれてあったので、
時期的にも下草は多いだろうなあとある程度の覚悟はしていたのですが、地元の
やぶくくりさんが到達されていないとなると、私の覚悟は浅はかだったと考えざ
るを得ません・・・。ですが、ある意味で良い体験でした。
中世山城医王山城跡保存会の情報(リンクあり)では2009年1月の情報で二の丸と
三の丸の整備についての意欲を示されていますので、そのうち見学しやすくなる
かもしれませんね。写真を拝見すると昨年は二の丸への通路整備もなさっている
ようですし、4月あたりが見学に適していそうな雰囲気です。
#ってか、思いっきり他力本願な私・・・
神楽尾城は散策しやすそうな雰囲気ですね。南方面の見学にはヤブこきを要する
とのことなので、訪城するなら医王山城とセットにすると思いますので、春先に
なるかなあ。
岩屋城は周辺も満喫には時間がかかるのですね。津山城のついでにと思っていた
のは完全な誤りだったとわかりました m(_ _)m
情報を拝見するとかなりの気合いと覚悟を要しそうなので、訪城を検討する際
には入念な情報収集をせねばと思いました。ただ、移動距離の都合上頻繁に通え
そうにないので、本城だけでお茶を濁すことが予想されます。はい。
> 竪掘が有名な畆状竪掘位しか見られないのが不思議
美作の中世山城連絡協議会掲載の縄張図(リンク先から「トップページへ戻る」
経由で辿れます)でもおっしゃっているあたりにしか竪堀はないようですね。
ただ、「小分城跡」とあるところの先に、現地の概要図にはない堀切が示されて
います。
#FM放送で中世山城をネタにしているのを知り、「いいなあ、津山って」と思い
#ました。
ポリタンクさんへ
津山市北部の旧加茂町にある「矢筈城」は備中高梁の松山城(新旧併せて)に匹敵するような延長1.8キロに及ぶ連郭式山城で、登山道も整備されており、登り2時間、下り1.5時間のハイキングコースになっています。
この城も一城別郭で2つの城を連ねたようになっています。
見所は詰めの郭から落ちる竪堀(縄張図を見るまで岩谷だと思っていました)と北側の尾根を数十メートルも断ち割った堀切(ここも自然地形だけかと思っていました)です。
津山市の隣の鏡野町中谷にある「葛下城」も延長600m位の城で山中に郭が点在しており、一番の見所は主郭から北側の麓の谷側まで一気に落ちる竪掘で、約200mあります。
物資を引き上げるのに使ったようです。
この城には一部石垣もありますが、道はほとんど整備されていません。
縄張図の看板は川を隔てた集落にあります。
ヤブこぎにはもってこいの城です。
矢筈城はよさそうな城だなと思ってたのです。
しかし結構な時間が必要なんですねぇ。
葛下城は・・・
>ヤブこぎにはもってこい
うう・・・これはちょっと・・。
ポリタンクさんへ
「医王山城」訪問記拝見しましたが、小生も主郭北側の連続堀切と三の郭南側の畆状竪堀には到達していません。
現状のあのヤブに突っ込むのは無理だと思います。
「神楽尾城」は毎月2〜3回登りますが、駐車場は近くの神楽尾公園に二か所あり、20台以上置けます。
神楽尾公園からは2ルート案内標識があるので標識どおり進めば、安心して廻れるように整備されました。
城の見所としては、主郭群+三の郭と二の郭群の一城別郭になっているのと、その間の林地になって見えなくなった泥田堀。主郭下の帯曲輪の二か所にコの字型の土塁がある郭があり、鉄砲戦を意識した構造。
南側の三の郭から竪掘、土橋を渡った南側の石仏山の郭などで、城域は馬場にある看板の倍以上の範囲に四方に広がっており、手軽な冬のヤブこぎ探検の場にしています。
岩屋城は国道脇の入口の看板から谷に入り、看板とトイレのある登城口に数台駐車可能(この駐車場の奥の城に至る舗装作業道入口にも数台置ける)。
この城の一番の見所の大型連続竪堀は奥の舗装作業道脇に見られるので、同好人を案内する時は帰りにこのルートを使うケースが多い。
大手門跡から城内に入るとぐるっと郭群に囲まれた池のある平坦地。
城自体も大きく、郭も諸所に廻っているので尋ねていない郭群やルートがいくつもある。
これだけの大城なのに竪掘が有名な畆状竪掘位しか見られないのが不思議。見落としがあるか。
有名な天正12年の岩屋城接収戦の岩屋城をぐるっと取り巻く8キロに及ぶ鉄砲土塁の陣城群はミニ万里の長城のイメージで感動ものです。一部は刈払い整備されているのでご覧ください。
この陣城群をぐるっと一回り踏破する(地籍調査道を使用、倒木帯もある)のに2冬、述べ4日かかりましたが、縄張図に書かれていない遺構が随所にありアドベンチャー気分に浸りました。小生は地図とコンパスを使用しましたが、入られる時は地図表示のGPSの併用をお勧めします(道に迷うと簡単に山中彷徨、遭難します)。やぶくぐりさん
私も岩屋城の周囲をぐるりとめぐってみたいなと思って
去年の冬に行きましたが、見応えがある陣城が南側に
集中していて、北側はテンションがあがらずにただ
歩くだけとならないか心配でした。
あと、地図を見ていますと確かに迷ってしまいそうです。
あそこで遭難したらほんとに恐ろしいです・・。
ブレイズマンさんへ
>感状山城の発掘調査報告書があるんですよね。出来ましたら、タイトル名と著者名を覚えておられましたら、教えていただけたら大変助かります。お手数かけますがよろしくお願いします。
タイトルは「感状山城跡発掘調査報告書」で、発行元は相生市教育委員会、発行年は1997年です。自分は図書館で読みました。
> 可能であれば神楽尾城と岩屋城にも行ければと思っていたのですが、
> 畝状竪堀群を拝めないという状況が予想されたのでやめました。
> ああ、リベンジする地域がまた増えてしまいました・・・
やぶくくりさん>
神楽尾城と岩屋城という言葉に妙に見覚えがあるなあと思って掲示板を
改めて見てみたら、やぶくくりさんの9月4日の投稿(No.2060)にもろ
登場していますね。しかも、神楽尾城はご近所ですか!
医王山城を含めた3城は機会があればリベンジも含めて訪城を検討して
いるのですが、見どころや車での注意点などをご教示いただけると幸い
です。また、付近で他に面白い城郭跡があれば是非併せて。
おかやま「中世山城の祭典」は非常に興味がありますが、日程的に参加
できるかが微妙です。参加できたら、見どころなどをその場でいろいろ
伺えるとは思うのですが・・・
では、失礼いたします。こんにちは。
>中世山城の祭典
私は2日目の午前中のシンポだけ出て(本買って)帰ろうと思ってます。
もし参加されるようでしたら、よろしくお願いいたします。
新見市の黒髪山登山の帰り、市街地外れの新見女子短大北裏にある「備中・竹野城(茶臼山城)」登城。
「おかやまGIS1/5000」では南側の新見女子短大の敷地裏からと、城の北側の和牛牧場からの山道が書かれている。
南側の新見女子短大敷地からの山道は、あやしい人物として通報される危険がありそう。
北側の和牛牧場前の路側に駐車。
牧場の柵に沿った作業道を南進。
50m程で牛小屋に突き当り、そのまま進むと立ち入り禁止の牧場内に入ってしまうので東の谷に向かう山道に入る。
道なりに谷をU字形に進むと東に延びた尾根の切通し。
尾根に登ると、先ほどの道は堀切の堀底道。
尾根の北側は切岸で北側を意識した防衛ライン。
東側に尾根を進むと、更にもう一つの堀切道とその先の郭。
元に戻って山道を進むと牧場からの作業道に出る。
作業道を南に進み、終点に堀切・土橋・腰曲輪セット。
丸々と太った女郎グモの巣を次々に杖で払いながら、高めの切岸を登ると主郭とそれをC字形に取り巻く郭のセット。
南の高めの切岸を下り、そのまま南に進むと広めの郭が3〜4段続く。
それにしても、山中で杖をぐるぐると回しながら歩いている男を目撃したら顔が引きつるだろうなと想像してしまう。
城の北側は牧場造成時に消滅したようだが、現在の城域の総延長は300mはありそうだ。
帰りは先ほどの牛小屋を経由して車に戻る。
車の横で着替えをしていると、牛舎の牛たちやヤギがカウベルを鳴らしながら物珍しそうにこちらを見ている。
やぶくぐりさんこんにちは。
竹野城の攻城記ありがとうございます。
女子大そばの登城口は確かに危険ですねぇ・・・。
私は民家の裏手を通る登城口もびくびくしながら
人が来るのを待つくらい(挨拶したらOKみたいな)ですよ。
遺構自体はよく見れるようで、なによりでした。
蜘蛛の巣よけの棒グルグルは無意識でやってしまいますよ。
でも最近クマの話題が多いのですが、岡山はどうなのでしょうか。兵庫も出かける前に情報を確認しないとなと思っています。
お気をつけて山城攻めを堪能ください。
発作的に津山へ行きました。
まず、医王山城へ。
蜘蛛の巣いっぱい、所々で笹らしきものが胸あたりまでという状況で、
麓から30分程度で主郭まで。主郭は下草で覆われて、辛うじて虎口の
石垣を拝みました。主郭北側の連続堀切と三の郭南側の畝状竪堀群を
拝むことはあきらめて下山しました。
下山途中ですれ違った地元の方のお話だと、青年団が整備してくれる
予定だそうです。地元の方のご尽力には頭が下がります。時節柄スズメ
バチがいましたので、秋になるまでは注意が必要ですね。
次に津山城へ。
今回の主目的です。ありきたりな感想で恐縮ですが石垣が見事でした。
本丸東側(鼓櫓跡付近)で発掘調査をしていました。備中櫓内では
厠に見入ってしまいました。復元とはいえ、城の厠を見るのは姫路城
大天守地階以来です。姫路城のそれと異なり、向かって右側(用を
足す際に体の左側になる方)のスペースは左側と同じように見えます。
備中櫓は御殿の一部として機能していたそうなので、厠に刀を持ち
込むのは想定外なのでしょうね。
なお、備中櫓内で購入した『津山城見聞録』(津山市)の一部は
インターネットで読むことができます。(リンクあり。)
可能であれば神楽尾城と岩屋城にも行ければと思っていたのですが、
畝状竪堀群を拝めないという状況が予想されたのでやめました。
ああ、リベンジする地域がまた増えてしまいました・・・
では、失礼いたします。http://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/hyaku/dai01.html
ポリタンクさんこんにちは。
ひそかに津山行きの際に狙っていた医王山城の情報
ありがとうございました(^^
津山は東からの景観が素晴らしくなりましたよね。
今まで以上に石垣の存在感があがりましたよ。
岩屋城は1日かけても足りませんからじっくり攻略
ルートをご検討くださいまし(^^
感状山城行ってきました。
感想。
いやー、めっちゃ不思議なお城でした。
あの石垣は防備のための石垣なのか、それとも単純な曲輪留め程度の石垣だったのか?
しかもあの歩きづらい岩ゴロゴロ状態。あれでは攻めにくいかもしれませんが、防備にも不利ではないかと思います。
この話は後ほどゆっくりと攻城記を書きたいと思います。
ばんたんさん、情報有難うございます。大変役に立ちました。ただ、やっぱり帰ってきてからの方が「ほーほーなるほど」と実感できる部分が多かったです。
それと、感状山城の発掘調査報告書があるんですよね。出来ましたら、タイトル名と著者名を覚えておられましたら、教えていただけたら大変助かります。お手数かけますがよろしくお願いします。
では、では。ブレイズマンさん、遅レスすみません。
感状山城無事いってこられましたか。
やっぱり登城は羅漢の里からのコースでしょうか?
私はそこから右回りに大手も見ながら南曲輪群の石垣をみつつ山頂へ、曲輪Iを降りて井戸を見つつV曲輪群を見て帰るというパターンでした。
ばんたんさん>
有子山城の整備作業、有り難うございます。
今春に有子山城を訪れた時は散策しやすいなあと思っていたのですが、関係
各位のご尽力のお陰であることがよくわかりました。他の会員様にも宜しく
お伝えください。
中村城は今秋の訪城に組み込みます。中村城->此隅山城->有子山城という行程
なら何とか1日でいけるかなあと思っています。山名氏城跡保存会Webサイトを
拝見すると他のお城にも目がいってしまいますが、我慢、我慢・・・
管理人様>
> いやぁ・・行きたいところが次々と(^^;
私の場合は現地まで足を運んだところは少ないので、行きたいところだらけ
です(笑)
今秋と来春に行ければなあと思っているところだけでも次のとおりです。
未発信情報がありましたらご教示いただけると幸いです。あ、管理人様以外
からの情報提供も大歓迎です m(_ _)m
#行程は全て車を予定。
#五十音順につき訪城予定順序と一致しません。
#「行ければなあ」なので、実際はどうなるかわかりません(汗)
【大阪府】
芥川山城、佐保城<2回目?>、田原城、止々呂美城、野間城、野間中城、
松谷砦、丸山城、余野本城
【京都府】
嵐山城、木津城、周山城<2回目>、笑路城
【滋賀県】
小谷城、鎌刃城、清水山城
【島根県】
松江城、米子城
【奈良県】
秋山上城(宇陀秋山城)、秋山下城、北田原城、庚申山城、高取城<2回目>、
郡山城<4回目?>
【兵庫県】
有子山城<2回目>、此隅山城、中村城、竹田城<4回目>、八上城、淀山城ポリタンクさん、今年のシーズンも予定が満載ですね。
最近いったのは高取城、八上城あたりでしょうか。
2回目、3回目も違った発見があって面白いですね。
いいお城は3回はいかないと(笑)。
ではでは。
今日は少し暑さも和らぎ、鳥取県に足を延ばす。
倉吉から赤崎を経由して鳥取県の大山(だいせん)の東側にある船上山に向かう。
船上山ダム湖に出ると船上山が見える。
後醍醐天皇が1333年に兵を挙げ、幕府軍を打ち破った歴史的な山岳仏教遺構(寺城)だ。
朝食を食べてから津山を出たので、11時半に東坂の駐車場に着く。
東側は数キロにわたるメサの断崖絶壁。滝が掛っている。
よく刈り払った登山道に入ると森林鉄道跡。
次第に急登となり、絶壁の横の斜面を進む。
東坂の古戦場だ。
家族連れのハイカーに挨拶。
急に勾配が緩くなると船上山行宮碑と船上山避難小屋。
200〜300mで堀・石段・石垣で出来た木戸跡。200mで五輪塔群。
段々の平坦地。めぐる土塁。平入虎口、横堀。延長約400mの寺坊群。縄張図が役立つ。
船上神社脇から両側土塁の道を進み奥宮に参拝。行宮跡。
戻って船上山神社の石段に腰をおろし、おむすびを頬張る。気温20度。下界より10度以上低い。
ごうごうと葉が鳴る。
枝を杖にした農作業風の衣装の老人が現れ、神社周辺のゴミを拾われている。
ゆかりの人物らしい。
帰り道はブナの林の中の寺坊群をゆっくり散策。駐車場まで帰ると3時間(登山データーによると標準往復時間は2時間)かかっている。
車に乗って大山方向に進むと西坂の登山口。ここが搦め手古戦場。
ぐるっと大山寺を廻って、蒜山高原で大根を3本仕入れ家への土産にする。
やぶくぐりさんこんにちは。
また随分と趣向を変えられたコースでしたね。
でもハイカーの方がいらっしゃるのでしたらそんなに
藪がひどくなさそうではありますね。
しかし横堀もあるんですか。
いわゆる城郭寺院でくくられるものでしょうか。
面白いですねぇ。
ブレイズマンさんへ
感状山城は良い城跡です。私も登ってきたので一応レポート書きました。詳しくはお城マークをどうぞ。
感状山城の近辺にも面白い城跡がいくつかありますが、お勧めは光明山城と下土井城です。ほかにもありますが登るのが大変な所ばかりなので・・・。http://blog.goo.ne.jp/gfi17/e/9f8e32f080d48f14bfc2b46d6ef1aa03
ばんたんさん、こんにちは。
私も去年感状山城を再訪しました。
見晴しもよく、ハイカーの方ともよくすれ違いました。
光明山城はなんか行きそびれてしまって、ずっと未訪の
ままです。
今年はなんとか行かねば。
おっとー、ちゃんと投降したつもりでしたが、途中で切れていますね。うーーーん、せっかく書いたのにー。残念。2回目は心が折れます。
話を元に戻しますが、芳徳寺も柳生城の一部で、1638年に世の中が安定化に伴い柳生城の一部を芳徳寺に、城郭は柳生陣屋に移築したと思いますねー。
今の柳生城は主郭を中心に小さな曲輪がいくつかある程度ですが、芳徳寺も正木坂道場も城郭本丸下の帯曲輪とすれば、かなり壮大なものになるかと思います。
そんな感じでした。
で、今度は西播磨、赤松氏関係の城郭を見て来ようと思い
・感状山城
に攻城予定です。
それ以外でどこかお勧めの城郭があればまた教えてください。
では、では、、
> さてさて、近日中に柳生城を見学する予定です。
と先日報告していたように、柳生城に行ってきました。行ったのは、
・柳生城
・柳生陣屋
時間切れだったのは、
・家老屋敷
・柳生古城
でした。残念、まーこちらまた来訪したいと思っています。
柳生城はコクジンさんのホームページにあるりますように、小さな城郭となっています。主郭を中心にあり、古いタイプの城郭に思えました。
大和国と伊賀国の影響をそれぞれうけているような感じがしました。
ただ、遺構が明確に残っているのは山頂部分だけですが、
> 芳徳寺境内地や正木坂道場の敷地も郭であったとみられ、
> これらも城域とみなした場合、芳徳寺境内地がもっとも広
> い郭であったことが地形や遺構よりうかがえる。
とコクジンさんのホームページにもあるように、私も芳徳寺も柳生城として考えるべきではと思いました。芳徳寺の西側と柳生家墓地がある北側は、城郭のようなたたずまいをしていました。
やぎゅhttp://gfi402.web.fc2.com/narakokujin2-37.htm
ブレイズマンさんこんにちは。
柳生城に行かれたんですね。
本丸部分だけだと確かにこじんまりしてしまいますが
北部に残る堀切(南側もだったかな)や、芳徳寺や正木坂道場までを城域にふくめるとかなり大きなものになりますね。
かなり改変されてはいますけれど、よく見ていけばわくわくできるお城だと思います。
ばんたんさん、ホームページを拝見させていただきました。
いやー、大変でごじゃいますなー。
主郭部分に関しては、完璧に私が登頂した時より草が増えとります。
> 本来の郭面がすっきりと見える状態になっていた。こうし
> た作業を主郭以外でも行うのがあるべき整備作業の姿であ
> ろうと思うが、8人では主郭だけで本当に精一杯であっ
> た。
ということですが、非常に奇麗になっていきましたね。
城というのは、このように管理していかないといっぺんに埋没してしまうというのが、よく解りました。
管理人さんがたまにホームページ上で、下草を刈っていただけている人に向けて感謝しておられる内容を見かけましたが、実感できましたよ。
8名の皆様方に本当に感謝申し上げます。
> 普段は城山への遊歩道として使用される林道を、許可を得
> て分岐のゲートから入って登ったが、これが噂以上の悪路
> であった。
またこちらの情報も有難うございます。次回はこちらのルートを使わせて頂きます。
続きがあります。ブレイズマンさん
そうなんですよね。
我々が山城を楽しめるのも草を刈ってくださる方々の
おかげなんです。
そう思うと一層山城歩きが貴重で、楽しいものになる
気がします(^^
ポリタンクさんへ
有子山城の整備作業に行ってきました。詳しくはお城マークをクリックして下さい。
帰りに中村城の登城道入口の状態を確認してきました。山道は尾根上に続いていちおう登れる状態ですが、草や枝葉がかなりの密度なのでやはり冬を待つべきと思案しました。11月下旬ぐらいからが良さそうに思います。
本岡さんへ
おっしゃる通り山城は冬場ですが、但馬の冬は厳しく12月には雪が降りますので、但馬方面の城巡りは早め早めに計画されたほうが宜しいかと思います。かくいう私も去年の但馬行きを雪で断念していますから、今度こそは行きたいと考えている城がたくさんあります。ばんたんさんこんにちは、
有子山城の草刈、ありがとうございました。
但馬の雪は1月以降かなというイメージを持っていましたが
最近は12月には降るんでしたか。
晩秋は竹田城が一大観光地となってるでしょうけれど
こっちもいいよと紹介できるような見応えあるお城をもっと
探索したいです。
久々の東京、「第三台場」訪問。ビーチは沢山の人。ウインドサーフィンの横でボラが飛び跳ねている。
アカエイがいるので海に入らないよう放送されるも遊泳人多し。
台場の土塁に登ると、砲台跡(模擬)は海パンのおっさんが占拠。
同好人がカメラ片手にうろうろ。カメラのシャッターをお願いする。
郭内には陣屋跡。弾薬庫。
お台場土産にガチャピンの駄菓子を買う。
JR目黒駅に降り立つと、もうもうたる煙とものすごい人波。無料でさんまを配っている。交通整理の警官隊。
目黒さんま祭りだ。テレビカメラが道をうろついている。
高速道路の下をくぐり、白金台の国立自然教育園に入場。
園内に入ると早速大きな土塁が点在。進むと右側に「白金長者屋敷(白金城)」の土塁が延々と続く。横堀らしき窪地もある。
園内植物見学や写生、カメラの人波。
せっかく来たので、園内くまなく歩く。
次は、半世紀ぶりの「世田谷城」と豪徳寺、「世田谷代官所」訪問。
豪徳寺は井伊直弼の墓所としての方が有名だが、世田谷城の居館部らしい。門の横の空き地の向こうに世田谷城の遺構のヤブが見える。
世田谷城址公園が「世田谷城」の堀や郭部とのことだが、頭の中で石垣を取り去って妄想すると往時の土塁がよみがえる。
近くの「世田谷代官所」の門前まで歩いて写真撮影。
半世紀ぶりに見る風景は、往時とは全く変わり、浦島太郎の気分。
やぶくぐりさんこんにちは。
たまに東京遠征(出張?)されてるんですね。
目黒のさんま祭りは東京にいる時でも一度も
見る機会がなかったので羨ましいです。
世田谷城は久々に見直してみたいなと思ってたところです。
>頭の中で石垣を取り去って妄想すると往時の土塁がよみがえる。
よくわかります(笑)。
愛知中世城郭研究会では「戦国から織豊、そして近世城郭への道」としてシンポジウムを行ないます。
戦国期の三河には、徳川氏とその一族、家臣団による城館が多く築かれました。武田氏や豊臣氏との抗争に伴い城郭は次第に大規模化、堅固化していきます。しかし、天下統一が進む織豊系城郭の時代、軍事拠点は集約・淘汰されていきます。本シンポジウムでは、三河の戦国から近世への変遷過程を城館を通じて明らかにし、それが地域にどのような影響を与えたかを考察します。プログラムは下記の通りです。
日 時 2010年10月2日(土)9時30分〜
場 所 岡崎市福祉会館(岡崎市十王町2-9 岡崎市役所内)
参加費 1000円 資料代500円(事前申し込み不要)
内 容
9:30〜 9:45 趣旨説明・あいさつ 奥田敏春氏(愛知中世城郭研究会)
9:45〜 10:10 報告1「三河の戦国〜織豊期城郭」 石川浩治氏(愛知中世城郭研究会)
10:10〜 10:35 報告2「上ノ郷と蒲郡」 小笠原久和氏(蒲郡市教育委員会)
10:45〜 11:10 報告3「長篠城から新城城へ」 岩山欣司氏(新城市教育委員会)
11:10〜 11:35 報告4「中世海城から近世城郭へ〜田原城」 増山禎之氏(田原市教育委員会)
11:35〜 12:00 報告5「牧野氏の築いた三河の城」 林弘之氏(豊川市教育委員会)
12:00〜 13:00 休憩
13:00〜 13:25 報告6「西条城から西尾城へ」 鈴木とよ江氏(西尾市教育委員会)
13:25〜 13:50 報告7「戦国〜近世城郭としての岡崎城」 山口遥介氏(岡崎市教育委員会)
13:50〜 14:20 報告8「今川から武田・徳川、そして豊臣へ」 加藤理文氏(織豊期城郭研究会)
14:30〜 15:20 講演 「戦国の城から織田・豊臣の城へ」 中井均氏(NPO城郭遺産による街づくり協議会)
15:30〜 16:30 シンポジウム
16:30〜 16:40 総括 新行紀一氏(愛知教育大学名誉教授)
問合せ
愛知中世城郭研究会
0564-51-0390いえやすさん、こんにちは。
管理人の本岡です。
このシンポもとっても行きたい内容です。
行かれる方は楽しんできてください。
以前の浜松の時みたいに本にならないかなぁと期待しつつ
私は自宅待機です(;_;)
猛暑で、ヤブコギ意欲も出ず、早朝、近所の「美作・神楽尾城」に週一ペースでハイキング。まだ、ワラビが採れる。
登城路の指導標が沢山設置され、新たなルートも開設。
ボランティアの方に感謝。
この秋、岡山県で開催される国民文化祭の一環として、津山市で、おかやま「中世山城の祭典」が開催される。
日程は、
10月30日(土) 史跡見学会
「岩屋城コース」
「神楽尾城コース」
10月31日 (日)
山城サミット(音楽ホール・ベルフォーレ津山)
資料 大会冊子及び、津山地方の中世山城を網羅した記念 冊子(1,000円)
詳細は「国民文化祭 山城」でキーワード検索をお願いします。
やぶくぐりさんこんにちは。
山城サミットは私も参加しようと思ってます。
現地で購入できる冊子も楽しみです。
ひょっとしたらお会いできるかもしれませんね。
情報ありがとうございます。
# 連続投稿ご容赦を m(_ _)m
先週末に行ってきました。9/5までです。(リンクあり)
復元模型で往時の姿を見ることができます。また、亀岡市内にある移築城門の
紹介パネルもありました。
パンフレットに「丹波山城フィールドワーク」の紹介があり、今後の予定は
八上城、黒井城、周山城だそうです。3つとも興味があるのですが(というか
周山城は西尾根の陣城を見るべくリベンジ予定)、説明を拝聴しながら巡るか、
敢えて当該フィールドワークの日程を外して一人で妄想しながら巡るか、悩ま
しいところです・・・
では、失礼いたします。http://www.city.kameoka.kyoto.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=9155&frmCd=16-6-4-3-0
ポリタンクさんこんばんは。
亀山城に行かれましたか、私も行きたかったのですが・・
なかなか興味深い展示だったようで羨ましいです。
丹波山城フィールドワークというのも素晴らしいじゃないですか。
山城が一般に認知されて興味をもっていただけるように
なればステキです。
私も周山城は行き足りていませんので再訪したいです。
いやぁ・・行きたいところが次々と(^^;
ばんたんさん>
会員様ならではの情報を有り難うございます。大変参考になりました。
有子山城界隈は11月中旬か下旬の再訪を考えていたのですが、中村城を
考慮するともう少し遅い方がよいのかもしれませんね。
はじめまして、群馬に居住しています。山城が好きで上州はもちろん信州へも出かけて山に登っております。
最近は信州松本市にある小笠原氏の本城、林城や林小城、桐原城、山家城といずれも名城で見ごたえある山城です。
特に桐原城の竪堀と壕道は網の目のように山の斜面に掘られていて迷路のようです。富岡武蔵さん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
上州、信州ともに私の弱いエリアです。
桐原城も行きたいお城の1つなんですよ!
畝状竪堀や横堀のうねうねした感じが堪らないですよね。
是非とも行かねば・・です。
ありがとうございました。
久しぶりに書かせていただきます。
ブレイズマンさん、ポリタンクさんへ。
少ないですが有子山城と中村城の情報を。
実は私も山名氏城跡保存会に参加してますので、今度の有子山城跡の整備作業に行く予定ですが、整備というのは主郭群の石垣の隙間に生えた草や木を除去するものです。大々的に草刈りなどしてきれいにするというわけではありませんので・・・。
中村城は、地元では七年山城と呼ばれてます。天正2年に山名祐豊が有子山城の支城として築き、天正8年の羽柴秀長の攻撃で有子山城とともに落城したので、その間七年しかもたなかったというのが呼び名の由来です。すでに2005年に見学会が行われ、上の城と下の城の詳しい図面も配布されています。これの資料は豊岡市立図書館の出石分館に置いてあるので、機会がありましたら閲覧してみて下さい。登り道は西麓の伊福部神社から通じていますが、いまの季節は草に覆われて見えません。冬を待ったほうがいいですよ。ばんたんさんこんにちは
山名氏城跡保存会さんに参加されていたんですね!
詳しい情報ありがとうございます。
やっぱり山城は冬場ですね。
但馬は行きたい山城が多いので迷いますが
予定したいなと思います。
ブレイズマンさん>
> 『此隅山城を考える 第5集 此隅山城と有子山城』に詳しい記載があるので
> しょうか?
詳しい記述はありません。先にご紹介した新聞記事が転載されていて、概略と
予想復元図を見ることができます。あと、第一章第一節の最後等に凡の所在地が
示されています。
管理人様>
> 私も以前出石とセットにしようと思って訪れたのですが
> 登り口がわからずに断念しました。
> きっと場所が違うのかなぁと思ってそのままでした。
私もまだ未訪問ですが、山名氏城跡保存会(リンクあり)に照会すれば詳しい
情報をいただけるかもしれません。少なくとも、新聞記事の予想復元図に加えて
縄張図が当該保存会Webサイト内(TOP->但馬の城<出石編>->各城の位置と縄張
->中村城->中村城跡)に掲載されています。未訪問故の山勘ですが、遺構を満遍
なく見るのであれば、北から尾根筋を辿るのがよさげなように思いました。
最後に余談ですが・・・
ブレイズマンさん>
当該保存会の事業予定を拝見しますと、9月12日(日)に「有子山城跡の整備
作業」とあります。有子山城を再訪されるのであれば、整備作業後だと満喫
できるかもしれません。http://www5.nkansai.ne.jp/users/yamana1/
ポリタンクさんこんばんは。
いい情報ありがとうございます。
山名氏城跡保存会さんのサイトはいろいろ
勉強させてもらえそうですね。
中村城もなかなか楽しそうです(^^
>> 土橋を見るなら稲荷曲輪からの徒歩が現実的かと思います。
>
> 初めて行かれる方は、稲荷曲輪からの徒歩ルートの方がいいと思います。
> ただ、リベンジを考えている方は、どーなんだろー、と思っていましたが、
> 自動車はやばそーですね。情報有難うございます。
> じゃーお城さんマーク辺りに車を止めて、そこから徒歩で登るのも手かも
> しれません。時間はかかるかもしれませんが、歩きは楽かもですね。
実践された方の記録(リンクあり)によると距離は長いですが所要時間は
同じっぽいです。本丸付近目的であれば、道がなだらかな分だけ楽で安全
かもしれませんね。http://www.hb.pei.jp/shiro/tajima/arikoyama-jyo/
ポリタンクさんこんばんは。
有子山城は車でいけるルートはとっくにあきらめて
おりました。
木が少ないところは危ないですが、夏場でも登れる
ということを考えるとまだ楽なほうじゃないのかなと
思ったりもしています(^^;
もちろん山上の遺構が草に隠れているのは想像に難くないのでいきませんが。
やっぱり今の季節は籠城が一番です(^^
> きっと調整するのはお互い大変だと思いますが、
> いっしょにお城にいくと面白そうだなぁと思いながら
> 攻城記を拝見しておりました。
どもですー。
いやいや、是非今度御一緒しましょ。なかなか話し相手が多いほど、新しい発見があるような気がします。
> 件のファイルはそのまま戻しましたので、URLを
> 覚えておられたら取得していただけますよ。
あざーす。
さっさく拝見させていただきました。また解らない事がありましたら、よろしくお願いします。
> 姫路のセミナーは「ふふふ」想像してください。
そーでしたかー。感想が少ないという事はどーも今一の部分もあったのでしょうか?
まー、個人的な感想は聞かない事にしますが、今回は「横矢の構造について」でしたっけ?龍王山城の南城には横矢がかかりそうな部分がいっぱいありましたが、なにか城を見学する時に、参考になりそうな発表とかありませんでしたでしょうか?
さてさて、近日中に柳生城を見学する予定です。
また攻城記を書きますね。
では、では。http://www.siromegu.com/castle/nara/yagyujinya/yagyujinya.htm
ブレイズマンさんこんにちは。
無事資料をお渡しできて何よりです。
姫路のセミナーの感想はそうそう簡単にかけないなぁ
と思ったのと、やっぱりその場でないと感じられないこと
を文章で書くのが難しいと思ったからです。
でもどこかのお城をご一緒できれば楽しいでしょうね。
前から思っていましたが、兵庫のお城でどこか攻め込み
ましょうか。
もちろん他の方も。
前回、恐怖の有子山城の翌日、もう一つ城を回るかという事で、此隅山城に行きました。
管理さんのページには、
> 有子山城を攻略後、少し休憩をとってから此隅山城にやっ
> てきました。
とありますが、いやー管理人さんは元気だなー、私はとてもではありませんが、有子山城の後は無理です。
通常は管理人さんページにもあるように出石神社からのルートがあるのですが、私はお城さんマークのぺーじあるような、出石古代学習館からルートを選択しました。
しかし、こちらのルートはきつい。有子山城同様、山名さんってなんて険しい山にお城を築くのでしょうか。ただ、こちらのルートは巨大堀切があるが圧巻です。で、それが終わった後、お城さんホームページにもあるように、
「主郭への道には岩がごろごろしている ・ 急坂が続く」
とあるようにまだまだ険しい道が続きます。ようやく主郭に到着すると主郭は草ぼうぼうでした。ただ眺望はすっごくよかったです。
主郭を調べた後、周りの廓も調べようと思い主郭を下るとかなりの下り坂、うーーー、しんどい、ということで帰路につきました。出石神社はどーなのかを解りませんか、出石古代学習館からルートは見ごたえある遺構があるように思えます。ただし、めっちゃしんどいですよ。
> 中村城というお城があるようです。
折角教えていただいたのですが、この時はすでに出発した後でした。今度行きたいと思います。『此隅山城を考える 第5集 此隅山城と有子山城』に詳しい記載があるのでしょうか?
続きがあります。http://www2.harimaya.com/sengoku/zyosi/konosumi_jo.html
ブレイズマンさんもすごいですね。
真夏ですよw
体力的にもそうですが、今の季節遺構はよく見れましたか?
有子山城なんて山上の草がうっとおしくて、地元の方が
たまに草を刈ってくださるのを今更ながら感謝したのを
覚えています。
当時もまめに草刈したんでしょうね。
ほんとに頭が下がります。
新見市の西部旧哲西町の広島県境付近にある2城訪問。
野馳地区の野馳小学校南側から林道に入り、舗装が切れた所に駐車。案内書のとおり草が茂って分かりにくい登山道を見つける。荒れて登山道だか小川だか見分けにくい。進むと竹林に山道。
道が折れた所に出曲輪がある。道は谷に沿って折れ曲っている。点々と野仏。山頂付近に帯曲輪。登ると少し低くなった箱掘状の郭に出る。北側に1m位高くなって二の丸。この先の尾根には二重堀切。南側は2m位高くなって主郭。土塁、祠がある。帯曲輪に野仏。アブがうるさい。
車に戻って県境の岸本城へ。
岸本地区に入り、中国道の上の山に岸本城の看板。
ボックスカルバートを潜り広場に駐車。
そのまま案内書に従い竹林に入る林道へ。15m位で竹に赤いテープ。U字溝になった所から竹林に突入。堀切、郭、もう一段上がって主郭。大堀切側に土塁がある。高速道路に削られている。
大堀切を抜けると、一段低くはなっているが、広い郭、土壇。なだらかに郭が続く。
ずっと進むと二段の帯曲輪。
この先にも何かありそうだが、マムシの出迎えで飛び上がって逃げ帰る。やぶくぐりさん、真夏でも山城なんですね。
尊敬します。
でも今回の城はとても夏場に行く気がしません(^^;
やっぱり軟弱になってきてるなぁと反省させられました。
ありがとうございます。
> 全国城郭研究者セミナー
管理人さんは出席されたんですよね。
実は私も行きたかったのですが、姫路は近くて遠い・・・
なにか面白い事発表ありましたか?報告聞かせてください。
さて、
> 全然行けませんでした。今行っても見学できるかな?
と先日書き込んだように、高槻城に行ってきました。
この堀跡と言うのは、お城さんマークら辺、野球場グランドの一部にあたります。
で、時期は少しずれたのですが、まだ埋め戻している途中かなーという事で行ってみたのですが、きれーーーーーぃに埋め戻されていました。
がーーーーーーーん。埋め戻すの早すぎ。
少しだけ土の色が変わっているだけで、普通のグランドでした。
うーーーーー悲しい。
高槻城はいずれ本格的な発掘調査が行われればいいんですけどね。
では、では。ブレイズマンさん、こんにちは。
発掘調査でNEWSになるわりには現状復帰が早くて
がっかりすることは確かに多いです。
想像力で補いたいところですが、それ以上に悔しさが
勝ってしまいますね。
姫路のセミナーは「ふふふ」想像してください。
んーー。というかですね、やっぱりその場にいらっしゃらないと
下手にその場の感想書いても違うものになりそうな気がしまして、
やめておきます。
いろいろ考えさせられながら聞いておりました。
(あまり言いにくいのもありますが(笑))
> 大事に至らすよかったですね。
いやー、ほんとほんと。
遭難しかけた、と言うほどでもありませんでしたが、その2歩手前ぐらいでした。標高が321mと低い山でしたが、それでも山登りですので、万が一のこと考えてポンチョ程度は買っておくべきですね。
山城に行かれる方は、今年もゲリラ豪雨がありそうですので、私の事を教訓にして、装備だけは充実してください。
> 有子山城の大手筋は、現在の登城道ではなくて稲荷曲輪か
> ら直上する谷筋だそうです。
おーーーー確かに縄張り図を確認すると、それらしきルートがありますね。
となると、現在の登山道は大手の守る為に曲輪を配置したんでしょうかね。大手を守る為にその近くに曲輪を配置というのは、山名氏関連の城にあったような…どこだっけかな?なんか特徴なんですかね。
> おっしゃっている自動車道でも倒木を想定した方が無難か
> もしれません。
あら、そーでしたか。
> 土橋を見るなら稲荷曲輪からの徒歩が現実的かと思いま
> す。
初めて行かれる方は、稲荷曲輪からの徒歩ルートの方がいいと思います。ただ、リベンジを考えている方は、どーなんだろー、と思っていましたが、自動車はやばそーですね。情報有難うございます。
じゃーお城さんマーク辺りに車を止めて、そこから徒歩で登るのも手かもしれません。時間はかかるかもしれませんが、歩きは楽かもですね。
> 返信でファイルの置き場所をお知らせします。
すいませーん、お手数かけます。
後ほどメールします。解らない点がありましたら、また質問されて頂きます。
> 暑い中、龍王山城に行かれたんですか!
行った時は、まだぎりぎり暑くはなかったです。
> 私もまだ行ってないお城でしたので参考になります。
おーそーでしたか。
車で南城、北城とも行け、駐車スペースもあります。また、南城は細かく遺構には看板で説明もあり、大変見やすいです。見ごたえたっぷりですので、是非行ってみてきてください。
山頂からの眺望はすごかったですよ。
続きがあります。ブレイズマンさん、こんにちは。
きっと調整するのはお互い大変だと思いますが、
いっしょにお城にいくと面白そうだなぁと思いながら
攻城記を拝見しておりました。
件のファイルはそのまま戻しましたので、URLを
覚えておられたら取得していただけますよ。
「今週末は体力が残っていたら気分転換に竹田城へ行っているかもしれ
ません」と前々回に書きましたが、表題のとおり長野県に行きました。
急遽決めたので調べものに時間を費やし、徹夜で出発です・・・
以下、訪城順に記載します。
--
【上田城】
先に上田高校で御屋形跡の表門を見学してから訪城。「これが以前は
遊廓にあったのかあ」と下種なことを考えながら櫓内を見学。大きな
兜を激写する歴女らしき方が早朝にもかかわらず闊歩していた。本丸
北東角の鬼門除けを見ながら堀を一周。
【小諸城】
懐古園内に入る前に大手門を見学。大手門そばの駐車場の方が短時間
駐車ではお得という事実に泣く。穴城の異名を持つ深い谷に感激。
動物園とお城のセットってよく見かけるなあと思う。
先を急ぐあまり、西側虎口を見逃す(号泣)
【松本城】
散策路の改修で内堀に残る馬出に入れず。内堀の端から端までを都合
4往復して天守群を堪能。ようやく国宝天守を制覇。知人から「階段の
傾斜がきついぞー」と言われていたが、城郭建築物としては並。今まで
訪城した中では丸岡城天守の階段(ロープ付)最強かなあと思う。姫路
城大天守のように観光用階段(安全上設けざるを得なかったのかと)を
追加していない点は個人的にはマル。二の丸の土塁を周りから見学しな
がら散策。帰り際に二の丸内で「お、あんなところに櫓?」と思ったら
厠だった。北アルプスが雪を被る時期の早朝に再訪したいなあと思う。
【高島城】
水城の面影はあまりない。復元天守に登って諏訪湖を望みながら涼む。
ただ、天守が往時の杮葺きでないのが残念。天守入口で購入した『諏訪
高島城』(諏訪市教育委員会)によると、復興角櫓内部は茶室らしい。
そばにある喫茶店でフルーツパッション味のかき氷を食し、満足。本丸
西側に移築されている三の丸城門を見忘れていたので慌てて見学。
●番外編 --【敏満寺城】(滋賀県)
仮眠しなくても帰れたが、お城と意識して見たことがなかった&多賀SAに
日中は寄らない(休憩するには近いので、晩に風呂に入る時しか寄らない)
ので、この際だからとレストイン多賀で風呂に入って仮眠。徹夜疲れから
8時間も爆睡して起床。カメラを片手に歩道橋で上り側へ行って見学。
--
こんな感じです。本当は彦根城にも寄るつもりでしたが、疲労が残って
いたので、そのまま帰路につきました。走行距離にして900km超。流石に
寄る年波には勝てませんでした。高速代は深夜割も利いたので往復とも
片道1600円(長野県内での随時利用は別)。高速無料化等には個人的に
反対(時間をお金で買っているつもりなので、安くなっても渋滞を引き
起こしたら個人的には意味がない。仮に無料になっても「低速道路」と
化すと存在意義が薄れる。時間帯割引は交通制御の点から賛成。)なの
ですが、利用できるものは利用します(笑)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
ツボをおさえながらの城めぐ流石です。
私は長野県はもっとゆっくりしたいですよ(笑)
猛暑が続いておりますが、無事帰還なさっていて
ほっとしました。
私は遠征はしたのですが、缶詰で作業してましたので
完全に世捨て人状態です(;_;)
ブレイズマンさん>
あの尾根筋で雨の下山ですか・・・。考えただけで恐ろしいです。大事に
至らすよかったですね。
> 今の山道って登城しやすいように改変されていたりしますが、昔の大手
> って有子山城のように、攻めにくい大手道だったかもしれません。
有子山城の大手筋は、現在の登城道ではなくて稲荷曲輪から直上する谷筋
だそうです。先にご紹介した書籍ですと、途中で道が崩落しているために
途中で左に折れて現在の登城道に戻る必要があるとか。ただ、ご紹介した
書籍の巻末にある見学コースでは「こんなルート、コアな城好きでないと
通らないかも」みたいなルート設定なので、大手筋の状態がどんな感じか
定かではありません。
> お城さんマークにある道、これって自動車道なのでしょうか?
一応自動車道のようです。東側の竪堀を見るためにそこをちょっとだけ
歩きましたが、未舗装による穴ぼこと落石がちょこちょこありましたので、
私は車をやめてよかったと思いました。本丸と千畳敷の間の大堀切の奥に
倒木があったことを考慮しますと、おっしゃっている自動車道でも倒木を
想定した方が無難かもしれません。細かい状況は違えど、難易度としては
利神城の車道なみかもしれません。また、私の有子山城訪城ご報告の書き
込みにも書きましたが、土橋を見るなら稲荷曲輪からの徒歩が現実的かと
思います。車ですと徒歩で土橋まで下ってから登って戻ることになります
ので、土橋よりも上にある虎ロープつきの難所を避けることはできません。
私は予告どおりの行動をしませんでしたので、後で書こうと思います。
では、ここで一度失礼いたします。
いやーーーえらい目にあいました。
> 有子山城、出石城周辺に行ってこようと思います。
との予告通り、有子山城に行ってきました。昼過ぎに到着。暑さは曇っていたせいもあり、比較的過ごしやすかったです。昼食をすまし、出石城を見学。城下町は篠山城と雰囲気似ているなー、と思いながらぶらぶら。
で、いよいよ有子山城、登城となりました。携帯で天気をチェックしたらPM9:00から雨との事、安心して登城しました。
まー大変でしたねー。出石城からほぼまっすぐな1本道で有子山城に登りますが、管理人さんのページにも「実にきついです」とあるように、本当にきつかったー。山名さんは本当にきつい所に城を築城しましたねー。標高が321mでしたので少しなめていました。八上城の次ぐらいにきつかったです。
で、よーやく本丸に到着、「ふーーー」という事で冷たいお茶を飲んでいたら、な、なんと、雨が降ってくるじゃーないですか。管理人さんのページにも、
「油断すると足元に顔を出した石で滑り、そのまま下へと転げ落ちそうになるんです。この注意は下山時にさらに慎重にならないといけません。」
とあるように、雨で濡れた石に滑る事を大変恐れました。とおり雨とふんで山頂で待機するか、急いで下山するか迷いましたが、PM4:00でしたので急いで下山を選びました。
下山は本当に怖かったです。下山途中で雨あしが非常に強くなり、遭難するんちゃうかと思ったりしましたが、幸い雨が降り始めだったので、道はそれほどぬかるんでおらず、1回転びましたが、なんとか下山に成功します。服はびちょぴちょでしたが。
その後雨は一旦弱くなりましたが、やむ事は無かったので下山は正解でした。
で、思ったのですが、今の山道って登城しやすいように改変されていたりしますが、昔の大手って有子山城のように、攻めにくい大手道だったかもしれません。
結局本丸にタッチして帰ってきただけですので、全く有子山城の事は解らずじまいでした。忍者の城同様、雨でした。がっくり。
再度訪問を考えたいと思います。
帰ってきてから地元の人に話を聞いたのですが、お城さんマークにある道、これって自動車道なのでしょうか?ならば絶対こちらの方が楽じゃん、と思ったりしますが、もし詳しい方おられましたら、教えてくださいませませ。
またこの続きがありますので後日書きます。ブレイズマンさん、災難でしたね。
無事に戻られてなによりです。
この季節、暑さ対策のほかににわか雨にも注意しないと
いけないですね。
カメラが壊れてしまうリスクもありますし。
夏休み、JR岡山県下1日1000円乗り放題切符を利用して讃岐本島の城館廻りを計画。
9:30児島観光港発の旅客船(1日4往復)に乗るまで時間があったので、児島阿津1丁目の向山にある「城山城」訪問。
瀬戸大橋線で山の東側が削られている。
往時は海岸の水軍城。
山の西側のお寺の南の神社から登ろうとしたが、蜂退治装備の男性2人。あやしげなネットをかぶっている。
家4軒分、道路を南下。家と家の間の小道に入る。孟宗竹の林。すぐに道は無くなり、段々畑跡地のような竹林を直登。
かめを2つ埋めて、溜井にしている斜面に穴二つ。
穴から子ギツネが一匹こちらを見ている。ほんの2m位。
かまわず進むと穴に身を隠す。
そのまま直登を続けるとヤブの中に主郭。
一か所、隅が直角に成形されている。
下りは段々畑状の竹林を北西に降りる。
先ほどの神社に出る。軒瓦が富の字になっている。豪商の寄進した神社とのこと。
児島観光港から瀬戸大橋をくぐって30分で丸亀市本島の泊浦港着。
港の横の海抜20m程の丘が「じょうけんぼ(城慶坊)」と呼ばれる本島渡辺城。少し登ると祠。
左折して正覚院横の海抜161mの八ケ峰に登る。水島灘が良く見える。
一旦、山を下りて本島中学校西側の「本島古城(泊古城)」に向かう。宮本家の「人名の墓石群」から北に舗装道を入ってみるも、猛烈な竹やぶ。舗装道と山の間に池と湿地。
ひょっとしたら水堀かと妄想。二か所程、刈り払いがあったので入ってみるも山裾まででヤブに阻まれる。
200円を払って「塩飽勤番所」を拝見。氷の入った麦茶の接待を受ける。
標高101mの遠見山に整備された遊歩道を登る。瀬戸大橋の大展望。
北東に降ると笠島の「まち並み保存地区」を経由して専称寺へ。ここは鎌倉時代末の地頭「高階氏の居館跡」。
橋を渡って「笠島城(本島東山城)」に登る。図説中世城郭事典三と丸亀市のホームページから落とした縄張図持参。延長150m程度、段々の郭、土塁、堀切、竪堀。
塩飽水軍は天正10年の高松城水攻めの頃村上水軍から独立して織田、豊臣、徳川と時代を生き残ったとのこと。
陸地の大名に対して「人名(じんみょう)」として650名の自治が認められ、幕末渡米した咸臨丸の水夫65名の内、50名が塩飽出身者とのこと。
そんなこんなで妄想にふけっていると、丸亀行きのフェリーの出港時間。
港まで走って、やっと間に合う。ここから丸亀港まで30分。
港から「丸亀城」まで20分。本島には食堂らしきもの見当たらず、やっと丸亀で手打ちうどんにありつく。
前回時刻が遅くて行けなかった「丸亀城」にチャレンジ。
すごい高石垣、感動ものです。小さな天主閣もいい。
帰りはJRで瀬戸大橋を渡る。本日、32,00歩、500ccペットボトル6本飲む。汗で濡れねずみ状態。
やぶくぐりさん、すさまじい行軍が目に浮かびます。
何もこの季節に藪こぎしなくてもと思いますが、
私がダメな城好きに思えてきますね(^^;
32000歩というのもリアルにそのすごさがわかります。
最近は1日1万歩を歩いてますので。
ほんと熱中症には気を付けてくださいね。
お疲れ様でした。
8月12日に大学生だった時以来15年ぶりに、一泊二日で城めぐりをします。同行者が名古屋城を見たいと言うので、名古屋城→小牧山城→大垣城→関ケ原→小谷城→佐和山城→観音寺城→安土城の順でめぐる予定です。強行日程ですが、城跡に立ち瞑想にふけたいと思います。ラングラーさんこんにちは。
もうお戻りになってらっしゃるのかもしれませんね。
暑い中お疲れ様でした。
楽しまれたでしょうか?
関ヶ原にどれくらい使うかで全然違ってきそうだなと
思いましたが、近江のお城はみんな大物ぞろいじゃないですか。
時間配分に悩む贅沢なお城ツアーになったことでしょうね。
私も久々に名古屋城おとずれたいです。
ブレイズマンさん>
> 今回、有子山城、出石城周辺に行ってこようと思います。もしお勧めの城が
> ありましたら、ぜひ教えてください。
この暑い中、有子山城ですか。気合いが入っていますね。私は秋になったら
此隅山城のついでに再訪しようかと思っています。今週末は体力が残ってい
たら気分転換に竹田城へ行っているかもしれません。ニアミスですね(笑)
有子山城の西にある七年山の尾根伝いに中村城というお城があるようです。
神戸新聞の1992年4月22日の記事によると「標高220mの尾根伝いに南北750m、
幅20-25mの、但馬で最大級の山城。」と紹介されています。
# 参考資料: 『此隅山城を考える 第5集 此隅山城と有子山城』(出石有子
# 山城・此隅山城の保存を進める会)
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは
そういえば中村城ありましたね!
私も以前出石とセットにしようと思って訪れたのですが
登り口がわからずに断念しました。
きっと場所が違うのかなぁと思ってそのままでした。
これは今年のオンシーズンの目標の1つになりましたよ(^^
ラジオで聞かせてもらいました。城跡に佇むと、昔の人々の思いが伝わりますね。特に落城して、一族が滅亡した城跡にその思いが強いです。北信濃にも武田と上杉の狭間で多くの氏族の盛衰があります。訪れる機会があることを願います。shojiさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
本岡です。
城跡にたたずんでいるんだと思うと、遺構があまりなく
ても感動があります。
落城したお城にはその地元で今でも残る伝承なんかも
あり、大変興味深いものですね。
北信濃はなかなか行けていないエリアですが、
ぜひ訪れたいと思います。
ありがとうございました。
時々ホームページを見ています 事細かな写真、コメントすばらしい限りです これからも頑張ってください山中博信さん、はじめまして。
本岡です。
最近はすっかり更新ペースが落ちてしまいまして
すみません。
しかしお城には行っていますので、今後ともよろしく
お願いいたします。
メッセージありがとうございました。
今NHKラジオを聴きました。
ラジオに投稿なさる方のコメントにも、
オラがトコロのお城、にはみなさん特別な思いがあるようで
わが、館林城、巡って頂いておりますね、、
ありがとうございます。
親藩館林のお城は、新政府にとっては
まぁ〜ぶっちゃけ、どうでもいいかな〜
というわけかどうか、管理もされず、結果、炎上。
難攻不落の水の中の城の最期としては、悲しいです。
新政府により旧重臣たちに、分割譲渡された城の跡地は、
旧重臣たちにより、前藩主秋元家に再び返納され、さらに、
秋元家は、お上(国?県?)に譲渡。
その後、県、市、私、さらに私から市など経ているようです。
殿様からなら頂けても、政府からの払い下げを拒んだのか何れにせよ、侍の義が、城址を残した館林です。
おじゃましました、礼侍長屋さん、はじめまして。
NHKラジオを聞いてくださったんですね。
書き込みありがとうございます。
本岡です。
番組で紹介されたものだけじゃなく、FAXで届けられた
お便りからは自分たちのお城を誇る内容で、なんだか
力づけられました。
館林はバイクで回っただけでしたが、また群馬のお城
めぐりをしたいと思います。
ありがとうございました。
> 堀井城の現説資料を写真に撮ったものをアップしました。
ギャー有難うございます。
しかし、これに気付くが遅くて…現在は見れなくなってしまっています。
あのーーー、またまたあつかましいお願いなのですが、発掘調査部分に関しては、私のような素人にはまったく解らないのですが、特に沿革部分については詳しく知りたいので、その部分だけでもいいので、再アップして頂けると大変助かります。
三木城絵図に講演に行きたかったのですが、日程を1週間、間違えていました。なんという・・・・
しかし、「三木城跡及び付城跡群総合調査報告書」の情報教えて頂きましてありがとうございます。早速読んでみたいと思います。
高槻城跡「不明門」の基礎確認 市教委「成立過程知る上で意義」
おーそーなのかー、高槻城もなかなか興味深い城で越水城とも関係が深い城ですのですので興味あります。お城さんマークに写真が掲載している記事を入れておきます。
「これらの遺構は24日午前10時から正午まで一般公開される。」
という事でしたが、全然行けませんでした。今行っても見学できるかな?
さて、今回、有子山城、出石城周辺に行ってこようと思います。もしお勧めの城がありましたら、ぜひ教えてください。
では、では。http://www.sankei-kansai.com/2010/07/22/20100722-041627.php
ブレイズマンさんこんにちは。
サーバを移行した際に整理したのですが、まだファイル
はおいてますのでお手数ですがメールでご連絡
いただけませんか。
返信でファイルの置き場所をお知らせします。
でも沿革って載ってたかなぁ・・。
この前、龍王山城に行ってきました。
まずこの城は大城でした。で、特筆すべきは南城と北城では雰囲気がまったく違いました。
北城は新しい雰囲気がしました。全体的には信貴山城と雰囲気が非常に似ています。曲輪の配置が複雑で松永氏系城郭が色濃く出ているような感じがしました。
また本丸は極めて大きいです。ここだけは、
観音寺城
小谷城
の雰囲気が似ていますね。
それに対して南城は、非常に素直な雰囲気、古い感じの城という感じでしたね。
これほど、雰囲気の違う城が同じ地区に2つあるというのも、なかなか変わっていて面白い感じがしました。
では、では。http://gfi402.web.fc2.com/narakokujin2-193.htm
ブレイズマンさんこんにちは。
暑い中、龍王山城に行かれたんですか!
私もまだ行ってないお城でしたので参考になります。
なにより夏場に行ける場所なのは嬉しい情報です。
本岡です。
どうやらここ1週間くらいの間に siromegu.com ドメイン
あてのメールがすべて受け取れていないことが判明しました。
申し訳ございません。
原因調査の上、対処いたします。復旧いたしました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
愛媛県四国中央市の「仏殿城(川之江城)」訪問。城郭は昭和63年に建てられたとのこと。惜しいことに天正年間の織豊系縄張遺構は消滅し、近世城郭風市民公園化してしまっている。
何か、残り香でもないかと探索するも見当たらず。
しかし、瀬戸内の展望は良好。
暑さで空気が燃えている感じがする。
「川之江陣屋」に廻るも商店街化し標柱を見落とす。
帰りに「丸亀城」に寄るも、17時までで入場は終了。
堀の外周をハイキングしてから、やっと涼しくなった瀬戸大橋を通過。
やぶくぐりさん、大変遅い反応でごめんなさい。
川之江城は幕末の台場もあった場所なんですよね。
そういう見方で改めて行かねばと思っている場所です。
しかし四国遠征は結構メジャーどころをいかれてたんですねぇ。
本岡です。
ようやく当サイトのサーバ移行が完了いたしました。
予想以上に苦労してしまいましたが、ほっとしています。
ただ現在のところ「検索」機能の移行を忘れてしまって
まして、動いておりません。
また新サーバで使える「検索」機能を用意しますので
それまでは使いづらいですが「検索」なしでご覧ください。
でもまぁ新サーバはかなり早くなったのでサクサクですよ。
いやあそれだけでもやってよかったです。取り急ぎ「検索」機能はgoogleを呼び出すことにしました。
また時間ができたら考えることにします。
こんにちは。お久しぶりです。
久しぶりに遠出してきました。ただ、梅雨明けということもあってか、すごく暑かったです。
かなり日焼けしてしまいました。
さて、昨年8月に、行ってきた由良台場ですが、
その時はあまり楽しめなかったことを受け、このたび再訪いたしました。
今度は間違えずに、さらに奥へ…
圧巻でした。想像していた以上の規模に言葉を失いました。
浦富の時以上の感動に襲われました。
こんな台場が残っているとは、知ってはいましたが、一瞬信じられなくなるほどでした。
ある意味、日本百名城に入れてもいい城郭なのでは?と思いましたね。
しばらく忙しくなってしまいそうです。新しい探訪はもう少し先になりそうです。
では、また。Soldierさんこんにちは。
ちょうどこの次の日に私も由良台場に行ってたんですよ。
あそこは今後も大事に保存していっていただきたい
場所ですよね。
コナンが思った以上に攻め寄せており、反射炉を
模倣したという煙突が目印のコナンふるさと館の外観が渋いです。
鳥取県の台場は全体を見渡しても全国に誇れる状態だと思いますので、もっとPRしていってもらいたいですね。
管理人の本岡です。
現在、Webサーバの移行作業を行っております。
7/16頃までには終わらせたいと思っておりますが、
その間、表示の問題等不都合が発生する可能性が
あります。
ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。
よろしくお願いいたします。
倉敷市と総社市の境にあるハイキングコース、倉敷北部縦走路はいつも刈払されている。
このコース上には5城あるが、今回は一番西の「福山城」をパス。
コース東側の日差山の毘沙門天に駐車、登ると高松城水攻めの「日差山陣城」だが、ここはダラダラした尾根道。
遺構は見当たらない。
T字路を北に右折。尾根を進むと突き当りが「鷹ノ巣城」。
箱堀、石垣、主郭。ヤブの中に1〜2郭。
造山古墳(高松城水攻めの毛利陣城)から高松城、更に北に織田軍の陣城群が見える。
休憩ののち、縦走路を南下。すぐに仕手倉山の「練尾氏城」に至る。ここも、遺構は見当たらない。
少し戻って東に右折。下ると池。探鳥コース看板。擂鉢池、金崎池と仕手倉山トラバースコースを進む。
突然、舗装路。
少し下って、花園霊園前から谷川を渡って高鳥居山直登コースに入る。
八丈岩を過ぎると尾根筋の平坦地「高鳥居山城」だ。
この山城は縄張図が無いと遺構を見落としそう。
金比羅宮奥の院の郭と、少し西に離れて土橋と低い切岸で囲まれた主郭(4等三角点)がある。
土橋の手前から尼さんの井戸へは70m。
主郭の中での展望場所は畳岩。側に送電鉄塔No.5。倉敷方面が見える。
景色を見ながらマウンテンバイクのお兄さん二人が話し込んでいる。やぶくぐりさん、こんにちは。
ここは興味があるところですから大変参考になりました。
ハイキングコースは草を刈ってくださっているのですか。
少しだけ落ち着いたので行ってみようかなぁ。
本岡です。
昨日は神戸市立博物館の特別展と三木合戦軍図絵解きを
見てきました。
展示物もいいですし、また貴重な絵解きも見れてよかったです。
絵解きはあと1回、7/17です。
混むと思いますので、お早めに〜。
さて、少々告知をさせていただきます。
埼玉県越谷市
越谷レイクタウンJTBカルチャー倶楽部
7/24 17:00〜お城の講座を担当します。
講座内容はお城マークにあるWebページの
「7月の講座」をご覧ください。
近世城郭中心となってしまう昨今の”お城”ブームについて
中世城郭や人知れず残っているお城についてお話しようと思います。
また、私ならではの切り口でお城めぐりの楽しさをお話しできればと思っております。
よろしければお越しください。
お問い合わせは 048-990-1305
なお、「城めぐ」を見たとおっしゃっていただければ
525円オフとなっているそうです(^^;
いつでもすべりにおいでよ。
特に桜の時期はオススメよん。http://kokky.way-nifty.com/4646/
こっきぃさん、書き込みありがとうございます。
もうあの滑り台はいいですけど、近場の山城をいくつか
ご紹介ください。
なかなか行きにくい場所ですので、季節も狙って
いかないといけませんが。
またよろしくお願いいたします。
本岡さん、お久しぶりです。尾張の終わりです。2ヶ月前に今年初めてで、通算10回目の小谷城訪問に行って来ました。久しぶりに来て思ったことは、城跡全体が綺麗に整備されて見学しやすくなっていることには、すごく驚きました。2年前初めて訪れたときとは、見違えるほど、綺麗になっていました。これも来年の大河ドラマの影響でしょうね(笑)だけども、京極丸の下にある食い違い虎口になっている石垣跡の遺構周辺は、さすがに整備されていませんでした。(泣)月所丸も綺麗に整備されていたのには、とても、ビックリしたのと同時に見学しやすくしてくれてとてもありがたく思いました。(月所丸に通じる道は綺麗に整備されているものの、下が崖になっているので通るとき凄く怖かった(恐)また、大獄城で知り合った人と一緒に、大獄城跡を見て回り清水谷に向かったら、そこにある大野木屋敷跡も綺麗に整備されて見学しやすくなっていたのでじっくりと見学して小谷城戦国歴史資料館の前まで辿り着きました。その人と話が夢中になって三田村屋敷跡を見学するのをすっかり忘れてしまいました。(笑)その人とはまた違う山城跡で会うことを誓い合い別れてそのあと僕は資料館、お市の里と立ち寄りました。途中須賀谷温泉の売店で家族のために饅頭のお土産を買って帰りました。今度行くときは、綺麗に整備された三田村屋敷跡もみてきます。追伸小谷城には熊が出没していたのですけど、資料館の人がいうにはここ最近熊が出なくなったそうです。だけど今度は猿がよく出没するらしいですよ。本当に困ったものですね。それではこれで失礼します。尾張の終わりさん、こんにちは。
2か月前だとまだそんなに藪になっていなかったのでしょうね。
確かに大河の影響は大きいと思いますが、その少し前から
戦国ブームということもあり浅井長政の城を見に来る人が
増えたのもあるのではないでしょうか。
京極丸の下は先日訪れた時行きましたが、あそこはあまり
整備されるとつくりものみたいに見えてしまうんじゃないかと
心配です。
月所丸も整備されたのですね。
かなり見やすかったですが、畝堀のところは藪ってましたが。
以前は大獄城にまで行くなんてかなり気合を入れないと
と思っていましたが、改めて上がってみると案外そうでも
ないですね。
そこから清水谷に降りて一回りするのが一般化したら
かなり整備され、また人出でにぎわいそうな気がします。
今から大河と来年の小谷城が楽しみです。
大変ご無沙汰しております。
皆さんすでにご存知かと思いますが、今年の全国城郭研究者セミナーが姫路で7月31日と8月1日に開催されます。テーマは「横矢掛り」だそうですが、一日目は個別発表のみのようです。姫路でやるので姫路城とか置塩城の見学イベントがあるのかなと思っていましたが。
ところで質問をひとつさせて下さい。兵庫県養父市の八木城の「お城あがり」なるイベントについてご存知の方、または行かれた方はいらっしゃいませんか?ばんたんさん、こんばんは。
本岡です。
城郭セミナーは私も行きます。
楽しみですね。
お城あがりは初めて聞きました。
検索してみると2008年、2009年の様子は出てきましたが
毎年やってるイベントなんでしょうか。
詳しい方が反応してくださればいいですけれど。
> 服部半蔵ゆかりのお城ですか。
> これはぜひとも行かないといけませんねぇ
そーですね、特に大変な場所ではなく、駐車場探しに少し手間取りましたが、行きやすい城ですので。
地図をお城さんマークに入れておきます。
> まぁ規模は小さいもので物足りないのかもしれませんが
> そういうサイズの城はその辺はゴロゴロしてるんじゃない
> ですか。
近所の
・木原氏城
・浅井氏城
もセットで行かれる事をお勧めします。歩いて5分ぐらいですから。ゴロゴロしているでしょうね。
> 大嶽城は小谷城の六坊跡から15分くらいでしょうか。
> ただ登り階段が急ですのでしんどいですよ。
> 登ってしまえば小谷城とは別の城が待ってますよ。
15分だったら行ったらよかったかなー。
> コクジンさん復活されないかなぁ。
いやーほんとほんと、是非復活してほしいですね。
> 伏見城の講演に行かれたんですね。
行きましたー。
> いやぁ羨ましい。
> 私も石垣を拝みたかったです。
実物はみれなくて、写真だけでしたけどね。
> この日の内容が本にならないかなぁ・・・
もー少し研究成果が纏まれば、出る可能性はありますよね。測量調査が終わった後ならば、あり得ますよね。
続きがあります。ブレイズマンさん、大変遅くなってすみませんでした。
堀井城の現説資料を写真に撮ったものをアップしました。
http://www.siromegu.com/tmp/horii.zip
あまり大々的に書けないもので、とりあえずは書けるところまでを。
西盛城(近江寺砦)がありますよね?
その南にある寺院の一帯となります。
僧兵などが籠っていたそうですから、砦や構と呼びたいところですが、
あくまでも寺院としておくべきでしょうね。
もしかしますと、高和城というのがこれかもしれません。
三木城への支援ルートは
明石市〜神戸市竜が岡(のち蛸草)。
明石市〜神戸市丹生山。
などが有名ですが、
明石市〜神戸市西盛(西神の西側ルート)も存在していたわけですね。
近くに明石川がありますので、それを使っていたのでしょう。
では。まるさん、すみません。
せっついてしまいました。
なるほど、あそこを通るルートもあったんですか。
面白いです。
ありがとうございました。
三木城の戦いのときに使われた竜が岡砦以外の毛利方の兵糧集積地。
幻の菅野城。
以上の2つ発見。
では。まるさん、こんにちは。
一つは野之上城だったりします?
(神戸市西区じゃなかったのでした・・)
私は秀吉が加藤光泰を派遣したとされる稲美の蛸草の
陣城が気になっています。
森本基嗣氏の本「戦国山城を攻略する」を片手に「美作・神上城」を探訪。
久世インターから少し西に走って、目木から右折し北上。
樫東のT字路を右折。数百メートル富東谷方向に進むと神上城への鴻殖橋がある。橋の近くに駐車。直進して民家横から林道になると左手にスイッチバックするような形で上に林道が分岐している。
最近は車が上がった形跡が無く、車進入禁止の為の石が置いてある。この林道を200m程登ると終点。
樵道に入る。少し登ると最近まで使われていたような耕地跡、廃屋。
廃屋の横を通り抜け、墓地の点在する林。
尾根筋辺りに竹林、切岸、腰曲輪。尾根に上がると堀切底。右に尾根筋を進むと段々の郭、堀切とバックヤードの平坦地。この平坦地はかなり長い。
先ほどの堀切底から左に進むと二の壇、腰曲輪。挿絵のとおりだ。
数段の腰曲輪を下りてみると数か所石垣がある。ひょっとしたら後世耕地として利用した時のものか。
主郭の下を横にトラバースすると5本の畝状竪堀。けっこう深い。
5本目の竪堀を登ると横堀になっている。横堀の上は櫓台。この辺りは複雑な構成。虎口もある。
広い主郭に祠と神上城の石碑。
やぶくぐりさんこんにちは。
森本さんが書いておられるような見どころがある城は
すべて網羅されているのかと思ってましたが、岡山城
の城もかなり数があるんですね。
そのあたりはまた行きたいなと思ってましたので
夏場になりそうですがチャレンジしてみようと思います。
ギリシャ格安弾丸ツアーに参加。メテオラからアテネに向かう途中、豪雨の中一瞬雨が止みB.C.480年第2ペルシャ戦争の「テルモピレーの戦い」の古戦場の記念碑と小丘に立ち寄る。
この史跡の概略は映画「スリーハンドレッド(300)」で紹介。
スパルタ王レオニダス率いるスパルタ兵300人が100万人(本当は10万人程度と言われている)のペルシャ軍と戦い全滅した英雄物語の場。
次の日は、エーゲ海クルーズでアテネ軍がペルシャ艦隊を破ったサラミスの海戦(B.C.480)の古戦場を通る。アテネ軍の三段櫂船(スピードの出るガレー船)を妄想。
ロバで有名なイドラ島の港両側の砲台。ギリシャ独立戦争の展示物もある。
エギナ島ではコロナ岬のアポロン神殿の柱と城壁を遠望してアフェア神殿に行き城壁(高さ2m位)の上に立つ。
最終日にはアテネのアクロポリスの丘の城壁から市街地を見る。ここの城壁は目がくらむ程高い。
ゆっくり見ていると迷子になるので後ろ髪を引かれながらパスに乗り込む。
やぶくぐりさん、
ものすごい遠征ですね・・・・。
ギリシャでも城ですか(^^;
さすがに藪こぎはなかったでしょうけれど
そのフットワークにはほんと脱帽です。
群馬に居住するもので、上州、信州を中心に山城めぐりを
しています。貴サイトをブログにリンクしてもよろしいでしょうか?富岡武蔵さん、こんにちは。
反応が遅くなり、すみません。
管理人の本岡です。
わざわざご連絡ありがとうございます。
リンクの件、気になさらず張ってくださって結構です。
よろしくお願いいたします。
愛知県にある小牧山城にはまだ行かないんですか?
早く「城めぐ」に載るといいなぁ (^¥^)/ちぃさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
管理人の本岡です。
小牧山城は狙ってるんですよ。
東京方面に行く帰りにでも、と。
でも愛知県はまだアップしていない城が90くらいは
ありますのでしんどいですが(^^;
やぶくぐりさん今晩は。
早速のご返事ありがとうございました。
時期をみて行こうと思います。
> 私も都合がついたので行くことができました。
お、結局聚楽第の方は行かれなかったのですね。
> 説明会の途中で何度が睡魔に襲われるという失態を演じて
> しまいましたが、よい内容だったなあと思います。
内容がちょっと難しかったからそーなりますよね。
指月山伏見城があったのか、無かったのかについては、専門家でも意見が分かれる所で。ただ、私はちょっと予習をしていましたので、非常に興味深く聞いていましたが、300名のうちどの程度理解できたかは…
> 石垣の下部は土砂に埋もれて残っているかもしれない、と
> のご見解も説明会の中でありましたね。
そのように言われていましたね。可能性は大だと思います。
> 宮内庁管轄区域だけに発掘調査ができない恨めしさです
> ね。
相手は天皇陵ですからねー。これは確かに難しい問題です。城郭関係者以外の意見も重要ですし。発掘調査は我々が生きている間は難しいかもしれませんね。ただ、測量調査は早めに実施してもらったと思います。
> 「この人、ブレイズマンさんかなあ」とか思ったり(笑)
残念ながら、その人ではありません。私は端の方にいてました。それどころか、資料もらえなかった人いてましたでしょ。その一人です。説明会の時は、図を示しながらの説明は全く理解不能でした。
では、では。
霄漢さん、こんにちは
信倉、忍山を攻略された由、おめでとうございます。
お尋ねの件、足守の「宮路山城」は残念ながら未訪。
情報によると、延長約400m。多数の竪堀群と堀切、小郭群がありそう。「近水園」付近か大井橋近くのコンビニに駐車して山頂を中心に「くの字」形に尾根筋をヤブこぎするルートを検討されてはいかがでしようか。「岡山市 地図情報−防災情報マップ」では「近水園」からは紫光庵裏から送電鉄塔まで道が続いているよう。
児島の「備前・両児山城(八浜城)」は玉野市八浜の市街地西側にあり、標高約80m。双葉橋東詰めから山上の駐車場への道がある。
山全体が城域で神社、公園、墓地になっているので訪問しやすい。畝状竪堀群と横矢がかけられる横堀セットが見所。
ここまで行かれたなら1KM程東側の「小丸山城」も両児山城より規模は小さいが毛利系の陣城として竪堀群、横堀のある主郭(軽いヤブこぎ)と畑化している駐屯地が紹介されているのでお勧め。
ご無沙汰しております。
ブレイズマンさん>
栗栖山砦の件、お役に立てたようで何よりです。
『伏見城研究の成果と課題』ですが、私も都合がついたので行くことが
できました。
確かに、参加者は300名ほどはいたでしょうね。想定外の数だったので、
思わず参加者の行進にもカメラを向けてしまいました(笑)
前日(正確には当日)の深酒が祟り、説明会の途中で何度が睡魔に襲われ
るという失態を演じてしまいましたが、よい内容だったなあと思います。
> 石垣はこの部分ともう一ヵ所しかなく中井先生はショックだったそう
> です。破城って徹底的に行われたんですねー。
発掘された北堀石垣の状況を考慮すると、石垣の下部は土砂に埋もれて
残っているかもしれない、とのご見解も説明会の中でありましたね。
宮内庁管轄区域だけに発掘調査ができない恨めしさですね。説明会でも
「天守台付近は御陵本体から離れているのだから立ち入り等を解禁して
ほしい」みたいなご意見がありましたね。私も現地でそう思いました。
多聞山城(奈良県)だと学校と御陵(皇后陵)の境が結構近いですよね。
あの状況が許されるのなら、何とかならないものですかねえ。
> おしりいたかった
私は説明会会場入場までに先頭付近で並んでいた成果で、パイプ椅子に
座れたため大丈夫でした。右横の方が中井先生が話をされる毎にビデオ
カメラを向けていらっしゃったので、「この人、ブレイズマンさんかなあ」
とか思ったり(笑)
では、失礼いたします。
やぶくぐりさん 今晩は。
「信倉城」いろいろ資料を探した結果、「戦乱の空間3号」に信倉城に書かれているものを入手できたので、早速五月29日に行ってきました。
主郭の入口を竪掘(堀底を道にして)3本で防御しているあまり見ない形でした。
採石の関係か一部遺構が失われているようでした。城まで無くなる様な事はないと思いますが残念です。
縄張り図を書き、時間があったので「忍山城」も登ってきました、寺の上からトンネルの直上まで延々続いていましたが、その間に目に付く様な防御施設もなく本陣山に続く尾根(現在は切り通しにより分断されています)に堀切と竪掘りが見られました。
他に「戦乱の空間3号」の記事の中に足守の「宮路山城」、児島の「両児島城」。が宇喜多の陣城と紹介されていましたが、もし行かれた事がありましたらお教えいただけないでしょうか。よろしくお願いします。
管理人様今晩は。
目高の築地、私は5月に行きました。
見て歩くには、問題ありませんでした。
せっかく行くには、やはり冬枯れの時期のほうが、北の峰から延々と続く土塁を見やすいのではと思います。霄漢さん、こんにちは。
地元の方が整備を考えられているのをうかがった
ことがありましたが、やはり晩秋から冬(雪がないうちに)
がよさそうですね。
ありがとうございます。
> こちらの方にいこかなー。伏見城も極めて興味がありま
> す。
に「伏見城研究の成果」と課題行ってきましたー。
なかなか楽しかったですよー。
まず参加人数ですが、150部+100部でも資料が足りなかったという事ですから、推定300名ぐらいは来られていたのではないでしょうか。
年齢的には50-70歳程度の男性60%、50-70歳程度の女性20%、その他もろもろ20%程度という感じでしょうか。とにかくいっぱい来ていました。
城郭を見学して、それから説明会という流れでしたが、説明会は興味深い内容がもりだくさんでした。
まずは伏見城の石垣の写真を見ましたが、「おー」という感じでした。初めて見ました。見た感じ「野面積み」かなー、という印象でした。しかし、石垣はこの部分ともう一ヵ所しかなく中井先生はショックだったそうです。破城って徹底的に行われたんですねー。
後、いろいろと興味深い話がありましたが、ひとつ、例の二の丸にある「古墳か?」という事がありましたでしょ。
中井先生曰く、「古墳ならば完全に壊すはずであのような遺構が残っているのはおかしい。また天守台にしても巨大すぎる」というこどてした。
でこの時に(財)京都市埋蔵文化財研究所の方が、
「ひょっして、大戦時につけられた高射台の可能性もあり、伏見城も発掘調査する場合、大戦時の遺構もあるかもしれないという事を念頭に置く必要がある」
という今まで全く知られていない見解が示されました。
事実は私にはまったく解りませんが「なるほどなー」という印象を受けました。
おしりいたかったですが、大変面白かった伏見城でした。
では、では。http://wwwsoc.nii.ac.jp/historia/kakoevent10.htm
ブレイズマンさん、こんにちは。
伏見城の講演に行かれたんですね。
いやぁ羨ましい。
私も石垣を拝みたかったです。
この日の内容が本にならないかなぁ・・・
ポリタンクさん、よーやくいけました。
前に教えてもらった情報、びっくりするくらい的確じゃないですか。
まさに書いていただいた通りでした。ビニールテープをチェックしながらでした。あれがなければ絶対たどりつけませんでした。
栗栖山砦に行かれる方は、ポリタンクさんの2010/04/07を投稿をチェックしてください。
> No.2003「千賀地氏城」のお城さんマークのリンク、前の
> 伏見城のを引きずってます。内容的にはリンクされたかっ
> たのは「お城の旅日記」様かと想像しますが、如何でしょ> う?
ぷぷぷぷ、全くそのとおりです。
リンク修正しておきます。
続きがあります。
岡山市東部にある古代山城の「大廻り小廻り山」一番の見所の一の木戸。旧瀬戸町湯谷のコンビニ北に一の木戸へ1KMの小さな看板。
すぐの十字路を直進して道なりに進むと二つ目の看板。
ここの路側に駐車(3台位置ける)して南東に谷川に沿った林道を歩く。最近車が通った形跡が無くなるも刈り払ってある。池がある。そのまま谷に沿って林道を進む。
小さなダムみたいな石積み。ここが一の木戸の石塁。説明板。
ヤブこぎ覚悟なら60m程下って、隣の谷にある二の木戸に廻れるが時期が悪い。
そのまま谷を詰めると新池。
ここまで刈り払ってある。
ここから300m位は草のある山道。上の車道に飛び出す。
ヤブの中に土塁。
大廻り山を横目に説明看板。この辺りに列石があるはずだが見つけられず。
小廻り山の土塁もヤブ。
三の木戸方向は事前情報「ドーベルマン放し飼いの家」の横を通ることになるのでパス。
駐車位置に戻り、旧瀬戸町塩納の山ノ池集落に向かう。
「塩納・妙見山城」は大森山山頂。
おかやまGISから5000分の1地図をプリント。東に作業道を登るとNo.42鉄塔と妙見宮。神社以外に遺構は見当たらず。資料によると、ここから北に向かって尾根筋に延々と城域があるようだが、ここからは踏み跡程度の道。コの字型の石組と地蔵はあきらめる。
鳥居から南の尾根道を100m程下ってみるも道がヤブに消えている。
駐車した集会所に戻り、「大日幡山城」へ。
岡山市寺山の国道2号線と国道2号線バイパス分岐点付近の
コンビニに駐車。2号線バイパスのボックスカルパートを潜り中電道に入る。要所に木の階段。倒木を潜るも道は良好。No.62鉄塔から北出丸。
「落穂ひろい」さんの縄張り図と説明書を片手に主郭へ。
切岸、郭、切岸、郭、最高所の土壇。No.63鉄塔への帯曲輪。No.63鉄塔まで削平地が点々。
主郭に戻り、南出丸のあるNo.65鉄塔付近のピークに向かう。
主郭から下ると土塁の郭、段々の帯曲輪。
No.54鉄塔のピークは遺構見当たらず。
そのまま尾根筋の中電道をしばらく南に進むと道が尾根を外れて左側斜面をトラバースするようになる。
ここから尾根筋の幅1.5m位の道の跡に見える盛り上がりの所をたどりヤブに突入。右手に三つの連続竪堀みたいな溝か谷。ネズミサシの針みたいな葉に刺されながら前進。
高さ1m位のはっきりとした切岸ラインと平坦な小郭がある。岩を伝い、少し山の斜面を登ると頂上のの緩いマウンド。
真ん中に境界土塁か猪垣みたいな土塁線。ヤブがひどいので次のピークはあきらめて帰る。マムシに出会わなくて良かった。
やぶくぐりさん、こんにちは。
マムシやダニはわかりますが、ドーベルマンもですか!
私も一度同じような家のそばを通って放し飼いの猟犬に
追いかけられて死ぬかと思ったことがありました。
大廻り小廻りはいつか行かないとと思っていますが
事前に調査が必要みたいですね。
勉強になりました。
管理人様今晩は。
5月連休前後、ドタバタしていましたので、4月20日にせっかくご返事いただいておきながら見ていませんでした。
遅くなりましたが、返事させていただきます。
決論から先に書きますと、現在私には分かりません。
「賤ヶ岳」「三木」「上月」「高松」と秀吉が関係する陣城を調べてきて後に、昨年まで数年かけて鳥取の「帝釈山」を中心に調べました。
「帝釈山」山頂は有名な「太閣ヶ𨸶」が有りその西側に二重の空堀(土塁と内外の空堀)が約1kmにわたり途中三つ尾根を越えて作られています。空堀が尾根を越えるところには土塁囲みの陣跡があり、特徴的なのは内部が土塁又は切岸で区切られています。(管理人さんの「太閤ヶ𨸶」の記事の中で舗装道路から途中の薮の中に入ってみようかと思ったとありましたが、入られればこの遺構を見ることができたはずです)
この特徴は鳥取だけでなく「高松の龍王山の陣城」「賤ヶ岳の陣城」「淡河の付け城」「韮山城の付け城」等でも見られます。
宇喜多の陣城については、ある城郭研究者の方の案内で岡山県久米町の「岩屋城」の陣城を見たのが最初ですが、岩屋城を取り巻く尾根の上に土塁で遮断線を作りその途中のピークに土塁囲みの陣城を作っていますが、その形は後年のもですが「韮山城の本立寺付け城」(規模は異なりますが)によく似ているように思いました。
「岩屋城」の陣城のようなものが他にないかどなたかご存じないでしょうか。
宇喜多氏がこのような陣城を作るのは、秀吉の家臣団に組み込まれる過程で影響を受けたのか、または宇喜多氏が従来から行っていたものか、その所が最大の関心事です。
宇喜多氏と争った、毛利氏の場合はどの様な陣城を作ったかに付いても興味があります。
鳥取の場合、最前線であった鹿野では亀井氏が作ったと思われる陣城が何箇所かあり、又
羽衣石でも、「羽衣石城」とは明らかに性格の異なる「十万寺城(“たいこうがなる”と地元では伝承がある)」「番城」等、毛利方か秀吉方か判断つかない城があります。
毛利勢が使った記録があるものは、鹿野の「荒神山城」がありますが、非常に険しい山の
上に広大な削平地があるだけで、防御施設のあまり無い城でした。
上月周辺には、毛利方と考えられる「二位山城」「目高の築地」等がありますがこの様な特徴的な遺構を持つ城があるのか探しています。
取りとめのないことをダラダラ書きました。
今後とも宜しくお願いします。
追伸
高倉山城の登り口ですが、私はいつも以下のルートを使っています。
但し非常に急傾斜の尾根を直登なので危険ですが、恐らく最短ルートです。
菰田集落の集会所に車を止めさせてもらい、北西に見える尾根(一番西の石井集落に降りる尾根は登れません)取り付きに墓地があるので分かると思います。
植林と雑木林の境界を木につかまりながら登ります。地元では「太閤道」と言われる道が伝承されていますがかなり東側からの取り付きとなりますうえに尾根上で迷う可能性があります。霄漢さん、こんにちは
目高の築地は行かないとなぁと思っていたらシーズンオフに
なってしまいました。
ちなみに霄漢さんが行かれた時の藪状況はどんなもの
でしたでしょうか?
遺構を見るには全然影響ありませんでしたか?
あそこは改めて上月城もじっくり再訪したいと思っています。
スズノコ採りに三十人ケ仙(1175m)に登った帰り、鏡野町(旧富村)の富東谷馬場にある山城訪問。
旧富村の城館情報は極めて少なく、「おかやまGIS」によると、宿地区にある「びくにが城」(比高200mの山頂、未訪)と富東谷馬場の名称不明の城(仮に馬場所在城とする)が
あるのみで、訪城記録は知られていない。
今回は、比較的訪問しやすそうな「馬場所在城」にチャレンジ。
鏡野町上斎原地区から奥津温泉横の城の山城、鷹の巣城。井坂の西浦城、西屋の西屋城を眺めながら国道179号線を南下。
天狗山城から西に湯原方面に右折して富東谷地区に向かう。
地区に入るとすぐに広い交差点にガソリンスタンドがある。
ここから右折、北に300mで宝泉寺付近に駐車。
宝泉寺境内を通り、谷筋の作業道を登る。作業道の終点から登りやすい北のピークに進むと頂部平坦地。岡山GISでは、この北側に竪堀があるとのことだがヤブで断念。
尾根筋の踏み跡を南に進むと、主郭らしきピーク。
ここも削平の甘い平坦地。
頂部に人頭大の石を積み上げた塚(寄せ墓)と千人塚の看板。
尾根を更に南に進むと竹林。どんどん下る。尾根方向に沿って土塁。
その先に堀切らしき大穴。
すぐに民家。道に出ると、先ほどのガソリンスタンド。
ここで、この山城のことを尋ねるも知らないとの返事。
この富西谷地区で里の城を構えそうな、それらしき山はもう一つ。
南側の登美山荘のある金毘羅山。
登美山荘から遊具の横を通り、公園化された道を登る。こちらの山は公園化の時に尾根筋がブルで削られたようだが、郭に見える段々の加工がある。
山頂はアンテナと祠。植えられたオキナグサが咲いている。
やぶくぐりさん、こんにちは。
スズノコは初めて聞きましたが、調べてみたら食べたこと
あるものでした。
今度山で見たら採ってみようと思います。
でも藪があるとなかなか高い山には行かないのですが。
季節の旬とともに楽しむ山城めぐり・・素晴らしいです。
こんにちわ。
忙しすぎて、ご無沙汰してます。
以前に書きました竜が岡砦ですが、インター近くのカナートがありますよね。
インター側から説明しますと、
そのカナートを分断するように道が走っていますが、それを真っ直ぐに進んで、
銀行がある交差点も直進して、2つ目の信号(右手にNTTですかね?)を右折します。
数mも行かないうちに、右手のタバコ屋よりも手前のところで左に入れますので、そこを入ります。
すると正面に立派なお寺(常光寺)があります。
そこら一帯が、魚住氏が三木城を支えるために築いた竜が岡砦です。
正式名称はありませんので、わたしが勝手に名付けましたw
それから明石市内に構居ひとつ、城跡ひとつ見つけましたが、
ここらは、また今度にします。まるさん、こんにちは。
本岡です。
竜が岡砦は魚住城から三木城へ兵糧を運ぶルート上に
あったところですね。
近々その兵糧道を自転車で走ってみようかと思っていた
ところだったんですよ。
三木合戦関連はぼちぼち調べなおしているのですが、
新たな発見があると楽しいものですね。
お仕事大変みたいですが、がんばってください。
兵庫県境に近い岡山県和気町の「備前・北曽根城」から和気アルプスを縦走。由加神社の広い駐車場に車を置く。参拝中に神主さんが来られる。駐車の了解を得て出発。北曽根城は、いつものように赤い鳥居から登り付く。神社を過ぎると竪堀のような溝。山頂には点在する石垣、郭、林立するアンテナ。小休止の後、尾根筋の縦走に移る。北郭、土塁の郭を過ぎ、烏帽子岩の土橋付き片堀切。「和」文字焼の火床のある観音山、エビ山、岩山、前ノ峰、間ノ峰、穂高山と進む。岩峰展望良好、登山グループ多し。大岩壁の連続。涸沢峰から竜王山往復。この「竜王山」は隣の「子竜王」と段々が連続する削平地がある。山頂に祠。城のようだと妄想。涸沢峰に戻り、ジャンルダム、奥の峰。下ると溜井らしき穴。更に進むと水場。進むと郭らしき段々の平坦地。岩壁上にそびえる広大な金剛廃寺跡だ。土塁、郭、水場、集水用の連続竪堀群。どうみても「城塞寺院」だ。左折してまよいピークの郭群。剣峰方向に進むと土橋付き堀切。戻って神ノ上山の郭群、両側に土塁。山頂で遅い昼食。鷲ノ巣岩方向に下山開始。竹林、石垣のある郭、大土塁線。左折すると鷲ノ巣岩となる分岐は稜線を外さずに直進する。急に踏み跡が細くなる。しばらく岩尾根を進むと急斜面(切岸)の下に土橋付き片堀切らしきもの。更に降って御大師山北の十字路。もう出発してから6時間。左に降るとおかやまGIS記載の室町期の館跡、南に直進すると御大師山、右折するとライトグリーンに染まった宗堂池。体力の限界を感じつつ御大師山の探訪と館跡は次の機会にすると決心。右折して谷筋に入る。竪堀が一条訪問山道に沿う。池横の踏み跡を下り、池の堰堤に出る。堰堤を渡ると道に出る。ここにも駐車できそう。集落の間の道を下って県道へ。すぐに由加神社。30度近い晴天で顔が真っ赤になっている。やぶくぐりさん、こんにちは。
この時期でも勢いは衰えないですね。
尊敬します。
北曽根城から縦走した先にも結構な見どころがあるもの
なんですね。そういえばこの頃は私も久々に伯耆の山城の中におりましたが、暑いのと藪でうまく写真が撮れない
のとで何やってるんだろうと思ってしまいました。
でもやっぱり楽しいですね。
昨日、龍王山城、楊本城、中山城に行ってきました。時間がとれたので、
同行いただいた上司の快諾を得て、福住のうちの福住中定城にも行きま
した。
今回の訪城にあたっては、ブレイズマンさんも話題に出されていたWeb
サイト「気分はコクジン」様(実は上司が好きなWebサイト。)を参考に
しました。(リンクあり。)
当該Webサイト様の内容についての留意点を・・・
龍王山城南城の縄張図ですが、西側高土塁の下にある分岐点は『図説中世
城郭事典 二』(新人物往来社)掲載のものと『図説近畿中世城郭事典』
(城郭談話会)掲載のものではともに四差路と図説されており、虎口から
素直に直進すると柳本龍王社よりも麓へ出てしまいます。ただ、虎口から
柳本龍王社へ向かう場合は、直進して登り直す方が歩きやすいような気は
しました。縄張図としては他にも『日本城郭大系 10 三重・奈良・和歌山』
(新人物往来社)にも掲載されていますが、こちらは三差路となっていて
且つ「気分はコクジン」様とも異なります。道の太さ等も含めた把握との
観点であれば、ここで挙げた中では『図説近畿中世城郭事典』が発行年が
最も新しいこともあって良いように思います。因に、私は北城城跡碑付近
駐車場から歩き、田村龍王社を過ぎた先(天狗岩そば)の道から南城に
入りました。
中山城での駐車場所ですが、昼食を兼ねて国道沿いにある回転寿司店を
利用した方が無難です。
福住中定城への行き方ですが、略図にある公民館は郵便局と同じ道路
沿いに移転しているようです。福住ICを出て北上する場合、公民館を
左手に見た場合は行き過ぎ。駐在所の手前の道へ入ると正解です。
各城の具体的な説明は「気分はコクジン」様に譲りますが、龍王山城に
ついては個人的にいくつかを。
龍王山城南城は、前述のとおりの道程で尾根筋を主郭経由で直進して、
南端の土塁まで行きました。途中の2つの堀切は先人が通ったと思しき道で
降りることができます。南端の土塁手前の虎口では現時点で倒木が邪魔を
しますので、通過には注意を要します。
同北城はほぼ一般散策ルートのみで移動しました。例外は主郭西にある
土塁跡斜面の道を避け(ロープがなく、上司に下っていただくには忍び
なかった)、堀切を通って主郭東側から迂回しました。太鼓ノ丸南西部に
ある竪堀群は草木で現認できませんでした。残念。
今回の訪城で、松永久秀の主要城(多聞山城、信貴山城、鹿背山城、龍王
山北城)と十市氏の平時と詰めの城(十市城、龍王山城南城)を制覇した
ことになります。
とはいえ、信貴山城の松永屋敷方面、龍王山北城の大手付近は未訪なので、
いずれは再訪せねばとは思います。前者再訪時には平群町の城を制覇する
のも一考かしらとも思っています。十三峠界隈に行く道すがら(大阪から
だと道が細く、運転がへたれな相手との離合が面倒。国道168号線の利用が
多い。)に何度も接近しているはずなのですが、ほぼ夜の徘徊なので城は
鹿十・・・。また、天理市内には他にも面白そうな城があるようなので、
後者再訪時にでも巡ってみたいです。
最後に余談ですが・・・
ブレイズマンさん>
No.2003「千賀地氏城」のお城さんマークのリンク、前の伏見城のを引き
ずってます。内容的にはリンクされたかったのは「お城の旅日記」様かと
想像しますが、如何でしょう?
では、失礼いたします。http://gfi402.web.fc2.com/narakokujin2.htm
ポリタンクさん、臨場感たっぷりな攻城記ありがとうございます。
恥ずかしながら奈良県はほとんど行ってないので
詳細な部分には反応できません(^^;
しかし「気分はコクジン」さんや「お城の旅日記」さん
のように素晴らしいガイドがあるとお城に行くのも楽が
できますねぇ。
コクジンさん復活されないかなぁ。
こんにちは。
今日、八木城を訪問することができました。
実は今まで一回も行ったことがありませんでした。
やっぱり実物は迫力が大きく違いましたね。
登城道は、下八木から登りました。
ここが思ったより遠かったですね…それでも途中にも幾つか曲輪が見えるようでした。
他に驚いた点としては、城内に結構仏像が置かれている点でした。他の城郭ではあまり見たことがなかったので…。
主郭周辺の石垣は、立派で大変素晴らしいと思いました。改めて織豊期の石積み技術の高さを感じました。
勿論、土城にも行きました。
石垣はありませんでしたが、それでも土塁が大変良く残り、この城だけでも十分守ることができる、そう感じましたね。
室町期の姿をそのまま残すかと思いきや、枡形が残っており、やはりずっと使われたものだ、と感じました。
あまり景色は望めませんでした。それが少し残念です。
帰りには、御里と殿屋敷にも行ってきました。
御里は何もない広場のように感じましたが、殿屋敷は発掘中で、石垣も見えており、ここに城主がいた、という感じを強く持てました。
それにしても、八木城って大変な山登りですね…。
まぁ、見る価値があるものが残っているので、行った価値もありますね。
一つ要望を言えば、土城にも案内板か石碑を建ててもらいたいものです。(無理でしょうか)
では、今日はここまで。Soldierさん、こんにちは。
八木城はもっとスポットがあたってもいいお城だと思います。
麓に関連史跡もありますし、なんと今も発掘中でしたか。
私は8月に行ったこともありますが、やっぱりじっくりと冬枯れの季節に遺構を楽しみたいところです。
土の城は特に。
おっしゃる通り、案内板は欲しいですね。
管理人様>
気の利いた折角のお返事を見逃しておりました。
申し訳ありません m(_ _)m
> なんと、上司の方と城址に、いやw
> 利神城にいかれたんですか!!
>
> まさか仕事帰りとかでしょうか。
> 理解のある上司の方で素晴らしいですね。
「じょうし」をかけましたね(笑)
共通点は「歴史と知恵が詰まっていること」でしょうね。私の上司はそんな
尊敬できる方です。
なお、利神城は残念ながら仕事帰りではなく、貴重な休日にお付き合いいた
だきました。
本日、その上司と龍王山城(奈良県)へ行ってきます。お返事に気がついた
のも、実はそのせいでして、「奈良県といえば、以前確か福住の書き込みが
あったよなあ」と過去ログを読んでいたら、あらら!お返事が〜!!といった
感じです。
あたり上司に時間的な負担をかけることができませんので、今回は福住は
やめることにしましたが、上司も奈良県が気になるご様子なので、そのうち
行くかもしれません。
> 今度は大手道をぜひww
あれはちょっと・・・
麓から遠目で見ただけの感想ですが、一人では行きたくないですね(泣)
終点の三の丸虎口付近も見てみましたが、道らしきものは一見した限りでは
確認できませんでした。
といっても、上司をお連れするわけにもいきませんし。上司は城そのものと
いうよりは歴史にまつわる人物の方に興味がおありのようなので、獣道を
登るのは本意でないと思います。はい。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、こんにちは。
こちらこそ大変遅い反応ですので、気になさらないでください。
仕事仲間と趣味の城を共有できるのはなかなか珍しい
と思いますが、素敵ですね。
お城ではポリタンクさんが先輩になったりして(^^
釣りバカ日誌をイメージしてみました。
> もうひとありましたが、また後日書きますね。
としていましたが、もう一つの城は「千賀地氏城」です。
千賀地氏城は、服部半蔵、服部正成の居城だったところですね。それこそ、にんにん、ですね。
忍者好きには、大変興味深い城ですが、特に見どころ多いという城ではありませんでした。南側はかなりの切り立った崖となっており、主に北側に土塁とその上には櫓台があり、方形城、室町時代の城郭に思えます。大きさもそれほどというほけではありません。
ただ、このすぐ近所には、
・木原氏城
・浅井氏城
の城郭があり、こちらの方が非常に見やすかったですね。
お城さんマークに浅井氏城のリンクを入れておきましたが、ここに「城の遺構の確認のし易さは雲泥の差があり、地主の方のご努力に感謝。」とあるように、特に浅井氏城は整備されていました。
> 何で同じ日なんでしょうね・・・
ねー、なんで同日なんでしょうか。
あ、管理人さん「大嶽城」に行って来られたのですか?大嶽曲輪ともいわれていますが、ホームページに「小谷城に行かれた際はぜひともこの大嶽城、そして月所丸もあわせて行ってみていただきたいと思います。」とありますが、僕は断念していかなかったのですよねー。あれって小谷城から何分ぐらいかかりました?結構あるかないといけなかったのでないでしょうか。
又の機会にいたしましょう。
では、では。http://wwwsoc.nii.ac.jp/historia/event.htm
ブレイズマンさん、こんにちは。
服部半蔵ゆかりのお城ですか。
これはぜひとも行かないといけませんねぇ。
まぁ規模は小さいもので物足りないのかもしれませんが
そういうサイズの城はその辺はゴロゴロしてるんじゃないですか。
大嶽城は小谷城の六坊跡から15分くらいでしょうか。
ただ登り階段が急ですのでしんどいですよ。
登ってしまえば小谷城とは別の城が待ってますよ。
本日、亀山城(京都府)経由で周山城(同)へ行ってきました。
亀山城では、小学校に移築されている門も併せてご対面です。
では、ここからが本題です。
これから初めて周山城へ訪問される方のために、私の失敗談を・・・
NHKの施設がある2ヵ所の尾根ルートは避けて左へ迂回しましょう。
特に2つめはきついです。迂回路をそうとは思わずに「階段がある」と
登ると、落ち葉のある時期はえらい目に遭います。
西尾根と南尾根を間違えないようにしましょう(泣)
こんなことは私だけかもしれませんが、「写真で見た石垣と堀切はどこ
じゃろか」と下っていると、下界に道路が・・・。多分、国道477号線で
しょうね。お陰で西尾根にある陣城へ行く体力がなくなりました。
黄色いプラスチックの棒が埋まっていたら、それは南尾根です。
一般的な見学ルート(東尾根->本丸->西尾根)には木に巻いてある赤い
ビニールテープに従えば誘導されます。(帰りはわかりづらいです。)
西尾根の石垣は見事ですね。道を間違えて落ち込んでいた気分が一気に
回復しました。ただ、体力は回復しませんで、西尾根の陣城はいずれ
リベンジということとなりました。竹田城の登り石垣といい、最近は
こんなことばかりです。ただ、周山城リベンジは秋までお預けにします。
なぜかというと、既にヤマダニが発生していたからです。
今回の予定外の収穫は、南尾根制覇とヤマダニ2匹の退治でした・・・
なお、以前は周山城案内図を配布していたらしい道の駅「ウッディー
京北」ですが、今は配布していないようです。いずれ復活するかもしれ
ませんが、配布していないことを想定して事前に資料は揃えておく方が
無難です。
縄張図ですが、周山城自体は『図説中世城郭事典 二』(新人物往来社)、
西尾根の陣城は『図説近畿中世城郭事典』(城郭談話会)に「周山城
(西峰曲輪群)」として掲載されています。
では、失礼いたします。ポリタンクさん、ご自身の経験がいい情報となっていますね。
ありがとうございました。
ほとんど覚えてませんでしたが、それでもうっすらと
「そんなだったかも」という程度の記憶がよみがえってきました(^^;
それにしてもヤマダニ!、いやですねぇ。
ヤツはほんと何とかできないものでしょうか。
虫対策のグッズで発明できないですかねぇ。
いや、発明品をぜひとも買わせていただきたいです。
こんにちは。久しぶりの書き込みになると思います。
今日は、鳥取にお出かけに行ってきました。
色々と他の理由で鳥取へ行ったのですが、帰りに浦富台場に寄ってきました。
道からすぐのところにあったので、土塁もはっきりと見え、本当に素晴らしいと思いました。
そして、土塁の構造を良く確認してみると、案内板の通り土塁がまっすぐではなく、M字型に曲がっていました。
おそらくこの方が大砲を置きやすかったのではないか、そのように考えを巡らせましたよ。
また、浦富には消滅したもう一つの台場があったとか。これは知りませんでした。
あと追記ですが、このページのお勧めリンクの中にあった「発見!ニッポン城めぐり」というのを最近始めてみました。
出かける機会が多くないので、なかなか集まりませんね。
勿論、今回の道中の城郭はすべて取ったつもりです。
明後日、八木城へ登城できることになりました。ずっと行きたいと思っていたところです。楽しみたいですね。
では、今日はここで。Soldierさん、こんにちは。
浦富台場はほんとよく残っていますよね。
現在はなくなってしまったほうは高台にあったよう
なのですが、こちらはよく残ってくれたものです。
「発見!ニッポン城めぐり」は城が多いことと、自分の
城を拡張していけるのが面白そうだなと思いました。
残念ながらケータイでWebはやらないので私は見たことないですが、コンプできるんでしょうか(^^;
> このイベントってAM10:00なんでしょうか、それとも12:30なんでしょうか。
フィールドワークの時間が10時から12時半までなのだと想像するのですが、
違っていたらすみません m(_ _)m
私は伏見城にも聚楽第にも興味があるため、悩ましいところです。何で
同じ日なんでしょうね・・・
中井先生といえば、遠方ゆえにいけなかった静岡県浜松市でのイベントが
本になりました(サンライズ出版『浜松の城と合戦』)ので、読んでいる
ところです。中井先生のお話を生で拝聴したことがないので、少々伏見城の
方に気持ちが傾いています。伏見城は幼稚園の遠足以来行ってませんし(笑)
一番の関門は、当日に体が空くかどうかですけど(泣)
では、失礼いたします。
おーーーーーーーーー、ほんまですねー。
初めて知りました。
中井さんのセミナーは前々から聞きに行きたいと思っていたので、こちらの方にいこかなー。伏見城も極めて興味があります。
ただ、このイベントってAM10:00なんでしょうか、それとも12:30なんでしょうか。
情報有難うございます。
では、では。
昼食後ワラビを採りに「神楽尾城」に向かう。細いワラビばかり。
太いワラビを求めて、鏡野町(旧奥津町)西屋にある「西屋城」に向かう。
事前情報に従い、下の神社の鳥居から山道に取り付く。つづら折れに息をはずませると尾根に神社。奥に造ったばかりの林道がある。キャタピラの重機道。登って行くと林内作業車で運材中。挨拶をしてグラップルのある林道終点へ。ここから比高100m。谷筋のヒノキ林を直登。伐採木が煩わしい。奥津町史・通史編上の縄張図の東郭群と主郭群の間の4段腰曲輪(水の手曲輪)の上の堀切に出る。
腰までの笹。東郭群を探索。東の尾根先に縄張図にない出丸。出丸の主郭、一段下がる郭、竪掘、堀切、郭、土塁がコの字に廻る郭まで南東の尾根に続く。
一旦戻って主郭群に入る。北側に堀切、4つの竪堀。
主郭群は笹を刈り倒してある。太いワラビ収穫。
下りは南側の堀切りから尾根筋を進む。しばらく下ると縄張図にない小さな出曲輪。さらに進むと矢竹のヤブ。巻いて尾根に戻り間伐材散乱地から神社近くの先ほどの林道に降り立つ。そのまま林道を進むと上の泉神社に出て、駐車位置へ国道を歩く。往復2時間。
やぶくぐりさん、こんにちは。
わらびを捕りに山城へ。(^^
西屋城はずいぶん見ごたえのあるお城のようですね。
それにしても山菜ネタが付いてくるお城情報はやぶくぐり
さんだけですね。
私も参考にさせていただきます。
やぶくぐり様
ありがとうございます、早速行ってみます。
「目高ん築地」には上(北)峰近くまで車で(マツダ、ファミリヤ)いけました、車一台くらいなら駐車スペースもありました。他に「浅瀬山城」その東尾根(藪で取り付きが分かりにくいですが)の陣城遺構、「円光寺砦」「櫛田城」等を見ました。
霄漢様今晩は。
佐用の「目地の築地」は「上月城」からの周回コース看板に3時間半と書かれていたので次の機会に譲ります。・・残念
シーズンに向けてGPSが入手出来れば二位山城から高倉山城コースも行きたいな。
さて、「忍山城」の付城「陣山城」は岡山空港から県道72号を西に進み、「忍山城」の真下の上高田トンネルを抜け後楽ゴルフクラブ手前を右折(左折して山に車で登ると星神社で板倉桝形城の伝承地)して林道を東に行くと本陣山山頂付近まで車で行ける。この山頂の神社跡の平坦地が「陣山城」だが城らしい遺構見当たらず。そのまま道なりに東には立ち入り禁止になっている。
「勝尾城(信倉城)」は「忍山城」下の上高田トンネルの200〜300m東で岡山空港側から来た場合右折して勝尾峠に出て駐車しやすい場所に駐車。
峠から北北西側の山道に取り付く。そのままつづら折れ道を歩くと比高90m位で尾根筋。左折するとすぐに格子状の堀底道になる。これを抜けると主郭に至る。真下に砕石場。
この周辺の地図は「おかやま全県統合型GIS(地理情報システム)から1/2500で印刷すると登山道まで明確に表示されている。(この統合型GISは岡山県内の訪城には必需品)
ブレイズマンさん>
京都といえば、奇しくも同じ日に大阪歴史学会見学検討会「伏見城研究の
成果と課題」というのもあります。(リンクが完全フリーではないので、
検索で引っかけてください。)
NPO法人城郭遺産による街づくり協議会の中井先生の報告もあるようなので、
ちょっと気になっています。
都合がつくとしても、どちらに足を運ぶかで悩みます・・・
では、失礼いたします。ポリタンクさん、いい情報ありがとうございます。
こちらもいいですね!
もうそろそろiphoneでUst配信してくれるように
なってもいいのになぁと勝手な願望をつぶやいておきます(^^;
そーそー
京都市考古資料館開館30周年記念 連続講座 「京都 秀吉の時代」第5回
聚楽第〜豊臣政権における聚楽第の意味〜
というのが実施されます。
詳しくはお城さんマークに入れておきました。
なかなかおもしろそーでいってみよかなー、どーしよかなーと思っています。
では、では。http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/koza/kyoto/kyotogaku1005.html
遅すぎる反応ですみません。
私は別の予定が入ってたので無理でしたがまたよかったら
お話聞かせてくださいませ。
> 帰り次第報告します。
ということで、報告しますと「忍者の城」はまたしても雨でした。1日目は非常に晴れていました。が、2日目ですよ。朝から雨、あーあー、折角泊りで来ているのにー。
しかし、1日目の報告だけしておきます。忍者の城は「天正の乱」関係の城巡りと言う事で、その発端となった
・丸山城
にいきました。
お城さんマークのホームページに、
「しかし、整備状態は良くなく、立木が倒れたままでともかく歩きにくい。」
とありますが、私が行った時はまったくそのような事が無く、整備されている印象がありました。道は広く歩きやすかったです。この方とは別のルートで登城したからかもしれませんね。
で、まー見どころはお城さんマークのホームページ「歴史」部分の写真にある、大手近くにある土塁ですね。これは、前に紹介した「福住井之市城」の横矢の構造と似ていますね。これって地域性とかあるでしょうかね。「おーすげなー」という感じでした。ただ、それ以外では特に大きな見どころがある城では無かったような感じがします。尾根伝いにある中世の素直な縄張りのような気がしますね。
ただ、このお城、中世の山城では珍しい古絵図があるですよ。伊賀市立図書館に保存されています。
もうひとありましたが、また後日書きますね。
> 今はせんとくんで道が混んでいそうなので、様子見を決め
> 込んでおります
奈良中心部は解りませんが、奈良から伊賀に行く途中はまったく問題なかったですよ。
> 奈良県のお城は結構興味津々ではあります。
奈良って国人衆が乱立していましたので、結構いろいろお城ありますからね。私も興味あります。
> 筆業が本業ではないけれど関係する本を執筆する方なので
> しょうか
その通りです。城とは全く関係ないですけどね。経済学の本です。
では、では。http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/maruyama.htm
ブレイズマンさん、こんにちは。
なんと。またしても水攻めにあってしまったんですね。
遠征で天候が悪いとほんとテンション下がりますね。
お気の毒でした。
でも丸山城がいいお城だったのは幸いでしたね。
最近、行き先が無くなってきたソロ・バイクツーリングの目的として、つい先日の2010年4月24日から「城めぐ」始めました。とりあえず近くの石神井城と赤塚城を攻略しまいた。
ツーリングとトレッキング、歴史探訪にグルメと城めぐりは
楽しみ無限大「城めぐりツーリング」が今年のテーマになりました。アウトドア大好きな私は立派な天守閣より山城(やまじろ)を歩き回るのが好みです・・・http://motor.geocities.jp/civediamoafirenze/
ドン・キホーテさん、こんにちは。
バイクでの城攻めは効率よくていいですよね。
暑くなるまでだと風が気持ちよくて、私も随分前に
やっていた時期もありました。
山城も攻めにくい季節になりつつありますが、お気をつけてがんばってください。
それでは。